監訳者の序
皆さんは高次脳機能障害を難しいと感じたことはないでしょうか.
後天性脳損傷に伴う認知面の問題に対し,わが国では2001年からの高次脳機能障害モデル事業で診断基準が策定されて以来,高次脳機能障害という言葉は随分一般的になりました.ただ一方で,高次脳機能障害が知られるにつれて,この障害がもつ本来の難しさが見えるようにもなってきています.高次脳機能障害は多くの因子が絡んでその臨床像が構成されています.したがって,その状態を1つのモデルに当てはめることができません.対応も「1つのやり方に当てはめていく」考え方では足りないことになります.答えが1つにならない.これが高次脳機能障害がもつ本来の難しさなのだと思います.
では,どうすればよいのでしょうか.結論から言えば,まだ納得のいく答は出ていないのかもしれません.ただ,全世界で解決に向けた熱い取り組みが今も続けられています.そして,こうした流れの一つに,欧米を中心に,包括的,全人的に対応する神経心理学的リハビリテーション(以下リハ)が発展してきました.
いずれにしてもわが国では,「高次脳機能障害という言葉を知らない」という状況が過ぎつつある一方で,「高次脳機能障害は勉強しても(やはり)難しい」という本質的な問題にぶつかる状況になってきています.
ここで,本書のタイトルでもある「神経心理学的リハ(neuropsychological rehabilitation)」という言葉について,少し説明をしておきます.(詳しくは第23章でふれます)
元来,神経心理学(neuropsychology)という言葉は,脳を中心とする神経系が認知や行動にどう影響するかを探求する学問のことを指します.しかし,そこにリハという言葉がついて,神経心理学的リハ(neuropsychological rehabilitation)となると,単に脳が認知や行動にどう影響するかを考えて行うリハという意味ではなく,より広い別の概念に用いられる用語となります.
欧米では,認知機能に関するリハを広く認知リハ(cognitive rehabilitation)と呼び,こうしたリハの多くは一つの症状に対して1つのプログラムを考えていくようなものでした.一方で,特に脳外傷などによる後天性脳損傷がきたす症状群には,こうした簡単なモデルでは対応ができないことが明らかとなり,包括的全人的に対応するリハが発展してきます(詳しくは第2章を参照).1990年代以降,この包括的全人的に対応するリハの概念はある程度確立され,欧米で従来のリハと区別するために「神経心理学的リハ」という用語で呼ぶことが勧められるようになりました.つまり,欧米の認知リハの関係者たちにとって,神経心理学的リハという用語はこの「包括的全人的に対処し,多職種で連携して対応する一連のリハ」のことを指すのです.本書で用いられている神経心理学的リハという用語は,こうした意味で用いられていることを御理解ください.
筆者は,縁があってthe Oliver Zangwill Centre(OZC)に1年間滞在する幸運に恵まれました.OZCがどんなセンターかは,本書の中に多くの記載がありますが,少しだけ補足をしておきます.
OZCは,英国ロンドンから電車で1時間程北上したケンブリッジ州(Cambridgeshire,州都は大学が有名なケンブリッジ)のEly(発音はイーリーの感じに近い)という町にあります.世界遺産の大聖堂があり,小さいながらも伝統のある町です.OZCは,この町の中のPrincess of Wales Hospitalという一般の病院の一角にこじんまりとあり,計20名程のスタッフで運営されています.英国の中でも比較的温和な気候の地で,外は一面に緑の芝生が広がり,野生のリスが走り回っているような,そんな場所です.
OZCを語るにあたっては,センターの創始者のBarbara A.Wilsonについてふれなければなりません.彼女は,神経心理学的検査であるリバーミード行動記憶検査やBADS(Behavioural Assessment of the Dysexecutive Syndrome)を作ったことで知られますが,偉大な臨床家でもあります.彼女は常に実際の患者が目の前にいることを想定した視点をもち,どうすればよいかを考えています.旅行が趣味で,ボブ・ディランのファンで,葛飾北斎が好きな親日家でもあります.気さくで飾らない方であり,そんな彼女の人柄は確実にOZCにも反映されています.
本書は,OZCで実施されている高次脳機能障害者(英国では後天性脳損傷者となります)へのリハプログラムをまとめたものです.しかし,その内容は基盤となる理論の詳細な記述と,そうした理論から組み上げられたプログラムの実践の記録であり,単にOZCという一施設にとどまるものではなく,高次脳機能障害に対する包括的全人的な神経心理学的リハのエッセンスが凝縮されたものとなっています.つまり,本書は神経心理学的リハの教科書とも言える一冊なのです.2009年の発刊からすでに10年以上が経過していますが,こうした理由でその内容は全く古さを感じさせません.
なお,本書を翻訳するにあたり,第5部として日本で神経心理学的リハを実践するとどうかについて書いてみることをOZCから強く勧められました.これは大変示唆に富む提案でした.最初にも述べましたが,神経心理学的リハは型にはまった答があるものではありません.本書の内容は,理論を基にした英国での実践の記録です.日本ではどうすればよいかという答は,直接には書かれていません.私たちは本書の内容を基盤として,私たち自身のプログラムを作り出さなければ意味がないのです.
こうした経緯で,原著にはない第5部23章が付加されました.ここでは日本でどうすればよいか,何ができるかという課題を考察してみようと思います.
また,本書の内容は,その後にOZCから出版された本の基礎にもなっています.例えば,Rachel Wilsonらが著したThe Brain Injury Rehabilitation Workbook(Wilson R,2017)はその一例で,より実践的な形でまとめられています.一緒に読まれると本書の理解が深まりますし,同書も本書の理解があることで一層理解しやすくなるでしょう.
本書は決して読みやすくはないかもしれません.しかし,その内容は極めて奥深い.読む度にそれまで気づかなかった新しい発見があります.読めば読むほど味が出る.そして,高次脳機能障害のリハとは何かという指南を与えてくれる書となっています.
高次脳機能障害のリハの教科書として,1人でも多くのセラピストや医師,ナースや福祉関係者,さらには患者本人や御家族が本書に触れていただき,そのリハについて考察いただけることを切に願います.
最後に,本書の翻訳にあたっては,浜田智哉,寺田奈々の両氏には多大な貢献をいただきました.両氏の力がなければ,これだけ大著の翻訳原稿を完成することはできませんでした.また,労を惜しまず多大な支援と助言をいただきました医歯薬出版の綾野泰子氏,塚本あさ子氏に深く感謝申し上げます.
2020年5月
青木重陽
推薦の序
神経心理学的リハビリテーション(以下リハ)は,ここ20〜30年で極めて大きな成長を遂げ,臨床的な洞察と経験に広く基づくものとなった.近年,プログラムの効果を支持する有用な科学的エビデンスを基盤とした「エビデンスに基づくリハ」の必要性が強くいわれるようになっている.エビデンスに基づくリハで強調されるのは,臨床上の判断とは逆の意見になることも多いという点であり,実際この点は対応を補完することにもなっている.さらにこれは,臨床判断する際に,神経学的症状をもつ者に対して適合した原則と治療テクニックを提供する必要があるという意味にも理解できる.加えて,エビデンスに基づく治療は,その経過のプロセスでクライエントの価値観,好み,目標に合致することも必須であり,このことが治療効果を最終的に決める「治療に対する適応」を形づくることになる.
Barbara Wilson,Fergus Gracey,Jonathan Evans,Andrew Batemanとそのグループが行っている取り組みは,神経心理学的リハの基盤である,科学的エビデンス,臨床的な判断,患者中心のゴールを統合するという点で,比類ないものとなっている.神経心理学的リハの効果を論じる際に,著者達―皆,経験豊富な臨床家であり,多くの研究を行う研究者でもある―は以下のことを強調している.リハは相互作用のプロセスであり,そこにはセラピスト,障害者,家族が含まれる必要がある.そしてこれは,支援と強化の基盤となる地域社会にまで広げることもできる.これらによって精巧に組み上がる原則とその例は,クライエントの強みと限界,意欲,性格,資源の多様な組み合わせを評価することを通じて,個々のクライエントにアプローチの枠組みを提供する.リハの効果は,個別のゴール到達および日々の機能やQOLへの対応との関連の中で,クライエントを支援するリハの能力という言葉で評価され,こうした原則は神経心理学的な対応を計画し実施する際の道しるべとなる.
最も印象的なのは,こうした原則や実践のすべてがThe Oliver Zangwill Centre for Neuropsychological Rehabilitation(OZC)での統合的な治療モデルの中で発展してきたことである.これは大きな成果であり,そこには少なくとも2つの理由がある.第一には,治療の重要な要素として作用する治療的環境(therapeutic milieu)をOZCが提供していることである.治療的環境は,クライエント間に団結の精神を確立し,クライエント同士およびセラピストとの関係を強化し,個々の治療テクニックが具体的で経験に基づくリハ介入であるときでも,効果的な治療すべてに普通のことという印象を与えながら,リハの中では重要な役割をする要素をつくり出していく.第二には,OZCで提供される治療は理論と実践の統合を促進し,そこには学習理論,認知的再組織化,ゴールプランニングの適用が反映されており,クライエント志向の臨床行動を組織化し評価する方法となっている.
最終的には,リハのゴールは,人が意味のある満たされた生活につながることを援助することにある.これは膨大な作業であり,真の努力の結集がなされなければ達成できないものである.本書の内容は,こうした努力を可能にするテクニック,原則,価値への窓口となっており,どうしたら効果的な神経心理学的リハにつながっていくのかを見いだす手がかりを提供している.
Keith Cicerone
序
神経心理学的リハビリテーション(以下リハ)は,認知,感情,行動に障害がある者が,心理学的,社会的,余暇,職業,生活に関する各機能の分野で,もてる能力を最大限に発揮できるようにすることに関与するものである.本書では,リハにおいて全人的アプローチが最も有効であると考えている人達が追究している近年のリハ訓練について述べていく.われわれは,リハにおける全人的アプローチを,認知,感情,行動がダイナミックに相互に絡み合う事実を認識することであると定義する.脳損傷のリハにおいては,多職種連携(interdisciplinary)チームによって,これらの機能すべてに連続的に対応がなされ統合されていく必要がある.
われわれは,リハには,多領域での枠組み,理論,モデルを含む,幅広い理論的な基盤が必要であると確信している.1つの理論モデルに縛られることは,意義のある臨床実践へつながらない可能性がある.リハにおけるこれまでの主だった理論を検討し,過去20年以上にわたるリハの変化について論じていく.本書の目的は,脳損傷者が自身や家族が最も価値があると決めたゴール達成の支援のための実践的なアプローチを示していくことである.
本書は4部で構成されている.
第1部では,神経心理学的リハの背景とその基本的な原理について振り返る.その内容には,英国ケンブリッジ州のElyにある施設であるthe Oliver Zangwill Centre for Neuropsychological Rehabilitation(OZC)の全人的プログラムの概要も含まれる.このプログラムは,米国のYehuda Ben-YishayやGeorge Prigatano,デンマークのAnne-Lise Christensenの実践に影響を受け,グループ訓練と個別訓練とを併せもち,後天性非進行性の脳損傷を被った者が直面する認知,感情,社会的な問題に対処していくものである.
第2部では,OZCで実施されているさまざまなグループ訓練「グループ」について述べ,これらのグループセッションの構造を説明する.最も教育的なグループ(脳損傷理解グループ),認知の問題をそれぞれに扱うグループ(注意とゴールマネージメントグループ,記憶グループ),ソーシャルスキル(コミュニケーショングループ),感情に関する脳損傷症状(感情マネージメントグループ),家族との協働作業,スキルやストラテジーを一緒に使用することを要するグループ(プロジェクトグループ,ニュースレターグループ,就労および自立生活のためのグループ,心理サポートグループ)について解説される.
第3部では,9例の詳細なケース報告を挙げ,第1部で概説した原理が実際にどう適用されているのかを示す.前半の6例は,集中的な全人的プログラムがもつさまざまな側面を示す目的で選んだ.後半の3例は,集中的プログラムに適応するには難しい症状をもつ者との関わりについて述べている.
第4部は,OZCのさまざまな転帰の測定に関する部分であり,臨床的な効果,研究成果や教育が含まれる.われわれは,包括的全人的リハプログラムの効果測定に関して実施されてきた試みについて論じる.特にKeith CiceroneやJames Malec達の実践には影響を受けてきた.
神経心理学的リハは,多職種がただ参加する(multidisciplinary)だけではなく,多職種が相互に関係する(interdisciplinary)ものなので,本書は多くの支援機関の専門家達に役立つと思う.主な読者は,臨床神経心理士,臨床心理士,言語聴覚士,作業療法士,精神科医,神経科医,理学療法士,ソーシャルワーカー,看護師であろう.その他の人々も本書に興味を見いだすことができ,特に脳損傷者の家族,脳損傷者自身,一般臨床医や学校教師にはその可能性がある.
Barbara A.Wilson
皆さんは高次脳機能障害を難しいと感じたことはないでしょうか.
後天性脳損傷に伴う認知面の問題に対し,わが国では2001年からの高次脳機能障害モデル事業で診断基準が策定されて以来,高次脳機能障害という言葉は随分一般的になりました.ただ一方で,高次脳機能障害が知られるにつれて,この障害がもつ本来の難しさが見えるようにもなってきています.高次脳機能障害は多くの因子が絡んでその臨床像が構成されています.したがって,その状態を1つのモデルに当てはめることができません.対応も「1つのやり方に当てはめていく」考え方では足りないことになります.答えが1つにならない.これが高次脳機能障害がもつ本来の難しさなのだと思います.
では,どうすればよいのでしょうか.結論から言えば,まだ納得のいく答は出ていないのかもしれません.ただ,全世界で解決に向けた熱い取り組みが今も続けられています.そして,こうした流れの一つに,欧米を中心に,包括的,全人的に対応する神経心理学的リハビリテーション(以下リハ)が発展してきました.
いずれにしてもわが国では,「高次脳機能障害という言葉を知らない」という状況が過ぎつつある一方で,「高次脳機能障害は勉強しても(やはり)難しい」という本質的な問題にぶつかる状況になってきています.
ここで,本書のタイトルでもある「神経心理学的リハ(neuropsychological rehabilitation)」という言葉について,少し説明をしておきます.(詳しくは第23章でふれます)
元来,神経心理学(neuropsychology)という言葉は,脳を中心とする神経系が認知や行動にどう影響するかを探求する学問のことを指します.しかし,そこにリハという言葉がついて,神経心理学的リハ(neuropsychological rehabilitation)となると,単に脳が認知や行動にどう影響するかを考えて行うリハという意味ではなく,より広い別の概念に用いられる用語となります.
欧米では,認知機能に関するリハを広く認知リハ(cognitive rehabilitation)と呼び,こうしたリハの多くは一つの症状に対して1つのプログラムを考えていくようなものでした.一方で,特に脳外傷などによる後天性脳損傷がきたす症状群には,こうした簡単なモデルでは対応ができないことが明らかとなり,包括的全人的に対応するリハが発展してきます(詳しくは第2章を参照).1990年代以降,この包括的全人的に対応するリハの概念はある程度確立され,欧米で従来のリハと区別するために「神経心理学的リハ」という用語で呼ぶことが勧められるようになりました.つまり,欧米の認知リハの関係者たちにとって,神経心理学的リハという用語はこの「包括的全人的に対処し,多職種で連携して対応する一連のリハ」のことを指すのです.本書で用いられている神経心理学的リハという用語は,こうした意味で用いられていることを御理解ください.
筆者は,縁があってthe Oliver Zangwill Centre(OZC)に1年間滞在する幸運に恵まれました.OZCがどんなセンターかは,本書の中に多くの記載がありますが,少しだけ補足をしておきます.
OZCは,英国ロンドンから電車で1時間程北上したケンブリッジ州(Cambridgeshire,州都は大学が有名なケンブリッジ)のEly(発音はイーリーの感じに近い)という町にあります.世界遺産の大聖堂があり,小さいながらも伝統のある町です.OZCは,この町の中のPrincess of Wales Hospitalという一般の病院の一角にこじんまりとあり,計20名程のスタッフで運営されています.英国の中でも比較的温和な気候の地で,外は一面に緑の芝生が広がり,野生のリスが走り回っているような,そんな場所です.
OZCを語るにあたっては,センターの創始者のBarbara A.Wilsonについてふれなければなりません.彼女は,神経心理学的検査であるリバーミード行動記憶検査やBADS(Behavioural Assessment of the Dysexecutive Syndrome)を作ったことで知られますが,偉大な臨床家でもあります.彼女は常に実際の患者が目の前にいることを想定した視点をもち,どうすればよいかを考えています.旅行が趣味で,ボブ・ディランのファンで,葛飾北斎が好きな親日家でもあります.気さくで飾らない方であり,そんな彼女の人柄は確実にOZCにも反映されています.
本書は,OZCで実施されている高次脳機能障害者(英国では後天性脳損傷者となります)へのリハプログラムをまとめたものです.しかし,その内容は基盤となる理論の詳細な記述と,そうした理論から組み上げられたプログラムの実践の記録であり,単にOZCという一施設にとどまるものではなく,高次脳機能障害に対する包括的全人的な神経心理学的リハのエッセンスが凝縮されたものとなっています.つまり,本書は神経心理学的リハの教科書とも言える一冊なのです.2009年の発刊からすでに10年以上が経過していますが,こうした理由でその内容は全く古さを感じさせません.
なお,本書を翻訳するにあたり,第5部として日本で神経心理学的リハを実践するとどうかについて書いてみることをOZCから強く勧められました.これは大変示唆に富む提案でした.最初にも述べましたが,神経心理学的リハは型にはまった答があるものではありません.本書の内容は,理論を基にした英国での実践の記録です.日本ではどうすればよいかという答は,直接には書かれていません.私たちは本書の内容を基盤として,私たち自身のプログラムを作り出さなければ意味がないのです.
こうした経緯で,原著にはない第5部23章が付加されました.ここでは日本でどうすればよいか,何ができるかという課題を考察してみようと思います.
また,本書の内容は,その後にOZCから出版された本の基礎にもなっています.例えば,Rachel Wilsonらが著したThe Brain Injury Rehabilitation Workbook(Wilson R,2017)はその一例で,より実践的な形でまとめられています.一緒に読まれると本書の理解が深まりますし,同書も本書の理解があることで一層理解しやすくなるでしょう.
本書は決して読みやすくはないかもしれません.しかし,その内容は極めて奥深い.読む度にそれまで気づかなかった新しい発見があります.読めば読むほど味が出る.そして,高次脳機能障害のリハとは何かという指南を与えてくれる書となっています.
高次脳機能障害のリハの教科書として,1人でも多くのセラピストや医師,ナースや福祉関係者,さらには患者本人や御家族が本書に触れていただき,そのリハについて考察いただけることを切に願います.
最後に,本書の翻訳にあたっては,浜田智哉,寺田奈々の両氏には多大な貢献をいただきました.両氏の力がなければ,これだけ大著の翻訳原稿を完成することはできませんでした.また,労を惜しまず多大な支援と助言をいただきました医歯薬出版の綾野泰子氏,塚本あさ子氏に深く感謝申し上げます.
2020年5月
青木重陽
推薦の序
神経心理学的リハビリテーション(以下リハ)は,ここ20〜30年で極めて大きな成長を遂げ,臨床的な洞察と経験に広く基づくものとなった.近年,プログラムの効果を支持する有用な科学的エビデンスを基盤とした「エビデンスに基づくリハ」の必要性が強くいわれるようになっている.エビデンスに基づくリハで強調されるのは,臨床上の判断とは逆の意見になることも多いという点であり,実際この点は対応を補完することにもなっている.さらにこれは,臨床判断する際に,神経学的症状をもつ者に対して適合した原則と治療テクニックを提供する必要があるという意味にも理解できる.加えて,エビデンスに基づく治療は,その経過のプロセスでクライエントの価値観,好み,目標に合致することも必須であり,このことが治療効果を最終的に決める「治療に対する適応」を形づくることになる.
Barbara Wilson,Fergus Gracey,Jonathan Evans,Andrew Batemanとそのグループが行っている取り組みは,神経心理学的リハの基盤である,科学的エビデンス,臨床的な判断,患者中心のゴールを統合するという点で,比類ないものとなっている.神経心理学的リハの効果を論じる際に,著者達―皆,経験豊富な臨床家であり,多くの研究を行う研究者でもある―は以下のことを強調している.リハは相互作用のプロセスであり,そこにはセラピスト,障害者,家族が含まれる必要がある.そしてこれは,支援と強化の基盤となる地域社会にまで広げることもできる.これらによって精巧に組み上がる原則とその例は,クライエントの強みと限界,意欲,性格,資源の多様な組み合わせを評価することを通じて,個々のクライエントにアプローチの枠組みを提供する.リハの効果は,個別のゴール到達および日々の機能やQOLへの対応との関連の中で,クライエントを支援するリハの能力という言葉で評価され,こうした原則は神経心理学的な対応を計画し実施する際の道しるべとなる.
最も印象的なのは,こうした原則や実践のすべてがThe Oliver Zangwill Centre for Neuropsychological Rehabilitation(OZC)での統合的な治療モデルの中で発展してきたことである.これは大きな成果であり,そこには少なくとも2つの理由がある.第一には,治療の重要な要素として作用する治療的環境(therapeutic milieu)をOZCが提供していることである.治療的環境は,クライエント間に団結の精神を確立し,クライエント同士およびセラピストとの関係を強化し,個々の治療テクニックが具体的で経験に基づくリハ介入であるときでも,効果的な治療すべてに普通のことという印象を与えながら,リハの中では重要な役割をする要素をつくり出していく.第二には,OZCで提供される治療は理論と実践の統合を促進し,そこには学習理論,認知的再組織化,ゴールプランニングの適用が反映されており,クライエント志向の臨床行動を組織化し評価する方法となっている.
最終的には,リハのゴールは,人が意味のある満たされた生活につながることを援助することにある.これは膨大な作業であり,真の努力の結集がなされなければ達成できないものである.本書の内容は,こうした努力を可能にするテクニック,原則,価値への窓口となっており,どうしたら効果的な神経心理学的リハにつながっていくのかを見いだす手がかりを提供している.
Keith Cicerone
序
神経心理学的リハビリテーション(以下リハ)は,認知,感情,行動に障害がある者が,心理学的,社会的,余暇,職業,生活に関する各機能の分野で,もてる能力を最大限に発揮できるようにすることに関与するものである.本書では,リハにおいて全人的アプローチが最も有効であると考えている人達が追究している近年のリハ訓練について述べていく.われわれは,リハにおける全人的アプローチを,認知,感情,行動がダイナミックに相互に絡み合う事実を認識することであると定義する.脳損傷のリハにおいては,多職種連携(interdisciplinary)チームによって,これらの機能すべてに連続的に対応がなされ統合されていく必要がある.
われわれは,リハには,多領域での枠組み,理論,モデルを含む,幅広い理論的な基盤が必要であると確信している.1つの理論モデルに縛られることは,意義のある臨床実践へつながらない可能性がある.リハにおけるこれまでの主だった理論を検討し,過去20年以上にわたるリハの変化について論じていく.本書の目的は,脳損傷者が自身や家族が最も価値があると決めたゴール達成の支援のための実践的なアプローチを示していくことである.
本書は4部で構成されている.
第1部では,神経心理学的リハの背景とその基本的な原理について振り返る.その内容には,英国ケンブリッジ州のElyにある施設であるthe Oliver Zangwill Centre for Neuropsychological Rehabilitation(OZC)の全人的プログラムの概要も含まれる.このプログラムは,米国のYehuda Ben-YishayやGeorge Prigatano,デンマークのAnne-Lise Christensenの実践に影響を受け,グループ訓練と個別訓練とを併せもち,後天性非進行性の脳損傷を被った者が直面する認知,感情,社会的な問題に対処していくものである.
第2部では,OZCで実施されているさまざまなグループ訓練「グループ」について述べ,これらのグループセッションの構造を説明する.最も教育的なグループ(脳損傷理解グループ),認知の問題をそれぞれに扱うグループ(注意とゴールマネージメントグループ,記憶グループ),ソーシャルスキル(コミュニケーショングループ),感情に関する脳損傷症状(感情マネージメントグループ),家族との協働作業,スキルやストラテジーを一緒に使用することを要するグループ(プロジェクトグループ,ニュースレターグループ,就労および自立生活のためのグループ,心理サポートグループ)について解説される.
第3部では,9例の詳細なケース報告を挙げ,第1部で概説した原理が実際にどう適用されているのかを示す.前半の6例は,集中的な全人的プログラムがもつさまざまな側面を示す目的で選んだ.後半の3例は,集中的プログラムに適応するには難しい症状をもつ者との関わりについて述べている.
第4部は,OZCのさまざまな転帰の測定に関する部分であり,臨床的な効果,研究成果や教育が含まれる.われわれは,包括的全人的リハプログラムの効果測定に関して実施されてきた試みについて論じる.特にKeith CiceroneやJames Malec達の実践には影響を受けてきた.
神経心理学的リハは,多職種がただ参加する(multidisciplinary)だけではなく,多職種が相互に関係する(interdisciplinary)ものなので,本書は多くの支援機関の専門家達に役立つと思う.主な読者は,臨床神経心理士,臨床心理士,言語聴覚士,作業療法士,精神科医,神経科医,理学療法士,ソーシャルワーカー,看護師であろう.その他の人々も本書に興味を見いだすことができ,特に脳損傷者の家族,脳損傷者自身,一般臨床医や学校教師にはその可能性がある.
Barbara A.Wilson
訳者・著者一覧……ii
原著者一覧……v
監訳者の序……x
推薦の序……xi
序……xii
第1部 背景と理論
第1章 神経心理学的リハビリテーションの包括的なモデル……2
第2章 神経心理学的リハビリテーションの効果についてのエビデンス……20
第3章 神経心理学的リハビリテーションを計画し評価する方法としてのゴール設定……34
第4章 OZCにおける神経心理学的リハビリテーションアプローチ……44
第2部 グループセッション
第5章 脳損傷理解(UBI)グループ……66
第6章 認知グループ Part 1:注意とゴールマネージメント……77
第7章 認知グループ Part 2:記憶……94
第8章 感情マネージメントグループ……108
第9章 心理サポートグループ……119
第10章 神経心理学的リハビリテーションにおける家族との協働……135
第11章 コミュニケーショングループ……152
第12章 実践に根ざしたプロジェクトグループ……159
第3部 症例
第13章 ピーター
脳血管障害を合併した重度脳損傷例のリハビリテーション……176
第14章 ローナ
全人的リハビリテーションにおける言語,計算,学習モデルの応用―失語・失算から料理と旅行の自立へ……193
第15章 カロライン
外傷性脳損傷後の外傷後ストレス障害の治療……213
第16章 ユースフと「仕事と生活のための新しいルール」
痛み,疲労,不安,衝動性に対処した多職種連携による職業リハビリテーション……222
第17章 ジュディス
「ためらいなく実行する」ことの学習―意味と結びついた機能的活動における「意味づけ」を検討し,変化させるための行動実験……239
第18章 サイモン
脳損傷と家族―リハビリテーション過程での子ども,家族,および拡張システムの包含……254
第19章 アダム
重度の失語症と失行症をもつクライエントのリハビリテーションにおける,地域への治療環境の拡大……272
第20章 マルコム
バリント症候群の影響と地誌的見当識障害への対処……282
第21章 ケイト
数カ月間にわたり反応がなかった若い女性の,認知機能回復と感情の治療の軌跡……294
第4部 転帰
第22章 当センターのアプローチは有効か? OZCにおける転帰の評価……310
第5部 日本において
第23章 日本で考える神経心理学的リハビリテーション……326
索引……339
原著者一覧……v
監訳者の序……x
推薦の序……xi
序……xii
第1部 背景と理論
第1章 神経心理学的リハビリテーションの包括的なモデル……2
第2章 神経心理学的リハビリテーションの効果についてのエビデンス……20
第3章 神経心理学的リハビリテーションを計画し評価する方法としてのゴール設定……34
第4章 OZCにおける神経心理学的リハビリテーションアプローチ……44
第2部 グループセッション
第5章 脳損傷理解(UBI)グループ……66
第6章 認知グループ Part 1:注意とゴールマネージメント……77
第7章 認知グループ Part 2:記憶……94
第8章 感情マネージメントグループ……108
第9章 心理サポートグループ……119
第10章 神経心理学的リハビリテーションにおける家族との協働……135
第11章 コミュニケーショングループ……152
第12章 実践に根ざしたプロジェクトグループ……159
第3部 症例
第13章 ピーター
脳血管障害を合併した重度脳損傷例のリハビリテーション……176
第14章 ローナ
全人的リハビリテーションにおける言語,計算,学習モデルの応用―失語・失算から料理と旅行の自立へ……193
第15章 カロライン
外傷性脳損傷後の外傷後ストレス障害の治療……213
第16章 ユースフと「仕事と生活のための新しいルール」
痛み,疲労,不安,衝動性に対処した多職種連携による職業リハビリテーション……222
第17章 ジュディス
「ためらいなく実行する」ことの学習―意味と結びついた機能的活動における「意味づけ」を検討し,変化させるための行動実験……239
第18章 サイモン
脳損傷と家族―リハビリテーション過程での子ども,家族,および拡張システムの包含……254
第19章 アダム
重度の失語症と失行症をもつクライエントのリハビリテーションにおける,地域への治療環境の拡大……272
第20章 マルコム
バリント症候群の影響と地誌的見当識障害への対処……282
第21章 ケイト
数カ月間にわたり反応がなかった若い女性の,認知機能回復と感情の治療の軌跡……294
第4部 転帰
第22章 当センターのアプローチは有効か? OZCにおける転帰の評価……310
第5部 日本において
第23章 日本で考える神経心理学的リハビリテーション……326
索引……339














