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青嶋 仁先生追悼講演会開催される
 9月22日(日),ヒューリックホール東京(東京都千代田区)にて青嶋 仁先生追悼講演会が開催され,約450名が参加し,昨年他界した青嶋先生を偲んだ.


 はじめに,発起人の一人である小田中康裕氏(oral design 彩雲)により青嶋先生に黙祷が捧げられた後,12名の演者による講演が行われた.


●Session1 -時代を共にした世代


坂 清子氏(クラレノリタケデンタル)「青嶋先生の功績と思い出の旅」
 坂氏と青嶋先生のはじめての出会いは,奇しくもヒューリックホール東京と同じ場所で開催された『歯科技工』創刊15周年記念シンポジウム(1987年)で,どこに補綴物を装着したかわからないテトラサイクリン症例を見て,この人は天才だと感じたという.当時,青嶋先生は自身が開発したインターナルライブステインテクニックで生じる気泡の発現に悩まされていたが,坂氏が実験を重ね,ボディとステインの熱膨張の差を少なくすることで気泡を抑制させることに成功し,『スーパーポーセレンAAA』(海外では『EX-3』)が開発され,青嶋先生にデモを依頼し,世界中で講演を行ったという.また,青嶋先生の著書『Ceramics Example』(クインテッセンス出版)を読んだDr.Chicheより,坂氏を通して青嶋先生に技工の依頼があり,それをきっかけとして青嶋先生とDr.Chicheのコンビが生まれたという.「青嶋先生は亡くなられたが,インターナルライブステインテクニックはこれからも世界中で受け継がれていくでしょう」,と故人を偲んだ.


片岡繁夫氏(大阪セラミックトレーニングセンター)「青嶋先生を懐かしむ」
 片岡氏の技工士人生には,欠かすことのできない3人の偉大な歯科技工士がおり,それは三層盛りの山本 眞先生,多色築盛のWilli Geller先生,そしてインターナルライブステインテクニックの青嶋 仁先生だという.
「Geller先生は,私を審美補綴の世界に招き入れてくれ,山本先生は基礎を叩き込んでくれ,青嶋先生は常に私の近くにいて刺激を与え続けてくれた.青嶋先生のすごさは,透明系の陶材を使っても明度が下がらずに上がっていくところにある.また左右同名歯の製作においても同じ形態を反転させるのではなく,微妙に形態を変えながらもバランスをとっている.この技術は,本人が「歯が好き」「天然歯を作る」という強い気持ちや努力によるものだろう.今の若い歯科技工士のみなさんも,しっかりと夢をもち,夢に向かって努力してほしい,と青嶋先生も願っていると思う」,と結んだ.





●Special Talk Session 「Oral Designメンバーから見た「対談 青嶋仁氏を語る」相羽直樹氏,ルーク長谷川氏,遠藤淳吾氏



 Geller氏が主宰する「oral design」に所属し,米国在住の3氏と小田中氏によるオンライン座談会の動画を放映.相羽氏は「1991年にレクチャーで初めてお会いし,そのときに筆をプレゼントしていただいた.また1992年にデュッセルドルフで一緒にレクチャーしたのが思い出に残っている.いまでもクラックラインを引くと青嶋先生のことを思い出します」と青嶋先生の思い出を語った.
 ルーク長谷川氏は,「青嶋先生の歯肉付きポーセレンサンプルに感銘を受けた.それが“うまくなりたい”,というモチベーションになった.その後,サンプルを作ってサンディエゴに持っていき,青嶋先生がタバコを吸っているときに見せたところ“いい線いってる”と言われたのが思い出です」と述べた.
 遠藤氏は,「アメリカでは,誰も教えてくれる人がいない中で,『Ceramics Example』のポーセレンサンプルを見て下顎フルアーチのサンプルを作った.若いころに頑張れた原動力になったのが青嶋先生だった」と青嶋先生への感謝と想いを語った.



●Session2 -時代を継ぐ世代


吉田明彦氏(Gnathos Dental Studio)「青嶋 仁先生を偲んで」
 1991年に渡米した吉田氏は当時,多色築盛の難しさを感じていたが,偶然,ボストンで坂先生と隣り合わせになり,“ノリタケのポーセレンを使ってみて”と勧められたという.
「このポーセレンにインターナルライブステインテクニックで製作すると,複雑な歯冠の色調やキャラクターが簡便に作れることに衝撃を受けました」.その後も2002年のサンディエゴで青嶋氏の通訳を務めた思い出などを語り,故人を偲んだ.

小田中康裕氏「私の歯科技工の30%は,青嶋 仁氏のエッセンスでできている。」
 以前からポーセレン製作を行っていた小田中氏だが,『歯科技工』に掲載されたテトラサイクリン症例の補綴物に衝撃を受け,サンプル作りに多大な影響を受けたという.「『ザ・メタルセラミックス』の山本 眞先生,Geller先生の多色築盛,そして青嶋先生で私の歯科技工はできています」と青嶋先生への感謝を述べた.


山田和伸氏(カスプデンタルサプライ/カナレテクニカルセンター)「『伝わるインストラクター』を示してくれた青嶋 仁先生」
 株式会社カスプデンタルサプライにて坂氏と研究開発を行っていた山田氏は,青嶋先生との交流の中で,
「“白と黒のグレーは不透明だが,赤・青・黄を混ぜると透明感のあるグレーになる”,“減法混色ではなく,加法混色で色を作っていく”“対比させろ”と学んだ.」という.
 この考えは後に,支台歯の色調に補色を用いることでベース色を作りラミネートベニアの築盛を行う「コンプリメンタリーカラーテクニック」(山田和伸,坂 清子:ポーセレンラミネートベニア修復における色調再現の要点とその対処法.歯界展望,78(2):385-402,1991.)に繋がったという.
 「青嶋先生は決して口数が多いわけではないが,“伝わる人”.インストラクターとしての心構えや気付きを教えてくれた」と青嶋先生との思い出,そして感謝を述べた.


西村好美氏(デンタルクリエーションアート)「青嶋先生から影響を受けたこと,そして次世代につなぐべきこと」
 西村氏は,「桑田正博先生は技工の“哲学”を示し,山本眞先生は技工に“科学”を取り入れ,そして青嶋先生は技工が“自然そのものを対象”としたものであることを示してくれた.青嶋先生は,これまでとは違う歯冠形態の捉え方をしており,特に表面性状の重要性について示してくれた」と述べ,西村氏自身の表面性状の製作法やサンプルを供覧した.










●Session3 -青嶋ゼミ修了生

志田和浩氏(PREF)「Internal Live stainとAll-on-4」
 志田氏は「私自身は演者の中で唯一,セラミストではなく,インプラントのボーンアンカードブリッジを主に製作しているが,インターナルライブステインテクニックは強度と審美性を両立させるインプラント上部構造の製作にぴったりの手法」と述べ,ボーンアンカードブリッジの製作技法を供覧した.また青嶋先生との思い出について,「映画,靴,時計,ファッション……,歯以外のこともたくさん教わった.師匠,さようなら」と青嶋先生を偲んだ.


小林恭之氏(Felicita Dental Lab)「青嶋先生を偲んで~紡いでく想い」
 小林氏は青嶋ゼミで耐火模型によるラミネートベニアやPFZの製作を学んだが,歯冠形態や色調のみならず,表面性状を再現するための研磨など,“質感”に対するこだわりがたいへん勉強になったという.
「現在はMIが主流となり生活歯の補綴治療が増えている.クリアランスが少ない中で補綴物を製作するためには,インターナルライブステインテクニックでないとできない症例も多い」と今後も本技法が受け継がれていくと述べた.


高橋 健氏(Smile Exchange)「青嶋ゼミで学んだ3年間,そこで得た物」
 高橋氏は,青嶋先生のポーセレンサンプルを通して歯冠形態,色調,表面性状などを観察する中で,歯のキャラクターのみならず,自然感を高めるためにはどうすればよいかを学んだという.支台歯の色調やマテリアルスペースが異なるラミネートベニアとフルクラウンを一回で合わせる,という青嶋先生の技術に近づけるように今後も研鑽を積んでいきたいと述べた.




●Session4 -これからを牽引する世代


林 直樹氏(Ultimate Styles Dental Lab)「青嶋先生が残してくれたエッセンスを症例へ」
 2001年に渡米して林氏は,青嶋先生から直接教えを受けたことはないが,書籍等を通じて間接的に影響を受け,補綴物の製作に活かしているという.自身の臨床例を供覧した上で,世界に自分をいかに伝えるかが重要であり,そのためには「説得力のある写真」「見せる,魅せる写真」を撮影することが重要であると述べた.

湯浅直人氏(大谷歯科クリニック)「青嶋先生との出会い,そして影響を受けたこと」
 湯浅氏は,青嶋先生のインターナルライブステインテクニックももちろんだが,形態に“すごい”と思ったという.
「術前の形態に問題がないのであれば,なるべく外形は活かしつつ,失われた部分は創造する.その人の個性を活かせるところは活かして模倣しながら,アレンジする.青嶋先生は“製作者の個性を出してはならない”と常々おっしゃっていたが,この模倣と創造の融合こそ,青嶋先生の妙技」と語った.さらに「天才とはいえ,常に模型を起こして確認するという基本を怠らない」ことも青嶋先生の形態へのこだわりであろう.





●Special Lecture Movie Hitoshi Aoshima
 青嶋先生の生前のデモンストレーション映像が上映された.

●Special Lecture Dr.Chiche,Gerard
 Dr.Chicheは,「彼の作品は患者に喜びを与えた.患者のために芸術的感性を全力で注ぎ込み,製作してくれたことに深く感謝します.
『Ceramics Example』を見て,青嶋先生と一緒に働くことを夢見ました.その後,彼がアメリカに来たときに初めて仕事を依頼し,7人のシェードテイキングをお願いした.微妙なニュアンスも再現してくれ,完璧なPFMを作ってくれた.3本のベニア,1本のクラウンを装着した症例は,30年後のいまでも問題なく使われています.歯科界は多大な損失をしてしまったが,世界中で認められたその名声は失われることはないだろう」と青嶋先生を失った悲しみを吐露するとともに伝説的な仕事を賞賛した.


 講演会終了後,「青嶋 仁先生 お別れの会」も開催され,約200名が参加し,関係企業や旧友,Dr. Chicheによるスピーチが行われ,青嶋先生との最後の別れを惜しんだ.



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