やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はしがき
 自分が歯科医であったという証しは,人工物を扱って処置ができるという特殊性から,その処置内容が患者の生涯にわたって残るという意味で存在する.それだけでなく,もし一冊の本にできればさらにそれは普遍性をもてる.だがそんなものが自分に創れるだろうか.だいいち多くの人に読んでもらえる価値のある内容が自分にあるのか……,繰り返し問う時間が続いた.「いつまでたってもそんな時は来ないよ」と言われたこともあった.「モチベーションは自分が自分にすること」,患者にいつも言っている言葉が今度は私に向かってやってきた.つまり私の内面の問いは自分の要求に対する自分の反応なのだ.99.9%でもダメ,100%にならなければ動かない.著書をお持ちの多くの方がそうであったようにお聞きしているが,私もささやかな歯科臨床研修会を始めてから,自分の考えていることが少しずつ形になってきた.この研修会のテーマは,それ以前にある雑誌に書いた6回連載のコラムが骨子になっていた.だから私にとってこの執筆の機会は有難いことであった.そういう他からのきっかけがなければ,本書のようなかたちでまとめることは私のような無精者には到底実現できなかったことだと思う.


はじめに
 私たち一般臨床歯科医は大方保険診療をベースにしているので,あらかじめ線(ガイドライン)が引かれた上でいつも仕事をしていて,すべてではないにしても自分で考え,決め,自分で責任をとるという風になっていない日常があります.街に沢山あるラーメン屋さんでも,自分で工夫をして他店との違いを売りに自分で価格を決め,生き生きと仕事をしています.医療の社会化とはいえ,この裁量権の無さ,放棄はどこから来ているのでしょうか.私には何かというとある国の言う通りにしてきた戦後の日本のあり方と重なって見えるのですが,考え過ぎでしょうか.何かことが起こるとその当局が問われて肝心のところに話が及ばず,歯がゆい思いでニュース番組を見ているのは私だけではないでしょう.ではどうしたらいいのでしょうか.医療保険制度の不備を言ってみても抜本的な改革にはまだ相当時間がかかりそうです.社会や,国を批判し要求するだけでなく,われわれはそれぞれの診療室でスタッフと一緒に患者に精一杯の診療をし満足していただく,そのために日々文字通り「生涯研修」を各自が励行することです.そして臨床医の道を進み,何を成し遂げるのかを自問自答することが肝要だと思うのです.
 私の40年以上の時間のなかで経験できたこと,それは若いころには想像もしなかったような歯科臨床の奥深さでした.ある時までは自慢できるような症例が見るも無残に崩壊していく様は,科学を信じて誰もが疑わなかったことが「想定外」といってわれわれの生活を根底から崩していった2011.3.11の東日本大震災を想起させます.あるがままの中からしか大事なことは学べないとしたら,その惨状をふくめて若い方達に見ていただくのが先に経験した者のつとめと心得て,記録にある患者でこの本をしたためました.
 術後経過のない患者は登山にたとえれば,遭難したことになります.登頂し下山して初めて登山が成立するのですから.そして下山する時には,登っている時に見られなかった足元の小さな高山植物だとか遠くに見える山々など素晴らしい景色に気付くことができるのです.
 崩壊していく口腔内の持ち主の話を聞くことで,人生におけるどのくらい大事なことをわれわれは教えてもらえているのか,若いころには解らなかったのです.
 経過の短い患者の話も入っています.最近の考え方を具現化したものとして見ていただければ幸いです.
 はしがき
 はじめに
1 歯科臨床における診断とは
 歯科臨床は治療を進めながら診断する
  疾患(disease)と病い(illness)について
  直観について
  総合診断について
 [デンタルエックス線写真から診えるもの:CASE1-1〜1-19]
 [結果として診断のなかった重度カリエス患者と重度歯周病患者:CASE1-20〜1-21]
 [診断で何を診るのか:CASE1-22]
2 線を引かない歯科臨床
 世界地図と地球儀
 「線を引かない」とは
 発想の源泉「僻地診療」
 マルチ・ディシプリナリー(集学的)なアプローチ
 [CASE2-1〜2-17]
3 マイナスの少ない歯科臨床
 マイナスを少なくするための「接着」「歯牙移動」「歯牙移植」
 目に見えないものを無視しない
 理想的なイメージを念頭におかない
 [CASE3-1〜3-34]
4 ブラキシズムと歯科臨床
 ブラキシズムを前提にした歯科臨床をする[CASE4-1〜4-3]
 [患者の生活背景を知る:CASE4-4〜4-6]
 [ブラキシズムはストレスが原因?:CASE4-7〜4-28]
 [自己暗示,自律訓練法,バイトプレーン:CASE4-29〜4-35]
 [修復処置時,どういう咬合を与えるか:CASE4-36〜4-39]
 その現象とは
  1.ブラキシズムの足跡
  2.ブラキシズムしていることに気づく
 そのとらえ方
 その対応
  1.受圧に対して
  2.加圧に対して
   1)認知行動療法(マウスピース)
   2)カウンセリング的態度(生活背景 性格)
   3)自己暗示 自律訓練法
   4)「力のコントロール」における3つのセルフ
 おわりに─この新しい分野に挑戦を!

 参考文献
 自筆原稿一覧
 症状・治療法索引
 あとがき