やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 これまで,理学療法や作業療法学生の卒後の進路は,総合病院(急性期,慢性期)や回復期病院(リハビリテーション病院),クリニック(整形外科,内科)などの医療施設が中心であった.現に,編者らが関係する養成校の学生達も,ほぼ全員がこのような施設に就職している.しかし,近年はリハ養成校が急増しており,理学療法士では毎年1万人近く誕生することを考えると,今後,医療施設以外での新たな活躍の場の開拓が急務である.
 在宅・訪問リハビリテーション(訪問リハ)は,この意味で,理学療法士や作業療法士らリハスタッフにとって,新たな活躍の場と考えられる.しかし,現実には送り出す側も採用側も,そして学生自身も,訪問リハは「敷居の高い職場」と考えられている.確かに,訪問リハでは一人で利用者宅に赴き,その時々に必要なサービスを提供しなければならないし,多くの職種との連携や意見交換が必要となる.さらに,利用者との関係で契約が破綻ともなれば,事業所の経営にも関わるなど医療施設とは異なる独特な難しさがある.このような事態を考えると,「新卒者・新人にすべてを委ねるなど到底できない」というのもうなずける.それでは,医療施設ではどうかというと,程度の差こそあれ,やはり「新卒者・新人には任せられない」のである.一方で,医療施設とは異なり,訪問リハでの利点は,指導者の目が届くところで指導ができるという点ではないだろうか.すなわち,新卒者や新人に対する指導体制や内容が十分に吟味され,適切にそれが実施されさえすれば,医療施設と同様なプロセスでサービスを提供できる人材育成が可能となるはずである.
 ところで,「危険を予知し,危険を回避する能力」の重要性は,危険な作業を伴う工業分野で古くから指摘され,それを訓練する方法が検討されてきた.その方法論の一つが本書で取り上げられている「危険予知訓練(KYT)」である.KYTは,日常の風景を描いたイラストを作業チームに提示して,そこにひそむ危険要因の抽出,危険への対応策や具体的行動目標などを討論させ,最終的に事故の発生を回避するための具体的な改善策や解決策を見い出そうとするものである.解決策を得るまでのプロセスは,作業メンバー同士の徹底的な討論が中心となるため,単なる机上の学習とは異なり,メンバー全員に危険に対する情報共有が図れる.このため,KYTの方法は看護学や保育学などの分野でも応用されている.
 リハスタッフが遭遇するリスクは多様化しており,特に近年注目されている訪問リハにけるリスクは,病態を背景とする医学的リスクのみならず,接遇・連携など対人関係に関連するリスク,住環境や自然環境といった物理的環境に関連するリスクなど多岐にわたっている.単独で業務を行うことが多い訪問リハスタッフは,独力で様々なリスクを管理し,危険を予知し回避する能力が求められる.その能力を身につける方法論として,KYTは有用と考えられる.
 本書ではいくつかの「場面」を想定し,そこにひそむ危険を回避するための具体策を提案しているが,決して一つの答えを求めているわけではない.地域の風習や人間関係の密度,利用者の空間的・物理的環境などによって危険の度合いは異なるし,回避の仕方も千差万別である.編者らが望むのは,読者らの施設で様々な考え方が示され,いろいろな方法が提案され,すべてのスタッフが具体的な対処法を共有することにある.また教育現場においては,訪問リハで遭遇する具体的な場面を知ることで,臨場感のある教育が行われることである.本書では,イラスト場面の「予測されるリスク・問題」や「対応」を読者が自ら考えて書き込む→頁をめくって「ポイント」「解説」と読み進めることにより,考えを整理し,発展的に学習する際のヒントとなることを目指している.
 本書が訪問リハを目指す学生や若いスタッフの手許において活用されること,またスタッフ教育の良い参考書となることを切望する.
 2012年8月 編者一同
I.医学的リスク
(1)全身状態に関するリスク
 1 利用者が転倒した!(齋藤崇志)
  訪問すると,利用者は椅子に座っていました.「昨日,尻もちをついた.腰と背中が痛い」と言われました.
 2 朝食前に運動!?(大森 豊)
  朝9時に訪問したら,「寝坊してしまい朝食をまだ食べていない」と言われました.
 3 夏にエアコンを使わない利用者(安藤 誠)
  夏季,エアコンを使用せず扇風機を使用されています.
 4 不眠の裏にひそむリスクとは?(安藤 誠)
  「夜,よく眠れず頻繁に目が覚める」という相談を受けました.
 5 「体調不良」で片づけてよいか?(大森 豊)
  高血圧症と糖尿病を合併する脳梗塞の利用者です.「昨日から体調がすぐれない.頭がボーっとする」とおっしゃっています.
 6 在宅酸素療法(HOT)利用者への生活指導は?(横山有里)
  HOTを使用されている利用者です.運動療法やADL指導を行います.
 7 吸引を行うときの対処法は?(横山有里)
  パーキンソン病で寝たきりの利用者です.利用者の家族から「訪問リハのときも痰の吸引を行ってほしい」と依頼がありました.
 8 人工呼吸器のエラーメッセージがなりました(横山有里)
  在宅人工呼吸療法(HMV)を行っています.非侵襲的陽圧換気法(NPPV)のアラームがなりました.
 9 合併症に心筋梗塞が(安藤 誠)
  既往歴に心筋梗塞がある利用者です.電車に1人で乗って外出できるようになることが本人の希望であり,訪問リハで屋外歩行練習の実施を希望されています.
 10 独居の利用者が発熱した!(安藤 誠)
  一人暮らしの男性の利用者です.訪問し体温測定をしたら375℃ありました.キーパーソンである利用者の兄弟は遠方に住んでいます.本人は「寝ていれば治るから心配しないでいい」とおっしゃっています.
 11 褥瘡が改善してきました.いざ離床!(安藤 誠)
  仙骨部に褥瘡を作って寝たきりの利用者です.最近,痂皮形成がなされ褥瘡は改善傾向にあります.離床を促す介入を行います.
 12 血圧がいつもより高い…?(大森 豊)
  老夫婦のご主人が利用者です.いつものように運動プログラムを行ったら,日頃より血圧が大幅に上昇しました.
 13 血圧がいつもより低い…?(大森 豊)
  糖尿病,高血圧症を有し,不整脈によりペースメーカーを入れている利用者です.安静時の血圧を測定すると通常より大幅に低下しています.本人に自覚症状はありません.
 14 インフルエンザ発生!(安藤 誠)
  インフルエンザの診断を昨日受けた利用者です.現在,体温は37.5℃です.排痰のための呼吸理学療法の依頼がありました.
 15 MRSA発生!(安藤 誠)
  足指に糖尿病性の潰瘍があります.潰瘍部からMRSAが検出されました.屋内歩行は自立しています.
 16 大量の便失禁!(安藤 誠)
  寝たきりの利用者が,下衣,シーツを汚染するほど大量の便失禁をしてしまいました.主介護者は外出しています.
(2)治療プログラムに関するリスク
 17 ベッドから車いすへの移乗動作(安藤 誠)
  脳梗塞(Br.stageII)の利用者です.ベッドから車いすへ移乗します.
 18 ベッドからの起き上がり動作(安藤 誠)
  脳梗塞(Br.stageII)の利用者です.ベッドから起き上がります.
 19 ベッドからの立ち上がり動作(安藤 誠)
  肺炎を発症し,1週間にわたり臥床傾向が続きました.今日からリハを再開します.ベッドから立ち上がろうとしています.
 20 屋内歩行(澤田圭祐・宮尾一久)
  パーキンソン病(Yahr stageIII)の利用者です.トイレまで歩く様子を確認します.
 21 階段昇降(澤田圭祐・宮尾一久)
  変形性膝関節症の利用者です.階段昇降動作の練習を行います.
 22 入浴動作(澤田圭祐・宮尾一久)
  変形性膝関節症の利用者です.浴槽で入浴する練習を行います.
 23 屋外歩行(澤田圭祐・宮尾一久)
  糖尿病の利用者です.自宅周囲の屋外歩行練習を行います.
 24 床からの立ち上がり練習(澤田圭祐・宮尾一久)
  腰椎圧迫骨折の利用者です.床からの立ち座りの練習をします.
 25 筋力増強運動(澤田圭祐・宮尾一久)
  腰椎圧迫骨折の利用者です.リハを今までに受けたことがありません.下肢の筋力増強運動を行います.
(3)訪問リハの方針を決める際のリスク
 26 下肢装具を処方する(齋藤崇志)
  脳梗塞の利用者です.短下肢装具を使用していません.短下肢装具を使用したほうが移乗動作や歩行の安定性が高まり,転倒を予防できるように思います.
 27 寝具はベッド? 布団?(齋藤崇志)
  寝具として布団を使用している利用者です.布団からの立ち上がり動作は,どこかにつかまれば可能ですが,大変そうです.寝具を布団からベッドに変更したほうが安全に思われます.しかし,本人はベッドを使用することに消極的です.
 28 「運動はやりたくない」と言われたら…?(齋藤崇志)
  利用者は「運動はやりたくない」とおっしゃっています.しかし,利用者の家族やケアマネージャーは訪問リハでの運動療法が必要だと考えています.
 29 利用者と家族の希望が異なっている
  利用者は1人で外出し近所のスーパーで買い物ができるようになることを目標としています.しかし,キーパーソンである家族は,転倒を恐れ,1人で外出してほしくないと考えています.
 30 主介護者である息子は不在がち(齋藤崇志)
  寝たきりの高齢女性で,息子夫婦が介護を行っています.主介護者は息子であり,介護の方針は主に息子が決めています.介護方法の指導と拘縮予防を目的に訪問リハを行っています.主介護者である息子は訪問時に私用のために不在のことが多く,お嫁さんが主に訪問スタッフの対応をしてくれます.
 31 認知症利用者の離床を進めたい(安藤 誠)
  認知症と廃用性の身体機能低下により,主にベッド上で生活している利用者です.離床を促すためケアマネージャーから訪問リハの依頼がありました.
 32 ポータブルトイレの導入を阻む壁(齋藤崇志)
  歩行が不安定となり,トイレまで歩行していくことが困難になった利用者です.ポータブルトイレ(Pトイレ)を使用することを提案しましたが,利用者,家族ともにPトイレの使用に消極的です.
 33 癌のターミナルの利用者から依頼がありました(安藤 誠)
  主治医から「余命3カ月」と告知されている利用者です.著明な神経症状はありませんが,ベッドから立ち上がることに介助が必要です.本人は「トイレまで1人で歩いていきたい」と希望しています.
II.接遇に関するリスク
 34 呼び鈴をならしても出てこない独居の利用者(新井健司)
  約束の時間に訪問し,玄関先で呼び鈴をならしても応答がありません.玄関の鍵は閉まっています.
 35 10分の遅刻(新井健司)
  約束の訪問時間に10分くらい遅れそうです.
 36 雨の日の訪問(新井健司)
  雨が降っています.自転車で移動しているためレインコートを着ています.これから利用者宅に入ります.
 37 トイレや寝室の家屋評価を行う時は?(齋藤崇志)
  初めて訪問する利用者です.家屋状況を確認するために,トイレや風呂場,寝室を見せてもらおうと思います.
 38 利用者の杖を破損してしまった!(新井健司)
  利用者のT字杖を誤って地面に落とし,持ち手の部分が欠けてしまいました.T字杖は使えなくなってしまいました.本人と家族は「気にしなくていい」とおっしゃっています.
 39 訪問曜日や時間を変更する(新井健司)
  認知機能の低下が疑われる利用者です.次回の訪問から,訪問曜日と時間を変更したいと思います.利用者本人には説明し,変更することの同意をいただきました.
 40 担当者を変更する(齋藤崇志)
  訪問リハの担当者を変更します.
 41 帰り際のお茶とお菓子(齋藤崇志)
  訪問リハが終了して退室しようとしたら,お茶とお菓子が出されました.
 42 利用者宅の電話がなっている(齋藤崇志)
  利用者の家の電話がなりました.利用者の家族は外出中です.利用者自身は歩行困難であり,電話まで急いで歩いていくことは困難です.
 43 風邪気味のスタッフ(新井健司)
  担当スタッフが風邪をひき,声をからしてしまいました.既に熱は下がり,咳,痰などの感冒症状はありません.
III.連携に関するリスク(齋藤崇志)
 44 突然の訪問リハ終了の連絡
  ケアマネージャーから「デイサービスを開始するので訪問リハを中止したい」と連絡がありました.しかし,先日行われた担当者会議では,デイサービスの利用を検討しているという話はありませんでした.
 45 デイサービスでの入浴方法をアドバイス?
  訪問リハで担当している利用者が,リハ専門職が在籍しない他法人が運営するデイサービスに通っています.ケアマネージャーから「デイサービスでの入浴方法についてアドバイスをしてほしい」とFAXで依頼されました.
 46 住宅改修における連携は?
  自宅で入浴するために浴室に手すりがあったほうがよさそうです.これからケアマネージャーと工務店に連絡をいれます.
 47 脳卒中の利用者から「手は治りますか?」と問われたら…?
  脳梗塞左片麻痺の方です.発症後1年間経過していますが,左手は弛緩性麻痺を呈しています.利用者から「左手は治りますか?」と聞かれました.
 48 訪問看護指示書の開示要求
  利用者から「訪問看護指示書を見せてほしい」と言われました.
 49 通所サービスの利用を勧めるためには?
  通所サービスの利用をご本人に提案したところ,「以前,デイサービスを利用したことがあるが,ぬり絵や習字など小学生のようなことをやらされた.子供あつかいされるようなところには行きたくない」と言っています.
 50 振り替え訪問にご用心
  訪問日が祝日にあたりました.利用者は外出予定があるため,振り替え訪問を希望されました.

 付表
 索引