やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 臨床倫理はとても重要な問題であるが,リハビリテーション領域での関心は決して高いとはいえない.最近刊行されたリハビリテーション医学関連の教科書類にも倫理の記述はほとんど見当たらないし論文も少ない.リハビリテーションの現場では急性期病院などでみられる臓器移植,血液透析の継続,人工呼吸器取り外し,高リスク外科手術の可否など,生命に関わるひっ迫した場面は少ないが,リハビリテーション固有の倫理問題が多発している.退院後の生活の場の決定では本人の意思が尊重されない例が散見される.進行性の難病や癌のリハビリテーション,摂食嚥下障碍では終末期(人生の最終段階)医療に直面する場面も多い.認知症や高次脳機能障碍,自動車運転,訓練拒否や抑制の問題も含め,治療方針に関する不一致などで生じる倫理的ジレンマも多数存在する.しかしこれらは気づかれていないか,どうしてよいかわからないままに放置されている.本書は主に回復期リハビリテーションにおける倫理問題に光を当て,倫理を考えるきっかけとなればと思い作成した浜松市リハビリテーション病院における臨床倫理実践の報告である.まだよちよち歩きであるため,事例検討に関して「自分たちのほうがよく検討している」と思われる読者も多いかもしれない.
 本書は専門書ではない.しかし倫理と聞いて敬遠される内容を,可能な限り読みやすく解説しながら,倫理の基本はしっかり押さえられるように作成した.臨床倫理の第一人者である3人の専門家によるすばらしい解説と「臨床倫理キーワード」を読んでいただければ,リハビリテーション医療に必要な倫理の概要は理解できると思う.浜松市リハビリテーション病院の多くの事例をご覧いただければ現在の回復期を中心としたリハビリテーションにおける臨床倫理の問題点やジレンマが浮き彫りになると思われる.
 全くの初心者で,何も臨床倫理をご存じない方は第6章の「教育的アンケート」をご覧いただければと思う.その後,本書を読んである程度理解したと思ったら再び第6章をご覧いただければどの程度倫理の理解が進んだかが実感できるはずである.
 誰しも病気になって,障碍を背負いたくはない.しかし,はからずも障碍を背負ってしまった人たちが生活に復帰するための支援を行うことが,リハビリテーションである.多職種が協働することによって行われるこの作業は,患者や家族が参加することで成立する.病気を中心に診る医療ではなく,生活を中心に診るリハビリテーション医療はそれ自体が十分に理解されていない.臨床倫理を考えるうえでもリハビリテーション医療の理解が不可欠であり,リハビリテーションに関する解説も記述した.
 本書が多くのリハビリテーション関連職種の皆様,また,リハビリテーション医療に興味をもつ多くの医療者にとって,リハビリテーションと臨床倫理を考えるきっかけになれば幸甚である.
 2022年11月
 編集責任者 藤島一郎


発刊に寄せて
 悔しさは,倫理の源泉だと思います.本書で提示されている事例のほとんどは,できなかった事例なのです.なかには,できたと思った医療者もいたと思いますし,できなかったことを言葉にしなかったケア提供者もいたと思います.しかし,浜松市リハビリテーション病院のケア提供者は,「悔しかった」ことをそのまま放置できなかったのです.だから,なぜもっとうまくできかったのか,なぜもっと患者の満足に結びつけることができなかったのだろうかと自問したのでした.
 悔しかった事例で声をあげることは,皆の前で自分ができなかったことをさらすことであり,そして,できなかったことの指摘を他者から受けることでもあります.それだけに,仲間が大切なのです.できなかったことを他人事とせず,共有の問題とし,一緒に改善していことうとする仲間がいてこそできる作業なのです.
 仲間はリハビリテーション職だけでなく,医師・看護師・ソーシャルワーカーなどの職種を超え,また,スタッフや管理職(院長・事務長)という立場を超えたのです.
 倫理は,「患者にとって益になることをし,害になることをしない」(善行無危害)ことと,「患者が真に求めていることをする」(自律尊重)ことの2つを可能な限り一致させる活動といえます.
 つまり,本書は,「悔しいと思うケア提供者」が「思いを共有できる仲間」と,患者の意思に沿う最善のリハビリテーション医療を実現するために,どうすればよいかを悩み,考え,動いた物語といえると思います.
 「浜りん」と私との関係は,2017年初頭に浜松市リハビリテーション病院で講演と事例検討会(研修会)を行ったことに始まりました.以降コロナ禍でも続き,2023年1月には第11回となる予定であり,1回あたりの参加者は100名を超えました.受講者も,浜松市リハビリテーション病院の職員だけでなく地域の医療・介護関係者も含まれ,しだいに病院と地域との「同じ倫理問題を語る」場となっていきました.私個人は,全国で(外部)倫理コンサルタントとして多くの病院・地域で臨床倫理活動をしていますが,ここ「浜りん」の事例検討会で大変鍛えられました.
 「浜りん」の活動の最初は,研修会といった,もしかしたら「ちょっとしたきっかけ」だったかもしれません.その「ちょっとしたきっかけ」を,院内での事例検討(倫理コンサルテーション活動)につなぎ,とうとう本書に結びつけたのです.「悔しさ」を忘れずに,それをリハビリテーションの向上に結び付けた,多くの職員の方の努力を多としたいと思います.
 私たち外部の者は,ケア提供者(そして本人・家族)の毎日の辛さを同時的に共有することはできません.しかし,仕組みを作って,皆さんの悔しさを晴らすための活動を支援することはできます.たとえば,日本臨床倫理学会の「臨床倫理認定士研修」や「臨床倫理上級認定士研修」などですが,「浜りん」は,これを上手に使い,人材の育成に組み入れていただきました.本書は,これから倫理活動を始めようとする病院・地域にも大きな示唆を与えてくれると思います.
 また,本書はリハビリテーションの事例を中心に展開されていますが,倫理の考え方は,領域や事例を超えて学ぶ面が多いので,それぞれの臨床倫理を考える際に間違いなく役に立つと思います.
 最後に,藤島先生へのお礼を申し上げたいと思います.臨床の現場で倫理問題が十分に対話できないのは,医師のもつ問題が大きいと私は考えています.しかし,それを超えていくために医師である藤島先生が場を作ってくださったということに,言葉で表せない,ご苦労とご自身の変容が必要だったと想像しています.心から敬意を表したいと思います.
 「浜りん」は,「一人で考える倫理」を「仲間と考える倫理」に高めました.その流れを,国内ではまだできていない,「患者家族も含めて,一緒に考える倫理」にしていただくことを「浜りん」に期待することは,高すぎる期待ではないと思います.
 日本臨床倫理学会副理事長 いなば法律事務所
 弁護士 稲葉一人
1 臨床倫理の基礎知識
 (藤島一郎)
 POINT:倫理カンファレンスの進め方と各種事例(岡本圭史)
2 インフォームドコンセントと倫理4原則
 (稲葉一人)
3 「共有された意思決定(SDM)」と「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」
 (箕岡真子)
4 医療安全と倫理
 (板井孝壱郎)
5 リハビリテーションにおける臨床倫理
 (藤島一郎)
6 浜松地区と浜松市リハビリテーション病院の臨床倫理活動
 (藤島一郎,金沢英哲,岡本圭史,田中直美)
7 それでもジレンマは残る
 (藤島一郎,田中直美,内田美加,上杉 治)
8 臨床倫理コンサルテーションチームの運営
 (内田美加)

 書籍紹介
 索引

 臨床倫理キーワード(藤島一郎)
  Shared Decision Making(SDM)
  尊厳
  同情,共感,独善
  法と倫理
  功利主義,義務論,徳倫理
  DNARとDNRおよびPOLST
  agism,demetism
  事前指示と遺言
  医学的事実(fact)と倫理的価値(value)
  家族と代理判断者の定義,キーパーソン,医療への同意
  リハビリテーション拒否,暴言・暴力患者への対応
  終末期(人生の最終段階)の判断と口から食べてくれない患者,みなし末期
  臨床倫理は難しいか?
  COVID-19と公正原則
  嚥下と声はどちらが大切か?

 Case一覧(浜松市リハビリテーション病院 日本臨床倫理学会認定臨床倫理アドバイザー・病院職員 他の日本臨床倫理学会認定臨床倫理アドバイザー)
  (1)経鼻胃栄養チューブ自己抜去を繰り返す患者へのミトン装着について
  (2)多様な高次脳機能障碍により医療者・家族が対応に難渋した事例
  (3)重度記憶障碍を呈したCOVID-19関連脳炎患者の意思決定支援
  (4)自動車運転における意思決定支援
  (5)病識のない高次脳機能障碍患者と医療者・家族の意向のギャップ
  (6)運転再開を希望する高次脳機能障碍患者の健側上肢手術に対する手術室スタッフが感じたジレンマ
  (7)独居に戻ることを強く希望した重度失語症患者
  (8)職業倫理の違いにより「患者のQOL」の捉え方にずれが生じた事例
  (9)食思不振により経口摂取が進まない認知症患者の方針決定
  (10)リハビリテーション病院転院後,拒食・拒薬が増悪し対応に悩んだ事例
  (11)誤嚥性肺炎を繰り返す偽性球麻痺患者
  (12)誤嚥防止手術を施行するにあたり言語聴覚士が感じた倫理的ジレンマ
  (13)入院希望で施設より紹介された患者の外来受診調整において悩んだ事例
  (14)最重度知的障碍者から学んだスピリチュアリティやレジリエンス
  (15)患者の望む生活と兄弟・医療者間の意見に相違があり退院方針・支援が難航した事例
  (16)社会復帰を望むギラン・バレー症候群の事例
  (17)解離性障碍患者への関わり方と今後の方向性
  (18)在宅生活を望む高齢者に対する意思決定支援の取り組み
  (19)終末期における本人の意思と医学的対応―誤嚥性肺炎を反復するが経口摂取を希望する高齢重度嚥下障碍の事例
  (20)経口摂取に限界を感じながらも胃瘻造設するか否かの気持ちが揺れ動き胃瘻造設が延期となった事例
  (21)痛みにより著明な訓練拒否を認めた事例
  (22)本人の意思決定支援・夫の希望との擦り合わせに悩んだ事例
  (23)高次脳機能障碍患者の退院,復職に対する希望と医療スタッフとの対応の相違
  (24)遷延性意識障碍のある嚥下障碍患者の代理判断

 コラム一覧
  臨床倫理を学んで(高橋瞭介)
  臨床倫理と私(國枝顕二郎)
  倫理に興味をもったきっかけ(清水あすか)
  臨床倫理の必要性(棚橋一雄)
  臨床倫理は身近にあるもの(辻光加)
  臨床倫理研修会に参加して(内山郁代)
  回復期作業療法士の視点から考える臨床倫理(榊原智佳子)
  事務局を担当して(中道遙花)
  臨床倫理への思い(勝山 恵)
  私にとっての臨床倫理(森下一幸)