やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

巻頭言
 レドックス生命科学は,わが国で展開成長した,医学と健康・生命科学をつなぐ広範な領域である.
 今回の監修担当のひとりである京都大学発達小児科学の平家俊男教授は,私(淀井)の年来の親友であり小児アレルギー学の専門家である眞弓光文 福井大学学長の後輩である.両氏とも,京都大学医学部旧第一内科(血液内科)とウイルス研究所を往復しながら成人T細胞白血病(ATL)に遭遇した私の半生と,いわば相似形の軌跡で基礎医学・臨床医学の双方の道を歩いてきた“連帯仲間”である.欧米,とくにアメリカでは,こうした研究と臨床の両立を目指す困難な道を歩く医師をPhysician Scientistとして育成する種々のサポートが根付いている.
 眞弓学長自身,京大小児科学 三河春樹教室助手時代,アラバマ大学医学部Max Cooper教室に留学したPhysician Scientistであった.平家教授は,京大医学研究科からウイルス研究所(畑中正一教室)に通い,当時サイトカイン学の拠点であったアメリカ・スタンフォード大学キャンパスに接したバイオベンチャーDNAX社に留学して,東京大学医科学研究所からの新井賢一・直子夫妻の薫陶を受けた典型的なPhysician Scientistである.
 わが国では急速に拡大する医薬品・健康産業の世界で,大学や公的研究組織にも波及する“想定外”の不祥事が相次ぐなか,医薬基盤研究所と国立健康・栄養研究所が統合され,国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所として再出発して,AMED(日本医療研究開発機構)と一体となっての活動が期待されている.
 本書刊行の機会を借りて,免疫・アレルギー・感染・がん・老化などを横断的にカバーするレドックス生命科学領域の誕生前後の経緯を,2000年頃の産学官共同研究開発事業をプロモートする会合で話した内容の抜粋で紹介したい.

新しい健康科学への道:ストレス疾患とレドックス制御
 人間を含めた地球上の生き物が曝されている自然環境や病原微生物,あるいはタバコ,環境ホルモンや放射線など人間の手による,さまざまの有害物質に対していかに私達の生命を護るかということが何より重要です.生命科学における酸化還元〜レドックスの問題は,私達がこの10年あまり集中して研究を進めてきている学問領域です.
 成人T細胞白血病(ATL)研究の流れでのIL-2Rα鎖や,IgEの発見者 石坂公成博士の門下生としてアレルギーに関連した低親和性IgE Fcレセプター(FcεRII/CD23)のcDNAクローニングや,ATL細胞株が放出するADF(ATL-derived factor)という活性物質の精製と遺伝子解析を行い,ADFがレドックス制御の基本分子のひとつチオレドキシン(thioredoxin:TRX)であることが明らかになりました.京大キャンパスの若い学部学生や院生諸君と一体になっての研究生活の中で,セレンディピティに恵まれ,従来主として大腸菌や植物で研究が展開していたTRXを医学の世界に導入する形でレドックス制御の世界に踏み込んだわけです.
 この“レドックス“という言葉を“生命と環境のかかわり”についての総合的な研究のキーワードとした“レドックス生命科学”という産学協同研究推進組織も文部科学省日本学術振興会で設立され,2000年1月から基礎研究とともに創薬・食品などへの応用の可能性を探る研究が展開されはじめました.活性酸素,一酸化窒素(NO)自身や,これらを誘導する化学物質,紫外線,電離放射線など,外環境からのいわゆる“酸化ストレス”は地球上の生命一般の生存を脅かす脅威ですが,適当な程度のストレスは同時に適応・進化を促すプラスの刺激として,さまざまな生体応答を引き起こします.生体構成成分の酸化還元状態を調節する“レドックス制御”のしくみは,バイオシグナル〜情報伝達や遺伝子の修復と制御の基礎となる,広大で未開拓の新しい研究分野です.
 2000年当時,産業技術総合研究所(関西センター)での“Human Stress Signal Research Center”設立前後の文面が,今日も褪色していないことを改めて実感している.次世代のレドックス領域を担う産学官の若い世代に,この“レドックスUPDATE”が役立つことを願っている.
 2015年7月
 平家俊男(京都大学大学院医学研究科発達小児科学)
 眞弓光文(福井大学学長)
 淀井淳司(京都大学名誉教授)
 巻頭言……平家俊男・眞弓光文・淀井淳司)
第1章 レドックス医学・研究のあゆみ
  1 成人T細胞白血病(ATL)の発見からレドックス研究へのあゆみとその背景(前田道之)
第2章 レドックス基礎医学
 【酸化ストレス総論】
  2 酸化ストレスシグナルと酸化ストレス防御―総論(増谷 弘)
 【酸化ストレス・活性酸素とその傷害】
  3 活性酸素生成型NADPHオキシダーゼ(Nox)の活性化機構(宮野 佳・住本英樹)
  4 ストレス顆粒による活性酸素の産生と細胞死の制御(藤井雅寛・吹@陽介)
  5 酸化的な生体分子修飾と自己抗体産生(内田浩二)
 【Keap1-Nrf2システム】
  6 酸化ストレスに対するKeap1-Nrf2システムの防御機構(齋藤良太・山本雅之)
  7 NRF2による転写制御機構と細胞の分化・増殖・癌化における貢献(関根弘樹・本橋ほづみ)
 【その他の抗酸化ストレス機構】
  8 活性システインパースルフィド(赤池孝章・藤井重元)
  9 ヘムと酸化ストレス制御(松井(渡部)美紀・五十嵐和彦)
  10 酸化的DNA損傷と防御機構(土本大介・中別府雄作)
  11 酸化ストレスとオートファジー(蔭山 俊・小松雅明)
 【蛋白質品質管理・分解機構】
  12 蛋白質品質管理とその破綻に伴う小胞体ストレス応答(潮田 亮・永田和宏)
  13 ユビキチン修飾系と酸化ストレス(岩井一宏)
  14 膜内部での蛋白質分解とストレス応答制御(檜作洋平・秋山芳展)
 【生体恒常性とレドックス】
  15 レドックス応答キナーゼASK1による細胞機能の制御(松沢 厚)
  16 TRPチャネルのレドックス制御(富永真琴)
  17 血管リモデリングにおける低酸素応答性転写因子の役割(冨田修平・松永慎司)
  18 Ahrによる腸管の恒常性制御(石舟智恵子・安友康二)
 【CO/NO/H2Sと生体恒常性】
  19 Heme oxygenase-CO系による細胞機能制御機構(末松 誠)
  20 一酸化窒素,arginine代謝と酸化ストレス(塚原宏一・吉本順子)
  21 硫化水素による低酸素シグナル修飾(広田喜一・甲斐慎一)
 【発生への関与】
  22 レドックス依存的Wntシグナル伝達―Nucleoredoxin船戸洋佑・三木裕明)
  23 酸化ストレスと幹細胞(山内隆好・中山敬一)
  24 脳発生・発達とレドックス(林 雅晴)
第3章 レドックス研究とイメージング
  25 二価鉄の螢光バイオイメージング(平山 祐・永澤秀子)
  26 細胞のレドックス状態を探るイメージングプローブ(中川秀彦)
  27 あらたな生体レドックスイメージングDNP-MRI内海英雄)
第4章 レドックスと疾患
 【循環器】
  28 心血管疾患におけるレドックス制御破綻とその治療(山下徹志・野入英世)
  29 チオレドキシンによるAMP活性化プロテインキナーゼのレドックス制御(岡 新一・佐渡島純一)
 【癌】
  30 酸化ストレスによる発がんとゲノム変化(赤塚慎也・豊國伸哉)
 【血液】
  31 鉄のホメオスタシスと鉄過剰症(川端 浩)
  32 酸化ストレスと血栓症(西澤 徹・野村昌作)
 【呼吸器・感染症】
  33 インフルエンザ急性肺傷害におけるチオレドキシン(TRX-1)の役割(八代将登・森島恒雄)
  34 酸化ストレスからみた国際感染症対策(宇佐美 修)
 【肝】
  35 脂肪肝の治療標的としての小胞体ストレス(太田嗣人)
 【腎】
  36 腎内レニン-アンジオテンシン系,活性酸素種と腎組織リモデリング(漆原真樹・香美祥二)
  37 L-FABPによるレドックス制御(岡ア正晃・他)
  38 チオレドキシンと腎障害(糟野健司)
 【神経】
  39 酸化ストレスと神経変性疾患(浅野剛史・高橋良輔)
  40 小胞体ストレスと神経変性疾患(玉木良高・漆谷 真)
  41 神経変性疾患発症におけるNOの役割(上原 孝)
  42 神経変性とレドックス―パーキンソン病関連分子DJ-1のレドックス制御機能(斎藤芳郎・野口範子)
 【膵(糖尿病)】
  43 膵特異的oxidoreductin ERO1βと糖尿病態(粟澤元晴・植木浩二郎)
 【免疫疾患】
  44 酸化ストレスと自己免疫疾患(船内正憲)
 【小児】
  45 小児疾患におけるレドックス制御破綻(塚原宏一・鷲尾洋介)
 【産科婦人科】
  46 産科婦人科とレドックス(相古千加・二階堂敏雄)
  47 産婦人科疾患と酸化ストレス(万代昌紀)
 【皮膚】
  48 皮膚・粘膜炎症のレドックス制御(田 海・福永 淳)
 【救急】
  49 救急疾患におけるレドックス制御破綻―低体温療法の効果(野坂宜之・塚原宏一)
 【老化】
  50 エイジングと酸化ストレス(小島隆司・坪田一男)
第5章 薬剤・治療への応用
  51 がん幹細胞を標的としたレドックス治療(岡崎章悟・他)
  52 抗癌薬と酸化ストレス(稲本 俊・山内清明)
  53 エダラボンによるレドックス治療(太田康之・阿部康二)
  54 アジュバント含有ワクチンの安全性とレドックス投与による副反応軽減の可能性(小檜山康司・石井 健)
  55 レドックスナノメディシンによる安全な抗酸化治療法の開発(長崎幸夫)
  56 低温大気圧プラズマの医療応用(田中宏昌・堀 勝)
第6章 レドックスと健康医学(環境・食品・運動)
  57 レドックスサイクルを介して酸化ストレスを生じる大気中成分(熊谷嘉人・安孫子ユミ)
  58 コマモナス属細菌にみる内分泌攪乱物質の酸化的分解メカニズム(原 富次郎)
  59 チオレドキシンの機能性食品への応用(竹谷由葵子)
  60 植物における医療用蛋白質の生産―葉緑体形質転換レタスが生産するヒトチオレドキシンの実用化に向けて(小川太郎・横田明穂)
  61 運動とレドックスシグナル(青井 渉)

 サイドメモ
  シグナル伝達分子として機能するH2O2
  gp91phoxの名前の由来
  酸化特異的エピトープ
  自己抗体
  エピゲノム制御
  エンハンサーRNA
  8-ニトロ-cGMPと活性酸素シグナル
  ユビキチン修飾系の現況
  RIP:制御された膜内部での蛋白質切断
  PDZドメイン
  ユビキチンとユビキチン化
  血管リモデリングとは?
  PASドメイン
  NOとホタル発光
  NOと“レドックス制御”
  NOとcitrulline-arginine recycling
  HIF-1の未解決問題
  H2Sの作用の分子機序
  自閉スペクトラム症(ASD)
  アセトキシメチルエステル(AM)体
  DNP-MRIを用いたレドックス反応中間体ラジカルの可視化
  抗酸化ストレス
  Fenton反応
  比較ゲノムハイブリダイゼーション法(CGH)
  鉄の貯蔵庫フェリチンのオートファジー
  不安定鉄プール(labile iron pool)
  早産児の腎におけるRAS活性とROS活性
  FABP
  Inflammasome
  GWAS
  ミトコンドリアの過分極に関与する遺伝子異常
  DNAメチル化の低下
  迅速検査
  ストレス学説
  子宮内膜症
  低体温療法
  心停止後症候群(PCAS)
  活性酸素種(ROS)
  選択的スプライシング
  酸化ストレス保護機構であるKeap1-Nrf2システム
  高分子ミセルナノ粒子
  低温大気圧プラズマの医療応用
  レドックスサイクルとROS産生