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はじめに

 東京大学大学院医学系研究科血液・腫瘍病態学 平井久丸

 この数年における造血器腫瘍に対する治療戦略の方向性のひとつは,分子標的を明確にした薬剤の開発を基盤としている.その端緒は,1988 年 Huangらにより報告された急性前骨髄球性白血病(APL)に対する全トランス型レチノイン酸(ATRA)を用いた分化誘導療法である.この治療法ではさきにその有効性が報告され,後になってその分子機序が明らかにされて,きわめて理論的な分子標的療法であることが証明された.このような実例からも分子機序が注目を集めるとともに,分子を標的とする治療が現実的なものとして研究されるようになった.一方,当然のことながら分子生物学的な造血器腫瘍の病因研究も,分子標的療法の発展に中心的な役割を果たしてきた.1985 年に Shtivelmanらが明らかにした慢性骨髄性白血病(CML)における BCR/ABL原因遺伝子の発見は,今日に至る CMLの病態解明や治療法の開発研究に多大な貢献をなしたといえる.染色体転座の結果,産生される BCR/ABL蛋白質は BCRの多量体形成領域を介して四量体を形成するため,ABL蛋白質のもつチロシンキナーゼ活性を亢進させ,これにより下流の RASシグナル伝達系が恒常的に活性化され,白血病化をきたすと考えられる.したがって,BCR/ABL蛋白質のチロシンキナーゼ活性を阻害して BCR/ABL陽性白血病を治療しようと考えることはきわめて合理的なことである.
 2-phenylaminopyrimidine誘導体である imatinib mesylate(STI571;Glivecィ)は,選択的な ABLおよび BCR-ABLチロシンキナーゼ阻害薬として開発され,すでに臨床的にも CMLに対する高い有効性が示されている.日本においても2001年のうちに治験から承認,発売にまで至ったことは,この治療薬に対する評価と期待の結果であるといえる.さらに,imatinib mesylateは PDGFレセプターや SCFレセプター(c-KIT)のチロシンキナーゼ活性を阻害することも明らかになり,c-KIT変異が病因である gastrointestinal stromal tumor(GIST)に対しても有効性が示された.さらに最近では,t(5;12)(q33;p13)により TEL/PDGFR-βキメラ遺伝子を形成する慢性骨髄単球性白血病(chronic myelomonocytic leukemia:CMML),および 4q12 の interstitial deletionによって FIP1L1/PDGFR-αキメラ遺伝子を形成する好酸球増加症候群(hypereosinophilic syndrome:HES)に対しても,imatinib mesylateが臨床的に有効であることが示されている.
 現在では,分子標的薬剤の探索はさまざまな理論に基づいて行われているが,共通していえることは,悪性腫瘍のバイオロジーに基づく論理的妥当性である.シグナル伝達の異常を阻害しようという発想のもとに開発されている薬剤が,シグナル伝達阻害薬あるいは分子標的薬剤である.とくに,チロシンキナーゼから RAS/MAPキナーゼを介するシグナル伝達系は細胞増殖シグナルを伝達するため,有用性の高い阻害薬が開発されている.上記のようなチロシンキナーゼ阻害薬のほか,RAS阻害薬(ファルネシルトランスフェラーゼ阻害薬)などが開発されつつある.JAK/STAT系に対する JAK2 阻害薬,PI3 キナーゼ系に対する阻害薬,PKC系に対する阻害薬などもそれらの例である.細胞周期阻害薬としては CDK(cyclin-dependent kinase)が注目され,いくつかの CDK阻害薬が開発されている.さらに,すべてのシグナルは最終的には転写因子を介して細胞の動態を決定することから,転写機構を標的とするヒストン脱アセチル化酵素阻害薬の開発も盛んである.シグナル伝達分子以外の分子を標的とする薬剤も多く開発されており,血管新生阻害薬(VEGF阻害薬,PDGF阻害薬など),転移阻害薬(MMP阻害薬など)などが知られている.
 一方,腫瘍細胞のターゲティングに関する薬剤としてはモノクローナル抗体医薬が期待されており,造血器腫瘍の分野では悪性リンパ腫(NHL)に対する抗 CD20 抗体や急性骨髄性白血病に対する抗 CD33 抗体などの有用性が報告されている.抗 CD20 抗体(Rituximab)は CD20 陽性 low-grade NHLとともに aggressive NHLにも有効性が示され,Rituximab+CHOP療法の CHOP療法に対する優越性がつぎつぎに報告されている.さらに,抗 CD20 抗体に Y-90 や I-131 を結合させて抗腫瘍効果を増強させた ibritumomab(Zevalinィ)や tositumomab(Bexxarィ)なども開発され,アメリカの臨床試験での成績が報告されている.このように,分子標的薬剤は殺細胞効果をおもな作用とする従来の抗癌剤より明らかに有害性が低いため,今後のさらなる探索・開発が期待される.
 昨今の分子生物学研究の進展とともに,ゲノムプロジェクトもほぼ最終段階に近づいており,分子標的医薬の開発は,ゲノム情報,すなわちトランスクリプトームやプロテオームの知見に基づいたゲノム創薬と相まって,さらなる発展を遂げることが予想される.
 もうひとつの造血器腫瘍に対する治テ戦略の大きな流れは,造血幹細胞移植とその延長線上にある免疫細胞療法による治療戦略である.造血幹細胞のソースについては,末梢血幹細胞,骨髄幹細胞,臍帯血幹細胞と選択肢が広がったことは望ましいが,これをどのように実際の移植の場で選択すべきかはいまだ明らかではない.すでに数々の研究が行われており,末梢血幹細胞移植は骨髄移植に比べ,造血回復が速いことは多くの報告で一致した結果であるが,生存率に関してはまだ一定した結論は得られていない.これまでの結果からは,造血回復や GVHDについて差のある報告が多いため,今後は末梢血幹細胞移植,骨髄移植,臍帯血移植の有用性について生存率を endpointとして疾患別に研究が行われるべきであろう.
 もうひとつの興味ある治療戦略は,最近話題を集めているミニトランスプラント(non-myeloablative transplant)とよばれる移植方法である.この方法では移植前処置は免疫抑制のみを目的として骨髄の破壊を目的とせず,造血における混合キメラを達成した後に,DLIによる GVL効果によって腫瘍の根絶と完全キメラの形成をめざす方法である.この方法により,高齢者をはじめ,これまでに移植の適応にはならなかった症例にも適応が拡大されつつある.しかし,このミニトランスプラントによる GVHDに関する集積されたデータや長期の生存率についてはまだ明らかではなく,造血器腫瘍に対する治療戦略全体のなかでの位置づけは現時点では不明である.
 このようなアロ免疫の効果は,造血器腫瘍以外の悪性腫瘍の治療にも応用されるようになってきた.アメリカからは転移性腎癌に対するミニトランスプラントの有効性も報告されている.このような事実は,同種造血幹細胞移植によるアロ免疫効果によって造血器腫瘍以外の悪性腫瘍も治療可能であることを示しており,今後は固形腫瘍に対する有効性の研究が行われるべきであろう.造血幹細胞移植の分野では上記のように DLIやミニトランスプラントなどのアロ免疫療法が注目されており,たしかにアロ免疫療法の効果は絶大であるが,一方で両刃の剣であることも事実である.造血幹細胞移植を含めた免疫細胞療法が飛躍的に発展するためには,腫瘍免疫理論に基づく治療法の開発研究が必要であると考えられる.
 このような観点から今後期待される治療法は,免疫細胞療法である.現在では,悪性腫瘍は遺伝子の変異が蓄積して発症する疾患であり,腫瘍細胞では腫瘍特異的な変異ペプチドが産生されると考えられている.生体内では本来,このような変異ペプチドは免疫監視機構により排除されるべきものであるが,なんらかの理由により悪性腫瘍では免疫監視機構が作動せず,このような変異ペプチドに対する免疫寛容が成立していると考えられる.今後はこのような腫瘍抗原を標的とする免疫細胞療法の開発研究が行われ,造血器腫瘍に対する治療戦略の一翼を担うことを期待したい.
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はじめに 平 井 久 丸
 ■造血器腫瘍の治療戦略
1.慢性骨髄性白血病―STI571市販後の新しい治療戦略 大 西 一 功
 Chronic myelogenous leukemia
 ■STI571の臨床試験成績
 ■IFN-α療法
 ■造血幹細胞移植
 ■JALSG CML202プロトコール
2.成人急性骨髄性白血病の治療戦略―予後分類による治療法の選択 大 竹 茂 樹
 Therapeutic strategy of adult acute myeloid leukemia
 ■AMLの予後因子
 ■寛解導入療法
 ■寛解後療法
 ■造血幹細胞移植との比較
 ■AMLの治療戦略
3.成人ALLの治療戦略 唐 渡 雅 行
 New approaches to acute lymphoblastic leukemia in adults
 ■小児ALLとの比較
 ■成人急性リンパ性白血病(ALL)の予後
 ■成人急性リンパ性白血病の化学療法
 ■成人急性リンパ性白血病に対する造血幹細胞移植療法(HSCT)
 ■Ph陽性急性リンパ性白血病に対するSTI571(imatinib mesilate)
 ■MRD-oriented therapy
 ■新しい治療薬
4.濾胞性リンパ腫を中心とするB細胞性indolentリンパ腫へのあらたな治療戦略―抗体療法,造血幹細胞移植などによる治癒を目的とした治療戦略 小椋美知則
 New therapeutic strategy for indolent B-cell lymphoma
 ■濾胞性リンパ腫
5.Aggressive lymphomaの治療戦略―WHO分類による診断の確定と方針決定 伊豆津宏二
 Strategy in the treatment of aggressive lymphoma
 ■WHO分類と“aggressive lymphoma”の定義の整理
 ■Upfrontの治療戦略
 ■リスクファクターと予後予測
 ■再発・不応例に対する治療
6.多発性骨髄腫―新しい治療戦略 島 崎 千 尋・稲 葉 亨
 New treatment strategy in multiple myeloma
 ■MMにおける自家造血幹細胞移植の現状
 ■Auto-PBSCTの適応
 ■Auto-PBSCTの実施方法
 ■Tandem transplant
 ■予後因子としての第13染色体異常
 ■同種造血幹細胞移植
 ■サリドマイド
 ■その他の治療法
 ■MMにおける層別化した治療戦略
7.難治性急性骨髄性白血病に対する治療―どのように治療するか 宮 脇 修 一
 Strategy for refractory AML
 ■耐性化とその対策
 ■サルベージ療法の選択
 ■治療方法とその特徴
 ■現在検討中の事項
 ■新しい治療戦略のトピックス
8.チロシンキナーゼ阻害剤,ImatinibによるPh陽性白血病の分子標的療法 田内 哲 三・大屋敷一馬
 Imatinib mesylate-The tale of a targeted therapy for Ph positive leukemia
 ■Imatinibの臨床上での成果
 ■Imatinib抵抗性獲得の克服に向けて
 ■Imatinibと他の分子標的薬剤の併用療法
9.急性前骨髄球性白血病の分化誘導療法 直 江 知 樹
 Differentiation therapy to acute promyelocytic leukemia
 ■レチノイン酸療法
 ■亜ヒ酸療法
 ■亜ヒ酸の分子作用機構
 ■APLに対する臨床研究
 ■分化誘導療法の将来
10.急性骨髄性白血病に対するanti-CD33療法―抗CD33療法の有用性 竹下 明 裕・大 野 竜 三
 Anti-CD33 antibody therapy for acute myeloid leukemia
 ■急性骨髄性白血病の治療成績と薬剤耐性
 ■Gemtuzumab ozogamicin(CMA-676)
 ■アメリカにおけるCMA-676の臨床第I,II相試験の結果
 ■CMA-676の白血病細胞株に及ぼすin vitro殺細胞効果
 ■CMA-676の臨床検体由来AML細胞に対するin vitro殺細胞効果
 ■CMA-676と他の薬剤との併用効果
11.ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤による白血病治療の可能性 小杉 浩 史・唐 渡 雅 行
 Anti-leukemia therapy and histone deacetylase inhibitor
 ■白血病とHDAC阻害薬
 ■分化誘導効果
 ■Transcription therapy
 ■その他の生物学的効果
 ■今後の課題
12.悪性リンパ腫に対するanti-CD20療法 堀 田 知 光
 Anti-CD20 therapy for malignant lymphoma
 ■リンパ腫におけるCD20の発現とモノクローナル抗体(rituximab)
 ■B細胞リンパ腫に対するCD20モノクローナル抗体治療
 ■微小残存腫瘍とin vivo purging
 ■Rituximab耐性のメカニズム
 ■Rituximab作用増強の試み
13.Radioimmunotherapy-131Iあるいは90Yを抱合したマウス型抗CD20抗体によるB細胞リンパ腫の治療 飛 内 賢 正
 Radioimmunotherapy
 ■mAb療法の標的抗原
 ■Radioimmunotherapyの基本原理
 ■Bリンパ腫に対する通常量のradioimmunotherapyの臨床試験
 ■AHSCTを併用したradioimmunotherapy
14.多発性骨髄腫に対するサリドマイド治療 柿 本 綱 之・服 部  豊
 Thalidomide for the treatment of multiple myeloma
 ■治療効果
15.ミニ移植―前処置の毒性を軽減することにより同種造血幹細胞移植の適応を拡大する試み 神 田 善 伸
 Mini-transplantation for hematological malignancies
 ■GVL/GVT効果
 ■ミニ移植の前処置
 ■造血回復,キメリズム
 ■GVHD
 ■再発
16.HLA不適合移植 河 敬 世・安 井 昌 博
 Blood stem cell transplantation from HLA-mismatched donor
 ■拒絶とGVHD対策
17.悪性リンパ腫に対する同種造血幹細胞移植―その現状と課題 田 地 浩 史
 Allogeneic stem cell transplantation for malignant lymphoma
 ■Aggressive lymphomaを含む非Hodgkinリンパ腫に対する同種移植
 ■Low-grade lymphomaに対する同種移植
 ■ミニ移植
 ■今後の課題
18.非血縁者間臍帯血移植―その現状と問題点 加 藤 剛 二
 Umbilical cord blood transplantation
 ■臍帯血移植実施症例数の推移
 ■国内での地域臍帯血バンクの現況
 ■非血縁者間臍帯血移植の成績
 ■臍帯血移植の問題点
 ■治療戦略の将来展望
19.造血器腫瘍に対する免疫療法―自己の免疫系を利用した治療の可能性 門脇 則 光
 Immunotherapy for hematological malignancies
 ■どのような抗原を用いるか
 ■どのような形の抗原を用いるか―ペプチド,蛋白,細胞
 ■造血器腫瘍に対する免疫療法の現状
 ■癌免疫療法の問題点と対策
20.造血器腫瘍に対する遺伝子治療 小 澤 敬 也
 Gene therapy for hematopoietic malignancies
 ■遺伝子治療臨床研究の最近の動向
 ■癌に対する遺伝子治療―直接法と間接法
 ■造血器腫瘍に対する遺伝子治療のストラテジー
 ■移植後再発白血病に対するドナーリンパ球輸注療法への自殺遺伝子の応用

■サイドメモ
 t(5 ;12)myeloproliferative disorderとSTI571
 Mammoth study
 微少残存白血病(minimal residual disease:MRD)
 マントル細胞リンパ腫
 遺伝子発現プロファイルによるDLBCLの分類
 腎機能障害時の自家造血幹細胞移植
 難治(refractory)と再発(relapsed)
 テロメスタチン
 CD33抗原
 CD22を標的とするimmunotoxinによるhairy cell leukemiaの治療研究
 サリドマイド
 CAMPATH-1H
 DLI(donor lymphocytes infusion)としてのT-cell add-back
 Graft versus lymphoma(GVL)効果とミニ移植
 自然免疫系と獲得免疫系