やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

監訳の序
 私が最初に原著である“Occlusion and Clinical Practice--An Evidence-Based Approach”というこのテキストに出会ったのは,2004年,当時の留学先であるGo¨teborg大学にて,本書の分筆者の1人でもあるGunnar E.Carlsson名誉教授から紹介されたことがきっかけである.私が彼に20世紀後半より,多くのBig Nameが咬合のテキストを世に出してきたにもかかわらず,21世紀に入ってからは系統だった咬合のテキストは出版されていないようだと指摘すると,彼は「これが最も新しく,最も薄い咬合のテキストだ」と言って,出版されたばかりのこの本を私に手渡してくれたのである.
 すべての歯科医は,日常臨床において,咬合も含んだ診断や治療を日々行っており,咬合の概念なくして臨床を行うことはできない.毎日触れるものだからこそ,できるだけ根拠のある咬合理論を実践し,その知見に対して常に更新する準備をしておくべきであろう.また,21世紀に入り歯科医はインプラントという大きな治療法を手に入れつつある.それと同時に,粘膜支持,歯根膜支持,さらに顎骨支持という根本的に挙動が異なる補綴物に対して1つの口腔内にバランスと安定を確立しなければならなくなった.つまり,咬合に対してさらなる考察すべき項目が増えたことから,インプラント治療を含む歯科医療を行うにあたって,咬合理論のアップデートは歯科医にとって必須であろう.このような背景から,私自身,今現在の咬合理論を整理するための基礎となるテキストを切望していた.それゆえ,本書を手にした瞬間,翻訳を行うことを決意した次第である.
 本書の特徴は,第一に欧州とオセアニアを中心とした多数の分筆者で構成されている点であろう.1人の咬合の大家が1つの理論に対して深く掘り下げたテキストも大切であるが,多数の分筆者によって書かれたものはより一般性を有する概念を説いていると考えられるからである.また,冒頭でも述べているが本の“薄さ”も大きな特徴の1つであろう.咬合のテキストというと分厚く難解というイメージの読者も多いと思われるが,本書は,そのターゲットが専門医ではなく開業医や研修医向けに構成されており,最新の咬合に関する研究を引用・reviewしているのにもかかわらず,エビデンスを踏まえたWorld Standardな咬合のガイドラインとその臨床への応用法が非常に簡潔にまとめ上げられている.このように咬合のエッセンスを理解しやすく抽出することは非常に難しい作業であり,原著の編集にあたってIven Klineberg,Rob Jaggerらの多大な努力が垣間見られる.まさに本書は,臨床を行うのに必要な咬合のエビデンスが今現在どこまであるのかを各分野の専門医が易しく解説しているテキストといえるであろう.
 “Periodontics-The Scientific Way“の著者であるJan Egelbergは「臨床医は科学的に知られていることと知られていないことの境界を知るべきである」と説いている.また,“A Textbook of Fixed Prosthodontics-The Scandinavian Approach”の著者であるStig Karlssonは「臨床医は絶対に必要なこと以上のことは何もすべきではない.しかし,絶対に必要なことは怠ってはいけない」と述べている.多くの最新のエビデンスが凝縮されている本書が,咬合に関して知られていることと知られていないことの境界を示し,また,患者にとって必要なものと必要でないものを区別するための歯科医の最新の判断基準となれば,訳者として幸いである.
 終わりに,私が本書の監訳を行うことを快諾していただいた東北大学大学院歯学研究科口腔修復学講座咬合機能再建学分野の木村幸平教授に対して深く感謝申し上げたい.また,本書の出版を導いてくださったスウェーデンデンタルセンターの弘岡秀明先生に深い感謝の意を表するものである.
 菅野太郎
 仙台にて 2007年

序文
 重要な教科書のために序文の執筆を依頼されることは,まさに光栄の至りである.その本を興味深く読むことができ,むしろ執筆に参加したかったという思いさえ抱き,また,今後の参考文献として使われることが期待できる本であるならば,序文を書くにあたりいっそう筆も進むというものである.
 咬合は歯科臨床の基本であるが,多くの学生と開業医は,咬合についての関連用語,管理方法や適切な臨床手技といった問題に対して混乱があるのではないだろうか.そこまでいかないにしても,咬合に対して確信がもてないことは確かなようである.本書「オクルージョン&クリニカルプラクティス-エビデンスに基づいたアプローチ」(“Occlusion and Clinical Practice:An Evidence-Based Approach”)は各章に要約,キーポイント,文献を備え,システマティックでありながら読みやすく,信頼感あふれる文章によって,非常に有用な咬合のエビデンスが提示されている.これによって読者諸氏は,複雑な咀嚼システムの管理と評価の全体像をとらえることができ,確固たる咬合の基礎を(再)構築することが可能となる.この本は,格調高く綿密に書き上げられた教科書であり,本書の目指すところと読者の期待以上の出来映えとなっている.それゆえ,歯科関係図書館の蔵書に加えるに値するものであり,教科書として選出されるべき貴重な1冊であると考える.
 この「オクルージョン&クリニカルプラクティス-エビデンスに基づいたアプローチ」にはその他にも多くの特徴がみられる.まずは,正確な国際用語を用いた詳細な記述があげられる.また,複数の著者により分担執筆されているにもかかわらず,文体は現代的で一貫して矛盾がなく,どのイラストも質が高いものが掲載されている.これによって,多忙のため始めから終わりまで一気に読み通す時間のない読者にとって,一部分を選んで読むだけでも十分役に立つ内容になっている.
 本書は学生や開業医に自信をもって推薦できる内容となっている.誰が読んでも必ず得るところがあるはずで,多くの人にとってこの本は咬合の新しい理解と知識にあふれており,臨床手技において最高水準の実用的指針を提供するものである.
 本書はまさに待望の1冊であり,機宜を得た上梓を成し遂げられたことに対して,編集の労をとられたIven Klineberg,Rob Jaggerと,選び抜かれた執筆陣の方々に称讃の言葉を贈りたい.
 Nairn Wilson
 ロンドンにて 2003年

謝辞
 まずは,各章をご執筆いただいた先生方に感謝申し上げたい.それぞれの研究分野における専門知識をもった各執筆者によって,臨床診療に必要な咬合の生物学的枠組みの理解が示された.
 また,興味を刺激され,知識に対する意欲をかきたてられたのは,われわれの学部生・大学院生のおかげである.この教科書は彼らのために書かれたものである.
 本書を出版するにあたり,すべての局面において細部に渡る配慮を払ってくれた私設秘書のMrs Tracey Bowermanと,編集作業に関して細やかにサポートしてくれたMs Pat Skinnerに対して,管理上の専門的技能を発揮していただいたことに特に感謝の意を表するものである.彼女らの献身があったからこそ,この仕事を成就することができたと考えている.

はじめに
 この教科書は,Klineberg1)による初期の著作を見直し,更新し,発展させたものである.歯科学は初期においては物理的な考え方に基づいていたが,ここ10年間かつてないほどに進歩し,今日ではすべての分野において,歯科臨床のための生物学的基礎が重要視されるようになっている.必然的に,教育プログラムにもこれらの根本的な変化を反映させる必要があり,その理念はDental Education at the Crossroads-Challenges and Change2)で包括的に紹介されている.さらに,エビデンスに基づく歯科医療を認識することによって,かつて医学分野で起こったように3),歯科教育や臨床においても核となる価値を見直さなければならなくなってきた.
 このような変化が必要な状況を鑑み,著者らは読者に対して,咬合とその臨床応用に関する最も有効なエビデンスを提供することを意図している.そして,これが教育プログラムにとって重要な要件であることを認識しており,咬合の知識を臨床に応用できるよう留意している.
 歯科における咬合とは,歯と歯が接触する仕組みとして説明されてきた.しかしこれでは限られた側面を表しているにすぎず,現代の咬合に対する理解では,機能時と異常機能時の歯・咀嚼筋・顎関節の関係も含まれる.咬合は,総合的な患者管理を行ううえで重要な課題であり,歯科医療のすべての分野と関連している.
 咬合は特に修復学や補綴学と関連が深い.これらの分野では,顎機能を最大限発揮させるためには,適正な咬合高径における咬合様式や歯の接触パターンが重要であることを認識する必要がある.また,矯正治療においても咬合はキーポイントであり,歯の移動に大きな影響を及ぼすため,顎顔面再建の治療計画を立案する際に考慮すべき重要事項である.これらすべての分野において咬合の重要性を理解することは,顎機能を促進し,顎位低下の定義と審美的要求を明確にするうえで最優先の課題であり,口腔の健康を適正に維持するための鍵となるものである.さらに,顔の外見に加えて口腔顔面を健全に保つことは,心理社会的な満足を得るために欠かせない要素である.
 テキストは以下の3つの部分に分けられる:
 第1部:咬合の生物学的考察-では,咀嚼筋システムの機能生物学が概説されている.歯と歯の関係は,口腔機能の再建と維持において特に重要であり,顎間関係とともに,健全な機能と下顎運動制御の基礎を形づくる.成長と発育は,形態と機能の相互依存関係を理解するための枠組みとなり,さらに顎関節の解剖学と病態生理学ならびに下顎運動を理解することで,咬合の生物学的基礎を明らかにすることができる.歯科治療は歯冠や接触点の変更・置換を伴うので,この生物学的環境に直接影響する.形態と機能の相互作用を認識すれば,口腔の健康を適切に発展させ維持するためには咬合を慎重に管理することが非常に重要であることがわかる.
 第2部:咬合の分析・評価-では,治療計画において欠くことのできない部分として,臨床的咬合診査とスタディモデルの評価のための臨床的なアプローチをまとめている.
 第3部:咬合と臨床-では,顎関節,咀嚼筋,歯周組織の健康,矯正治療,固定性および可撤性補綴治療,インプラント修復に関する咬合の臨床的なマネージメントのための実践的なガイドラインが提示され,さらに,オクルーザルスプリントの役割と咬合調整について説明している.
 本書は,特に補綴学や修復学に深い関心をもつ大学の最高学年の学生と歯科医のために書かれた本である.各章には引用文献と参考文献が備わり,特別な臨床的興味を抱いた部分に関してはさらなる追究ができるようにしてある.
 本書の本文と各章立ては,以下の内容を提供するために構成されている.
 a)臨床診療において求められる咬合の基礎的な理解
 b)臨床研究の情報と,咬合理論を臨床応用するにあたっての生物学的正当性(正当性が示せる場合)
 一方で著者らは,生物学的機能と調和に関して咬合が果たす役割の多くの部分において,システマティックな臨床研究と長期臨床試験に基づくエビデンスが未だ不十分であると実感している.また,咀嚼筋システムの機能障害と咬合を関連づける確実なエビデンスも不足している.
 臨床研究は一般に,咬合の重要性や,形態・機能・心理社会的満足度と咬合との密接な関連に対して十分に取り組んではこなかった.また,データ比較を可能とするための研究デザインの統一がまったくなされていなかったと認めざるをえない.すなわち,研究デザインにおいては,患者数,長期的な経過観察,治療選択の盲検法,介入してくるバイアスや結果を評価するための厳格な手段といった問題に対して,一貫した対応が行われていなかった.生物学的研究や治療方法の長期臨床結果報告に基づいた治療のガイドラインを策定するためには,慎重にデザインされた臨床試験が必要とされる.
 適切な臨床試験や臨床結果の長期的研究がない場合,臨床の実際において,診療の都合(術者バイアス)に影響された臨床経験に頼ってしまうことから逃れるのは困難である.
 エビデンスに基づく臨床は,治療結果を適切に評価することにより最善の診療を行うための土台として,医科・歯科分野において重要な意味をもつ.エビデンスに基づく臨床は,以下に示す事項が組み合わさって成り立っている.
 a)臨床における意思決定の根拠となる,科学的に質が高く周密な長期臨床試験
 b)個々の患者のニーズに対して適切な判断ができる臨床経験
 c)適正な情報を探す際に,正しい論点を求める能力
 d)特定の臨床的な課題へ適応するために,その情報を解釈すること
 e)決められた処置をただ単に施すことよりも,個々の患者の期待を満足させること
 過去において,治療方針は臨床経験によって決められてきたが,エビデンスに基づく臨床がさらに認められるということは,臨床医学ですでに受け入れられているように,臨床歯科においても歓迎される進歩である.
 Iven Klineberg,Rob Jagger
 引用文献
 1)Klineberg I1991Occlusion: Principles and assessment.Wright,Oxford
 2)Field MJ(ed)1995Dental education at the crossroads-challenges and change.National Academy Press,Institute of Medicine,Washington
 3)Sackett DL,Rosenberg WMC,Gray JAM,Haynes RB,Richardson WS,1996 Evidence based medicine:What it is and what it isn't:It's about integrating individual clinical expertise and the best external evidence.British Medical Journal 312:71-72
第1部 咬合の生物学的考察
 第1章 上下歯列の関係(I.Klineberg)
  歯の接触と下顎位
  咬合関係
  限界運動
  アンテリアガイダンス,ポステリアガイダンス
  犬歯誘導
  平衡側の歯の接触/干渉
  短縮歯列(SDA)
 第2章 顎運動とその制御(G.Murray)
  咀嚼筋:顎運動のための運動単位
  顎運動の発生と制御における中枢神経系(CNS)の構成要素
  顎運動の分類
  随意運動
  反射運動
  律動運動
  基本的な下顎運動
  顎運動の表現方法
  咀嚼における顎運動
  顆頭と関節円板の動き
 第3章 成長と発育(J.Knox)
  正常な骨格の発育
  相対的比率の変化
  歯の正常発育
  不正咬合の原因
 第4章 顎関節の解剖学と病態生理学(S.Palla)
  顎関節の解剖学
  顆頭運動
  関節の負荷
  関節のリモデリング
  変形性関節症
第2部 咬合の分析・評価
 第5章 咬合の臨床分析(I.Klineberg)
  はじめに
  臨床的咬合評価
  異常機能による歯の咬耗
  誘発試験
 第6章 咬合器とスタディモデルの評価(R.Jagger)
  咬合器およびフェイスボウシステム
  咬合採得
  咬合器の選択
  咬合の評価および模型分析
第3部 咬合と臨床
 第7章 顎関節障害(G.Carlsson)
  はじめに
  関節円板転位(disc interference disorders)
  外傷性顎関節障害
  骨関節炎/骨関節症
  リウマチ性関節炎
  その他の顎関節障害
 第8章 咀嚼筋障害(M.Bakke)
  咀嚼筋障害の疫学と病因論
  咀嚼筋の生理学と機能解剖学
  咀嚼筋痛
  既往歴の問診と咀嚼筋の診査
  咀嚼筋障害の分類
  咀嚼筋痛および咀嚼筋障害の治療
 第9章 咬合と歯周組織の健康(J.De Boever,A.De Boever)
  健康な歯周組織と咬合力
  歯の動揺
  咬合力の種類
  咬合性外傷
  咬合性外傷とインプラント
  咬合による歯肉の外傷
  実践的な臨床的結論と指針
 第10章 咬合と矯正(A.Darendeliler,O.Kharbanda)
  Part1:小児と若年者
   適切な咬合:矯正学的エビデンスの理念
   不正咬合
   矯正治療で獲得される咬合
  Part 2:成人
   成人の咬合
   成人における矯正治療
   固定装置と外科矯正の双方を用いた治療後の咬合
   矯正治療における長期的にみた咬合:
   後戻りと保定
 第11章 咬合と固定性補綴治療(T.Walton)
  はじめに
  歯の接触
  機能を支える形態
  歯の咬耗
  歯の健全性の維持
  側方運動時の歯の誘導
  臨床的予後研究により支持される
  エビデンス
  利益と損失
  治療に必要な下顎基準位
  器具の役割
  咬合平面の位置づけ
  長期のメインテナンス
 第12章 咬合と可撤性補綴治療(R.Jagger)
  部分床義歯
  全部床義歯
 第13章 咬合とインプラント修復(J.Hobkirk)
  文献に基づくエビデンス
  臨床的側面
  咬合設計
 第14章 オクルーザルスプリントと咬合の管理(T.Wilkinson)
  文献レビュー
  スプリントと筋痛および関節痛
  スプリントの作製
 第15章 咬合調整の役割(A.Au,I.Klineberg)
  はじめに
  臨床的側面
 索引