やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


精神状態をテストすることは,患者の診療の中で,異常なとはいわないまでも奇妙な位置を占めている.医学生ならだれでも,長くて詳細な概要か,あるいはみたところ際限のない項目の一覧表を含む,かなり長編の小冊子を与えられた経験をしてきた.これらの縮小版の要綱を苦心して覚え込んだとしても,いずれ彼らが気づくのは,神経学と精神医学の教師たちは詳細な検査にかかわることにへきえきしており,せいぜい断片をあてにしているにすぎないということである.検査そのものが,医学の他の分野の場合と異なっているようにみえる.学生は,虫垂炎の診断には腹直筋の圧痛,あるいは心嚢滲出液には奇脈の直接的な関連性をただちに理解する.しかし精神検査は,診断的カテゴリーとしては,かなり間接的で,散漫な関係しかもっていないようにみえる.同様に,あるいはよりいっそう目立つことは,検査項目と構造的あるいは生理学的障害との間に通常直接的な相関が欠けていることである.起坐呼吸,頸部静脈怒張,肺底部の雑音,心拡大,特徴的心雑音および心房細動はうっ血性心不全を意味するのみでなく,検査時のすべての所見がほとんど無意識的に,努力せずとも,正常な心臓の解剖と生理の知識および疾患にさいして生じうる変化の認識と融合している.検査時の異常所見と解剖および生理との関連性をこのように容易に理解できることが,精神検査の場合欠けているように思われる.
 しかし,この状況が続いてよいわけがない.高次脳機能の障害に関する知識の発達は,この四半世紀に急速になし遂げられてきた.相異なる種々の行動に関与している解剖学的システムを明確化するわれわれの能力が増大しただけでなく,さらにより重要なことは,機能障害の根底にあるメカニズムをより深く理解しうるようになったことである.
 したがって,この本は貴重な総合的な体系化のひとつの現れである.注意深い読者には,本書はきわめて有益なものとなるであろう.本書は,臨床の場において価値を明らかにされた検査法に強調点を移しているだけでなく,できるかぎり多くの場所で既知の解剖学的・生理学的メカニズムとの結びつきを提供している.
 いくつかあるまとめの論述は当を得たものである.通常は口に出されないが,しばしばあからさまに述べられることとして,精神検査は長くてめんどうな仕事であるという見解がある.ほとんどの医師は,時間を要する心臓,肺,腹部およびその他の身体各部の「完全な」検査も,検査を熟知していて経験を重ねると非常に短時間で必要な情報が得られるようになることを学んできた.同様に,精神検査を学び,それを実地に行ってきた者は,死活の重要性をもつ情報を,必要なときに,ただちに,効果的に得ることが上手にできることが多い.もうひとつの一般的見解として,精神検査は他人にまかせればよいというものがある.しかし,医師の有用さの真の尺度は,深夜ひとりきりで患者と対して重大な決断をなしうる能力にあることを思い起こすべきである.さらに,医師が患者を正しく診断して選別することができないかぎり,他者に適切な紹介をすることはできないであろう.最後に,最終的決断がその手にまかされていても,患者の問題のすべての面に関する基本的理解がなければ,コンサルタントの意見を正しく利用することはできないであろう.この本の中で述べられている精神検査のより新しい知識は,神経内科医や精神科医にとってのみならず,すべての医師にとって必須のものである.
 Norman Geschwind,M.D.
 James Jackson Putnam Professor of Neurology
 Harvard Medical School
 1977

第4版のはしがき
 本書の基本的目的と趣旨は,1977年の初版以来変わりはない.この間に著者らは高次脳機能検査についてさらに数多くの臨床経験を積み重ね,各章の検査の多くの部分を標準化してきた.この標準化した項目のいくつかについて,正規の神経心理学テストから得られた客観的成績と比較した.これらの比較は非常にやりがいのあるもので,この高次脳機能検査法が器質性脳疾患を検出し,診断し,さらには機能の相対的レベルを記述するためにも正確で有効な方法であることが証明された.年齢対比の正常値は,この検査のほとんどの項目で示されている.これらの成績が重要なのは,いくつかの重要な項目,とくに新しい学習に関して,70歳以上の高齢患者は若年患者より成績が劣っていたからである.高齢者の初期認知症(痴呆)に関する評価では,このことを考慮することが大切である.偽陽性が生じうるので,偽陽性を最小限にせねばならない.第1版では,この本を読んだ通りに使用すれば簡易スクリーニング検査を施行できるようになることを保証した.しかし短時間で施行するために検査を取捨選択する目的で,より具体的な手引きを提供することが必要と感じられてきた.そこで,この版のまとめの章では,スクリーニング法として,きわめて重要な領域である認知症(痴呆)の診断と,器質性および機能性疾患の鑑別のための検査の利用方法をいくつか含めることとした.この検査法の短縮版では,年齢群ごとの正常値とアルツハイマー病患者のための標準化を提示した.すべての章で,文献を今日の水準に合わせて更新した.とりわけ,新しい研究により,認識機能に関する神経解剖学的および神経心理学的側面から書き改められた章では,文献を充実させた.神経心理学的テストに関する付録1は十分に改訂し,最も広く用いられているテストの吟味を含め,一般的には使用されなくなっているいくつかのテストを削除した.それにより,この付録を医師とその他の保健介護の提供者および心理士にとって,より臨床的に適切なものとした. 全体的には,以前の版はまずまずで,広く臨床的に用いるうえで価値が証明されたものと思っている.さらに各改訂ごとに,この検査のやり方と臨床的有用性について更新し改良するようにしてきた.このテキストが学生やレジデントや専門家にとって役立ったように,神経行動に興味をいだく人びとにも役立つことを願うものである.
 RL.Strub,MD
 F.W.Black,PhD
 ニューオーリンズ,LA

第3版のはしがき
 本書の基本的目的と趣旨は,1977年の初版以来変わりはない.この間に著者らは高次脳機能検査についてさらに数多くの臨床経験を積み重ね,この検査の多くの部分を標準化してきた.この標準化した項目のいくつかは,正規の神経心理学テストから得られた客観的成績と比較した.これらの比較は非常にやりがいのあるもので,この高次脳機能検査法が器質性脳疾患を検出し,診断し,さらには機能の相対的レベルを記述するためにも正確で有効な方法であることが証明された.年齢対比の正常値は,この検査のほとんどの項目で示されている.これらの成績が重要なのは,いくつかの重要な項目,とくに新しい学習に関して,70歳以上の老年患者は若年患者より成績が劣っていたからである.老年者の初期痴呆に関する評価では,このことを考慮することが大切である.偽陽性が生じうるので,偽陽性を最小限にせねばならない.
 第1版では,この本を読んだ通りに使用すれば簡易スクリーニング検査を施行できるようになることを保証した.しかし短時間で施行するために検査を取捨選択する目的で,より具体的な手引きを提供することが必要と感じてきた.そこで,この版の第10章検査のまとめでは,スクリーニング法として,きわめて重要な領域である痴呆の診断と,器質性および機能性疾患の鑑別のための検査の利用方法をいくつか含めた.この検査法の短縮版では,年齢群ごとの正常値とアルツハイマー病患者のための標準化を示した.
 すべての章で,文献を今日の水準に合わせた.とりわけ,新しい研究により,認識機能に関する神経解剖学的および神経心理学的側面から書き改められた章では,文献を充実させた.神経心理学的テストに関する付録1は十分に改訂し,最も広く用いられているテストの吟味を含め,一般的には使用されなくなっているいくつかのテストを削除した.それにより,この付録を医師と心理士にとって,より臨床的に関係深いものとした.
 全体的には,以前の版はまずまずで,広く臨床的に用いるうえで価値が証明されたものと思っている.しかし,この第3版はさらに優れたものである.つまり,この検査法を改良し,標準化したからである.このテキストが学生やレジデントや専門家にとって役立ったように,神経行動に興味を抱く人びとにも役立つことを願うものである.
 R.L.Strub,MD
 F.W.Black,PhD

第2版のはしがき
 この本の基本的目的と趣旨は,1977年の初版以来変わりはない.この間に,われわれは高次脳機能検査について,さらに数多くの臨床経験を積み,検査のある部分を標準化してきた.標準化された項目は正式の神経心理学テストから得られる客観的成績と比較された.これらの比較のおかげで,高次脳機能検査は器質性脳疾患を同定,診断し,かつ相対的な機能水準を記載するために正確で有効な方法であることが証明された.
 今回の改訂では,行動観察と,うつ病・痴呆・仮性痴呆の鑑別診断上の問題を取り扱う章について精力的に書き改めた.本来的には精神科的症候に属するような広範の項目を含めることはこの本の目的としていない.器質性脳疾患における認識機能の変化や,より劇的な人格変化を主に取り扱っている.純粋な精神科的視点からは,既刊の書物や文献で十分に論じられてきている.
 初版では,この本を読んで使用すれば簡易スクリーニング検査を施行できるようになることを保証した.しかし,短時間で施行するために検査を取捨選択する目的で,より具体的な手引きを提供することが必要と感じてきた.したがって,この第2版のまとめの章では,スクリーニング法として,きわめて重要な領域である痴呆の診断と,器質性および機能性疾患の鑑別のための検査の利用方法をいくつか含めた.
 文献に関してはすべての章で今日の知見に即して数を増やした.とりわけ,新しい研究により,認識機能の神経解剖学的および神経心理学的側面から改められた章では文献を充実させた.神経心理学的なテストに関する章は十分に改訂し,最も広く用いられているテストの吟味を含め,一般的には使用されなくなっているいくつかのテストを除いた.それにより,この章を医師と心理士の両者にとって,より臨床的に関係深いものとした.
 全体的には,初版はまずまずで,広く臨床的に用いるうえで価値が証明されたが,この第2版はさらにすぐれたものと思っている.つまり,検査を改良したことにより,初版で生じた疑問に答えようとしているからである.この教科書が学生や研修医や専門家にとって役立ったように,神経行動に興味のある人びとにも有用であることを願うものである.
 R.L.Strub,MD
 F.W.Black,PhD

第1版のはしがき
 この本の第1の目的は,体系的で総合的な精神状態検査を読者の身近なものとすることにある.検査の各側面を如何に実施し解釈するかに関して,詳細な情報が提供されており,必要に応じて,検査法や解釈において起こりがちな落とし穴が指摘されている.この本の原理と内容を理解し,ある期間の臨床経験を積めば,神経状態の本質的側面について,短時間(15分)で,かつ体系的な検査を施行しうるようになり,また,すべての関連した行動因子について,より詳細な総合的評価を遂行しうるようになるであろう.第2の大きな目的は,初期評価の間に臨床家が精神状態検査の成績を用いて器質性脳疾患の患者を同定したり,多くの場合は,さらに特異的な臨床的および神経解剖学的診断を下すさいの手助けをすることにある.これらの検査成績から,より特異的で,しばしばより効率的な神経診断学的検査の必要性と計画がまとまることもあろう.第3の目的は,検査に対して,患者の認識面と情動面における障害のみでなく,残存能力についても的確に記述し伝えることを教えることにある.このように,患者の現在の機能状態のサマリーをつくることにより,臨床家はより適切に患者を管理することができ,患者と患者の家族が社会的および職業的再適応について計画するのを助けることができよう.
 R.L.Strub
 F.W.Black

第4版の訳者序
 本書は1977年の初版以来,失語,失行,失認,健忘といった高次脳機能障害を取り扱う神経心理学評価の入門書として版を重ね,学生や研修医,さらに神経行動学的障害の医療に携わるすべての人びとに役立つ教科書として高い評価を受けてきた.米国では神経学の必読書(essential reading)のひとつにあげられるほどである.さらに第4版では,保健医療におけるニーズの拡大に応えて実用書としての側面も一層充実され,ベッドサイドで使用するためのポケットカード(携帯用検査一覧)が付録として追加された.
 20世紀後半における神経科学の研究は分子,細胞,組織,行動の4つの観点から展開され,急速に知識が集積されるようになった.とくに脳に対する関心の高まりは著しく,21世紀の科学は脳の時代とみなされるほどになった.わが国でも,認識とか随意運動という実態不明な用語を避けていた生理学者による外界の認識や運動パターンの形成といった脳の働きの中でも比較的高次の働きに取り組む活動が活発化した.認識は伝統的に心理学の領域である.こうした神経科学の展開と並行して臨床サービスにおいても,19世紀に盛んに論じられた認識や行為の障害,すなわち失語,失行,失認に対する関心が再燃した.連合と離断を重視したWernickeの有名な論文のタイトルは“Der aphasische Symtomcomplex:Eine psychologische Studie auf anatomischer Basis(失語症状群:解剖学的基礎に基づく心理学的研究)”であり,心理学は,神経心理学,認識(認知)心理学,行動心理学へと分化し,イマニエル・カントの見解に反して自然科学として認知されるに至っている.
 高次脳機能と精神機能とは実態がほとんど重なる.本書の日本語表題として「高次脳機能検査法―失行・失認・失語の本態と診断―」を示唆したのは,訳者の恩師で出版社への口利きと初版の監訳をお引き受けくださった上田敏先生である.「精神状態の神経学検査法」では,これほどまでに読者の関心を引くことはなかっただろう.表題とは異なり,中身は意訳を避け,直訳・逐語訳に徹しているので,必ずしも読みやすいものとはいえない.言語は高次脳機能の代表であり,そのメカニズムは不詳のままである.あえて拙訳を世に出したのは,きわめて難解な領域を扱う本書の性格にふさわしいとの開き直りでもあった.
 初版以来の本書の展開を通覧して特筆すべきことは,実証的研究を追加して信頼性や妥当性といった精神計測の道具として一定の効力を主張できる認知症(痴呆)のための検査法(MSE:mental status examination)を提示したことである.アルツハイマー病への治療(トリートメント)介入を計画し実施するためにきわめて有用である.MMSEやHDSRとは本質的に異なる検査法である.また,質量ともに急増した神経心理学領域での臨床研究のレビューを背景に参考文献が更新されているので,過去の版と対比することで別の興味をもって読むこともできる.本書の内容が,学生や研修医だけでなく高次脳機能障害の診療と研究に携わる専門家にも有用なテキストであることを確信している.
 2005年8月
 江藤 文夫

第3版の訳者序
 本書は失語,失行,失認,痴呆といった高次脳機能障害を取り扱う神経心理学評価の入門書であり,学生や研修医,さらに神経行動学的障害の医療に携わるすべての人びとに役立つ教科書である.初版の出版以来すでに18年を経過しているが,急速に拡大するこの領域の最新知見に合わせて2回の改訂が行われた.今回の版は実用書としての側面を充実させたことと,リハビリテーションを指向してソーシャルワーカーの項が付加されたことが特徴である.
 目次だての基本構成は初版以来同様である.高次脳機能のある程度の階層性と評価手順の能率を反映させたもので,病歴聴取と行動観察に始まり,意識水準,注意,言語,記憶,構成能力,さらに高次認識機能といった順に配列されている.この間に,入門書としての人気は高まったが,さらに高次脳機能障害,とくに痴呆のスクリーニング評価法として臨床的実用面での内容が充実されている.
 本書が広く読まれたことで欠陥も指摘されたが,著者らがそれに応えて実践を蓄積した結果,多くのテストで年齢階層別基準値とアルツハイマー病患者の成績が追加された.また,著者らも述べている通り,この高次脳機能検査法を短時間で施行するためには,検査を取捨選択する目的で,より具体的な手引きの必要性が感じられた.このことは,アルツハイマー病を対象とした高次脳機能検査法の短縮版を生み出すこととなり,第2版で訳者が非才にもかかわらず紹介した訳者注は不要のものとなった.
 これらの改訂努力は,この20年間にさまざまな神経心理学評価法が次々と紹介されるようになったことを反映したものであり,本書の付録にある標準的な心理学的テストは質量的に大幅に改訂された.そこでは文献数も30%増加している.しかし,今日的意義の乏しいと判断されたテスト法は省略されたことにより本書の頁数増加はわずかにとどまっている.
 デカルトにより幕の明けられた西洋近世哲学の主要関心事が認識であったことは,近代科学の発展に伴い20世紀後半に入り,コンピュータ科学の誕生に合わせて心理学を科学として確立させつつあることを必然と感じさせる.いまだ錯覚の時代にあるのかもしれないが,ヘルムホルツの神経伝導実験以来,心理学的領域における経験的データにも数学的法則を適用できると言えるようになった.
 精神を扱う臨床医学において,科学の体系を確立させつつある心理学を大幅に導入し始めたのも20世紀後半である.いささか大げさな序文となったが,本書はこうした流れの中で生まれた貴重な産物とみなすことができる.初版と比較して興味深いことは,実用手段として各領域の評価法に要求されたことは統計学的信頼性と妥当性の問題であり,基準値の提示である.こうした問題が初版時にどれだけ意識されていたかは疑問である.しかし,この改訂版により本書の実用書としての価値が一層高まったことは事実である.これまで以上に広く読まれ,利用されることを祈念するものである.
 1995年5月
 江藤 文夫

第2版の訳者序
 老年者や障害者の臨床では,精神神経学的障害の評価と管理は一般的な問題であるが,多くの医師にとっては最も煩わしいもののひとつでもある.痴呆は,決して稀なものではない.その用語が,特異的疾患の診断名としてではなく症候群の記述のために用いられることが一般的になり,治療可能な痴呆が論じられるようになった今日,痴呆は精神科医のみの対象ではなくなっている.痴呆の診断には,その主要症状としての,記憶障害,失語,失行,失認などの高次脳機能障害に対する理解が不可欠である.
 高齢人口の増加が医学的にも社会的にも重大問題として認識された時期に偶然一致して,1960年代より脳の解明を目標とした神経科学の研究プログラムが多面的に展開された.その戦略は,脳の機能局在と神経回路網原理の解明にあるとされる.その成果のひとつとして1970年代に生まれたのが,脳の機能局在に関する知見が概説された本書であると言えよう.本書は,神経心理学の入門書としても好評を博したようである.しかし,大脳病理学の領域には歴史的に数多くの定評のある専門書を有することから,本書に対する批判も少なくなかったようでもある.そのなかで著者が意を注いだ点は各テストの妥当性と信頼性の問題にあり,独自のテストに関しては標準化への努力が払われている.また,痴呆を論じる場合,精神科領域から機能性精神病,とくにうつ病に関する記述を欠いたことも反省されている.その結果がこの改訂版に反映され,さらに各章末の文献も充実し,入門書としての価値を高めている.
 訳者が自己の能力も顧みず本書の翻訳を試みたのは,リハビリテーション医学や老年医学が,包括的医療により疾患のみでなく病気にかかっている「人間」の治療管理をめざす領域であり,単に鑑別診断における興味よりは,治療計画と経過観察の指標としての評価法に,より関心を有するからである.従来の成書の多くは,まさに大脳病理学であって日常的な実用面に不満が大であったが,本書は実用的な検査法をめざしたものであり,極めて有用である.
 第2版は,より多くの読者対象を満足させるために内容を充実させたが,そのためテスト項目はやや煩雑となり,著者が保証する15分間での施行は困難である.一方,神経心理学の入門書としては,より充実して,今日入手しうる最善のもののひとつにあげられよう.したがって,医学生や研修医の教科書としてはもちろん,神経行動学的障害にかかわるすべての人びとの役に立つものと思う.
 ご多忙中のところを本書の第1版ではご監訳を,また第2版でも多大なご援助とご指導をいただいた,東大リハビリテーション部上田敏教授に深謝する.
 1987年3月
 江藤 文夫

第1版監訳のことば
 リハビリテーション医学や神経内科の臨床において,患者の高次脳機能の診断はきわめて重要である.とくにリハビリテーション医学ではその医学的な方法論の歴史的な発展段階を反映して,いまや第1の「整形外科的アプローチ(末梢運動器の障害に対応する方法論)」,第2の「神経学的アプローチ(中枢性運動障害に対応する方法論)」に加えて,第3の「高次脳機能障害学的アプローチ」が不可欠なものとなってきている.これは「リハビリテーション」という理念がしばしば誤解さられるように,手足の運動障害に対する機能回復訓練を意味するものではなく,本来,「権利・名誉・資格の回復」,すなわち「人間らしく生きる権利の回復」の意味であるということからくる当然の要請である.すなわち,リハビリテーションにおいては(本来はあらゆる医療において当然そうあるべきものであるが),対象とする患者・障害者のもつ問題を全面的に診断・把握しなければならないからである.現実にリハビリテーションの場で,失語症・失行症・失認症などの要素的な高次脳機能障害,さらには痴呆といった全般的な障害が社会復帰上の最大の問題となることも少なくない.
 しかし一方で,このような高次脳機能診断の重要さにくらべ,その診断技術の習得は必ずしも容易でない.その他の神経学的診断法や,リハビリテーション医学における運動障害の診断・評価のように標準化され,よい意味で単純化されたテストの多い分野にくらべ,この分野では,対象が複雑多岐にわたるためもあるが,従来の診断学書は精密にすぎてペダンチックなまでに至ったり,逆にあまりに簡略にすぎたりするものがほとんどで,医師にとって信頼できる過不足のない入門書がなかったのが実情であった.Geschwindの序文にみる限りでは,欧米においても事情はほとんど同じだったようである.
 StrubとBlackによる本書は,この点で現状ではほぼ理想に近いものといえる.著者たちがいうように,習熟すれば約15分間で施行でき,しかも病巣部位の推定にまで至りうるような基本的な精神機能診断法であり,同時に高次脳機能障害全般に関する手頃な入門書にもなっている.入門書としての性質上当然の制約はあるが,それは各章末の豊富な文献によって補うことができよう.
 訳者の江藤文夫氏は,内科,神経内科,老年医学を学びつつ,リハビリテーション医学にも長年携わってきた中堅の医師であり,本書の訳者としてもっとも適した人といってもよいであろう.本書が,このような障害をもつ人びとのトータル・ケアに携わる医師,その他の人びとに役立つことを祈るものである.
 1981年1月
 上田 敏

第1版の訳者序
 慢性障害の治療と長期的管理には,医師と看護婦以外にも,多数の関連職種の果たす役割が大である.その目指すところは,もし永続的障害が残存するとしても,人間としての生活を可能な限り回復することである.それは,病気にかかっている「人間」を治療することであり,しばしば患者のみでなく家族や患者の生活する環境や職場に対する配慮が含まれる.リハビリテーション医学は,こうした治療体系の代表的なものである.また,こうした病気の代表的なものは神経系疾患であろう.
 痴呆は,老年者の臨床ではありふれたものでありながら,学生時代にはその定義すら満足に教育される機会の乏しいものである.ヒトの高次脳機能全般にわたる障害であるから,未知の問題が多すぎることも事実である.脳血管障害や脳腫瘍などでは,高次脳機能に属するさまざまの障害がしばしばみられる.こうした患者に出会ったとき,「この障害を克服するために何かできないものか」という願いは自然なものである.そして,治療の対象として取り上げられたとき,失語症を代表として,欧米で近年多くの知見が得られ,集積されてきた.いくつかの高次脳機能障害の根底にあるメカニズムに対しても,かなりの理解が可能になっている.
 本書が単なる検査法についての解説書でなく,こうした知見に基づく体系化の現われであることは,Geschwindの序のとおりである.また,検査や評価は治療計画を立案するために有用なものでなければならない.「完全治」の困難な慢性障害についても定期的に評価を反復することは必要で,それは患者や家族に対して治療方針について納得のいく説明を可能にするために有用なものでなければならない.本書は,この目的にかなったものである.したがって,医師のみでなく,神経疾患のリハビリテーションに携わる職種すべてにとって有用な書となっている.また.医学生にとっては,失認,失行,失語に関する数少ない教科書の一つとしての役に立つものである.
 ここで訳書を刊行する最大の難点は拙訳に尽きると思われる.用語に関する問題など,弁解したくなる点もないではないが,監訳者の目の届かない範囲で過ぎてしまった難解な日本語表現は,ひとえに訳者の責任と感ずる次第である.一方,目次や小見出しの項目などを詳細にしたことは,原書よりもいっそう実用性を高めている.これらは出版社担当諸氏のご配慮によるものであり,謝意を表したい.
 1981年1月
 江藤 文夫
 ・序(Norman Geschwind)
 ・第4版のはしがき(R.L.Strub,F.W.Black)
 ・第3版のはしがき(R.L.Strub,F.W.Black)
 ・第2版のはしがき(R.L.Strub,F.W.Black)
 ・第1版のはしがき(R.L.Strub,F.W.Black)
 ・第4版の訳者序(江藤文夫)
 ・第3版の訳者序(江藤文夫)
 ・第2版の訳者序(江藤文夫)
 ・第1版監訳のことば(上田 敏)
 ・第1版の訳者序(江藤文夫)
第1章 高次脳機能検査:理論と概要
 1 どのような時に高次脳機能検査を実施するか
  1)既知の脳病変
  2)脳病変が疑われる
  3)精神科患者
  4)あいまいな行動学的な訴え
 2 どのようにして高次脳機能検査を実施するか
 ・参考文献
第2章 病歴と行動観察
 1 病歴
  1)病歴の概要
 2 行動の観察
  1)身体的外見
  2)気分および全般的情動状態
  3)臨床的症候群
   (1)急性錯乱状態(せん妄)
   (2)前頭葉症候群
   (3)否認と無視
   (4)感情鈍麻対抑うつあるいは異常気質(気分変調)
 3 まとめ
 ・参考文献
第3章 意識水準
 1 定義と評価
 2 解剖と臨床的意味づけ
 3 まとめ
 ・参考文献
第4章 注意
 1 評価
  1)観察
  2)病歴
  3)数字の復唱
  4)持続的注意
  5)一側性不注意
 2 解剖と臨床的意味づけ
 3 まとめ
 ・参考文献
第5章 言語
 1 定義
 2 評価
  1)利き手
  2)自発言語
   (1)言語産生の誘導
   (2)自発言語の観察
   (3)失語性言語のタイプ
  3)発語の流暢性
  4)理解
  5)復唱
  6)呼称と喚語
  7)読むこと
  8)書字
  9)つづり
 3 臨床的意味づけ
  1)大脳優位性
  2)失語症候群
   (1)全失語
   (2)ブローカ失語
   (3)ウェルニッケ失語
   (4)伝導失語
   (5)超皮質性失語
   (6)失名詞失語
   (7)皮質下失語
   (8)左利き者(非右利き者)の失語症
   (9)交叉性失語
   (10)アルツハイマー病の言語
   (11)進行性失語症
  3)純粋語聾
  4)構音の障害
   (1)構音障害
   (2)頬顔面失行
   (3)流暢障害
  5)失読
  6)失書
  7)精神病性言語(異様な言語表出)
  8)非器質性言語障害
 4 まとめ
 ・参考文献
第6章 記憶
 1 用語
 2 評価
  1)即時想起(短期記憶)
  2)見当識(近時記憶)
  3)遠隔記憶
  4)新たな学習能力
   (1)4個の無関連語
   (2)即時想起のための物語
   (3)視覚性記憶(隠された品物)
   (4)関連対語の学習
 3 臨床的解釈
  1)即時想起
  2)近時記憶(最近の記憶)
  3)遠隔記憶
  4)機能性記憶障害
 4 まとめ
 ・参考文献
第7章 構成能力
 1 評価
  1)構成能力テストの選択
   (1)再生描画
   (2)口頭命令による描画
   (3)積み木図案
  2)テスト成績の解釈
 2 解剖
 3 臨床的意味づけ
  1)病変の局在
  2)皮質疾患の同定
  3)成熟の評価
 4 まとめ
 ・参考文献
第8章 高次認知機能
 1 評価
  1)情報の蓄積
  2)計算
   (1)口頭での演算例
   (2)口頭での複雑な例題
   (3)筆算による複雑な例題
  3)格言の解釈
  4)類似性
  5)洞察と判断
 2 解剖
 3 臨床的意味づけ
 4 まとめ
 ・参考文献
第9章 関連認知機能
 1  失行
  1)観念運動失行
   (1)評価
   (2)臨床的意味づけ
  2)観念失行
   (1)評価
   (2)臨床的意味づけ
 2 皮質下認知障害
 3 左右失見当識
   (1)評価
   (2)臨床的意味づけ
 4 手指失認
   (1)評価
   (2)臨床的意味づけ
 5 ゲルストマン症候群
 6 視覚失認
 7 立体失認
 8 地誌的失見当識
   (1)評価
   (2)臨床的意味づけ
 9 まとめ
 ・参考文献
第10章 検査のまとめ
 1 アルツハイマー病
 2 急性錯乱状態
 3 優位半球病変
 4 劣位半球病変
 5 AIDS認知症(痴呆)
 6 テスト結果の記録,要約録,解釈
 7 まとめ
 ・参考文献
第11章 より詳しい評価のために
 1 神経心理学
  1)対象
  2)神経心理学的評価の利点
   (1)カテゴリー分類
   (2)局在
   (3)記述
   (4)予後と助言
   (5)神経心理学的評価の構成
 2 言語病理学
  1)対象
 3 精神科
  1)対象
 4 ソーシャルワーク
 5 認知リハビリテーション
 6 まとめ
 ・参考文献

付録1 標準的な神経心理学評価法
 1 固定したバッテリー対任意アセスメント手法
 2 包括的な固定バッテリー
  1)Halstead-Reitanバッテリー
  2)Luria-Nebraska神経心理学バッテリー(LNNB)
 3 固定および任意バッテリーでよく使用されるテスト
  1)Luriaの神経心理学検査法
  2)全般的認知機能のテスト
  3)病前知的機能の計測
  4)注意と覚識のテスト
   (1)数字の復唱
   (2)覚識に関する無作為文字“A”テスト
   (3)文字と符号の抹消テスト
   (4)定速聴覚連続加算テスト
  5)言語機能のテスト
   (1)Peabody絵画語彙テスト―第3版
   (2)トークンテスト
   (3)Boston呼称テスト
   (4)発語流暢性テスト
   (5)総合的失語バッテリー
  6)記憶のテスト
   (1)Wechsler記憶尺度―第3版(WMS-III)
   (2)記憶アセスメント尺度
   (3)Rey聴覚言語性学習テスト;カリフォルニア聴覚言語性学習テスト
   (4)Benton視覚記銘テスト;図案の記憶テスト
  7)抽象化および高次認知機能のテスト
   (1)カテゴリーテスト
   (2)Wisconsinカード分類テスト
   (3)Raven累進マトリックス
  8)感覚―知覚機能テスト
   (1)Seashoreリズムテスト
   (2)言語音知覚テスト
   (3)触覚知覚テスト
   (4)視知覚テスト
  9)構成能力のテスト
   (1)Benderゲシュタルトテスト
   (2)Raven累進マトリックス
   (3)Benton視覚記銘テスト
   (4)Hooper視覚編成テスト
  10)視覚運動シークエンスのテスト
   (1)線引きテスト
   (2)数字符号様式テスト
  11)運動の協調性と筋力に関するテスト
   (1)指-タッピングテスト
   (2)針みぞペグボード
   (3)握力計(握力)
  12)学業成績テスト
   (1)広域学力テスト―第3版
   (2)Woodcock-Johnson心理教育バッテリー―改訂版:学力テスト
  13)人格テスト
   (1)ミネソタ多相性人格票
   (2)その他の人格検査用具
  ・参考文献
付録2 高次脳機能検査法 記録票

 ・和文索引
 ・欧文索引
 ・ポケットカード「高次脳機能検査」巻末