やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

巻頭言

 東京大学大学院医学系研究科内科学 藤田敏郎

 “ヒトは血管とともに老いる”といわれるが,ライフスタイルの変化や長寿社会の到来とともに,近年わが国における疾病構造は大きく変化し,血管障害に起因した疾患が急速に増加し,臨床上その治療と予防の対策が急務の課題となっている.心筋梗塞,脳梗塞などの動脈硬化性疾患はそのなかでもきわめて重要であり,動脈硬化の発症メカニズムの解明に多くの研究者が努力を重ねてきた.動脈硬化の研究は以前の病理学的アプローチを主体とした研究法に代わって,今日では細胞生物学的・分子生物学的アプローチによる研究が主流を占めている.その結果,かつて血液を送る臓器として考えられてきた血管は今日では,たんなる“管”ではなく,動脈硬化に至るさまざまな事象の起こる“場”であることがわかってきた.血管壁はきわめてダイナミックな代謝の場である.
 動脈硬化を研究するさいには基礎疾患である高血圧,糖尿病,高脂血症のみならず,血管壁自体の病態生理に関する研究も重要である.血管生物学的研究は,血管壁を構成する細胞,おもに血管内皮細胞,血管平滑筋細胞を用いて行われており,それぞれの細胞の増殖・修復制御の機転が分子レベルで解明されつつある.さらに,血液成分の血管壁への影響も重要な役割を果たしている.たとえば,血球成分では単球,リンパ球,血小板が積極的に関与し,血漿成分のなかでは酸化LDLなどの血漿脂質が中心的役割を果たしている.血管壁構成細胞もまた,各細胞自体において種々の生理活性物質(NO,エンドセリン,PGI2,TXA2,PDGFやb-FGFなどのgrowth factor,各種サイトカイン,活性酸素など)を合成・分泌しており,それに対する受容体も存在していることから,細胞内のみならず細胞間においてもダイナミックな働きをしており,その制御機構が分子レベルで検討されている.
 血管内皮はNOをはじめとする血管作動物質を産生し,血管トーンを調節するのみならず,血管透過性の調節,抗血小板作用,細胞保護作用を有する.この血管内皮機能の低下が血管病変の進展に先行し,これを加速させることが近年明らかとなった.
 1973年Ross,R.は,血管内皮細胞を剥離するとまずその部位に血小板が凝集し,次に内膜肥厚などの動脈硬化が起こることを観察し,これをもって動脈硬化のモデルとして提唱した.有名な動脈硬化の“response to njury theory”である.この物質的基礎として血小板から分泌されるPDGFがきわめて大きな役割を果たすことが明らかになり,Rossの説は動脈硬化の発生病理の基本となった.しかし,その後彼は,このようなドラスチックな内皮細胞障害が起こることは生体内ではむしろ例外的であるとして1986年にその仮説を改訂し,内皮の機能の障害を重視した.その後の多くの研究で,内皮細胞の機能の変化が動脈硬化のイニシエーションに重要であることがわかってきており,それらの引き金因子として脂質をはじめとする種々の内皮細胞障害因子(脂質,血行力学的ストレス,サイトカインなどの白血球由来因子,アンジオテンシンなどの生理活性因子,活性酸素,AGEなどの代謝異常,血小板由来因子,酸素欠乏など)があげられている.これらの内皮細胞障害因子が過剰に加わると,内皮細胞はアポトーシス,さらには壊死に陥る.内皮細胞の機能と形態の可逆的,あるいは不可逆的変化は動脈硬化の初期病変となることが近年の血管生物学の研究によって明らかになった.
 血管生物学の研究法には,細胞生物学的アプローチ,生化学的アプローチ,分子生物学的アプローチが駆使されている.また,発生工学的手法を用いて病態モデルを作製し,動脈硬化の形成過程における特定の物質や因子の役割についての解析が行われている.さらに,多遺伝子に基づくと考えられる高血圧,糖尿病,高脂血症などの動脈硬化の基礎疾患についてはその原因遺伝子の探索が精力的に行われだした.近年,血管生物学に関するあらたな知見が得られ,複雑で精巧な血管壁の病態生理の解明に多くの手がかりを与え,その異常による動脈硬化性疾患の発症メカニズムおよびその治療法,治療薬の開発に新しいアプローチを提供してきた.
 本特集では,血管生物学研究におけるこれらの重要事項について最新の知見を各専門家にわかりやすく解説していただいたので,若い研究者や臨床家が血管生物学を研究するさいにおおいに役立つものと信じる.
巻頭言 藤田敏郎

第1章 血管の構築
血管の形成
 1.血管の発生  佐藤靖史
 2.内皮細胞増殖因子による血管の発生  渋谷正史
 3.管腔形成の制御因子  青鹿佳和・川名正敏
平滑筋細胞の分子生理
 4.平滑筋細胞分化・脱分化のメカニズム  祖父江憲治
 5.血管平滑筋細胞の形質変換のメカニズム  倉林正彦・永井良三
 6.血管平滑筋の緊張制御に関する最新情報―Ca2+感受性調節におけるミオシン脱リン酸化酵素の役割  平野勝也・金出英夫
 7.低分子量Rhoを介した新しい平滑筋収縮調節系  多久和陽
 8.G蛋白質を介した細胞内シグナル伝達  石田隆史・梶山悟朗
内皮細胞の分子生理
 9.血管内皮細胞の分化メカニズム  日台智明・川名正敏
 10.血管形成における血管内皮前駆細胞  浅原孝之・増田治史
 11.Shear stressに対する細胞応答  安藤譲二
細胞外基質の分子生理
 12.細胞外基質の分子生理  内藤昭貴・島田和幸

第2章 血管と生理活性物質のトピックス
血管収縮因子
 13.AT1を介した細胞内シグナル―チロシンキナーゼカスケードを中心に  江口暁
 14.AT2受容体を介する細胞内シグナルと病態生理作用  松原弘明・岩坂壽二
 15.ACE非依存性アンジオテンシンII産生系と血管病変  浦田秀則
血管収縮因子-エンドセリン
 16.血管リモデリングとエンドセリン  後藤勝年
 17.血圧調節―中枢と末梢における多面的役割  桑木共之
 18.セロトニンの新しい作用  高田正信・供田文宏
血管拡張因子
 19.アドレノメデュリンとPAMPの構造と発現調節  寒川賢治・南野直人
 20.アドレノメデュリンの作用と細胞内情報伝達  桑迫健二・北村和雄
 21.PAMPの作用と作用機構  高野幸路
血管拡張因子――NO
 22.NO産生と作用機序  平田結喜緒
 23.内皮細胞由来NO産生抑制による血管の再構築―その細胞分子機序  江頭健輔
 24.カリクレイン-キニン系と高血圧  村上英之・島本和明
 25.CNPと血管リモデリング  伊藤裕・中尾一和
増殖因子・サイトカイン・ケモカイン
 26.血管新生におけるTGF-βの役割  川畑正博
 27.ヘパリン結合性EGF様増殖因子(HB-EGF)の最新の知見―内皮傷害とHB-EGF shedding  東山繁樹・谷口直之
 28.HGFによる血管内皮再生療法の試み  中神啓徳・森下竜一
 29.サイトカインによる血管障害  川上正舒・黒木昌寿
 30.ケモカインと白血球遊走  高橋将文

第3章 血管病の分子病態
高血圧
 31.本態性高血圧症遺伝的素因解明へのストラテジー  岩井直温
 32.高血圧動物モデルの遺伝子解析  加藤規弘・家森幸男
 33.食塩感受性の分子機序  安東克之
 34.インスリン抵抗性と高血圧  本田律子・門脇孝
動脈硬化
 35.リポ蛋白代謝と動脈硬化  曽根博仁・山田信博
 36.血管内皮細胞と血球細胞の相互作用―動脈硬化における接着分子を中心に  久米典昭
 37.スカベンジャー受容体の最新の知見  興梠貴英・他
 38.内皮細胞の酸化LDL受容体LOX-1  沢村達也
冠動脈症候群
 39.ヒト冠動脈におけるプラークの形成・進展・破綻の分子機序  大神正幸・上田真喜子
 40.プラーク破綻におけるアポトーシスの役割  竹村元三・藤原久義
 41.冠スパスムの分子機序  久木山清貴・泰江弘文
 42.血管内皮障害と血栓形成  池田康夫
血管の遺伝子疾患
 43.遺伝性出血性末梢血管拡張症の成因  東博之
 44.Marfan症候群の原因遺伝子  青山武
 45.Williams症候群の包括遺伝子医療  松岡瑠美子
その他
 46.糖尿病網膜症の分子病態  山下英俊・川崎良
 47.腫瘍と血管新生  戸井雅和・堀口慎一郎
 48.血管病としての腎疾患  土井俊夫
 49.血管炎症候群  原口剛・他
 50.血管透過性の異常  丸山征郎

第4章 血管病動物モデル
 51.レニン-アンジオテンシン系の新規生理機能  深水昭吉
 52.エンドセリンと血管形成  栗原裕基
 53.Klotho遺伝子と老化  鍋島陽一
 54.脂質代謝遺伝子と動脈硬化  大須賀淳一・石橋俊
 55.NOと血管リモデリング  川嶋成乃亮
 56.遺伝子改変動物からみた心血管系におけるANPとBNPの生理的・病態生理的意義  田村尚久・他

第5章 血管病の治療
 57.AT1拮抗薬の心血管保護作用  宮 ア 瑞夫
 58.エンドセリン受容体拮抗薬の可能性  錦邉優
 59.GPIIb/IIIa拮抗薬の臨床効果  矢野信也・加来聖司
 60.抗血管新生療法とその臨床応用  田中俊英
 61.催血管新生療法  室原豊明・他
 62.傷害血管壁への遺伝子治療―動物実験の成果と臨床応用への展望  上野光
■サイドメモ
血管形成と造血
VEGFのシグナル伝達
マトリゲル
核内受容体と動脈硬化
MLCPサブユニットのアイソフォーム
Rhoキナーゼ
再生医学における血管内皮前駆細胞の重要性
インテグリン(integrin)
EGF受容体トランスアクチベーションのメカニズム
AT2受容体を介する降圧作用機序
動脈圧受容器反射のリセッティング
5-HT受容体サブタイプ
アドレノメデュリン受容体
Whole-cell clamp法とperforated whole-cell clamp法
IκBキナーゼ(IKK)
血管および心臓のリモデリング(再構築)
遊走因子(chemoattractant)
SHR(spontaneously hypertensive rat)
IRS-1欠損マウス
β-VLDL
SREC(scavenger receptor expressed by endotherial cell)
アポトーシス
静脈奇形と脳海綿状血管奇形
包括遺伝子医療
糖尿病網膜症と網膜血流
微小血管密度/TP
AGEの意義
エンドセリンとシグナル伝達
マウスの脂質代謝および動脈硬化の特徴
内皮型NO合成酵素過剰発現マウス(eNOSトランスジェニックマウス)
Gene targetingと“gene titration”
キマーゼインヒビター
ET受容体サブタイプ
コレステロール低下療法はPTCAより有効か