やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 歯科臨床で観察される現象の大部分に,「骨代謝」「免疫」「細菌」「メカニカルストレス(物理的なチカラ)」が関与します.たとえば,歯周病で歯を支えている骨が溶けるのは,細菌感染によって活性化した免疫系が骨代謝のバランスを崩してしまうためであり,そこに咬合性外傷(メカニカルストレス)が加わると,さらに急速に骨吸収が進行します.ほかにも,根尖性歯周炎,オッセオインテグレーション,インプラント周囲炎,骨隆起,ポンティック下の骨増殖,矯正治療による歯の移動など,われわれが日常的に観察する現象の多くは,骨代謝・免疫・細菌・メカニカルストレスの4因子のすべて,あるいはいずれかが複雑に絡み合うことで生じる生物学的なイベントです.このような観点から考えると,歯科医療従事者の日常業務において大きな割合を占めるのは,「細菌とメカニカルストレス,免疫系の相互作用がもたらす骨代謝の変化を制御すること」といえるのではないでしょうか.
 歯学部では基本的に,骨代謝は生化学講座が,細菌と免疫に関しては微生物学講座が教育を担当します.しかしながら,骨代謝と免疫の関係性について,分野横断的な知識を得られる機会はほとんどありません.また,メカニカルストレスに対する生体応答(これを研究する領域を,メカノバイオロジーと呼びます)に関しては,まだまだわかっていないことも多く,学部教育で教わることはありません.患者さんの口腔内で生じるさまざまな現象のメカニズムを,細胞・分子レベルで深く理解したいと思っても,難解な言葉で書かれた免疫学,骨代謝学,メカノバイオロジーの専門書をそれぞれ紐解くしかなく,忙しい臨床家にとってはハードルが高いのが現実です.
 著者が専門としている「骨免疫学」は,2000年代に関節リウマチの研究領域で確立されてきた新しい学問のため,歯科臨床に携わる多くの方々にとって聞き慣れない言葉かと思いますが,まさに骨代謝と免疫の関係性を扱う学問であり,歯科臨床を科学的に考察するうえで非常に有用な概念です.病原体から身体を守るために必要な「免疫」と,身体を支え動かすために必要な「骨」は,一見あまり関係がなさそうに思えますが,実は生命の進化の過程で深く結びついており,私たちの身体の中で相互に連関しながら生体を維持していることがわかってきています.また近年,骨免疫学の観点を取り入れた歯学研究が,さまざまな歯科疾患のメカニズム解明に貢献すると同時に,遺伝性の重篤な歯周炎に対する新しい治療法開発にまでつながりつつあり,世界的に大きな注目を集めています.
 本書は,骨免疫学を専門とする研究者であり,歯科医師でもある著者が,歯科臨床を科学的に考えるうえで知っておきたい免疫学,骨代謝学,細菌学,メカノバイオロジーの基礎から最先端の情報(2021年時点)までを,分野横断的に,なるべく平易な言葉でわかりやすく解説することで,歯科医師だけでなく歯科衛生士,歯科技工士,大学院生,学生など歯学に関わる幅広い方々にとって,読み物としても楽しんでいただけるような書物を目指しました.研究内容の詳細な解説よりも,全体像の把握や概念的な理解を助けるような内容に重きを置きました.
 明日からの臨床にすぐに役立つ技術を紹介する書籍ではありませんが,本書を読むことで,「歯周病が進行すると,骨が溶けて歯が抜けてしまうのはなぜか?」「プラークがほとんどないのに歯周病が進行する患者や,その逆の患者がいたりするのはなぜか?」「インプラントは異物なのに排除されず,骨とくっつくのはなぜか?」「インプラント埋入後に骨吸収が起こるのはなぜか?」「根尖性歯周炎のレントゲン画像では,なぜ透過像(骨吸収が起きている部位)と硬化像(骨形成が起きている部位)が混在するのか?」「同じメカニカルストレスでも,咬合性外傷のように骨が減る場合と,骨隆起のように骨が増える場合があるのはなぜか?」といった日々の臨床のなかで感じる疑問に対して,これら複雑な現象の裏に潜む細胞たちの営みをイメージすることが可能になるかもしれません.それは些細な変化かもしれませんが,細かい手技やアシストワーク,患者さんへの説明の変化などを通して,きっと臨床にも何らかの影響を及ぼすものと信じています.また,大学院生や学部生など若い読者の方々にとっては,本書が縦割りの学部教育だけでは得難い多細胞・多臓器システム連関の視点や,基礎歯学と臨床歯学の接点に気付くきっかけとなり,歯学研究への興味を刺激することができればと願っています.
 本書は,2019年9月号の歯界展望に寄稿した「骨免疫学が紐解く歯科臨床の分子基盤」をベースにしていますが,須田立雄先生(昭和大学名誉教授,日本学士院会員),中川種昭先生(慶應義塾大学医学部 歯科・口腔外科学教室 教授),小宮山彌太郎先生(ブローネマルク・オッセオインテグレイション・センター院長)との往復書簡のかたちで歯界展望2021年1月号から6月号まで連載されたシリーズ「歯科医学から見た骨免疫学の重要性」の内容を組み込み加筆修正することで,より包括的な視点から歯科臨床と骨免疫学を捉えた一冊の書籍として生まれ変わりました.須田立雄先生,中川種昭先生,小宮山彌太郎先生に,この場を借りて深く御礼申し上げます.
 2021年6月
 塚崎雅之
1 免疫の基本的な仕組み
2 骨免疫学とは
3 口腔バリアの特殊性と,口腔-全身連関の医学史
4 歯周炎骨破壊メカニズムに関する新知見
5 なぜ免疫は骨を壊すのか
6 口腔粘膜でTh17細胞を誘導する特定の常在菌は存在するのか
7 歯周炎骨破壊に関する従来の学説と,新たな学説との関係性
8 インプラント臨床と骨免疫学
9 免疫応答と骨形成
10 メカニカルストレスへの生体応答
11 メカニカルストレスによる骨形成とスクレロスチン
12 抗スクレロスチン抗体と歯科臨床
13 メカニカルストレスによる骨吸収
14 矯正治療ではなぜ歯が動くのか
15 生命の進化と骨免疫システムの誕生
 おわりに

 索引