やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 石井裕正
 慶應義塾大学名誉教授(消化器内科学)
 肝は薬物代謝において中心的役割を果たす臓器であり,薬物が消化管から吸収された後に,門脈系を介してもっとも高濃度に集積する部位である.そこで抱合,酸化,還元,水酸化,脱メチル化などの多彩な薬物代謝が行われ,全身諸臓器において薬効を発揮する.したがって,肝が薬物の影響をもっとも受けやすい臓器であることは容易に想定でき,実際に薬物性臓器障害は肝でもっとも高頻度に起こることが知られている.
 薬物による肝障害は1930〜1940年代にかけてスルファニルアミドによる重症肝障害や,梅毒の治療に使用されていたサルバルサンによる黄疸などが報告されて以来,広く関心を集めるようになった.近年の医学・医療の急速な進歩に伴って,新医薬品の開発とその治療的応用が臨床各分野で展開され,さらに平均寿命の延長により高齢化が進み多種多剤服用者も増加し,医薬品の製造が認可された段階では予想されなかった重篤な肝障害や他の副作用による死亡者が多数例発生し,医学的・社会的問題となってきた.
 これまでは薬物性肝障害の大部分がアレルギー性機序によるものと考えられてきたが,最近は薬物代謝能の“特異体質”による変化に基づくと考えられる薬物性肝障害の存在が注目されてきている.
 これまでわが国では薬物性肝障害の診断は,主として1978年に“薬物と肝”研究会によって提案された診断基準が20年以上にわたって用いられてきた経緯がある.この基準はアレルギー性発生機序を重視したもので,薬物リンパ球刺激試験(DLST)あるいは被疑薬物の再投与試験が陽性でなければ確診とならないものであった.しかし,アレルギー性発生機序によらない肝障害も診断できる,より普遍妥当性をもった診断基準の作成が強く要望されてきたが,実現はしなかった.
 そこで2002年,第10回DDW-Jが横浜で開催され,筆者が第6回日本肝臓学会大会の会長を務めた際に,上記の問題点を意識してシンポジウム主題のひとつとして“薬物性肝障害の現状の問題点と診断基準”を取り上げた.そのときの演題選定委員会(矢野右人委員長)の基本方針として,シンポジウムの主題は原則的に90分間の限られた時間のなかで,6人以内の演者で論議を集約できるように企画することになっていたので,筆者もその申し合せに従い司会者も1人に絞り,滝川 一教授に担当を依頼した.
 そのシンポジウムの結果,あらたな診断基準案が提案され,その有用性も認められたが,一方で,より多くのデータの集積による改定の必要性が認識された.
 もちろん当初,この1回だけのシンポジウムで結論が出ることは期待しておらず,今後に継続して一定期間後に結論が出れば,これまで約20年にわたって,ややもすれば等閑視されてきた問題の突破口(breakthrough)になるとの強い思いがあった.
 果たせるかな,その後2004年の第8回日本肝臓学会大会(清澤研道会長)において,同じ主題によるワークショップが慎重な事前の準備のもとに行われ,最新の診断基準が提案された.
 以上のような背景のもとに,今回の特集を企画した.その内容は,診断基準からはじまって各種治療薬と肝障害との関係,肝障害の発生機序に関する最近の進歩,治療上の問題点など多岐にわたっている.本特集が日常診療上,すこしでも役に立ってくれることを願い,またつねに多忙な臨床と研究に毎日没頭されている先生方が,貴重な時間を割いて本特集に貢献して下さったことに心より感謝しつつ筆をおく.
はじめに(石井裕正)
薬物性肝障害の実態と疫学(三藤留美・岩佐元雄・足立幸彦)
  ・薬物性肝障害全国調査
  ・民間薬に起因する薬物性肝障害
  ・おわりに
第1章 薬物性肝障害の診断基準をめぐって
 1.診断基準の変遷と概要(滝川 一)
  ・“肝と薬物”研究会の判定基準案(1978)
  ・国際コンセンサス会議の診断基準(1993)
  ・DDW-J2002シンポジウムの診断基準案
  ・DDW-J2004ワークショップの診断基準案
  ・今後の課題
 2.新しい診断基準の有用性と問題点(熊木天児・村田洋介・恩地 一)
  ・“DDW-J2004 案”の概略
  ・“DDW-J2004 案”の有用性
  ・“DDW-J2004 案”の問題点および注意点
  ・おわりに
 3.病理組織学的検討からみた診断と予後推定(野本 実・青柳 豊)
  ・急性肝障害
  ・慢性肝障害
  ・鑑別診断
  ・チャレンジテスト
  ・おわりに
 4.免疫学的観点からみた診断の現状と今後の展望(清水幸裕・田尻和人)
  ・薬物性肝障害の免疫学的機序
  ・免疫学的機序に影響を与える環境あるいは遺伝因子
  ・薬物性肝障害の免疫学的検査法
  ・おわりに
第2章 各治療薬と薬物性肝障害
 5.糖尿病治療薬と薬物性肝障害(神代龍吉)
  ・トログリタゾンによる薬物性肝障害
  ・トログリタゾン肝障害の実例(自験死亡例)
  ・トログリタゾンの代謝分解排泄経路
  ・トログリタゾンによる実験肝障害
  ・PPARγリガンドとしてのトログリタゾン
  ・ピオグリタゾンによる薬物性肝障害
  ・ロシグリタゾンによる薬物性肝障害
  ・アカルボースによる薬物性肝障害
  ・ボグリボースによる薬物性肝障害
  ・おわりに
 6.抗腫瘍薬による肝障害(中本伸宏・斎藤英胤)
  ・頻度,機序,および病型
  ・アルキル化剤
  ・代謝拮抗薬
  ・抗腫瘍性抗生物質製剤
  ・プラチナ製剤
  ・Topoisomerase阻害剤
  ・その他の抗腫瘍薬
  ・抗癌剤の併用による肝障害の増強
  ・ウイルス性肝炎患者への抗癌剤の投与
  ・おわりに
 7.抗痛風薬と薬物性肝障害(新山豪一・山田剛太郎)
  ・抗痛風薬による薬物性肝障害の頻度
  ・抗痛風薬の種類と薬物性肝障害
  ・症例
  ・おわりに
 8.向精神・神経薬・抗てんかん薬と薬物性肝障害(村上重人・大西明弘)
  ・抗精神病薬
  ・抗うつ薬
  ・抗てんかん薬
  ・症例
 9.漢方薬と薬物性肝障害(萬谷直樹)
  ・“漢方薬”とは?
  ・漢方薬による肝障害
  ・DLST偽陽性の問題
  ・診断をめぐる問題
  ・おわりに
 10.健康食品・民間薬による薬物性肝障害の動向―見落とさないための秘訣(久持顕子・佐田通夫)
  ・健康食品とは?
  ・健康食品・民間薬の摂取状況―アンケート調査結果より
  ・健康被害の現状
  ・発症機序
  ・治療と転帰
  ・日常診療に際しての留意点
  ・おわりに
 11.降圧薬と薬物性肝障害(築山久一郎・唐澤英偉・川口 実)
  ・Ca拮抗薬
  ・アンジオテンシンII受容体拮抗薬(ARB)
  ・ACE阻害薬
  ・利尿薬
  ・β遮断薬
  ・血管拡張薬
  ・中枢神経作動性降圧薬
  ・おわりに
 12.抗菌薬と薬物性肝障害―抗細菌薬,抗結核薬,抗真菌薬による肝障害(相澤良夫)
  ・ペニシリン系抗菌薬
  ・セフェム系抗菌薬
  ・カルバペネム系抗菌薬
  ・キノロン系抗菌薬
  ・テトラサイクリン
  ・ミノサイクリン
  ・マクロライド系抗菌薬
  ・アミノ配糖体系
  ・その他の抗細菌薬
  ・抗結核薬
  ・抗真菌薬
  ・おわりに
 13.抗リウマチ薬と薬剤性肝障害(鈴木康夫)
  ・DMARDと薬剤性肝障害
  ・メトトレキサート(MTX)の肝障害
  ・レフルノミドと肝障害
  ・薬剤性過敏症候群(drug-induced hypersensitivity syndrome:DIHS)
  ・抗リウマチ薬とウイルス性肝炎
 14.抗甲状腺薬と薬物性肝障害(三橋知明)
  ・抗甲状腺薬の薬理作用
  ・Basedow病に伴う肝障害
  ・抗甲状腺薬による肝障害
  ・抗甲状腺薬による肝障害の発生メカニズム
第3章 薬物性肝障害病態解明の進歩
 15.薬物代謝からみた薬物性肝障害―遺伝的に規定される発症のリスク(野村文夫)
  ・薬物とその代謝産物による肝障害
  ・チトクローム P450 の遺伝的多型と肝障害
  ・肝障害患者では薬物性肝障害の発症リスクが高まるか
  ・おわりに
 16.薬物と自己免疫性肝疾患(石橋大海)
  ・薬物の免疫毒性
  ・薬物代謝とチトクロームP450(CYPs)
  ・自己抗体の出現を伴う薬剤性肝障害
  ・抗核抗体が出現する薬物性肝障害
  ・抗LKM抗体が出現する薬物性肝障害
  ・チトクロームP450(CYPs)と抗 LKM抗体
  ・自己抗体の出現機序
  ・おわりに
 17.酸化ストレスと薬物性肝障害(加藤眞三・山岸由幸)
  ・生体内における活性酸素の産生と消去
  ・肝障害における酸化ストレスの役割
  ・ミトコンドリアと肝障害
  ・CytochromeP450と肝障害
  ・Kupffer細胞・その他の細胞と肝障害
  ・おわりに
 18.薬物性劇症肝炎,LOHF(持田 智)
  ・劇症肝炎,LOHFの定義と薬物性肝障害
  ・わが国における劇症肝炎,LOHFの実態
  ・最近の薬物性症例の特徴
 19.薬物起因性 NASH(西原利治・大西三朗)
  ・薬物性NASHの診断
  ・薬物性NASH発症の4つの機序
  ・薬物性NASHの疫学
  ・日常診療に用いられる薬物により誘発されるNASHの特徴
  ・おわり
第4章 薬物性肝障害の診療における問題点
 20.薬物性肝障害の治療―治療の実際と基礎的検討からの EBMに基づく UDCAの効果(松崎靖司・池上 正)
  ・基本的薬物療法
  ・副腎皮質ステロイド
  ・UDCAの作用機序
  ・フルタミド投与における肝障害に対するUDCA投与の有用性
  ・前立腺癌患者におけるフルタミド誘発性肝障害予防に対する UDCA投与の有効性に関する臨床試験
  ・おわりに
 21.幼小児の薬物性肝障害に対する診療(松井 陽)
  ・小児本症の特徴
  ・肝における薬物代謝機能の発達
  ・薬物性肝障害の病型分類
  ・診断
  ・治療・予後
  ・おわりに
 22.肝疾患患者に対する薬物投与(周防武昭・山田貞子)
  ・肝疾患における薬物代謝
  ・肝疾患患者に対する薬物投与

・サイドメモ目次
 薬物リンパ球刺激試験(drug lymphocyte stimulation test:DLST)
 チトクロームP450(CYP)の遺伝子多型
 Veno-occulusive disease(VOD)
 肝機能障害例に対する抗痛風薬の選択
 感度と特異度
 海外における健康食品による重篤な肝障害事例
 ウコンは肝障害に効く?
 健康食品関連情報の入手先
 Idiosyncrasy
 メトトレキサートと葉酸
 自己免疫性肝疾患
 NAFLDとNASH
 OccultBと副腎皮質ホルモン