序
日本の医療は,激動の渦中にある.その背景の1つは,少子高齢社会の加速である.2008年の1億2808万人をピークに減少期に入り,2040年には全国の半数近くの市区町村において20歳から39歳の女性の数が半減し,2060年には日本の人口は8700万人に落ち込むという.
2つめは,科学・技術・情報科学の急速な進化である.IT技術の進展は,単なる通信手段だけではなく,医療においても医療機械・医療器具等の開発が急速に進んでいる.技術の進化は,医療に多大な恩恵を与えている一方,使う側の人間が医療機械に依存する傾向が認められている.患者を診ずに,機械が示すデータで判断し,時にはコンピューターの入力に集中し,患者の顔をみない等の様相を呈している.手術様式の新たな開発や新薬の開発など,医学は進歩を続け治療が可能な疾病も増えたが,一方で,患者の価値観も多様になるなかで,コミュニケーション不足等で表出したのが「医療事故」である.
患者の安全を確保するためには,医療に携わる者のチームワークが不可欠である.(1)医療の複雑性と専門分化の増加,(2)高齢者と複合的疾患の増加,(3)慢性疾患の増加,(4)周産期に関する母子,(5)労働力の不足,(6)安全な労働時間の確保,(7)看護職員の多様性,などの要因から効果的なチームワークの重要性が高まっている(WHO「患者安全カリキュラムガイド:多職種版2011」より).
日本では,『医療・看護・福祉等の専門職が患者(受益者)の問題を共有し目標に対する協動がなければ機能しない.また,「理論を臨地に活かさなければ,無きに等しい」』などを勘案して「看護師等の人材確保の促進に関する法律(1992(平成4)年11月)」が制定された.
本書の表題を「医療安全-患者を護る看護プロフェッショナル」としたのは,このようななかで,今こそ,看護師(保健師・助産師)等が,看護専門職として実践の成果を評価・公表する時と考えるからである.
医療法が改正され,「医療の安全の確保」に伴い,多職種によるチームワーク(協働)が始まっている.その中心的役割を担うのが看護師である.【4章 看護学教育とチーム医療およびコニュニケーション】では安全教育とコミュニケーションの重要性を示している.保健師・助産師・看護師の専門職としての条件,果たすべき役割などについては【第6章 看護プロフェッショナルとしての安全教育と社会的責務】で述べた.なお,診療の一部を担う職種に課せられている守秘義務と違反と罰則等を参考資料として示した.
また,長年の懸案であった「特定看護師」は,当初の理念と異なるが,研修が2015年10月に開始となった.
新たな「医療事故調査制度」の開始も同時期である.【第1章 医療安全の動向】では,法的知識と,新たな医療事故調査制度を説明した.本制度は,(1)医療行為に起因する,(2)予期しない,(まさか死亡するとは思わなかった)(注:予測ではない)患者の死亡と死産に対して医学的に調査する制度である.科学の進歩は,新たな技術をも生み出すので,安全の確保から予防につなぐ重要な調査といえる.
医療従事者の失敗からの学びは不可欠であり,各医療施設でのミスを調査し,そこから学びを得ることは,この制度の開始によりむしろ重要となってきている.システムの改善だけではなく,失敗の分析は予測能力を高めるからである.なお,日本医療機能評価機構への報告は従来通りである.
医療事故の民事訴訟の目的は,患者に生じた被害をいかにして救済するかということである.したがって,賠償能力の高いもの「ディープ・ポケット(Deep Pocket)」を持っている者は誰かという観点から被告が選ばれる.つまり,民事訴訟では賠償保険加入の有無が,大きな影響を持っているといえる.また,民事訴訟法の固有な原理である「処分権主義」つまり,原告は,被告を決定できる.両者の争点以外の事柄は審理・判断はしない,ということである(小西知世・他:点滴静注ミス事件(その2).看護管理,11(5),2001).そのような法の縛りと「医療の質」を分析することは別の問題である.
参考資料として示したが,「新千年紀の医療プロフェッション:医師の憲章」においてもプロフェッショナルとしての一連の責務が示されているように,看護がプロフェッションとしての在り方・本質を振り返り,顧みることの一助に,本書が役立てば編者として望外の喜びである.
2015年秋
編者 石井トク
日本の医療は,激動の渦中にある.その背景の1つは,少子高齢社会の加速である.2008年の1億2808万人をピークに減少期に入り,2040年には全国の半数近くの市区町村において20歳から39歳の女性の数が半減し,2060年には日本の人口は8700万人に落ち込むという.
2つめは,科学・技術・情報科学の急速な進化である.IT技術の進展は,単なる通信手段だけではなく,医療においても医療機械・医療器具等の開発が急速に進んでいる.技術の進化は,医療に多大な恩恵を与えている一方,使う側の人間が医療機械に依存する傾向が認められている.患者を診ずに,機械が示すデータで判断し,時にはコンピューターの入力に集中し,患者の顔をみない等の様相を呈している.手術様式の新たな開発や新薬の開発など,医学は進歩を続け治療が可能な疾病も増えたが,一方で,患者の価値観も多様になるなかで,コミュニケーション不足等で表出したのが「医療事故」である.
患者の安全を確保するためには,医療に携わる者のチームワークが不可欠である.(1)医療の複雑性と専門分化の増加,(2)高齢者と複合的疾患の増加,(3)慢性疾患の増加,(4)周産期に関する母子,(5)労働力の不足,(6)安全な労働時間の確保,(7)看護職員の多様性,などの要因から効果的なチームワークの重要性が高まっている(WHO「患者安全カリキュラムガイド:多職種版2011」より).
日本では,『医療・看護・福祉等の専門職が患者(受益者)の問題を共有し目標に対する協動がなければ機能しない.また,「理論を臨地に活かさなければ,無きに等しい」』などを勘案して「看護師等の人材確保の促進に関する法律(1992(平成4)年11月)」が制定された.
本書の表題を「医療安全-患者を護る看護プロフェッショナル」としたのは,このようななかで,今こそ,看護師(保健師・助産師)等が,看護専門職として実践の成果を評価・公表する時と考えるからである.
医療法が改正され,「医療の安全の確保」に伴い,多職種によるチームワーク(協働)が始まっている.その中心的役割を担うのが看護師である.【4章 看護学教育とチーム医療およびコニュニケーション】では安全教育とコミュニケーションの重要性を示している.保健師・助産師・看護師の専門職としての条件,果たすべき役割などについては【第6章 看護プロフェッショナルとしての安全教育と社会的責務】で述べた.なお,診療の一部を担う職種に課せられている守秘義務と違反と罰則等を参考資料として示した.
また,長年の懸案であった「特定看護師」は,当初の理念と異なるが,研修が2015年10月に開始となった.
新たな「医療事故調査制度」の開始も同時期である.【第1章 医療安全の動向】では,法的知識と,新たな医療事故調査制度を説明した.本制度は,(1)医療行為に起因する,(2)予期しない,(まさか死亡するとは思わなかった)(注:予測ではない)患者の死亡と死産に対して医学的に調査する制度である.科学の進歩は,新たな技術をも生み出すので,安全の確保から予防につなぐ重要な調査といえる.
医療従事者の失敗からの学びは不可欠であり,各医療施設でのミスを調査し,そこから学びを得ることは,この制度の開始によりむしろ重要となってきている.システムの改善だけではなく,失敗の分析は予測能力を高めるからである.なお,日本医療機能評価機構への報告は従来通りである.
医療事故の民事訴訟の目的は,患者に生じた被害をいかにして救済するかということである.したがって,賠償能力の高いもの「ディープ・ポケット(Deep Pocket)」を持っている者は誰かという観点から被告が選ばれる.つまり,民事訴訟では賠償保険加入の有無が,大きな影響を持っているといえる.また,民事訴訟法の固有な原理である「処分権主義」つまり,原告は,被告を決定できる.両者の争点以外の事柄は審理・判断はしない,ということである(小西知世・他:点滴静注ミス事件(その2).看護管理,11(5),2001).そのような法の縛りと「医療の質」を分析することは別の問題である.
参考資料として示したが,「新千年紀の医療プロフェッション:医師の憲章」においてもプロフェッショナルとしての一連の責務が示されているように,看護がプロフェッションとしての在り方・本質を振り返り,顧みることの一助に,本書が役立てば編者として望外の喜びである.
2015年秋
編者 石井トク
第1章 医療安全の動向
(増田聖子)
1 はじめに
1)医療安全と医療事故,医療過誤
2)モデル事例
2 医療安全と医療事故
1)安全で質の高い医療を受ける権利
2)医療安全は国の責務である
3)医療安全は,病院等の管理者の義務である
4)医療安全元年;1999(平成11)年 以後の取り組み
5)主な医療安全に関連する取り組み
3 医療過誤と法的責任
1)はじめに:結果責任は負わないこと
2)医療過誤によって医師や看護師らが負う3つの法的責任
3)民事上の責任
4)刑事上の責任
5)行政上の責任
4 医療事故,医療過誤の解決のあり方と医療訴訟
1)医療事故の被害を受けた患者らと医療事故に関わった医師,看護師らの思い
2)医療事故,医療過誤の紛争解決のあり方
3)医療訴訟の現状
5 むすび
第2章 事例(判例)から看護の質を評価する
1 看護の視点とヒューマンエラーの背景から(石井トク/細江達郎)
1. 横浜市立大学病院患者取り違え事件
2. バイブレーター使用による乳児のうつ伏せ事故
3. 出産後の疲労から母乳授乳中に起きた新生児の呼吸停止
4.「 カンガルーケア」による新生児の低酸素脳症による重度後遺障害・
5. 浣腸の方法を誤ったことによる介護老人保健施設入所者の死亡事故
6. 介護付有料老人ホームで,施設から贈られた芳香剤を誤嚥し,誤嚥性肺炎で死亡
7. 高齢者の転倒・転落防止に対する「拘束」事例
8. 左右間違いの事例
2 ヒューマンエラーの背景―心理学からの説明(細江達郎)
1)異なるアプローチのレベル
2)知覚・認知・判断・動作過程のミス
3)他者,集団,組織の問題性:ミスや事故にどう関わるか
3 異常事態の心理学(細江達郎)
1)異常事態の心理学的特徴
2)異常事態への対処(1):どうにかなる
3)異常事態への対処(2):どうにもならない
4)異常事態の対人的,集団的特徴
○医療安全に係わる心理学 用語解説(細江達郎)
第3章 臨床で遭遇する安全と倫理のジレンマ
(石井トク)
1 人の誕生
1)生殖補助医療と結果の多様性
2)親子関係とわが国の文化
3)新出生前診断
2 エンド・オブ・ライフ
1)延命治療の中止
第4章 看護学教育とチーム医療およびコミュニケーション
1 看護学教育と安全教育(石井トク)
1)安全教育の視点
2)チーム医療とコミュニケーション
3)事故発見のパターンと対応
2 看護基礎教育における医療安全のためのコミュニケーション教育(井上都之)
1)はじめに:医療安全におけるコミュニケーションの重要性
2)アサーティブトレーニング
3)コーチング(医療安全コーチング)
4)医療安全に関わる看護学実習における学生指導の課題
第5章 事故発生時・発生直後・その対応-同様な事故を繰り返さないために
1 看護管理者に求められる能力(山名泰子)
1)看護職の基本的責務の明文化
2)事故発生時の対処と事故後の対応の備え
3)事例からの学び
4)医療事故発生時の対応
2 事故当事者の法的支援(友納理緒)
1)法的対応 民事/刑事その他
2)行政処分について
第6章 看護プロフェッショナルとしての安全教育と社会的責務
(石井トク)
1 専門職の条件
1)保健師助産師看護師法制定の経緯と概要
2)看護師資格を有する「保健師」と「助産師」
3)看護師の業務
4)高度看護教育と実践力
5)専門職とは―反省的実践家
6)これからの看護専門職の責務 ―ケアリングの可視化
2 これからの看護学水準と看護水準
1)看護師の注意義務
2)一般的基準( 客観的基準)
3)具体的基準
第7章 医療安全に役立つ看護情報学の知識と技術
(山内一史)
1 患者情報をミスなく扱うための基礎知識と技術
1)「データ」と「情報」の違い
2)パソコンを用いた正確迅速な「データ」処理
3)ワークフローの「見える化」
2 患者情報漏洩防止のための知識と技術
1)データ保護の3つの下位概念
2)プライバシー保護の新しい概念
3)個人情報保護法の成り立ち
4)患者情報漏洩防止のための基礎技術
参考資料
別表a 看護師等のコメディカルの医療行為に伴う守秘義務と罰則等の規定
別表b 医療法の改正に伴い,医師はじめ医療に従事する24 職種の業務等の一覧
新千年紀の医療プロフェッション:医師の憲章
索引
(増田聖子)
1 はじめに
1)医療安全と医療事故,医療過誤
2)モデル事例
2 医療安全と医療事故
1)安全で質の高い医療を受ける権利
2)医療安全は国の責務である
3)医療安全は,病院等の管理者の義務である
4)医療安全元年;1999(平成11)年 以後の取り組み
5)主な医療安全に関連する取り組み
3 医療過誤と法的責任
1)はじめに:結果責任は負わないこと
2)医療過誤によって医師や看護師らが負う3つの法的責任
3)民事上の責任
4)刑事上の責任
5)行政上の責任
4 医療事故,医療過誤の解決のあり方と医療訴訟
1)医療事故の被害を受けた患者らと医療事故に関わった医師,看護師らの思い
2)医療事故,医療過誤の紛争解決のあり方
3)医療訴訟の現状
5 むすび
第2章 事例(判例)から看護の質を評価する
1 看護の視点とヒューマンエラーの背景から(石井トク/細江達郎)
1. 横浜市立大学病院患者取り違え事件
2. バイブレーター使用による乳児のうつ伏せ事故
3. 出産後の疲労から母乳授乳中に起きた新生児の呼吸停止
4.「 カンガルーケア」による新生児の低酸素脳症による重度後遺障害・
5. 浣腸の方法を誤ったことによる介護老人保健施設入所者の死亡事故
6. 介護付有料老人ホームで,施設から贈られた芳香剤を誤嚥し,誤嚥性肺炎で死亡
7. 高齢者の転倒・転落防止に対する「拘束」事例
8. 左右間違いの事例
2 ヒューマンエラーの背景―心理学からの説明(細江達郎)
1)異なるアプローチのレベル
2)知覚・認知・判断・動作過程のミス
3)他者,集団,組織の問題性:ミスや事故にどう関わるか
3 異常事態の心理学(細江達郎)
1)異常事態の心理学的特徴
2)異常事態への対処(1):どうにかなる
3)異常事態への対処(2):どうにもならない
4)異常事態の対人的,集団的特徴
○医療安全に係わる心理学 用語解説(細江達郎)
第3章 臨床で遭遇する安全と倫理のジレンマ
(石井トク)
1 人の誕生
1)生殖補助医療と結果の多様性
2)親子関係とわが国の文化
3)新出生前診断
2 エンド・オブ・ライフ
1)延命治療の中止
第4章 看護学教育とチーム医療およびコミュニケーション
1 看護学教育と安全教育(石井トク)
1)安全教育の視点
2)チーム医療とコミュニケーション
3)事故発見のパターンと対応
2 看護基礎教育における医療安全のためのコミュニケーション教育(井上都之)
1)はじめに:医療安全におけるコミュニケーションの重要性
2)アサーティブトレーニング
3)コーチング(医療安全コーチング)
4)医療安全に関わる看護学実習における学生指導の課題
第5章 事故発生時・発生直後・その対応-同様な事故を繰り返さないために
1 看護管理者に求められる能力(山名泰子)
1)看護職の基本的責務の明文化
2)事故発生時の対処と事故後の対応の備え
3)事例からの学び
4)医療事故発生時の対応
2 事故当事者の法的支援(友納理緒)
1)法的対応 民事/刑事その他
2)行政処分について
第6章 看護プロフェッショナルとしての安全教育と社会的責務
(石井トク)
1 専門職の条件
1)保健師助産師看護師法制定の経緯と概要
2)看護師資格を有する「保健師」と「助産師」
3)看護師の業務
4)高度看護教育と実践力
5)専門職とは―反省的実践家
6)これからの看護専門職の責務 ―ケアリングの可視化
2 これからの看護学水準と看護水準
1)看護師の注意義務
2)一般的基準( 客観的基準)
3)具体的基準
第7章 医療安全に役立つ看護情報学の知識と技術
(山内一史)
1 患者情報をミスなく扱うための基礎知識と技術
1)「データ」と「情報」の違い
2)パソコンを用いた正確迅速な「データ」処理
3)ワークフローの「見える化」
2 患者情報漏洩防止のための知識と技術
1)データ保護の3つの下位概念
2)プライバシー保護の新しい概念
3)個人情報保護法の成り立ち
4)患者情報漏洩防止のための基礎技術
参考資料
別表a 看護師等のコメディカルの医療行為に伴う守秘義務と罰則等の規定
別表b 医療法の改正に伴い,医師はじめ医療に従事する24 職種の業務等の一覧
新千年紀の医療プロフェッション:医師の憲章
索引