やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 看護の世界は人間工学の宝庫である.
 看護のプロセスをみていくと,人と人,人と機器・用具,人と組織との関わりは実に多様で,かつ緊密である.そのときどきの関わり合いをみていて,人間工学の宝庫だと実感する.それは,関わり合いが看護の本質であるという意味で宝庫であるとともに,人間工学的な取り組みが遅れていてすぐに実践できる課題が目につくという意味で宝庫である.
 専門のまったく異なる編者の2人が,本書の企画に先立って話し合ったことは,「人間工学の眼」と「看護の眼」の融合を図りたいということであった.どちらかといえば,現場での経験が尊重される看護に,Evidence Basedな工学的(人間工学的)アプローチと解決法を提供したい.反対に,技術的解決法に長けている工学(人間工学)分野の人たちに,全人間的なアプローチ方法を伝えたい.そうした両者の優れたアプローチと解決法が読者に伝われば,それぞれの分野で新しい力量をもった若い人たちが育ってくれると考えたからである.この編者の意図が体現できたかどうかは,読者の判断を待つしかない.看護人間工学は若い研究・実践領域だが,編者の私たちがみても,本書で「ここまで書き込めた」という思いと,「これしか書き込めなかった」という思いが輻輳している.課題も多く残したが,多分野,特に異なった方法論をもつ方々の参加をえた今回の意欲的な取り組みは,必ず次の飛躍の種子になるものと信じてやまない.
 看護の世界では,安全・安楽がキーワードになっている.私たちもその点についての異論はない.しかし,誰にとっての安全・安楽なのか.看護の人間工学がめざす安全・安楽はいうまでもなく患者にとっての安全・安楽であるが,これとまったく同じスタンスで看護職にとっての安全・安楽もターゲットにおいている.たしかに患者をたてれば,看護者がたたない場面もあることは認めざるをえないが,最大限,患者と看護両者の安全,安楽の同時実現を目指すのが,看護の人間工学である.そうした視点を強く持って,解決を探っていけば,新しいアプローチが生まれるはずである.
 本書は,看護を学ぶ学生たちの教科書あるいは副読本として編集した.決してすべてがやさしい内容ではないが,患者,看護両者の安全,安楽の確保にとって,どんな看護人間工学的視点による実践的な研究が行われているか知っていただく格好の機会であると,本書を自信をもってすすめることができる.その意味で,学生だけでなく教育・臨床および在宅看護現場で現に心を尽くし,汗を流して真摯に看護と取り組んでいる多くの看護職の皆様にも是非,ご活用いただきたい.本書から新しい視点をえて,明日からの看護実践,発想の転換による改善へ役立てていただければ,著者たちの望外の喜びとするところである.
 日本人間工学会では,たくさんの専門研究部会が活発な活動を行っているが,その一つである看護人間工学部会は1992年に発足した.本書は,この看護人間工学部会が主催や共催する学術集会に報告された研究発表ならびに1998年に創刊された「看護人間工学研究誌」から精選した論文を基盤に,さらにオリジナルな研究成果や人間工学的な実践成果などを交えて骨子がつくられた.その意味で,看護人間工学部会10年間の活動成果の集大成といっても過言ではない.この看護人間工学部会の健全な発展のためにも読者諸氏の叱責と激励をお願いしたい.
 最後に,大勢の著者が本書に関わったことで,読みにくくならないように,編集上の工夫をしたり,丹念な校正を繰り返してくださった医歯薬出版株式会社編集部の担当者各位に深甚な感謝を申し上げる.
 2002年7月 大河原千鶴子,酒井一博
I 看護の人間工学とは
 1.看護の人間工学の芽生え―F.ナイチンゲール (大河原)
  1)看護の本質に関する“この一冊”「看護覚え書 Notes on Nursing」より
  2)F.ナイチンゲール看護理論は環境論
   看護とは
  3)看護の人間工学の芽生え
   ベッドと寝具類 /枕について
  4)F.ナイチンゲールの環境論に学ぶ病院環境
 2.看護の人間工学とは (大河原)
  1)人間工学の始まり
  2)人間工学の移り変わり
  3)看護の人間工学の定義
  4)看護の人間工学研究課題
  5)人間の基本的欲求と看護の人間工学
   寝たきりから車椅子生活により,自立した生活となった事例
 3.学際的な学問としての人間工学 (酒井)
  1)人間工学の普及戦略
   人間工学とは /人間工学研究の沿革 /人間工学の定義 /人間工学の実践領域 /産業現場における人間工学の関与
  2)人間工学の方法論
   人間工学の普及をどう進めるか /人間工学に関する計測・評価法 /人間工学の教材
 4.今後の展望 (酒井)
  1)日本人間工学会による人間工学戦略課題
  2)今後の展望
II 入院患者の日常生活行動と看護
 1.病院内生活行動の実態 (大河原)
  1)タイムスタディによる入院患者の生活行動調査
   調査方法 /実態調査結果
  2)入院患者と健康人の活動量
   測定結果
 2.生活行動の拡大支援 (大河原)
  1)高齢な患者の意図的な取り組み―他病棟ロビーへの散歩
   対象者の概要 /生活の場としてみた病床まわり /散歩への意欲 /散歩の実際
   <コラム> 入院高齢者の転倒事故発生は /F.ナイチンゲールのことば
  2)術後早期離床の第1歩―患者の意志を尊重し,ギャッチベッドを有効に活用した事例
 3.病室・病棟環境の改善に向けて (樋之津)
  1)患者の自立を支援する入院環境
  2)患者が感じている病室内の問題
  3)看護師からみた病室,病棟の問題
  4)トイレに関する問題
  5)患者や看護師の声を入院環境の改善に反映させよう
 4.入院患者の生活行動援助に対する看護師の行動実態と病棟環境 (新藤)
  1)看護のしやすさ,働きやすさの追求
  2)看護師の動きが及ぼす影響
  3)入院患者の看護度と看護師の動き
  4)病棟での看護師の動きの特徴と設備構造
  5)設備構造・物品配置の工夫
  6)看護援助の質を高めるために
   <コラム> 手すり (大河原)
III 患者の生活自立に向けた看護技術・支援機器の見直し
 看護の質的向上と患者の QOL向上のために (大河原・樋之津)
 1.病床環境の調整
  臥床患者のベッドメーキング (小板橋)
   臨床での実際 /問題点 /解析方法―臥床患者のいるベッドのリネン交換とボディメカニクス /結果―看護動作からみたベッドメーキング(準備 /作業面高 /作業姿勢と上肢の作業 /手順のもつ動作経済性 /患者にとってのボディメカニクス /こころ(意識)と筋群の準備のために酸素供給 /どうすべきか
   <コラム> 臥床患者のいるベッドのシーツ交換作業工程(モデル)
  ベッド (大久保)
   臨床での実際(ベッドの基本構造 /その他の特殊な機能)/問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか
  床頭台 (山崎)
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか
  椅子 (野呂・藤巻)
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果(椅子の分類 /椅子と人体の関係 78)/どうすべきか―用途に合わせた椅子の選択
   <コラム> 椅子の構造
  チェアクリニック―メーカーとユーザーの橋渡し (野呂・藤巻)
   チェアクリニック設立の経緯 /チェアクリニックの実際 /情報提供とユーザー理解の必要性
  臥位生活を助ける枕―休養に欠かせない小物・治療を助ける小物 (小板橋)
   臨床での実際 /問題点(頭部枕の人間工学的な視点から /治療上の寝姿勢を支える枕をめぐって)/解析方法 /結果(枕の高さの適応性 /治療上の体位の保持と支持枕)/どうすべきか(治療中の肢位保持と枕による安楽を図るための支持枕の改善 /枕の使用目的と使用法についての指導の必要性)
   <コラム> 枕の歴史
  寝姿勢を保持するマットレス (小板橋)
   臨床での実際 /問題点(低ADL患者の褥瘡の予防と改善を図る /臥位の長期化による弊害を防ぐために座位姿勢をとることの重要性 /ポジション管理としての側臥位保持を可能にするマットレスの効果の検討)/解析方法 /結果 /どうすべきか―安楽な回復過程支援へ
   <コラム> マットレスの広さと安眠 /マットレスの 3 層構造とよい寝姿勢
  勤務中の仮眠のすすめ (佐々木)
   起床時間の遅延による効果 /夕方の仮眠の効果 /夜勤後の仮眠の効果 /夜勤中の仮眠の効果 /仮眠の時間と時刻設定のポイント
 2.安楽な体位と体位変換
  体位変換 (大久保)
   臨床での実際(姿勢・体位を変えること /仰臥位から側臥位の体位変換)/問題点 /解析方法(マットレスの堅さと身体の動かし方 /介助負担の少ない体位変換)/結果(マットレスの堅さと身体の動かし方 /介助負担の少ない体位変換)/どうすべきか
   <コラム> 褥瘡研究の進歩
  ファーラー位とセミファーラー位 (阿曽)
   ファーラー位に対する認識のズレ /安全・安楽なセミファーラー位 /科学的根拠に基づく看護技術に向けて
  固定装具の装着と病衣―衣服内気候に着目した病衣の考案 (西田)
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか
 3.移乗・移送
  車椅子移乗介助技術 (水戸)
   臨床での実際(車椅子移乗介助技術の複雑さ /全面的な車椅子移乗介助場面の増加―力まかせの移乗介助 /よいボディメカニクスの原則と実践場面への適用の困難さ /さまざまな移乗介助方法と実際場面での一律の方法)/問題点 /解析方法(ボディメカニクスの原則を活用しているか―未熟練者と熟練者の姿勢・動作の比較 /車椅子移乗介助方法の違いを解析する―足位置の異なる方法の比較)/結果(未熟練者と熟練者の比較から明確になったボディメカニクスの原則 /足位置の異なる移乗介助方法の比較)/どうすべきか(ボディメカニクスを考慮した動作の実施 /患者 1 人ひとりの身体条件・能力を考慮した,移乗介助方法の選択 /車椅子移乗支援機器の積極的活用)
   <コラム> 車椅子移乗介助に用いられる支援機器
  車椅子 (水戸)
   臨床での実際(車椅子の種類と基本構成 /病院や高齢者施設での車椅子使用状況)/問題点 /解析方法 /結果―座り姿勢の崩れ /どうすべきか(各利用者に合わせた車椅子の調節―トータルコンタクトにする /人間工学を考慮した車椅子の選択
  「しゃがみ立ち動作」を助ける歩行具 (西田)
  ストレッチャー移送 (西田)
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか
   <コラム> 状況に応じたストレッチャー移乗方法の選択 /安全で安楽なストレッチャーの選択
  輸液療法中の患者の行動範囲を拡大する用具としての点滴スタンド (新藤・大河原)
  使用の実際 /扱いやすさに関する調査 /今後の課題
 4.日常生活行動への援助
  洗髪の設備・環境の改善―ケアをしやすくするために (樋之津)
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果―洗髪援助が行いやすい設備・環境改善の提言 /どうすべきか―洗髪の頻度を増やす環境づくりをめざして
  新型シャワー室の提案 (樋之津)
  食事摂取の自立を可能にする用具の開発 (石井/大河原)
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果(ユーザーの能力に用具側を合わせた幼児用スプーン・フォークの場合 /高齢者や上肢に障害のある人が楽しく食事できるスプーン・フォーク)/どうすべきか
   <コラム> ほのぼの湯のみ
  排泄の援助 (高橋)
   臨床での実際 /問題点(トイレブース内の広さや配置などが,排泄動作の自立を考慮したものになっていない /トイレ構造が患者の特徴や病院で生活する患者の身体状況を考慮したものになっていない /患者に与える影響)/解析方法 /結果 /どうすべきか(排泄行動を自立に導くためにトイレ環境を看護の視点から見直す /柔軟に排泄行動様式を変える―中腰や立位姿勢での排泄)/まとめ―看護の視点でみたトイレ構造と援助法(トイレ構造 /援助法)
  尿器,便器の改善 (石井)
  (1)尿器:電動・自動吸引式手持ち型収尿器
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか
  (2)便器:自立使用も可能な差し込み式便器
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか
  (3)腰上げ不要の差し込み式便尿器
   臨床での問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか
  (4)逆流防止弁付き男性用尿瓶
   臨床での実際 /問題点 /解析方法 /結果 /どうすべきか /尿器,便器の改善に向けて
IV 看護の安全と人間工学 (酒井)
 1.人間工学からみた看護の安全
  1)人間工学からみた看護師・患者関係
  2)看護の職務特性
  3)病院における安全・健康リスク
  4)安全な医療機器ならびにシステム開発の3つの考え方
  5)リスク・アセスメントを進め,マネジメントにいかす
 2.針刺しの防止に向けての取り組み
  1)臨床場面における針刺しの実際
  2)針刺しの実態調査と予防対策
  3)針刺し調査の結果
   ヒアリング調査の結果 /アンケート調査の結果
  4)針刺しの予防対策
   全体構想 /針刺し防止マニュアルの開発(針刺し防止の15ポイント) /安全器材の導入と活用 /作業手順の標準化 /働きやすい職場環境の整備
 3.医療事故調査法の検討
  1)医療事故調査法の概要と課題
   医療事故の構造に迫る /医療事故調査法を確立する
  2)調査活動の実際
  3)医療事故対策法の検討
V 看護管理における人間工学 (山田)
 1.看護管理学と人間工学
   経営管理学とは /看護管理学における人間工学的事例(患者満足度調査 /看護業務量の測定 /人事考課)
 2.工程分析と作業設計
 3.看護と情報システム
  1)看護における情報システム
  2)コンピューターの浸透
   ユーザーインターフェース /アメリカと日本の差異
  3)看護におけるコンピュータ
   看護情報システム /看護支援システム /ユーザーインターフェースの問題点
  4)看護におけるコンピュータシステムのユーザー
   初期システムのユーザー /看護支援システムのユーザー
  5)問題点
   ユーザーインターフェースの位置づけと投資 /システム設計 /ユーザー教育

 (表紙デザイン/小川さゆり・イラスト/田中英樹・本文デザイン/杉山光章)