やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 障害のある人,病気のある人たちと長い間私はふれあってきて,障害や疾病の受けとめかたに,日本人独特のものがあるように感じてきました.
 感情をあからさまに表現しない,うちに秘めながらこらえている.そうしながら,障害や疾病を克服していく.単純に理解し,単純に解決する姿ではないのです.
 日本人は,欧米人のようにドライではありません.ウエットではないかと思うのです.
 また,さまざまな欧米の医療に関する書物に,接したり話したり講演を聞いたりしても,何か違和感やしっくりとしないものを感じてきました.どうしてなのか,長い間疑問に思ってきました.
 私たちは,欧米流の医療の流れ,とくにアメリカの医療の影響を強く受け,質の高い医療を,短い期間にてきぱきと合理的に提供することを当然としてきています.
 また,医療に携わる人々は,ものごとを決着させ,次から次へと進んでいかなければなりません.そうしなければ,病状の変化に対応できないからです.
 しかし,そうなると,患者さんのこころ,考えていることが理解できないままで過ごしがちになります.とくに,はっきりと表現しない日本人の場合には,その傾向がいっそう強くなります.
 患者さんのこころを汲み,共に障害や疾病を克服していくためには,医療にもゆとり,患者さんのこころにもゆとりが必要になります.現在の医療は短期決戦型で,そのことをますますなくしてきています.
 日本人は,縄文時代から弥生時代に至る農耕文化の伝播のなかで,徐々に混血し,同一地域に長期間生活してきました.まわりが海であり,他国からの侵略が少なかったことで独特の文化を築いてきました.日本人には仏教の伝来ではかなさや無常観,四季の移ろいのなかで『源氏物語』に代表されるもののあわれ観,儒教の影響と思われる親子の一体感,これらに加えわが国独特の言語表現,美的感覚,自然の受けとめかたなどが特徴としてみられ,欧米と違う文化のありようが日本人の精神構造に深く影響しており,そのなかで医療も行われてきたのではないでしょうか.私たちには,こういう点からの障害や疾病の受容(克服)についての視点が少なすぎたように思います.
 本書は,いろいろな文献を探って日本人のこころのありようを訪ね,障害や疾病を克服する過程で起こるさまざまなゆれるさまを事例で示し,また調査結果から,医療における日本人のこころのありかたにわけ入ってみたものです.
 本書が,医療従事者,とりわけリハビリテーション医療に携わる人たち,また患者さん方のお役に立てれば幸いに思います.
 二〇〇四年 春
 札幌丘珠にて 岡本五十雄
ゆらぐこころ――日本人の障害と疾病の受容・克服 もくじ

はじめに
第一部  日本人の心情と障害と疾病の受容・克服のかかわり

I.ものごとのとらえかた
〈日本人と欧米人〉
 「つまらないものですが」 日常生活―はっきりさせる欧米 身のまわりの関心事 成功物語
〈親子関係〉
 親子心中裁判にみる日米の差 家族へのがんの告知 日本人に強い親子の一体感 養父母と子どもの関係 自立心を育てる欧米の教育
〈感情表現〉
 夫を亡くした妻の態度 ワールドカップではルイス・フロイス 「I love you」と言えない日本人 感謝の気持ちを伝えられない
〈他者との関係〉
 障害者と健常者との関係 論争―「まあまあ」「ほどほどに」 こころの治療では 自我の形成 歴史的背景

II.日本文化の特性から障害と疾病の受容・克服をみる
 今も生き続ける日本文化 NOと言えない日本語の特性 あいまいな日本語 ヨーロッパとの比較 複雑な日本語 方言について 身振り・手振り 医学論文にもあいまいさが 親分・子分 根回し・談合

III.ゆらぐこころの表現
 はかなさと無常 芸術の違いもののあわれ 外来では

IV.日本人のこころ
 脳からみた日本人のこころ 日本は八百万の神の国 農耕文化と日本の歴史 気候風土

第二部  こころとからだのリハビリテーション
I.医療における「がんばる」という言葉
 「がんばってね」と患者さんの気持ち 「がんばってね」が心の負担になる人たち 「がんばってね」をどう受け止めているか(実態調査より) 外来で使っている言葉 どこででも使われる言葉

II.文芸作品にみられる障害と疾病の受容・克服
 詩歌に綴られた心の旅路 障害と疾病の受容・克服の過程 後悔の詩 患者会誌より 日記より

III.障害の受容・克服に向けて ―リハビリテーションの現場で
 障害の受容・克服に向けて 障害の説明 前医の役割 足がおがってくる? 患者さんはわかっている―障害の受けとめかた 患者さんの話をよく聴くこと 何年たっても―淡い期待・淡い否認

IV.がんの告知とリハビリテーションにおける告知との相違
 がんの告知について 前もって聞いておくことも大切 リハビリテーションにおける告知とがんにおける告知の相違と共通点 欧米では「神が与えた試練」

第三部  障害と疾病の受容・克服
I.障害とは
 障害は身体的自己の喪失 対象喪失後の反応 死の受容 障害の受容・克服

II.障害と疾病の受容・克服
 障害と疾病の受容・克服の過程―調査結果から 障害と疾病の受容・克服について

III.障害と疾病の受容・克服に影響する要因
 家族,職場の態度 主婦の場合 夫婦の歴史―夫婦で一つ・ゆとりの発想も 過去の人生経験と性格 麻痺が軽い場合―もう少しなのに 家族の受容(大黒柱の重み) 自傷と他傷 過大な家族の期待 がんの告知でも 夫の死を認められない 家族の障害の否認から受容へ

IV.希死念慮
 打ち明ける人は少ない 聞くまではわからない 表現の差 日本人のわかりにくい障害の受けとめかた 死にたいと思うとき 「希死念慮」をもつ人は人生に満足していない 引きとめる家族の絆 一人暮らしは「希死念慮」を抱きやすい 日本的な受けとめかた 「希死念慮」を抱いた患者さんへの対応 事例から

V.「時間という薬」と「説明という薬」を上手に調合
 若い女性脊髄損傷の患者さん―否認の隠れ家に追い込む 高齢の脊髄損傷の患者さん―「治らないのは弱虫の言うことさ」 観念失行・計算障害の患者さん―「仕事を奪う気か,何でもできるんだ」 徹底した否認から一気に是認へ 買物訓練を通じて普通の生活へ

VI.人生の受容と別な価値観をもつ場合
 一度で克服する人もいる―人生の受容と別な価値観を見いだす場合 繰り返す受容・克服の過程 進行性であったり再発した場合

あとがき