やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

巻頭言

 筑波大学臨床医学系内科 山田信博

 現代の疾病構造をみると,社会環境の変化や長寿社会の到来とともに血管病変を主体とする動脈硬化性疾患が急速に増加しており,とくに虚血性心疾患などの血管病変を主体とする循環器疾患は今後ますます増加することが予想される.動脈硬化性疾患は加齢とともに発症してくるが,その基礎には遺伝的素因,および環境要因が重要であることはいうまでもない.この遺伝的素因と環境要因により,動脈硬化症自体および動脈硬化症を惹起する基礎病態である高脂血症,高血圧,糖尿病,肥満症は発症する.
 先進諸国のなかでも,日本人の代謝病態は急激な変化を示している.低カロリー,低脂肪,高食塩の時代から,欧米型の高カロリー,高脂肪の時代になり,さらに運動量の低下も加わり,体内のエネルギー収支のアンバランスによるエネルギー蓄積病態からインスリン抵抗性を形成している.エネルギー蓄積病態あるいはインスリン抵抗性病態では,それぞれの危険因子は重症ではない場合においても,重積することにより,従来と比較して急速にコレステロールに富む不安定な動脈硬化プラークを形成することになる.ここにさらに血栓形成要因,循環動態の不安定要因,炎症惹起要因,酸化ストレスなどが重なることによりプラークの破綻を生じ,生命やQOLを脅かす脳血管障害や虚血性心疾患に至ると考えられる.生活習慣の欧米化は,ますますこの多様な代謝異常を重症かつ重積化させて動脈硬化症を増加させるのみならず,若年化させているのが現状である.動脈硬化症を研究するさいには血管壁自体の病態生理に関する研究と同時に,これら基礎病態についても十分に考慮する必要がある.
 動脈硬化症の成因論として反応障害説が知られているが,これは血管壁における障害に反応してPDGFなどの生理活性物質が放出され,血管壁構成細胞の病的反応を惹起するという説である.動脈硬化症の形成には,大別して2つの現象が関与している.ひとつは血管壁におけるコレステロールエステルの蓄積であり,ひとつは血管壁における細胞成分の病的反応である.どちらが欠けても動脈硬化症は成立しがたい.したがって,研究もしばしば両者にまたがる場合が多い.動脈硬化巣の構成をみると,コレステロールの蓄積とともに種々の細胞群,内皮細胞,マクロファージ,平滑筋細胞,Tリンパ球が存在している.これらの細胞群は,種々の細胞増殖因子やサイトカイン,血管作動物質を積極的に分泌して,動脈硬化症の発症を促すような種々の危険因子に対応してその調節を行っている.ここに過剰のコレステロールが血管壁に存在すると,コレステロールは血管壁を構成する細胞に貪食され,泡沫細胞を形成し血管壁に沈着するようになる.
 反応障害説において,血管内皮細胞障害やその活性化を惹起するものが種々の危険因子と考えられる.高血圧,耐糖能異常を含む糖尿病,喫煙,高脂血症,感染,酸化ストレスなどである.これらの要因により,内皮細胞が活性化されると,種々の生理活性物質が分泌されると同時に接着分子が発現され,末梢単球が内皮細胞表面に接着する.末梢単球は内皮細胞間隙より内皮下に侵入して,マクロファージへと成熟分化する.泡沫細胞の集合である脂肪線条(fatty streak)の形成に加えて平滑筋細胞の増殖,細胞間マトリックスの増生,血小板凝集などの因子が加わり,粥状動脈硬化プラークを形成する.このプラークの破綻は血栓形成から血管閉塞を生じ,心血管イベントを発症するが,このプラーク形成や破綻の機序に対するアプローチも重要となっている.
 動脈硬化症研究は,血管壁を中心として循環動態までその対象は広範である.血液成分のなかでも血球成分から血漿成分まで多種多様に関与している.たとえば,血球成分では単球,リンパ球,血小板が積極的に関与し,血管壁では内皮細胞,中膜平滑筋細胞,細胞外マトリックスが関与している.血漿成分のなかでは,種々の血漿蛋白や生理活性物質とともに血漿リポ蛋白中のコレステロールが中心的役割を果たしている.そして,それぞれの細胞成分と液性因子はたがいに相互作用を示しており,介在する受容体や接着分子が重要な役割を果たしている.その研究法は,細胞生物学的なアプローチのみならず,生化学的なアプローチ,分子遺伝学的アプローチを駆使する場合が多く,また発生工学的手法を用いて病態モデルを作製することも重要であり,いくつかの動脈硬化病態モデルがすでに動脈硬化研究に利用されている.
 動脈硬化症の進展過程において,多数のサイトカインや増殖因子,NOなどの生理活性物質が作用して,血管壁における細胞機能を調節する.とくに,細胞増殖因子やサイトカインの作用は多方面にわたり,他の因子の機能にも影響するなど,ひとつの作用のみからその作用全体を理解することはできない.正常の生理状態を維持するうえで絶妙な作用のバランスがとられていると同時に,病的状態を是正するために作用する場合,あるいは病的状態をつくりだす場合などを考慮しながら,ひとつひとつの作用を理解すべきである.したがって,動脈硬化症の過程に関与するそれぞれの因子の意義に関しては,ノックアウトマウスなどの病態モデルを用いて動脈硬化症との因果関係について評価しなければならないことが多い.たとえば,高脂血症の動脈硬化症における臨床的意義がアポE欠損マウスにおいて確立されたように,種々の因子に関しても動脈硬化症における役割について臨床家の納得できるエビデンスを提示することが期待される.
 本特集では,動脈硬化症に対してアプローチするさいに知っておきたい血管壁の病態生理,危険因子の病態生理を詳述して,動脈硬化発症の理論的バックグラウンドを理解できるように努めた.また,治療成績の現状や最近のトピックスについても紹介した.病態生理から考えられる治療法は幅広い可能性を有しており,本領域の今後の展開が期待されている.近い将来には血管壁プラークへの直接的なアプローチが開発されることも予想される.分子遺伝学的手法も含めた新しいアプローチの研究成果についても紹介して,本誌が本領域の今後の発展の一助となることを期待している.
巻頭言 山田信博

■動脈硬化発症の分子細胞生物学的メカニズム
 1.動脈硬化の初期病変から心血管イベントへ 齋藤康
 2.動脈硬化における細胞接着分子―血管内皮細胞と血球細胞の相互作用を中心に 久米典昭
 3.マクロファージの浸潤と動脈硬化 橋本茂
 4.内皮細胞のコレステロール代謝と変性リポ蛋白質 安達栄樹・辻本雅文
 5.血管平滑筋細胞の形質変換 倉林正彦・永井良三
 6.サイトカイン・成長因子と動脈硬化 上羽洋人・川上正舒
 7.内皮細胞由来血管弛緩因子―一酸化窒素と血管リモデリング 江頭健輔・北本史朗
 8.Shear stressと動脈硬化 安藤譲二・山本希美子
 9.アポトーシスと動脈硬化 宮下洋・白井厚治
 10.細胞周期と動脈硬化 豊島秀男
 11.リポ蛋白レセプターと動脈硬化 島野仁

■心血管イベントの発生機序
 12.プラークの破綻・安定化とマクロファージ 梶波康二・竹越襄
 13.プラークの破綻・不安定化と血管新生 佐藤靖史
 14.プラークの破綻・安定化と細胞外マトリックス 森聖二郎
 15.内皮細胞の抗血栓活性と急性冠症候群 丸山征郎
 16.PTCAおよびステント後の血管病理 大神正幸・上田真喜子

■リスクファクターとしての高血圧
 17.動脈硬化におけるレニン-アンジオテンシン系 福岡雅浩・他
 18.高血圧モデル動物における動脈硬化 前川寛充・栗原裕基

■リスクファクターとしての内臓脂肪症候群
 19.内臓脂肪蓄積の制御因子 川上康
 20.脂肪細胞の分化と脂質代謝 高橋信之・河田照雄
 21.肥満における動脈硬化発症の分子機構 西田誠・中村正
 22.食欲抑制物質 桜井武
 23.肥満の原因遺伝子 海老原健・他

■その他のリスクファクターと動脈硬化
 24.糖尿病と動脈硬化 小竹英俊・及川真一
 25.喫煙と動脈硬化 石川俊次
 26.エストロゲンと動脈硬化 多田紀夫
 27.感染症と動脈硬化 児玉憲一・柏木厚典
 28.酸化ストレスと動脈硬化 上田之彦
 29.インスリン抵抗性と危険因子重積症候群の遺伝因子 後藤田貴也

■動脈硬化の予防と治療
 30.動脈硬化とライフスタイル 佐々木淳
 31.脂質低下剤の現況と展望 寺本民生
 32.抗酸化物質の展望 板倉弘重
 33.急性冠症候群に対する冠動脈インターベンションと抗血小板療法 石川道郎・山口徹
 34.血管作動物質遺伝子を用いた遺伝子治療 上野光
 35.核酸医薬によるPTCA後の再狭窄予防 小池弘美・他

■大規模臨床研究
 36.動脈硬化の一次予防 中谷矩章
 37.冠動脈疾患の二次予防 江草玄士

■動脈硬化モデル動物
 38.WHHLウサギ―冠動脈および脳動脈における動脈硬化の発症と動脈硬化の治療研究 塩見雅志・伊藤隆
 39.トランスジェニックウサギモデルの開発と応用 范江霖・渡辺照男

■サイドメモ
酸化LDL受容体
急性冠動脈症候群
VEGFとNO
PPARファミリーとSR-BI
PPAR γアクチベータと動脈硬化
血管内皮前駆細胞
脂肪細胞分化に伴う情報伝達系の役割
PPARの抑制機構
アディポサイトカイン(adipocytokine)
BRS-3
UCP
高TG血症と糖代謝異常
喫煙の心疾患リスクは女性のほうが高い
Hormone replacement therapy(HRT)
感染症による動脈硬化発症機序
SODとDown症候群
2型糖尿病とプロテアーゼ
Tangier病とABC1
抗酸化物質と食品
バイパス術後のグラフト閉塞を防ぐ転写因子“デコイ”
選抜交配
マトリックスメタロプロテアーゼ-12(MMP-12)