やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文

 2000年4月からの介護保険制度の発足は,福祉だけにとどまらず医療制度全般にも影響を及ぼしていく大規模な変革である.この制度の導入によって幅広く,訪問による歯科治療の要望が歯科診療所によせられることが予想される.
 最近,在宅や施設で療養する高齢者に対する歯科治療が各地で行われ始めてきたが,こうした状況は,昭和63(1988)年の老人保健法に基づく寝たきり老人への訪問歯科診療事業,すなわち国の施策が大きなきっかけとなった.また同時期に,医療保険において在宅医療推進の一環として,歯科の訪問診療料や指導管理料の新設があり,さらに,平成6(1994)年の在宅医療の整備充実化の中で,「歯科訪問診療料」,「訪問歯科衛生指導料」として,歯科衛生士をも明確に位置づけた診療報酬体系の引き上げが図られてきた.このように,歯科における在宅医療の普及化は,ここ10年という短い歴史しかなく,現在なお,誰でもいつでも訪問歯科診療が受けられる体制にはなっていない.つまり,ニーズはありながらも有病高齢者,要介護者への訪問歯科診療での対応はまだ端緒についたばかりといわざるをえない.
 これまでの福祉・医療体制のもとでは,介護への歯科医療の関与はほとんどみられなかった.しかし,今後は介護が体系的に行われかつ,医療保険との連携が組み込まれたことにより,要介護高齢者や家族の口腔の健康への意識が高まるだけでなく,ケアマネジャー等の介護保険の実務担当者にその実態が把握されることとなる.これにより,口腔機能の重要性が改めて認識され,口腔衛生や摂食機能回復に関心が向けられるようになるであろう.事実,訪問歯科診療の実践をとおして,要介護高齢者の口腔の機能を健全に保つことが,全身の健康にも及び,さらに介護状態の軽減化に貢献するとの理解が介護にかかわる家族や専門職種に徐々に広まっている.
 しかし,訪問歯科医療へのこれまで以上の要望に応えるためには,従来の歯科医療にとどまらない医療体制や知識が必要とされる.訪問歯科診療では,病院歯科など専門医療機関が重要な役割を担うこととなり,さらに他職種との連携によるチームアプローチが求められる.そうしたチームの一員として応えるためには,摂食・嚥下障害や構音障害等に対するリハビリテーションの知識や技術の修得が重要になってくる.また,要介護高齢者では何らかの全身疾患を有していることが多く,疾患についての医学知識を獲得し,治療中の偶発症に対処するために研修も重ねなければならないであろう.
 そこで,これらの診療の手助けのために,これまで先駆的,積極的に要介護者の歯科診療に取り組んできた執筆者が,その経験をもとに必要な知識と,訪問歯科診療にかかわる医療保険請求の実務までをまとめたのが本書である.在宅高齢者のための歯科医療は,今後の発展が期待されるところであり,この書籍はその最小限の知識と経験を示したにすぎないが,これから訪問歯科診療に積極的に取り組もうとする臨床医のために,この小著が道しるべとなることを願いたい.
 平成12年6月 編者一同
I編 訪問歯科診療を始める前に

1章 訪問歯科診療とは 奥山秀樹,加藤仁資…3
 1.訪問歯科診療の必要性…3
 2.ゴールドプラン,在宅寝たきり老人歯科保健推進事業…4
  1 「高齢者保健福祉推進十か年計画」(ゴールドプラン)/4
  2 在宅寝たきり老人歯科保健推進事業/5
 3.地域としての高齢者歯科医療への取り組み…6
  1 要介護者に対する歯科保健事業/6
  2 要介護者に対する訪問歯科診療と病院歯科との連携例/8
2章 これからの訪問歯科診療の視点と介護保険 加藤仁資,藤喜久雄,奥山秀樹…9
 1.医療保険制度と介護保険…9
  1 医療制度の課題/9
  2 介護保険の導入まで/9
 2.介護保険と歯科との関わり…10
  1 高齢者問題/10
  2 介護保険導入までの経緯/10
  3 制度の概要/11
  4 歯科との関わり/15
 3.訪問歯科診療における医療連携…16
  1 病院歯科の役割と病診連携/16
  2 他職種との連携/17
  3 歯科のない病院との連携/17
3章 要介護高齢者のおかれた現状と問題点 奥山秀樹…21
 1.生活背景…21
  1 在宅要介護高齢者/21
  2 施設入所要介護高齢者/23
 2.全身および口腔の状態…24
  1 全身状態/24
  2 口腔状態/25
4章 在宅高齢者(要介護者)の特徴と注意点 加藤仁資…27
 1.全身および口腔の加齢変化…27
  1 身体の加齢変化/27
  2 脳神経機能と知能変化/28
  3 高齢者の口腔内の加齢変化/28
 2.高齢者に特徴的な疾患…29
  1 低栄養/29
  2 痴呆/30
  3 脳卒中/30
  4 パーキンソン病/33
 3.寝たきりの原因と生理的変化…33
  1 原因/34
  2 生理的変化/34
5章 摂食・嚥下障害の基礎知識 山部一実…37
 1.摂食・嚥下障害への取り組み…37
  1 歯科医師は,食の専門家となりうるか/37
 2.摂食・嚥下障害を理解するために…37
  1 口腔(口唇,頬,歯肉,口蓋)/37
  2 舌/38
  3 咽頭,喉頭/38
 3.正常な摂食・嚥下機能…39
  1 先行期(認知期)/40
  2 準備期/41
  3 口腔期(嚥下第1期)/41
  4 咽頭期(嚥下第2期)/42
  5 食道期(嚥下第3期)/42
 4.摂食・嚥下障害とは…42
  1 摂食・嚥下障害の症状と問題点/42
  2 咀嚼と嚥下/42
  3 摂食・嚥下障害の分類/43
  4 摂食・嚥下障害の原因/43

II編 訪問歯科診療の実践

1章 訪問歯科診療の進め方 斉藤和則,山本彰美,奥山秀樹,池田秀子,藤喜久雄…51
 1.訪問歯科診療の基本的考え方…51
  1 治療には限界がある/51
  2 要介護高齢者の日常生活の把握が重要/51
 2.訪問歯科診療の前準備…52
  1 診療にかかる前に準備すること/52
  2 カルテの準備と記載/52
  3 患家に用意してもらうもの/53
 3.在宅における訪問歯科診療…53
  1 初回の訪問/53
  2 訪問歯科診療の手順/57
 4.口腔ケア…63
  1 口腔ケアの意義/63
  2 口腔ケアの実際/63
 5.歯科衛生士の役割…66
  1 はじめに/66
  2 訪問前の準備/66
  3 訪問の実際での対応/67
 6.入院患者への対応…68
  1 患者/68
  2 医師/69
  3 看護婦(士)・介護福祉士等/69
  4 その他の病院職員/69
 7.施設入所患者への対応…69
  1 施設で働く職員(職種)/69
  2 施設で働く職員との連携/70
 8.訪問歯科診療に必要な器材…71
 9.訪問歯科診療での感染予防…75
2章 在宅訪問歯科診療の実際例 斉藤和則,岩井冨美子…77
 1.有床義歯の症例…77
 2.切削を伴う処置の症例…79
 3.観血的処置の症例…80
 4.口腔ケアの症例…80
3章 病院歯科との連携による訪問歯科診療 奥山秀樹…83
 1.病診連携の実際…83
  1 重篤な基礎疾患を有する場合/83
  2 在宅での処置が困難な場合/84
  3 観血的処置が必要な場合/84
 2.病院歯科における入院下歯科治療…85
  1 病院歯科への紹介/85
  2 病院歯科での対応/86
4章 施設における訪問歯科診療の実際 藤喜久雄…91
 1.施設での訪問歯科診療の特徴…91
 2.施設での訪問歯科診療…91
  1 施設での歯科治療の需要と訪問の現状/91
  2 診察室と診察機器/92
  3 診察日・診療人数/94
 3.診断…96
 4.観血的処置…96
  1 術前の注意点/97
  2 術中の注意点/97
  3 術後の注意点/98
 5.保存・補綴治療…99
 6.歯周疾患…100
 7.顎関節脱臼…100
 8.スタッフ…101
 9.摂食・嚥下への対応…101
 10.歯科衛生士の役割…101
  1 診療補助/101
  2 訪問歯科衛生指導/102
 11.症例…102
  1 急性炎症/102
  2 疼痛の原因が診断しにくかった症例/103
  3 補綴治療直後に心停止をきたした症例/105
  4 すれちがい咬合により口唇に潰瘍を形成した脳血管障害患者/106
5章 在宅高齢者の摂食・嚥下障害へのアプローチ 山部一実…109
 1.摂食・嚥下障害をどう見分けるのか…109
  1 摂食・嚥下障害を疑う/109
  2 嚥下障害の発生状況/109
  3 患者情報の収集/111
 2.摂食・嚥下障害の診察…113
 3.摂食・嚥下指導と訓練…117
  1 治療(指導と訓練)の考え方/117
  2 間接訓練/118
  3 直接訓練/121
 4.嚥下障害と歯科補装具…122
  1 PLPの効果と形態的特徴/122
  2 PLP作製のポイント/122
 5.嚥下障害のある脳梗塞患者へのアプローチ…124
 6.口腔ネラトン(OE)法で体力をつけ経口摂取へ…126
6章 訪問歯科診療におけるリスクマネジメント 加藤仁資…129
 1.リスクマネジメントの必要性…129
 2.患者の医療・介護情報の把握…129
 3.注意すべき合併症…130
  1 循環器系疾患/132
  2 呼吸器系疾患/133
  3 その他の合併症/133
  4 薬物の副作用/134
 4.術前診査とバイタルサイン,診療の与える負担…133
  1 術前診査とバイタルサイン/135
  2 診療の与える負担/136
  3 治療後の注意点/138
 5.介護保険の特定疾患…137
 6.感染対策…138

III編 保険請求の解説・実例 訪問歯科診療研究会

歯科訪問診療に関する保険解説…146
  歯科訪問診療料/146
  歯科訪問診療における加算/147
  訪問歯科衛生指導料/149
  老人訪問口腔指導管理料/150
  療養情報提供加算/150
  対診の場合の診療報酬の請求/150
  在宅要介護者に対する医療保険と介護保険の関係/153
老人保健法による医療…159
  老人保健法の対象者/159
  外来診療の一部負担金および薬剤一部負担金/159
  老人保健法による各特掲診療料/159
症例
  1 居宅要介護者の義歯破折→義歯新製例(介護保険,老健)…164
  2 居宅訪問診療における総義歯新製例(老健)…167
  3 居宅患者の齲蝕治療と義歯修理例(老健)…170
  4 居宅患者のインレー修復治療例(老健)…172
  5 月の途中で要介護認定を受けた居宅患者の歯周治療と口腔ケア(訪衛指複,居宅療養管理指導)実施例(介護保険,老健)…174
  6 居宅患者の義歯調整と歯科衛生士単独の訪問例(老健)…178
  7 居宅患者の外傷性歯牙脱臼による緊急訪問診療例…180
  8 抜歯を外来,義歯新製を訪問診療で行った例(老健,介護保険)…182
  9 居宅要介護者の抜歯 主治医との連携例(介護保険,老健)…184
  10 居宅患者を病院歯科口腔外科へ紹介した例(老健)…186
  11 居宅有病患者の訪問診療と主治医との連携例(老健)…188
  12 急性症状を起こした居宅患者の深夜応急診療例(老健)…190
  13 1日2度の居宅訪問診療における夜間加算例…192
  14 居宅患者の義歯修理で1日2度訪問診療を行った例(老健)…194
  15 居宅への訪問診療期間中途での死亡による未来院請求例(老健)…196
  16 施設複数診療における総義歯新製例(老健)…198
  17 施設複数診療における歯周治療例(老健)…200
  18 施設1人のみ診療と複数診療が混在した場合の義歯修理例(老健)…202
  19 かかりつけ歯科医による施設複数診療・集団への訪問歯科衛生指導例…204
  20 他の歯科医院から居宅要介護者への対診を求められ,看護婦帯同のもとに摂食機能療法を行った例(老健,介護保険)…206
  21 施設複数診療における摂食機能療法・総義歯新製を行った例(老健)…208
  22 口腔ケア・摂食機能療法を行った例(老健)…212

参考文献/215
索引/218

付録:摂食・嚥下機能理解のための実習ノート 山部一実