やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 幼いころ,熱を出したりお腹が痛いときなどに母親にやさしく世話してもらった経験,それを「看護された経験」として語るとき,たいていの人はなぜか,なつかしい肌のぬくもりのような温かさを想い起こすのではないだろうか.それは,きっと快い想い出の一つだからであろう.そこには理屈抜きの純粋で無条件な愛があった.
 「看護」というやさしさの代名詞のような言葉も,いったんそれが「職業としての看護」となると,なにやらむずかしげな理屈がついてくる.書店の医療専門書の棚には『○○看護論』が立ち並び,看護とは何かが論じられている.たしかにそれらは,このことに取り組んできた研究者たちの看護への深い関心と探究のたまものである.そして多くは,哲学的,精神・心理学的,社会学的に論じられているために,看護というものがよりむずかしげな事柄にみえることが多い.最近では現象学という学問領域の力を借りて論じられることも多くなり,看護がみえやすくなってきたということはある.しかし,特別な看護ではなく,日常的でなにげない患者の世話行為のなかにその本質を見いだそうとする看護輪は案外少ないのではないだろうか.
 そのためかどうか,同じ「看護」という言葉あるいは事象が,一般社会の人々と専門家といわれる人なとの問では温度左があるように感じるのはなぜだろうか.本当に,看護というものはむずかしい理屈がなければできないものなのだろうか.あるいは,理屈がわかれば,いやそのことだけで,その看護は本当に病むものを癒すことに貢献するのだろうか.そうであれば,専門的な教育を受けたナースに看護を受ける人せは,かつて母親から受けたそれより,もっとよい看護を受けているといいきれるのだろうか.
 本書はそういう素朴な疑問を前提に,医療機関ではなく家庭に出向いて行う看護(在宅看護・訪問看護)の実践記録とナースの体験的発言をとおして,看護の本質とは何かを考えようとずるものである.それは,今日の最先端科学技術にふりまわされがちな看護から,もつと原初的な看護の価値に目を向け,今日の医療現場に欠けている人間的な何かを見いだしたいからである.
 したがって本書では,理屈(理論というべきか)の先行ではなく,あくまでもすぐれた実践を直視し,その看護のなかにあるはずの大切な要素を見いだすよう試みた.その結果,看護という営みには,ナースという人間存在そのものの価値が大きくかかわるということにあらためて思い至った.それは原初的な看護では当たり前だったことが,職業になったときにはあまりにも専門性が強調されるがゆえに,看護がみえにくくされてきた弊害かもしれない.
 なお,本書で「ナース」という呼称を用いているのは,2002年3月の法律改正により,従来の看護婦が「看護師」に名称変更したことから,「○○師」という名称に対する筆者のささやかな抵抗感と,保健,助産にかかわる人々も含めた総称として「ナース」とした.従来の「かんごふさん」というやさしいひびきが消えてしまうのはどちらを使っても同じではあるけれども.
 本書は,あくまでも実践的な立場からの考察と提言である.したがって,資質と人格などの心理学的考察,あるいは要素,要因,構造といった用語の社会学的考察なども学問的探究は不十分である.また,本稿の素材となった訪問看護は,介護保険制度以前に筆者がかかわってきた自治体の事業であり,訪問ナースはそこで活動してきた人たちである.それゆえ多少の思い入れがあるかもしれない.しかし,そのときその場で実感した「これこそが看護だ!」という受けとめの確かさにはいささかの自負がある.そして,「みえにくい看護をみえるようにする」という当時からのさまざまな実践と思いを,このような形で具現化とした.
 この試みが,在宅看護に従事するナースに限らず,すべてのナースに,「看護」をごくふつうの感覚でとらえたとき,難解な理論以前に豊かな人間形成が最優先されるべきであること,そうでなければ看護はいつまでも社会から正当な認知を受けないことを深く認識するきっかけになれば幸いである.

あとがき

 この稿を最初に書き終えで早8か月,あまりにも遅いそして長い学生生活からいま,なぜか大学の教員という立場に変わってしまつた.人生にはなにが起きるかわからない.あの「おへんろの旅」がいざなったのだろうか? 2年間という期限つきの「にわか教員」である.
 人生の大半を看護(保健も含め)という仕事にかかわり,一貫して変わらない気がかり.それが看護の質,ナースの質,ひいては看護に対する社会の不当な評価である.
 看護学校を卒業したばかりのころ,当時のきびしい臨床看護の諸条件のなかでは,ただひたすら物事を覚え,間違いなくそれができ,自分の役割を終えることばかりだったように思われる.もちろん,患者のつらさの前にとまどい,家族の悲しみにも泣いた.
 のちに地域保健に従魔キるようになって,人々の生活や価値観がどれほど多様であるか思い知る.それはまさに自分の人生をまるごと投入しなければ,支援などという言葉を軽々しく使えないと思うほどの体験であった.精神障害者といわれる人たちから得た純粋な人間の感覚,重い障害の子どもを育てる親たちの,苦しみだけではないすばらしい生き方に学んだ.看護や援助のあり方に連携という手法が加わり,看護の幅は少し広がったかも知れない.それでもなお不充足感につきまとわれた.それは,社会では看護が必ずしも正当に評価されておらず,しかも看護職の質のばらつきが大きいことへのいらだらでもあった.
 保健活動から自治体の在宅看護にかかわるようになって,さらに明確になったのは,看護なるもの(基本的には「保健」と分けたいのであるが)とナースの資質との関係である.病院看護や地域保健活動とも密接にかかわる在宅看護では,看護のあらゆる側面を必要とするがゆえに本質がきびしく問い返されるのである.本質を問おうとするとき,職業としての看護では,否応なく,それを行う人間が問われることになる.看護する人間はどのような人間であるべきなのか,その思いが本書にまとめてみるきっかけになった.
 本稿は2002年3月,筆者が日本女子大学大学院修士論文としてまとめたものを素材として別途構成し直したものである.まことに不十分なそれを用いること,いまだ消化しきれていない看護の本質論を活字にする傲慢さを心から恥じる.なにより,真摯にご指導いただいた担当教官に対して申し訳ない.それでもあえて世に問うのは,ひとえにすばらしい看護を展開してきた当時の訪問ナースの方々に何かの形で応えたいという思いが先行したからである.いつの日か(それがいつになるのか見通せないがゆえになのだが…),あらためて研究論文として報告できるよう努めることで,指導教官にも続者にもお許し願いたい.
 ただ,たしかにここには看護の原点があったと思う.筆者自身,ナースたちの人間性と看護に取り組む真摯な姿勢にどれほど勇気づけられたか知れない.そのような看護は,それを受けたもののみがその価値を本当にわかるのだろうが,本稿ではそのような看護の社会的意義や価値を示すよう努力したつもりである.
 いま介護保険制度のもとで,訪問看護の現場は効率性と看護の質の確保との闘いになっている.闘いのある現場はまだ希望がある.しかし,ひたすら効率性を追いかけるときには,そこに身を委ねる人々の不幸だけでなく,看護はいつまでも社会から正当な評価を得ないだろう.
 最後に,日々きびしい看護実践の最中にありながらインタビューに快く応じていただいたナースの方々および貴重な事例提供に関連する関係者の皆様,および大学,大学院の指導教官に心から感謝する次第である.
 そして,いつも変わらぬ温かさで励ましてくださった医歯薬出版の岸本さん,梶原さんに心からお礼を申しあげたい.
 2003年6月 石鎚山の麓にて
 足立紀子
 はじめに

序章 看護を問う
 1 看護とは何か
 2 日常的な看護との出会い
 3 看護の反省
1章 在宅看護という看護の姿
 1 高度な看護とは
 2 在宅看護に見いだす看護の原型
 3 看護の本貿をさぐる素材と分析方法
2章 歴史と看護論とナースの資質
 1 わが国の医療と看護の歴史
 2 看護教育とナースの資質
 3 「看護論」にみるナースの資質
3章 訪問ナースが語る看護
 1 訪問ナースへのアプローチ
 2 訪問ナースが語る魅力と価値
    事例1〈半日かかる人浴介助とその前後〉
    事例2〈患者にとって最後まで残るもの〉
    事例3〈患者がナースに求めるもの〉
 3 看護の独自性,看護の配慮
    事例4〈視覚・聴覚を失った超高齢者と「書く」ことへの挑戦〉
    事例5〈「たかが散歩,されど散歩」が生きる意味をもたせる〉
 4 ナースの前に人間として
    事例6〈コンザートに誘った独居老人〉
    事例7〈彼は問題児?入院を拒む単身重症糖尿病患者の生活〉
    事例8〈老介護者とともに最期を看取る―老人病院から引き取って―〉
    事例9〈崇高な生き方とその最期に影響を受ける看護〉
 5 からだに触れる
    事例10〈自宅療養を継続する高齢の慢性肺気腫患者と老介護者〉
    事例11〈ALSを発症した父親の生活と看護〉
4章 在宅看護事例に学ぶ
 1 事例から描く看護のイメージ
 2 在宅看護の機能
    事例12〈「からだを動かして大丈夫ですか?」〉
    事例13〈「母さんは宝物」―家にいたい,そのことを大切にしながら―〉
    事例14〈重度の褥創改善―介護の限界からの脱出―〉
    事例15〈人工呼吸器をつけた難病患者の訪問看護〉
    事例16〈「寒空に裸で放り出される」ような退院〉
    事例17〈流涎(よだれ)改善のアイスマッサージ〉
    事例18〈「わがままだから騒ぐ患者」といわれていた老人〉
    事例19〈家族がいるのにどうして?―痴呆性老人への対応―〉
    事例20〈看護の工夫:「湯温サウナ」と名づけた清潔援助〉
    事例21〈人工呼吸器をつけたままのシャワー浴〉
    事例22〈体外式人工呼吸器をつけた息子とその母へのかかわり〉
    事例23〈自分の選んだ生き方,好きなことを好きなときに〉
    事例24〈日中独居の在宅酸素療法患者の不安を仕事の意欲へと転換〉
    事例25〈「生きる」とは自然にまかせること―重症難病の女性の言葉から〉
    事例26〈カーリーへアのがん末期女性の意思〉
    事例27〈残り少ない人生を自宅で過ごしたい〉
    事例28〈安心して過ごす,老・老・老家族〉
    事例29〈嫁としての介護から地域活動としての介護へ〉
    事例30〈介護にやさしさを取り戻すための介護体験者の活動〉
    事例31〈看護と介護の手と手〉
    事例32〈街の片隅にひっそりと暮らす人々と〉
 3 事例に見るナースの人格
5章 実践にみる看護
 1 「療法上の世話」に見える看護の機能
 2 看護を形づくっているもの
 3 にじみ出る人格
6章 ナースその人と看護の本質
 1 ナースの資質を問う
 2 医療におけるナースの自律
 3 在宅看護のナース
 4 ナースという人間存在
 5 境界のあいまいさ
終章 看護の構造と価値
 1 看護を構成する諸要素・要因
 2 ナースに求められる資質
 3 これからの看護

 註
 文献
 あとがき