やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 この本は,私の50年の歯科臨床をふまえて,患者さんを中心に置いた新しい歯科医療の実践を提言し,その実現をめざそうとするものである.今は,地球全体が,世界中が混沌とした時代である.そして,わが国においても大平洋戦争,戦後の混乱期,高度成長,バブルの崩壊とさまざまな時代を経て,一億総中流階級というような言葉に象徴されるように,現在,物の豊かさと引き換えに,日本人は伝統をもった美しい心を失ってしまったかに思われる.しかも今回の危機は,国民の気概の憔悴と,とてつもない精神の荒廃が背後にあり,モラルの低下,自信や誇りの消失と相俟って根が深く,その意味では,“新たな困難の時代”といってもいいのではないかと私は考えている.
 歯科界においても同様で,希望をもって大学を卒業した若い歯科医師がその現実に打ちのめされ,経験の多い臨床家でさえも目先の益になる治療の修得に右往左往している昨今である.もちろん,立派な指導医の元で地道に努力をしている多くの歯科医師たちもいるが,優れた潜在能力をもった若い歯科医師が夜遅くまで働いて,本を読む時間もなく,気力も将来の夢も失っている姿は痛々しいかぎりである.
 今まで先人たちが培ってきた,人々の役に立つこの素晴しい歯科医療はどこに行くのであろうか.
 この本は,私たちが誇りとしてきた口腔と全身の健康,福祉に役立つ歯科医療を行うための心構えや方法を,毎日の臨床と症例,そして若い歯科医師たちとの座談会を通して,できるだけ表したつもりである.
 ニューテクノロジー(先進医療)の開発・導入もそれはそれで大切なことであるが,それは,歯科医療とはどういうものか,私たちの目的である患者さんとはどういうものか,私たちの診療所の受入れ体制はどうあるべきか,患者さんへのアプローチは,治療計画や順序は,予後やメインテナンスは,などという基本,基礎がきちんとできたうえでのことである.
 伝統と先進のバランスが大切なのは,企業などにおけるものと同じであるが,ただ一つ違うことは,私たちは病める人を対象とするということである.したがってこの本は,科学書であると同時に,私の医療哲学,人生哲学の書でもあると考えている.
 医学には基礎医学,臨床医学,社会医学がある.社会医学のなかには衛生学,公衆衛生学,法医学など伝統的なものがあるが,近代社会医学では,例を挙げれば,健康の概念,医療の質,根拠に基づく医療(EBM),医療経済など多くの事柄が研究され,医療に適応されてきている.だが現在ではいまだ個々のジャンルの関連性などまだまだ未知の部分が多い.歯科医療も,従来の治療だけから,治療,保健,福祉,介護にまで跨り,ますます社会化されて,臨床家にとってもこの領域の勉強は不可欠である.なぜなら社会医学は,基礎医学,臨床医学,また医学以外の他の分野とも密接な関係をもち,歯科医療を理解するうえでも,患者さんを理解するうえでも,臨床を行なううえでも,避けて通れない分野であるからである.そうした意味からこの本においても,社会医学の一部にも触れて,医療の本質に迫ろうと試みた.
 この本が若い歯科医師たちに希望と夢を与え,今の日本の歯科界の活性化と再生,ひいては日本の再生につながって,その波紋が次第に広がっていくことを願っている.一臨床家が書いた本なので,多くの独断と偏見があるかもしれない.私の場合は,多くの診療所を回った後に私の診療所を訪れる患者さんが多いために調査しきれない状況での症例も多く,臨床疫学の対象にはなりにくい.私が読者にお願いしたいことは,先人の特別な考えや説に呪縛されることなく,学閥,年齢,地域差を超えて,知識と知恵,見識と技術を兼ね備えた口腔科医となるように,私たちの考えや臨床を踏み台にして臨床疫学を構築し,歯科医療(口腔保健医療)が人々の健康,福祉に真に役立つことを世間に示して,さらなる発展をしていってほしいと心より願っている.この本を読んだうえで,その内容をよく吟味して臨床の糧にしていただきたい.ベテランの歯科医師には復習として,若い歯科医師には毎日の臨床に,研修に,そしてその将来のための何かの指針として活用していただければ幸いである.
 最後に,まず臨床家にとってその目的であり,最高の師である患者さんたちに感謝したい.次に,息子であり,歯科医院の同僚歯科医師であり,今回掲載した症例の一部を手がけてくれた有賀淑隆,有賀庸泰に感謝する.また座談会に参加してくれた諏訪裕之,戸坂清二,山田晃久,山本聡,湯本千秋の若き歯科医師の先生方に感謝する.今日まで私は,多くの師,先輩,友人,仲間,歯科業界の人々,アソシエイト・ドクターたち代々のコ・ワーカーたちに恵まれて臨床を続けてこられた.また多くのスタディ・グループ,学会の先生たちと親しくさせていただいた.あらためて感謝したい.それぞれ個々名前をあげて謝意を表すべきところであるが,あまりに多くに及ぶため,紙面の関係で略させていただくことをお許しいただきたい.私の臨床と本の出版に常に協力してくれた,歯科衛生士の原智世と原田慶子,受付の上泉眞澄そしていつも私を心身共に支えてくれている妻と,長男の嫁に感謝したい.
 この本の刊行に誠心・誠意ご尽力いただいた医歯薬出版の辻寿氏に心から感謝したい.
 2005年3月 有賀重則
●私の歯科医療観―歯科医師・患者の信頼関係の構築・持続を基本に―
  歯科医療の基本は /医師の経験とは,臨床経験+人生経験 /生老病死の医療 /自分の器を広げる /病気(illness)と疾患(disease),患者モデルと医学的モデル /患者さんの背景,人間的要素を見極めるポイント /不可抗力の因子 /個体差,個人差 /EBM,NBMと 3 つのスキル /歯科医師として,人間としての向上 /失敗から学ぶ /開業医,プライマリー・ケアの専門医 /医の愛,技術愛,人間愛(友愛) /臨床家の価値と自信
 1 歯科医療とはどのような医療か―私たちの仕事
  1)医療の基本 /2)医療における科学(サイエンス)と技術(アート) /3)根拠に基づいた医療(EBM) /4)医療の質と医療機能評価 /5)臨床家のEBMとは /6)健康と病気 /7)病い(illness)と疾患(disease) /8)個体差,個人差を考えた個別の医療 /9)キュアからケアへ /10)歯科と医科 /11)口腔の健康と全身の健康を考えた医療 /12)歯科医療の特殊性とその本来の役割 /13)疾患と障害
 2 私たちの患者さんとは―私たちの目的
  1)個人医療から家族単位の医療へ /2)臓器医療から全人医療へ(従来の医療と全人医療) /3)患者さんの性格とその対応 /4)医療における父子主義,ヒポクラテスの誓い「医は仁術」 /5)新しい患者-医療担当者の関係
 3 理想の歯科医院とは―診療所の受け入れ体制
  1)私が考える歯科医師の医療姿勢と倫理観
   (1)プロフェッショナリズム(professionalism)とは /(2)理想的な医師像(良き臨床医とは) /(3)デカスロン・デンティスト(decathlon dentist) /(4)理想の歯科医師づくりのための研修とその順序 /(5)院長の資質
  2)確固たる診療所の方針(office policy)
  3)患者さん中心,原因指向型,問題解決型医療
  4)患者さん,医療者とのチーム・ワーク
  5)患者さんの受け入れ体制作り
   (1)アメニティとホスピタリティ
   (2)設備
   (3)歯科医院で働く人に望まれる性格(人材)
    @歯科衛生士・助手 /A歯科技工士 /B受付
●私の臨床―慢性歯周炎の症例を中心に―
  歯周疾患の分類 /欠損のない慢性歯周炎の症例 /「病識」,「病感」のない人の動機づけ /治療方針と治療計画 /この症例の治療内容 /永久固定,矯正の時期 /治療の順序 /力のコントロール /患者指導の資料,話をする場所・時間 /予後の推測 /欠損を伴った慢性歯周炎 /侵襲性歯周炎の診査・診断,治療法 /薬物療法 /咬合様式(咬合の型)と力のコントロール /リジッドな設計の義歯 /咬座印象の重要性 /歯周治療と咬合から見た治療計画 /increased mobilityと increasing mobility /キー・トゥース /患者さんの主訴とは /根分岐部病変への対応 /支台築造と歯根破折 /接着ブリッジ,インプラント /座談会のまとめにかえて
 1 初診時の対応と診査
  1)初診
   (1)電話の応対
   (2)初診時の対応
    @面接時の留意点 /A問診時の留意点
   (3)緊急処置
    @緊急疾患とは何か
  2)診査
   (1)初診時の歯科診療記録
   (2)初診時の診査
    @一般的な診査 /A歯周疾患の診査
   (3)特に必要な診断の補助検査
    @診療記録 /Aエックス線写真 /Bスタディ・モデル /C唾液検査,細菌検査などの臨床検査の導入 /D免疫,遺伝子診断
 2 診断,治療方針,治療計画,再評価,予後の推測
  1)顎口腔系全体の診療ガイドライン・治療指針
  2)治療方針と治療計画
   (1)歯周疾患の治療計画
   (2)歯周疾患の分類
   (3)歯周疾患の治療計画を立てるうえでのポイント
    @治療計画を立案するその順序と治療目的 /A病変が何処にどのよに波及しているか /B歯周治療は期間を分ける /C歯周治療のための症例の分析と予後の推測 /D治療法をもう一度考える
  3)再評価と治療計画の修正 
  4)予後の判定基準とリコール・インターバル 
  5)歯周治療(歯科治療)を成功させるためには 
 3 患者さんへのアプローチ―予防・治療をともに進めていくために―
  1)コミュニケーション,モチベーション,チーム・ワーク 
   @コミュニケーションの意味 /A患者さんのモチベーション /B患者さんの指導 /C患者さんを中心としたチーム・ワーク(院内と院外)87
  2)ケース・プレゼンテーション,カウンセリング,コンサルテーション 
   @ケース・プレゼンテーションの方法 /A患者さんが知りたいこと /B医院側が知ってもらいたいこと /Cフィー・プレゼンテーション(料金の提示)89
  3)歯科臨床におけるインフォームド・コンセント
 4 イニシャル・プレパレーション
  1)イニシャル・プレパレーションの意味と目的
  2)イニシャル・プレパレーションの内容
  3)プラークか細菌バイオフィルムか
  4)プラークの種類,プラーク・コントロールの種類
   (1)目的別によるプラーク・コントロールの種類 /(2)方法別によるプラーク・コントロールの種類
  5)プラーク・コントロール・レコード
  6)ブラッシング・チャート
  7)スケーリングとルート・プレーニング
   (1)スケーリングとルート・プレーニングの違い /(2)スケーリングとルート・プレーニングの使用器具 /(3)スケーリングとルート・プレーニングの順序 /(4)スケーリングとルート・プレーニングの注意点
  8)歯科基本治療
  9)歯周病罹患歯の歯内療法
   @歯内療法の臨床上,特に大切な事柄 /A歯痛の鑑別診断と歯周治療と歯内治療の関連 /B毎日の臨床での歯内療法の注意事項 /C歯周疾患罹患歯の抜髄処置,感染根管治療時の注意点
  10)咬合治療
   (1)咬合調整(occulussal adjustment)と歯冠の形態修正(coronal reshaping)
    @咬合調整の目的と適応症 /A咬合調整の時期 /B咬合調整の原則 /C咬合調整に要する器具 /D咬合調整の順序
   (2)暫間固定
   (3)歯周疾患に対する矯正治療(歯周矯正)
   (4)バイト・プレーン(ナイト・ガード)
   (5)長期固定
  11)根分岐部病変の治療
  12)再評価と治療計画の修正・変更
 5 歯周外科手術
  1)歯周外科手術について
  2)非外科・外科の選択基準
   (1)解剖学的因子
   (2)臨床的因子
   (3)部位による因子
    @上顎前歯部 /A下顎前歯部 /B上・下顎臼歯部
   (4)重症度
   (5)使用器具の選別
   (6)患者さんの受け入れ体制
   (7)診療所の受け入れ体制
    @術者の技術,経験 /A定期診査システム(リコール・システム)の存在
  3)歯周外科手術の種類
  4)切除法と再生法の選択基準
   (1)フラップ・キュレッタージ /(2)切除法(excisive therapy) /(3)修復法(reperative therapy)と再生法(regenerative therapy)
  5)歯周形成外科手術(歯周治療における審美処置)
  6)インプラント治療
  7)付着歯肉の必要性
  8)再評価と患者さんへの説明
 6 補綴処置
  1)補綴処置の治療計画(treatment plan) /2)補綴処置の治療の順序(sequence of treatment,schedule) /3)補綴装置に付与する咬合様式122 /4)歯周補綴の概念 /5)全顎を修復する場合の順序 /6)インプラント利用の治療計画 /7)咬合と全身の関係
 7 メインテナンス
  1)再評価と術後のコンサルテーション
  2)メインテナンスの目的,効果とメリット
  3)メインテナンス時の一般的な診査
  4)メインテナンス時の歯周疾患の診査
  5)メインテナンス時に特に強調すべきこと
   @唾液の役割と噛むことの重要性(効用) /A口腔乾燥症への対策 /B根面う蝕の発生への対策(唾液とサプリメント,スポーツドリンクなど) /C癌発症対策としての食事指導と禁煙指導もわれわれの仕事 /D歯周疾患と全身疾患の原因と危険因子の共通点を患者さんに示すこと /E口腔の健康はあらゆる健康の源
  6)治療とメインテナンス
 8 症例から学ぶ
  診断・治療計画の立案・症例の評価
   1 歯列に欠損のない炎症が主体の慢性歯周炎の患者さん
   2 上顎前突を伴った欠損のない慢性歯周炎の患者さん
   3 片側性遊離端欠損のある慢性歯周炎の患者さん
   4 両側性遊離端欠損のある慢性歯周炎の患者さん
   5 臼歯部中間欠損のある中等度慢性歯周炎にフラップ手術と再生療法を行った患者さん
   6 多数残存歯をもち,歯周歯槽骨外科手術を行った慢性歯周炎の患者さん
   7 少数残存歯で,歯周歯槽骨外科手術を行った慢性歯周炎の患者さん
   8 が原因で歯性上顎洞炎を発症し,上顎洞閉鎖手術を行った患者さん
   9 重度の咬合崩壊を伴った慢性歯周炎の患者さん
   10 不定愁訴をもち,咬合崩壊のある慢性歯周炎の患者さん
   11 広範性・侵襲性歯周炎(広範性・若年性歯周炎)の患者さん
   12 強い医療不信をもった難治性歯周炎の患者さん
   13 全顎にわたる修復を行った患者さん
   14 多数歯にわたる咬耗症に咬合挙上を行った患者さん
 9 歯科医療の新しい枠組みと今後の展望―むすびに代えて―

・文献一覧
・索引