やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

訳者緒言
 Merrill G.Swenson教授の“Complete Denture“が1940年に発刊されて以来,補綴学に対する姿勢ならびにアプローチの方法には多くの変遷があったが,本書は1940年から今日までの60余年の長きにわたって,全部床義歯の教科書として世界の歯学生を含め多くの歯科医に貢献してきた.その間,11冊の改訂版が出版され,時代に即応した編纂がなされてきた.さらに,初版の緒言のなかで,“……主題は静的な科学ではない”と述べているが,今日に至っても,その見解は正しいことが立証されている.
 その後,1975年にCarl O.Boucher教授に著者が引き継がれ改訂が継承された.彼は全部床義歯の製作に関連するような機械的操作のみを重視するのではなく,基礎歯学を土台とした,つまり生理学,解剖学,組織学といった生物学的考察をとり入れた無歯顎治療の必要性を強調した.
 すなわち,最も関心が寄せられているのは全部床義歯装着による口腔組織と解剖学的な構造の破壊をできるだけ防ぎ,無歯顎患者の口腔の健康をいかに管理するかということである.
 そのような視点にたてば,臨床歯科や歯学教育の最も重要な目標は,予防的な考えを基本とする口腔健康の保持であるといえる.その結果,補綴においても予防の機会は増え,患者に正しい咬合や咀嚼による全身の健康保持をうながし,ひいては寿命の延長にまでも貢献できるようになった.しかし,実際のところ,歯科医はどの程度の予防まで提供できるようになったのであろうか?
 Boucher教授亡きあと,愛弟子であるJudson C.Hichey教授とGeorge A.Zarb教授らはBoucher教授の全部床義歯学に対する情熱と考え方を引き継いだうえ,旧版の贅肉を取り除き,すっきりと内容を整理し,充実させた.
 今回の原著第12版はZarb教授とCharles L.Bolender教授らの編集となり,各章の執筆者も新しくなり,内容がさらに一新された.
 Zarb教授はインプラントおよび行動生理学に秀でた世界的な歯科補綴学者である.Bolender教授は軟性裏装材,無咬頭人工歯に秀でた業績があり,彼の考える全部床義歯学を導入することにより幅広い観点から無歯顎補綴治療を考える工夫が随所にみられる.さらに無歯顎患者の補綴治療法の選択にインプラントを加え,新しい方向性を示唆している.
 本書は教科書としての価値は高いが,膨大なページ数があり,読みこなすためには相当の努力が必要とされるかもしれない.しかし,各章ごとに簡潔にまとめてあるため必要な項目を単独で読んでも理解しやすい.
 翻訳のつねというべきか,訳しているあいだに日本語としてわかりにくい訳文になったところなど,修正に修正を加えた.その結果,出版に大幅な遅れをきたし,医歯薬出版社には多大なご迷惑をおかけしたことに深くお詫びし,感謝申し上げます.
 本書の発刊に際して,監訳者として古谷野 潔教授,市川哲雄教授に加わっていただき,歯科補綴学の進歩にともなう改訂にご尽力いただきました.また,多くの共訳者の諸先生のご努力と協讃を得て上梓することができたことを心より感謝申し上げる次第です.
 最後に白須健一郎,小奈正弘,田中健久の諸氏に多くのお手伝いをいただきましたので,ここに感謝の意を捧げます.
 平成20年4月
 監訳者代表 田中久敏

原著者緒言
 この“Twelfth edition of Prosthodontic Treatment for Edentulous Patients:Complete Dentures and Implant-Supported Prostheses”は,歯学生,歯科医,補綴医が無歯顎患者の適切なマネジメントを行う際の臨床的意志決定に役立つことを目的としている.また,本書では専門的技能と基礎科学および行動科学を対応させ,補綴装置製作にかかわる物理学および生物学と治療技術のバランスをとるよう配慮してある.われわれは,大学に所属する臨床医として,教育を効果的に行うと同時に臨床研究を発展させるような教育体系を探求し続けている.その際,われわれの職業からもっとも恩恵を受ける人々,すなわち,患者の視点を失わないことが重要と考えている.今日の臨床においては,患者は歯科治療の効果と効率について高い権利意識をもっている.それゆえ本書は,患者と歯科医の双方が参加するパートナーシップを基盤としている.
 本書の内容と構成に対する臨床研究のインパクト
 近年,歯科補綴学の教育と研究のテーマは劇的に展開した.これは3つの大きな進歩の結果である.第一に,材料研究の発展により,印象採得術式と義歯のリラインテクニックが単純化された.第二に,咀嚼システムの機械的類似物である咬合器の役割,とくにその限界に対する理解が改善された.これらの補綴学の伝統的な考え方に起こった2つの変化は,多くの教育機関で義歯製作の特徴ともいえる技術的な負担を軽減した.第三の進歩は,これが無歯顎のマネジメントにおいて間違いなく最も大きな進歩であるが,インプラント補綴である.オッセオインテグレーションは,われわれのすべての臨床活動にかかわる研究と教育にきわめて大きなインパクトを与えた.結果として,高齢無歯顎者や無歯顎の難症例に対して,かつてないほどの成功を収めるようになった.そして,多くの臨床家が全部床義歯が必要なくなるのではないかとまで言い始めた.
 無歯顎のさまざまな問題は,より広く,より論理的な背景を基盤として,適切にマネジメントされるようになった.そうした中で,いまでも全部床義歯治療に大きな役割があることは明らかである.実際,全部床義歯による治療の費用対効果,簡便さ,効能,有効性は普遍的である.しかしながら,長期間の義歯使用の結果問題が生じたり,あるいはそうした経験から患者にさまざまな行動的な問題が生じたりすることがあり,慢性的かつ解決しがたい臨床的問題となっていた.しかし,インプラントによりこのような問題にも対処できるようになってきた.インプラントは,固定性補綴装置であれオーバーデンチャーであれ,従来の補綴学の概念においては限界があった治療を拡大し豊かにした.しかし,インプラント補綴治療は,従来の補綴治療プロトコルを基盤として発展したものである.したがって,無歯顎患者の全部床義歯による治療の基本的原理が,いままでにも増して必要だということを,改めて認識しなければならない.
 無歯顎の問題とそのマネジメントについての理解を助けるために,本書は幅広い内容を網羅し,国際的に指導的な立場にある教育者を著者に据えた.彼らは無歯顎患者の適切な治療法について,無歯顎という状態の生物学的基盤の全体像を見失うことがないように配慮して記述している.本書は無歯顎とはどのような状態であるか,そしてそれにどのような手段でどのように取り組むかについて,インプラントを含めて幅広く,そして専門的技能と基礎科学を統合して記述している.この点が第12版の主眼であり新しい点である.

原著者謝辞
 本書の刊行にあたって,われわれの研究に対して年余にわたりご支援・ご協力を賜った多くの諸先輩方および同僚の方々に謝意を表したい.彼らの援助があったからこそ上梓が可能になったものであり,さらに,医療事務職,歯科技工士,歯科衛生士,放射線技師などのスタッフによる尽力の賜物である.多くの方々にご協力いただいたことを,ここに改めて御礼申し上げる次第である.また,同じくこの本の礎を築いてこられた先生方,とくにGunnar Carlsson先生,Warner Kalk先生,Brien Lang先生,Adrianne Schmitt先生にも感謝したい.
 最後になったが,本書をまとめるにあたって資料の準備から整理にいたるまで欠くべからざる任務を遂行してくれたJanet deWinter氏の貢献についてふれておきたい.彼女の真摯で粘り強い努力と,そして何よりもそのユーモアのセンスは称讃に値するものである.
第1編 無歯顎について
 第1章 無歯顎の問題 田中久敏・古谷野 潔
  インプラント補綴
 第2章 無歯顎のバイオメカニクス 田中久敏・市川哲雄
  天然歯列の支持メカニズム
  全部床義歯における支持メカニズム
  咬合:機能的,異常機能的考察
  形態学的な顔の高さと顎関節の変化
  審美的,行動的,順応的反応
 第3章 無歯顎にみられる加齢変化 渡邉 誠・山口哲史
  高齢者人口
  高齢者における無歯顎者の割合と問題点
  無歯顎者の口腔にみられる加齢変化
  高齢者の顎運動
  味覚と嗅覚
  栄 養
  皮膚と歯の加齢変化
  高齢者の顔貌に対する関心
  まとめ
 第4章 全部床義歯装着による続発症 渡邉 誠・山口哲史
  口腔環境における義歯
  義歯装着による直接的続発症
  バーニングマウスシンドローム
  間接的続発症
  全部床義歯装着による続発症のコントロール
 第5章 無歯顎患者における顎関節症 野首孝祠
  無歯顎者における顎関節症の疫学
  病 因
  無歯顎患者における顎関節症のマネジメント
  病状説明とセルフケア
  薬物療法
  理学療法
  行動療法
  まとめ
 第6章 義歯装着患者の栄養指導 野首孝祠・池邉一典
  歯の状態が食物摂取に及ぼす影響
  消化機能
  高齢者の栄養必要量と栄養状態
  カルシウムと骨の健康
  ビタミンとハーブ系サプリメント
  義歯治療を受ける患者に対する食事指導
  抜歯時の栄養管理
  まとめ
第2編 全部床義歯補綴治療の前準備
 第7章 無歯顎患者あるいは無歯顎に近い患者の診断と治療計画 平井敏博
  診 断
  関与する履歴:患者の経歴
  データの収集と記録
  特異的観察
  診断所見の解釈
  治療計画
  なぜ,治療計画が必要か
  まとめ
 第8章 外科的補綴前処置:患者の義歯支持域および顎堤間関係の改善 平井敏博
  非外科的方法
  外科的方法
 第9章 即時義歯 田中貴信
  現在の定義
  即時義歯の利点と欠点
  禁忌症
  診断,治療計画,予後
  臨床術式と技工手順
  まとめ
 第10章 オーバーデンチャー 田中貴信
  利点と欠点
  適応症と治療計画
  支台歯の選択
  支台歯の喪失
  臨床術式
  治療結果の判定
  まとめ
 第11章 ラポールの形成:無歯顎の問題をマネジメントするためのコミュニケーション技法 長岡英一
  コミュニケーションとは何か?
  コミュニケーションはなぜ重要なのか?
  効果的なコミュニケーションの要素は何か?
  歯科医と患者のコミュニケーションに特有の意義
  歯科医の言動
  医療鎮静的な面接
  問題の認識と対応
  問題の解釈と説明
  問題の解決法の提示
 第12章 無歯顎患者の治療に使われる材料 櫻井 薫
  床用材料
  人工歯の製作に用いられる材料
  床裏装材料
  義歯洗浄剤
  義歯床としての鋳造用合金
  まとめ
第3編 無歯顎患者の治療:全部床義歯の製作
 第13章 上顎組織の解剖とその印象採得 田中久敏
  支持構造組織の解剖
  周囲組織(辺縁封鎖域)の解剖
  印象採得の原則と目的
  口腔内の前処置
  上顎印象法
  概形印象
  精密印象
  まとめ
 第14章 下顎組織の解剖とその印象採得 田中久敏
  下顎義歯
  支持組織の解剖
  辺縁封鎖周囲組織の解剖
  下顎印象法
  精密印象の採りなおし(再印象)
  まとめ
 第15章 咬合床の形態と位置の確認:咬合堤と咬合採得 細井紀雄
  咬合堤
  まとめ
 第16章 顎間関係の記録および咬合器へのトランスファーに関する生物学的,臨床的事項 小林義典
  下顎運動の制御
  全部床義歯のための顎間関係の確認
  水平的顎間関係の決定
  患者記録の咬合器へのトランスファー
  患者記録の種類
  咬合器
 第17章 無歯顎患者のための人工歯の選択・排列と咬合 皆木省吾・原 哲也
  前歯部人工歯の選択
  臼歯部人工歯の選択
  全部床義歯における人工歯排列
  全部床義歯における咬合様式
  咬合面の修正と選択削合
  人工歯選択と排列の要点
 第18章 ろう義歯試適 古谷野 潔
  第1節:顎間関係記録の修正と確認
  垂直的顎間距離の確認
  中心位の確認
  第2節:偏心位の顎間記録,咬合器およびその調節,口蓋後縁封鎖の確立
  前方位および側方位の顎間関係
  下顎運動を制御する因子
  偏心位の顎間関係記録
  口蓋後縁封鎖の確立
  第3節:前歯による顔面サポートおよび機能の調和
  自然な顔貌と顔の表情の解剖学
  表情と機能の調和をはかるための基本的指針
  前歯部排列に対する患者の容認
 第19章 全部床義歯の発音における考察 市川哲雄
  音声の生成(発音):構造的・機能的要件
  神経生理学的背景
  発音と歯とその他の口腔構造の役割
  発音分析法
  補綴的考察
  まとめ
 第20章 義歯のワックスアップと製作,装着,フォローアップ 市川哲雄
  第1節:義歯のワックスアップ,埋没・重合
  義歯床のワックスアップと研磨
  義歯床研磨面のワックスアップ
  埋没の準備
  レジンaX入
  咬合関係の維持
  義歯床の形態修正と仕上げ研磨
  再装着のための模型の製作
  第2節:全部床義歯の装着
  新義歯の評価
  義歯装着時の処置
  義歯床のエラーの調整
  咬合のエラー
  再装着のための顎間記録
  中心位での顎間記録
  下顎義歯の再装着
  中心位の確認
  前方位記録(オプション)
  非解剖学的人工歯の咬合エラーの修正
  全部床義歯における平衡咬合の利点
  患者に対する特別な指導
  第3節:無歯顎患者における治療後の口腔内の快適性と健康の管理
  装着後24時間の検査と処置
  継続的な検査と処置
 第21章 シングルデンチャー 佐藤裕二・北川 昇
  片顎無歯顎
  さまざまな支持の問題
  診断と治療計画
  臨床と技工手順
  予測される有害作用
  上顎無歯顎におけるインプラント治療の有用性
  下顎のシングルデンチャー
  まとめ
 第22章 全部床義歯の維持 鈴木哲也
  義歯の維持にかかわる因子
  義歯安定剤の使用による補助的な維持
 第23章 無歯顎患者における顎顔面補綴 大畑 昇
  解剖学的・生理学的考察:正常機能
  発語と嚥下の機能欠陥
  顎顔面補綴
  栓塞子型顎補綴装置
  軟口蓋栓塞子型顎補綴装置
  舌接触補助床
  下顎骨切除術における補綴装置
  無歯顎患者の補綴装置の維持のための顎顔面インプラント
  技工操作
 第24章 全部床義歯の耐用年数を延ばす:リライン法 野村修一・目黒真依子
  治療の論理的根拠
  診 断
  前処置
  臨床的印象手順
第4編 インプラント補綴
 第25章 無歯顎患者のためのインプラント支持補綴装置 赤川安正・是竹克紀
  不適応義歯の挙動
  インプラント補綴における科学の時代
  患者に関する考察
  治療成績の考察
 第26章 オッセオインテグレーションの科学 赤川安正・是竹克紀
  オッセオインテグレーションの界面
  オッセオインテグレーテッドインプラントの成否を決定する因子
  まとめ
 第27章 インプラント支持オーバーデンチャーの臨床プロトコル 赤川安正・是竹克紀
  オーバーデンチャーの治療目標
  採用基準と除外基準
  術前評価および治療計画
  手術手順ならびに治療期間
  補綴のプロトコル
  メインテナンスケア
 第28章 インプラントを支台とする固定性補綴装置の臨床プロトコル 小宮山彌太郎
  患者選択
  術前の補綴計画
  外科前処置
  外科術式
  補綴治療のプロトコル
  まとめ
 第29章 問題点と偶発症への対応 小宮山彌太郎
  外科処置に関連した偶発症
  補綴処置に関連した偶発症
  補綴装置の装着
  装着後
 第30章 無歯顎患者に対するインプラント補綴:その現在と将来展望 小宮山彌太郎
  埋入部位の骨反応
  外科的プロトコル
  インプラントへの荷重
  まとめ
  索 引