やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき

 数年前に『千葉医学』という千葉大学医学部の紀要に「台所の生化学」と題する記事を連載した.このときはあまり反響もなかったが,その原稿をやや変貌させ,週刊『医学のあゆみ』に「食卓の生化学」という表題のもとに連載すると,栄養生化学の最近の進歩が臨床家にもわかりやすく叙述してあるというので好評であった.そこで,連載記事を別冊にまとめたところ,思いもかけず3,000部を売り尽くしてしまった.この本は追加注文に応ずるため,その後の研究の進歩も取り入れてある.
 この本には栄養学のマクロの問題,たとえば沖縄にはなぜ100歳老人が多く,しかも元気で活動的な老年期を過ごしているのか,という問題も扱っている一方,分子生物学的問題,たとえば転写因子PPAR-γが成人型糖尿病の発病にどのような関係があるか,などのミクロの問題も扱っている.
 栄養学は不思議な発展の仕方をしている.たとえば,糖質や脂質は貯蔵器官があるので食べ溜めができるが,タンパク質は貯蔵器官がないので食べ溜めができない.1日70g以上のタンパク質は余分の窒素を尿中に排出する.これは窒素平衡というメカニズムがあるためである.窒素平衡は栄養学の基本になるような大問題であり,100年ほど前に東京大学医学部生理化学教室の最初の教授であった隈川宗男教授が日本食では1日窒素70g以下で平衡に達すると発表しているにもかかわらず,なぜ平衡に達するのかそのメカニズムは今日まで明らかになってはいないし,高タンパク食などという健康食品が今日でもまかり通っているのはこの問題についての一般の関心が薄いためであろう.
 この本のなかでも,高プリン食は高尿酸血症を起こすかという問題を扱っているが,体内で1日に代謝されるプリンだけでは体内の尿酸プール量に達しない.一方で,食品中のプリンは腸管をほとんど通過できないことも知られていて,尿酸プールに必要なプリンはどこから体内に入ってくるのか説明がつかないのである.おそらく体内で代謝回転できるプリンの量は著者らの試算量よりも多いのだろうし,高尿酸血症の人の腸管では食品中のプリンはすこしではあるが通過しているのかもしれない.食品中のプリン量が腎臓でのプリンのクリアランスにも影響を与えることは,どんな機構によるのかもわかっていないのである.
 骨粗鬆症は,近来猛烈な勢いで罹患者が増えている病気である.増加率の高いのは北米,スカンジナビア諸国,日本などで,罹患率の低いのはバンツー族などである.わが国では,この病気はカルシウムが不足しているとしてカルシウム強化食を勧めている場合が多い.もちろんカルシウムが不足してもいけないが,この病気の本質は骨の新生と破壊のバランスが悪いことが原因なのだから,骨細胞の新生が重要課題である.詳細は「8章 骨粗鬆症」を参照されたいが,カルシウム強化食のみを強調するのはどうだろうか.
 同様に,高血圧と食塩の問題がある.テレビなどでお年寄りに「あなたは食事に気をつけていますか?」と質問すると,「食塩と脂肪分を控えています」という優等生の答えが返ってくる.食塩と関係の薄い高血圧があることも周知させる必要があろう.この本は患者さんとの話題の種だと思って読んでいただきたい.
 著者一同
1.砂糖物語
    ・なぜ若い人たちは甘いものが好きなのか
    ・砂糖がなかった時代
    ・砂糖は糖尿病患者でとくに厳しく制限されている
    ・砂糖から生じるフルクトースは高脂血症のもと
    ・フルクトースの利点
    ・フルクトースを含む食品
    ・砂糖の制限
    ・菓子類の砂糖含量
    ・砂糖以外の甘味料
2.食物繊維
    ・食物繊維 事始め
    ・食物繊維の定義
    ・穀物と野菜や果実に含まれる食物繊維
    ・食物繊維の効用
    ・国際食物繊維学会
    ・乳糖も成人の腸では分解されにくい
    ・短鎖脂肪酸と腸内ガスの発生
    ・どのような食事が腸内ガスを発生させるか
3.n-3不飽和脂肪酸
    ・DHAとEPA
    ・不飽和脂肪酸の酸化したものは健康に悪い
    ・日本で開かれたn-3不飽和脂肪酸の国際学会
4.抗酸化ビタミン
    ・反応性酸素
    ・NOは酸素の毒性と関係が深い
    ・反応性酸素と疾病
    ・癌の予防にビタミンCやEは有効か
    ・循環器疾患の予防に対するビタミンEの効果の疫学的研究
    ・ビタミンEは補助因子があるときに最大の効果を発揮する
    ・酸化予防のためにビタミンEを食用油に添加してもよいのか
    ・老化予防にビタミンEは効果があるのであろうか
    ・どのような食品にビタミンEは含まれているのか
5.食品中のプリン化合物と高尿酸血症
    ・戦前の日本人には痛風が少なかったのであろうか
    ・魚卵には案外プリンが少ない
    ・プリンは消化管壁を通過できるのか
    ・体内でのプリンのde novo synthesisの量
    ・食品中のプリンからできる尿酸の割合
    ・食品中のプリンは約半分が尿酸になる
    ・菜食主義は血中尿酸値を低下させるか
    ・力士に多い高尿酸血症
    ・尿酸の抗酸化作用
6.鉄欠乏性貧血―まだ鉄は足りない
    ・体内の鉄の分布
    ・食物からの鉄の吸収を測定する方法
    ・食事からの鉄の吸収と貧血
    ・女性における鉄の代謝
    ・食物中の鉄分
    ・鉄の吸収に影響を与える食物中の他の成分
    ・スポーツと鉄
7.高血圧症では食塩が悪者にされている
    ・年齢と血圧
    ・食塩の摂りすぎは高血圧の誘因のひとつにすぎない
    ・高血圧と遺伝との関係
    ・食塩摂取量の地域差
    ・食塩を含んでいる食品
    ・K +とNa +が血圧に及ぼす効果
    ・食塩制限食で起こる栄養バランスの変化
    ・低脂肪食による血圧の低下
8.骨粗鬆症
    ・骨形成と骨吸収のバランス
    ・わが国の骨粗鬆症
    ・骨の再生の研究
    ・骨形成にかかわる因子群
    ・骨の破壊,吸収にかかわる因子
    ・骨粗鬆症の病態生化学
    ・骨粗鬆症とカルシウム
    ・ビタミンD
    ・カルシウムの多い食事をとっても腎結石にはならない
    ・骨に荷重がかからないとカルシウムは骨に入らない
    ・骨太になるには若いときの運動が一番か
9.肥満の分子生物学入門
    ・肥満遺伝子
    ・インスリン受容体vsレプチン受容体
    ―それ以後の刺激伝達経路
    ・やせの大食いとは何か
    ・褐色脂肪組織(brown adipose tissue)
    ・不共役タンパク(uncoupling protein:UCP)
    ・寒冷刺激と発熱機構
    ・転写因子とは何か
    ・発熱機構に関連している転写因子
10.筋肉をつくる食事
    ・窒素平衡
    ・日本人の窒素平衡の研究の歴史
    ・窒素平衡と必須アミノ酸
    ・過剰なタンパク質の摂取は健康によくない
    ・筋肉タンパク質の代謝回転
    ・高糖質食は筋肉を発達させる
    ・競技前のグリコーゲン・ローディングの方法
    ・筋肉グリコーゲンの蓄積には糖質だけの食事より
    混合食のほうがよい
    ・糖質食か混合食か
    ・液状食か固形食か,またその頻度は
    ・nibblingとgorging
    ・グリセミック・インデックス(GI)
11.癌予防を考える食生活
    ・発癌と食事との関係の大規模調査
    ・発癌性を疑われる食品
    ・発癌を予防するという食品に含まれる化合物
    ・肉食と菜食
    ・緑黄色野菜と発癌
    ・煎茶,紅茶の制癌効果
12.高齢者の食事
    ・老いとは何か
    ・老化に伴うDNAの変化
    ・長寿県,沖縄の食べ物
    ・青森県の長寿者の献立例
    ・東京の高齢者の献立の一例
    ・葉酸の吸収と呆け
    ・傑出した高齢者の食事の嗜好
    ・長寿者の食事の特徴
13.現代人の食べ物―患者さんの食事への質問に備えて
    ・成人病の若年化
    ・アメリカのティーンエージャーの現状
    ・日本ではどうなのであろうか
    ・アメリカでの対策
    ・栄養と体育の教育を考える
    ・栄養と運動は車の両輪
 索引

MEMO
  遺伝子組換作物の安全性
  けいれんを止める食事療法
  炭疽菌の生化学
  首狩り族から狂牛病までの歴史
  流行と不易
  痛し,かゆし,ピロリ菌の発見
  頭足類のコレステロールは安全