やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 井上善文
 大阪大学国際医工情報センター栄養ディバイス未来医工学共同研究部門
 Nutritionの漢字「栄養」が本邦で正式に使われるようになって約100年しか経っていないことは,あまり知られていません.それまでは漢字「営養」が使われていました.その「営養」の代わりに「栄養」を公的に使用するように政府に建言したのは「栄養の父:佐伯矩」です.1918年のことです.しかし,佐伯矩よりも先にNutritionの意味で漢字「栄養」を使用するよう提言していたのは,森鴎外と須藤憲三です.高野長英はもっと早く漢字「栄養」を使っています.この問題については,私なりに調べて,書籍『漢字「栄養」のルーツをたどって』を2021年に出版しました.
 「栄養」とは? ほとんどの日本人にとって,「栄養」とは「食事」です.一般的に「栄養=食事」,「栄養=経口栄養」,「栄養=口から食べること」です.もちろん,食事,経口栄養,口から食べることは,生きていくうえできわめて重要であることは間違いありません.佐伯矩は,この経口栄養を「栄養学」という学問として独立させた功績があると評価されています.しかし,医学としての近代栄養学は,静脈栄養・経腸栄養が実施できるようになって発達しました.ここが重要です.静脈栄養・経腸栄養は食べられない患者の栄養管理を可能としました.
 食事という「栄養」も,静脈栄養・経腸栄養という「栄養」も,同じように「栄養」です.しかし,近年,一般的にだけでなく,医療においても「栄養」とは食事,経口栄養,となってきています.医療の中で静脈栄養・経腸栄養が軽視されるようになってきている,私はそう感じていますし,そう言いたい.その結果,静脈栄養・経腸栄養の管理レベルが低下しています.医療としての「栄養」に重大な問題が起こっているのです.
 患者さんが食べられなくて栄養状態が悪化したときに頼るのは静脈栄養・経腸栄養です.さまざまな治療が奏効しなくなって困ったときに頼るのは静脈栄養・経腸栄養です.さらに,静脈栄養・経腸栄養を駆使した栄養管理を実施すれば,救命率が高くなります,より高いQOLで生活できるようになる患者さんがいます.それに気づかない医療者がいることは問題です.静脈栄養・経腸栄養という栄養管理法が,適切に実施されなくなっているのです.だから,もう一度,静脈栄養・経腸栄養の重要性を考えてほしいのです.
 そこで,「栄医養」という新しい用語を考えてみました.医学的な栄養,静脈栄養と経腸栄養を示しています.「食事」の「栄養」と区別したらどうだろう,と思っています.「栄医養」は「えいよう」と読むことができます.「栄」は音読みでは「エイ」で,訓読みでは「さかえる,はえる」です.しかし,「見栄」では「栄」は「え」と読みます.植物,タコノキの別名は「栄蘭」で「えらん」と読みます.「栄」は「え」です.こじつけと思われるでしょうが,「栄医養」は「えいよう」と読むことができます.これが用語として定着するのはむずかしいかもしれませんが,造語しました.
 本書は「栄養」の歴史について記載していますが,とくに,静脈栄養と経腸栄養,すなわち「栄医養」に注目した歴史であると理解してください.実際,「食事」に関連した「栄養」の歴史を私が解説するなんて,できるはずはありません.
 1966年にDudrick先生(Stanley J.Dudrick)がTPNの臨床応用に成功してから近代栄養学が発達しました.Dudrick先生も先人の研究成果を元にTPNを開発したのですが,その後,多くの方の努力によって現在のレベルまで発達しました.栄養輸液(TPN製剤,PPN製剤)および関連薬剤,経腸栄養剤,投与経路関連器具,これらが一つひとつ開発され,改良されてきたので,安全に栄養管理を実施できるようになったのです.その歴史を解明しないと,現在の栄養管理を本当に理解したとは言えません.これらの歴史を理解することにより,さらにレベルアップした栄養管理が実施できるようになるはずです.現在の重大な問題は,必要な栄養管理が実施できるレベルになっているのに,適切に実施されていないことです.
 この本を執筆するにあたり,いろいろな本,論文などを調べましたが,系統的にまとめられた資料が非常に少なく,資料集めに時間がかかりました.とくに,器具に関しては,論文として記載された資料がほとんどありませんでした.企業が持っている資料の提供をお願いしたりもしました.ここで私がきちんとまとめないと,先人の努力が記録として残されず消えてしまうと思いました.おこがましいと言われるかもしれませんが,私に課せられた仕事だと思いました.私自身,この「栄医養」の領域で数多くの先輩にお世話になりました.そのおかげでこうして仕事をさせてもらっています.この本を完成させることにより,ある程度,その先輩たちの御恩に報いることができたことになるのではないか,こんなふうに考えながら執筆させていただきました.お世話になった,指導していただいた,諸先輩に感謝しながら,本書が「栄医養」の領域で意義あるものとなってほしいと願っています.
第1回 Medical Nutritionistとは
第2回 経口栄養と経腸栄養の違い
第3回 点滴,輸液と栄養輸液
第4回 静脈栄養とは
第5回 静脈栄養の歴史
第6回 経腸栄養の歴史
第7回 経腸栄養の新しい流れ
第8回 栄養評価法の歴史
第9回 栄養スクリーニングと栄養アセスメント
第10回 NSTの歴史
第11回 本邦におけるNSTの歴史と現状と問題点と―これから
第12回 本邦におけるTPN輸液開発の歴史と―これから(1)
第13回 本邦におけるTPN輸液開発の歴史と―これから(2)
第14回 本邦におけるTPN輸液開発の歴史と―これから(3)
第15回 PPNの歴史とPPN製剤の開発(1)
第16回 PPNの歴史とPPN製剤の開発(2)
第17回 PPNの歴史と静脈炎とカテーテル感染予防対策
第18回 PPNにおける感染対策の歴史
第19回 本邦における脂肪乳剤の歴史
第20回 本邦における脂肪乳剤の管理法の歴史
第21回 本邦における微量元素製剤開発の歴史(1)
第22回 本邦における微量元素製剤開発の歴史(2)
第23回 本邦における微量元素製剤開発の歴史(3)
第24回 本邦におけるビタミン製剤開発の歴史(1)
第25回 本邦におけるビタミン製剤開発の歴史(2)
第26回 本邦におけるTPNの歴史(1)
第27回 本邦におけるTPNの歴史(2)
第28回 本邦におけるTPNの歴史(3)―Dudrick先生の足跡
 臨床栄養歴史秘話 IVHとTPN―用語としての歴史と開発者Dudrick先生の“思い”
第29回 本邦におけるTPNの歴史(4)
第30回 本邦における経腸栄養発展の歴史(1)―成分栄養剤
第31回 本邦における経腸栄養発展の歴史(2)―EDからED-P,ED-H,ペプチド経腸栄養剤へ
第32回 本邦における在宅静脈栄養法の歴史
第33回 本邦における在宅経腸栄養法の歴史
第34回 本邦における経腸栄養投与ラインの歴史
第35回 本邦における輸液投与システム開発の歴史(1)
第36回 本邦における輸液投与システム開発の歴史(2)
第37回 本邦における輸液投与システム開発の歴史(3)
第38回 本邦における輸液投与システム開発の歴史(4)
第39回 本邦における輸液投与システム開発の歴史(5)
第40回 本邦における輸液投与システム開発の歴史(6)―カテーテルと輸液ラインの接続方式の開発
最終回 静脈栄養・経腸栄養は,「栄医養」は,これからどこへ向かうのだろうか