やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

「新編 医学史探訪」について
 「医学史探訪」(1999年,日経BP社)は主に西欧,北米,インド,中近東の医学の先人たちを著書や論文を紹介しながら新たな視点で探訪したものです.これらの史料は1988年からの連載の進行につれて主に外国の古書店から入手したのですが,幸い筑波大学,東京大学でラテン語を教えギリシア語やサンスクリット語も心得ていたので,原典そのものを読んで探訪する作業を続けてきました.
 振り返ると,私は敗戦間もなくの医学部の1年生のころに解剖学の小川鼎三先生から「解体新書」にまつわる話をお聞きして,日本医学史,とりわけ蘭学によって新しい医学を吸収した人々の意気込みに感銘を受け,それ以来関心を深めていました.
 医学史には無数の巨人が輩出していて,その主な人々をすべて書くことは不可能です.度重なる欧州探訪の旅で集めた史料や撮影史料も多くが筺底に残ったままです.しかし,いよいよ林行期に入るべきときが近づいたことを自覚して,連載後期の主眼を日本蘭学導入期に置いて書き続けました.
 私の書架には日本医学史の史料は乏しく,日本医学史の史料を入手しあるいは撮影して紹介することには多大の困難を伴います.東京大学図書館や京都大学図書館,京都の究理堂文庫(小石秀夫先生)はじめ多くのご好意を得て,ようやく蘭学の一時期を探訪することができました.
 蘭書については,これらの大学図書館の蔵書を探訪させていただきましたが,たまたま東京大学医学部戦没同窓生の追悼建碑に関連してドイツ,オランダの主要大学の戦没碑を調べに渡欧したときオランダの古書店で若干の蘭書を入手することができたので,そのいくつかも紹介することにしました.それにも増して読者が感銘されるのは,小石秀夫先生はじめ各地の医学史家のご好意によって掲載できた蘭学時代の人々の書状であろうと思います.
 この本を世に送り出してくださった医歯薬出版株式会社の田辺靖始氏をはじめとする皆様に感謝しています.また,十八年にわたる連載の間温かいご協力をいただいた鈴木侃氏と日吉恵子氏,古文書を解読してくださった秋葉實先生,ならびに多年にわたりご援助くださいました皆様に厚く御礼申し上げます.
 本書が医学史の史料の実り多い研究,後代への継承,そして研究者の育成の一助となれば幸せです.
 2005年10月
 二宮陸雄

はじめに(「医学史探訪」)
 医学の歴史は,現代の私たちに多くのことを教えています.この本では,病苦から人間を救おうと努力した無数の人びとの中から100余人の歴史的人物を選んで,その人と著作を探訪しました.古くは紀元前6世紀以前からの古代インド医学思想をスシュルタ集成に探し求め,ギリシャ,ローマの哲学的医学論の時代からルネサンスの実証的解剖学を経て,やがて元素や細胞が発見されて病気の実像に迫る近代医学の合理的挑戦を探訪します.そして20世紀に入って放射線,ホルモン,化学療法,抗生物質の発見による強力な戦いと,未来への大きな可能性を開いたワトソンとクリックのDNA二重らせん構造の発見に至る急速な進歩の跡を追います.
 この探訪でもっとも力を注いだのは,医学を築いたこれらの人びとの著作です.原典ほど多くを語るものはありません.医学,哲学,そして歴史.古い本をひもとくと多くの発見があり,新たな感動を覚えます.彼らが語る生々しいドラマの中には,彼らの生と死と喜びと悲しみがあります.
 初めて精神病者の鎖を断ち切った一人の医者,わずか8週間で人類三千年の悲劇に救済を与えた名もない二人の若者,ブラームスと協演しながら初めて胃切除手術に成功した外科医,無能な「笑う蓄音機」とからかわれながら20世紀最大の発見をした青年,クシャミをしたばかりに奇跡の薬を発見した人,ノーベル賞を二つももらった女性もあれば,ノーベル賞をもらいそこねて悶死した人もあります.
 著書がナチの焚書の筆頭に挙げられた病理学者もいます.放射線に身を焼き悪性貧血で死んだ女性もいますし,黄熱の蚊に刺される自己実験で斃れた人もあります.ギロチンにかけられた化学者もあれば,窓から飛び降りて自ら命を断った人もあります.火あぶりにされた人もあれば,火山に飛びこんだ人もあります.驚くべき偉業を成し遂げたあと遠いエルサレム巡礼の帰らざる旅に出た解剖学者もあります.
 読者はこの本の中に並外れた人びとの類い稀な凄絶な人間ドラマをご覧になるはずです.人間の幸運と不運,鋭さと狂気,賢明と達観,模倣と創造,偶然と直観,洞察と瞑想,つかの間の喜びと失意,温情と冷淡,友情と故なき迫害,謙虚と嫉妬,盲信と既成概念への囚われ,自己犠牲と権威.すぐれた人びとの生きざまは,宇宙の中の人間とその人生,人間の背後にある大いなるもの,自然の摂理と神意について,人類の未来について,あらためて考えさせることと思います.
 1999年10月
 二宮陸雄
 「新編 医学史探訪」について
 はじめに(「医学史探訪」)

国外編
 医学を志す人に高い資性を求めた古代インドのスシュルタ
 火空土水を万物の根本原質としたエンペドクレス
 ヒポクラテスの孤独な戦い
 医療の心――ヒポクラテスとその学塾
 プラトンとアリストテレスの霊魂論
 プラトンの人間論「ティマイオス」
 洗練されたラテン語で2000年前の医学を集成したケルスス
 皇帝ネロの軍医ディオスコリデス
 疾病の自然経過を生々しく記載した1800年前の臨床医アレタイオス
 ヒポクラテスの旗を掲げて戦ったガレノスの30年
 ガレノスの自然力と古代インドの生命観
 ガレノスが行ったローマ時代の対照試験
 REVIEW 生命力を科学の視点で探求したガレノスの「自然生命力」
 古代医学の遺産を守り育てたサレルノ学派
 フルダ僧院のマウルスが残した8世紀の疾病論
 学問の自由を標榜したパドヴァ大学
 ガデスデンのジョンの主著「医学の薔薇」
 解剖学の再興者モンディーノ
 ギュイ・ド・ショーリアクの「大外科学」
 パラケルススの本の扉絵の秘密
 秩序と調和――僧医コペルニクスの美的宇宙論
 エルサレム巡礼者ヴェサリウスの孤独な客死
 16世紀の外科学を因襲から救ったパレ
 法王の書庫に160年眠っていたエウスタキオの解剖銅版図
 ライデン大学の医師資格試験
 コロンボとカエサルピノの血液循環説
 ファロピオの「子宮のトランペット」
 ヴェサリウスを神と讃えたファロピオ
 出生の神秘に打たれたファブリチオ
 サントリオ・サントリオの計量代謝学
 学問の進歩を妨げるベーコンの15の原因
 ハーヴェイの血液循環論
 ハーヴェイのもう一つの大著「動物発生論」
 精神の不滅を信じた機械論者デカルト
 膵臓の構造に心奪われたウィルスングとランゲルハンス
 幽閉の中で化学と精気の両世界に遊んだヴァン・ヘルモント
 ルターの宗教改革理念に燃えたバルトリン家三代の医師
 化学の開拓者ボイルと宇宙創造神への信仰
 炎と光の霊魂を信じたウイリスとその時代
 ウィーンのペスト記念塔のラテン語碑文
 先入観を排除したマルピギーの腎糸球体
 ライデンの医化学的内科医ド・ル・ボゥエイ(シルヴィウス)
 ド・グラーフの膵液の研究
 膵臓切除実験に挑んだブルンネル
 西欧医師の半数を教えた偉大な教育者ブールハーフ
 錬金術からの解放を試みたブールハーフの化学
 ハレルの刺激性と感受性
 杉田玄白らが驚嘆したクルムスの「解剖書」
 モルガーニの臨床病理学を生んだ「若き紳士」への70通の手紙
 糖尿病を代謝異常と見抜いたドブスン
 博物学者でもあった外科医ハンター
 壊血病予防に成功した探検家クック船長
 知られざる自然観察者ジェンナー
 痘瘡を絶滅したジェンナー
 ジギタリスの生みの親ウイザーリングの科学的精神
 フランス革命でギロチンされたラヴォアジェ
 幕末の蘭学医を感動させたフーフェラント
 フーフェラントが死の床で書いた長生の詩
 初めて糖尿病の本を書いた軍医ロロ
 病気の座を器官から組織へと進めたビシャ
 精神障害者を鎖から解放したピネル
 中枢神経の機能に迫ったベル
 肺結核と戦ったラエネックの「間接聴診法」
 高橋景保が命を賭けたクルーゼンシュテルン周航記
 10年の観察で既成観念を乗り越えたブライト
 97年後に蘇ったホジキンの標本
 アジソンと副腎病変
 アイルランドの内科医グレーヴズの「臨床講義」
 細胞の誕生に挑んだシュライデンとシュワン
 バセドウのメルゼブルク3徴候
 産褥熱の恐怖に挑んだゼンメルワイス
 エーテル麻酔の開発者モートン
 ヴィエナ(ウィーン)大学ロキタンスキーの体液病理学
 フィルヒョウの「細胞病理学」
 シュリーマンの考古学発掘に参加した人類学者フィルヒョウ
 低温殺菌法の発見者パストゥール
 パストゥールの強靭な批判的精神
 出島蘭館の医師モーニケの牛痘種痘
 看護思想を確立したナイチンゲール
 科学的医学を追求したベルナールの「実験医学序説」
 デュシェンヌの筋肉電気刺激診断法
 シャルコーの臨床神経病学講義
 シャルコーと筋萎縮性側索硬化症
 初めて無菌的手術をしたリスター
 ハイデルベルク大学の詩人クスマウル
 脳の機能局在説を確立したブロカ
 感染を微生物の争いと捉えたメチニコフ
 西洋古典と音楽を愛した外科医ビルロート
 多数の皮膚疾患を初めて報告したカポシ
 無意識を発見したフロイト
 膵摘糖尿病を発見したミンコフスキー
 マルセイユの法医学教授ファロー
 伝染性ガスからコッホの病原細菌へ
 病原細菌学を確立したコッホ
 化学療法の先駆者エールリッヒ
 田原淳の心臓刺激伝導系の発見とアショッフ
 糖尿病の膵島説を唱えた2人の若者オピーと泉伍朗
 初めて2つのノーベル賞を与えられたキュリー夫人
 ピューリツァー賞をもらった脳外科医クッシング
 血液型とポリオの研究を開拓したラントシュタイナー
 野口英世を犠牲にした黄熱
 心電図学を創始したエイントホーフェンの絃電流計
 エイントホーフェンの心電計を実用化したダーウィンの息子
 医療を神聖な最高の職務と説いたオスラー
 インスリンの発見を1ドルで大学に譲ったバンティング
 インスリン発見の56年後に公表されたマクラウドの弁明書
 ペニシリンを発見したフレミングの青年時代
 血糖降下剤を開発したモンペリエの医師
 ブルーベビーを救ったブレイロクとタウシッグ
 ファロー四徴の手術に挑んだブレイロクとタウシッグ
 DNAの二重らせん構造を発見したワトソンとクリック
国内編
 甘藷先生青木昆陽のオランダ語学
 わずかな語彙から始めたオランダ語習得「和蘭訳筌」にみる前野良沢の苦心
 “かじ”なき船で大海に乗り出した「解体新書」の翻訳事業
 「解体新書」の扉絵に秘めた杉田玄白のメッセージ
 蘭学医の好奇心を刺激したイッカク鯨
 司馬江漢のミクロコスモス論
 ヒポクラテスを崇敬した蘭学医
 日本に初めてヒポクラテスの顔を伝えたゴットフリイト
 ヒポクラテス像完成を知らせた手紙 画家石川大浪をめぐる蘭学者群像
 杉田玄白が小石元俊にあてた東西医学比較論
 学道のために蘭書を集めた杉田玄白
 「解体新書」翻訳の指導者 前野良沢の“仕事観”
 蘭学に心血注いだ前野良沢 尺八にやすらぎを見いだす
 「管蠡秘言」に記した前野良沢の率直な自然観
 童子の言を借りて五行説を排した前野良沢
 前野良沢の天動説「九天」の図
 コロンブスとマゼランの探検航海を紹介した前野良沢
 蘭学者たちを魅了した黄道十二宮
 蘭学時代の日本人 前野良沢の倫理観
 リンネの弟子ツュンベリーと江戸で会った中川淳庵
 高橋景保の「新訂万国全図」 鎖国下で世界最高水準の域に
 国境も法も越えた高橋景保の探求心
 シーボルト事件で獄死した高橋景保が驚嘆したアロウスミスの地図
 杉田家から離縁され発奮勉励 蘭学の旗頭となった宇田川玄真
 近代植物学の理念を説いた宇田川榕庵の「菩多尼訶経」
 日本で最初に訳された西欧病態生理学書の著者ゴルテル
 天然痘への無力感がにじむ栗本丹州の「診療覚書」
 REVIEW 天然痘に挑んだ先覚者たち
 日本の蘭学医に衝撃を与えたハイステルの「外科書」
 蘭学新知識の源泉「厚生新編」を書いたリヨンの司祭ショメール
 わが国初の病態生理学書「診候大概」を書いた坪井信道
 嵐山に遊んだ小石元瑞と坪井信道の同志的連帯
 私財投げ打ち順正書院を設立 西洋医学を系統的に教育した新宮凉庭

 人名索引
 書名,論文名,手紙,講演集等索引