やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 Jay W. Shin Genome Institute of Singapore,理化学研究所生命医科学研究センター
 安藤吉成 理化学研究所生命医科学研究センター,Human Cell Atlas Executive Office
 ヒトの“健康”の状態を理解し,疾患を診断,治療するための基盤となる,ヒトの体を構成するすべての細胞の情報を1細胞レベルで包括的にマッピングした「ヒト細胞アトラス」の作成を目的としたHuman Cell Atlas(HCA)コンソーシアムが2017年に発足してから5年が経過した.その間,シングルセル解析は新しい解析技術の開発(例:大規模シングルセルRNA-seq,空間トランスクリプトーム解析)やAI,機械学習アルゴリズムに基づく新しい解析ツールの開発によって成長を続けており,医療における発見と応用のペースを加速している.新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックにおいても,シングルセル解析技術が世界中の研究医療機関によって広く適用され,患者の免疫細胞の細胞異質性および発症に寄与する免疫反応を解明し,治療の標的となりうる細胞種が明らかになった.
 ヒトゲノムプロジェクト以降,膨大な数のゲノムデータが生成されてきたが,多くは米国や欧州による欧米人由来のデータであり,アジア,アフリカ,南米,中東など,地域ごとの人種にインパクトを与える公平性を確保できていなかった.HCAでは発足当初から,性別,年齢,地域などのデータの多様性を重視しており,世界人口の6割を超えるアジア地域の研究者の貢献を促進するために,HCAアジアオフィスを設立している.HCAアジアでは,アジア地域の国で年次会議を開催しており,リソースや解析のノウハウ,患者やコミュニティとの関わりに関する指針などを共有し,国際共同研究を促進してきた.一例として,アジア免疫多様性アトラス(Asian Immune Diversity Atlas:AIDA)プロジェクトの設立があげられる.AIDAでは日本,韓国,中国,インド,マレー系の5つの民族にまたがる500人以上の血液免疫細胞のシングルセル解析を行い,免疫システムを構成する細胞の地域的・遺伝的多様性に関する新しい洞察を明らかにしている.
 今後,空間トランスクリプトーム解析やシングルセル解析のプロファイリング能力の向上およびシークエンスコストの低下により,世界で取得されるシングルセルゲノムデータが爆発的に増加することが予想される.HCAでは,標準化した方法でデータを生成,統合,解析するためのプロトコールを共有しており,得られる「ヒト細胞アトラス」は臨床診断,創薬,再生医療,精密医療など,医療のあらゆる側面に影響を与えることが期待される.
特集 ヒト細胞アトラスプロジェクトの現在地
 はじめに(Jay W. Shin・安藤吉成)
 Overview of the Human Cell Atlas project(Jennifer E. Rood・安藤吉成)
 Human Cell Atlasの拡大―日本からの貢献(韓 鍾疇・安藤吉成)
 Human Cell Atlasにおける倫理と公平性に基づく試料の取得とデータ共有のための取り組み(楠瀬まゆみ)
 最新のシングルセル解析とその応用(鹿島幸恵・鈴木 穣)
 機械学習を用いたシングルセル・空間的遺伝子発現の解析(清田 純)
 シングルセル情報とゲノム情報の統合解析によるCOVID-19重症化メカニズムの解明(枝廣龍哉・他)

連載
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医療システムの質・効率・公正―医療経済学の新たな展開(5)
 医療において高齢者や複合課題をもつ世帯は経済的に保護されているのか(佐々木典子)

TOPICS
 アレルギー学 アンドロゲンによるTh2細胞と気道炎症の抑制(江島亜希・生田宏一)
 免疫学 循環型iNKT細胞による抗ウイルス・抗腫瘍応答の制御(崔 广為・生田宏一)

FORUM
 数理で理解する発がん(1) 発がんのプロセス(中林 潤)
 後悔しない医学英語論文の投稿に向けて―Editorの視点から(2) 論文投稿に際してのパラダイムシフト(2)(笹野公伸)

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