やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 潟永博之 国立国際医療研究センターエイズ治療・研究開発センターセンター長
 岡 慎一 同名誉センター長
 満屋裕明 国立国際医療研究センター研究所所長
 ヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus:HIV)の発見から40年が経過した2023年の今,果たして医学はHIV/後天性免疫不全症候群(acquired immune deficiency syndrome:AIDS)との戦いに勝利したのかと本特集は問う.急速な発展を遂げた多剤併用療法はHIV/AIDSの臨床病態を大きく正の方向に変えた.そうした意味でHIV/AIDSに対する人類の戦いは少なくとも初期的な勝利を収めたといってよい.HIV感染症がかつて程の恐怖の病気でなくなったという意味では,勝利という言葉も不適切ではないと思われる.抗HIV療法がウイルス学的失敗に帰結することは間違いなくまれとなり,かつて治療継続を困難にしていた重篤な副作用もほぼ解消された.スティグマを負わされ,迫害を受け,医療からも疎外された感染者の絶望と,進行する免疫不全を傍観するだけで,なすすべを持たなかった臨床家と研究者の無力感は過去の遺物となりつつある.しかし翻ると,“死と隣り合わせの感染”という恐怖感の消退とともに,感染リスクを伴う行為への抵抗や躊躇が減退した.リスク行為への警鐘という道徳・啓蒙活動は果たせるかな奏効せず,われわれは治療薬の一部を予防に用いるという,より現実的な選択をした.この選択は新たなHIV感染者を減少させる一翼を担って余りあるが,一方で薬剤耐性HIVの出現や他の性感染症への曝露の機会の増加など,注意深い対応が改めて求められる.
 他方,殊にわが国でのHIV/AIDSに係る基礎と臨床の両領域での大きな推進力となってきたのは不幸な“薬害AIDS“に対して国が掲げた“恒久的救済”であった.しかし,“薬害AIDS“に見舞われた感染・発症者数は高齢化とともに減少の一途をたどり,またHIV/AIDSが“死に至る病気”でなくなったこともあって,国と厚生労働省・文部科学省などからの臨床・基礎研究へのサポートと投資は激減し,将来に不吉で大きな影を落としている.
 AIDSの存在がはじめて報告されてから2年後の1983年,後にノーベル賞を受賞したFrancoise Barre-SinoussiとLuc MontagnierがAIDSの病原体,HIVの存在を報告してから40年となる2023年の春に,この特集は発行される.大きな節目である.折しも,本特集の発行はロシアによるウクライナ侵攻から1年,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックから3年が経過する時期に重なる.経済の混乱と停滞からHIV/AIDS対策資金は世界中で縮小,2021年の新規HIV感染者は世界保健機関が掲げる目標より100万以上多い150万人に上り,この傾向が続けば2025年の新規感染者数は120万人で,2025年の目標とされている“37万人”の3倍を超える.
 今後も陸続ともたらされるに違いない世界の混乱のなかで,われわれはどのようにしてHIV/AIDSと戦うのか,懸念を抱くのは筆者らだけではないであろう.本特集では,これからのわれわれのHIV/AIDSに対する戦いにかならずや資すると希って,新進気鋭の先生方にご執筆いただいた.この特集が読者諸兄姉の診療と研究に裨益するとしたら,そして,さらに確固とした勝利の実現に寄与するとしたら筆者らの望外の喜びを超える.
 はじめに(潟永博之・岡 慎一・満屋裕明)
巻頭カラー
 座談会『HIV/AIDS診療の過去・現在・未来─医学はどう戦ったか,教訓と残された課題』(満屋裕明・岡 慎一・白阪琢磨・南 留美・生島 嗣)
 データで見るHIV感染症とAIDS(鍬田伸好・満屋裕明)
HIV/AIDSとその治療の新展開
 1.HIV感染症の治療の原則とその進展(白阪琢磨)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症,後天性免疫不全症候群(AIDS),抗HIV療法,多剤併用療法,長時間作用型注射剤,カプシド阻害薬
 2.薬剤耐性HIVの現状と課題(杉浦 亙・他)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV),薬剤耐性,遺伝子検査
 3.HIV/AIDSの日和見感染症・AIDS非指標悪性腫瘍(照屋勝治)
  KeyWords 免疫再構築症候群(IRIS),ヒトヘルペスウイルス8(HHV-8)関連疾患,禁煙指導,医療連携
 4.HIV/AIDSと性感染症─代表的な性感染症に対する治療を中心に(安藤尚克・潟永博之)
  KeyWords 男性間性交渉者(MSM),淋菌感染症,クラミジア感染症,梅毒感染症,マイコプラズマ・ジェニタリウム感染症
 5.HIVとウイルス性肝炎─A型肝炎・B型肝炎(古賀道子・四柳 宏)
  KeyWords A型肝炎ウイルス(HAV),B型肝炎ウイルス(HBV),性感染症,ワクチン
 6.HIV/HCV重複感染と肝移植(江口 晋)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV),C型肝炎ウイルス(HCV),肝移植,血友病,適応
 7.HIV母子感染対策(田沼順子)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV)母子感染,抗HIV療法(ART)
 8.女性・妊婦・小児・高齢者のHIV/AIDS診療(南 留美)
  KeyWords 女性,妊娠,小児,高齢者
 9.HIV感染者におけるCOVID-19─予後と診断・治療時の注意点(中本貴人)
  KeyWords 新型コロナウイルス感染症(COVID-19),重症化,後遺症,予防接種
 10.2剤レジメンと長時間作用型治療薬(松村次郎)
  KeyWords 1型ヒト免疫不全ウイルス(HIV-1)感染症,多剤併用療法(cART),2剤レジメン,長時間作用型治療薬
 11.HIV感染症とsexual health─細菌性性感染症からヒトパピローマウイルスワクチンまで(水島大輔)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV),曝露前予防(PrEP),性感染症(STI),男性間性交渉者(MSM)
 12.臨床開発のパイプラインにある新規化合物(青木 学・中田浩智)
  KeyWords 抗ヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)薬,抗レトロウイルス療法(ART),長時間作用型薬剤,曝露前予防投与(PrEP)
 13.HIV/AIDSの“治癒”を求めて(前田賢次)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV),HIV潜伏感染,リザーバー細胞,治療戦略
HIV感染予防の新展開
 14.HIV曝露前予防内服(PrEP)の新たな展開(谷口俊文)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV),予防,曝露前予防内服(PrEP)
 15.HIV/AIDSに対する中和抗体とワクチン開発の今(松下修三)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV)ワクチン,HIV中和抗体,HIV寛解,広域中和抗体(bNAb)
 16.HIV検査システムの構築と拡充・郵送検査(野 操・岡 慎一)
  KeyWords ヒト免疫不全ウイルス(HIV)検査,郵送検査,self-test,性感染症検査
HIV/AIDSと市民社会
 17.HIV/AIDSへの対応─世界の現況(青木宏美・満屋裕明)
  KeyWords 開発途上国,抗ヒト免疫不全ウイルス(HIV)療法,90-90-90ターゲット,95-95-95ターゲット,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミック,ウクライナ侵攻
 18.エイズと報道─危機の時代の伴走者として(宮田一雄)
  KeyWords 国連合同エイズ計画(UNAIDS),グローバルファンド,キーポピュレーション,社会
 19.HIV/AIDSの予防とケアに係るNGOのあり方(生島 嗣)
  KeyWords バディ派遣,ネスト・プログラム,予防啓発,曝露前予防内服(PrEP)
特別寄稿
 20.Cold Spring Harbor Laboratory Symposium Fifty Years of Reverse Transcriptase:逆転写酵素50年の歴史(杉浦 亙・満屋裕明)

 サイドメモ
  U=U
  Pre-exposure prophylaxis(PrEP)
  90-90-90
  厚生労働科学研究班の成果のサマリー
  ドルテグラビル(DTG)と神経管欠損
  セクシャルヘルスクリニック