やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 ここに本書『有病者・高齢者歯科治療マニュアル』を上梓する運びとなったが,そのきっかけは平成2年度厚生科学研究費補助金(特別研究事業)「有病者の歯科診療に関する総合的研究」である.この研究は,砂田今男日本歯科医学会会長(当時)が中心となって,近年急速に増加しつつある有病者・高齢者の歯科治療についてのガイドラインを り,これらの患者層に,より安全・確実で高度の歯科医療を提供することをおもな目的としていた.当該研究班は砂田班長のもと,上田,須田,長尾の3名が班員として参加し,1年間に及ぶ研究活動を展開した.
 その後,同研究の成果公表を兼ねたマニュアルの出版を厚生省より依頼され,道が新たに加わって4名で編集委員会を構成することになった.編集委員会としては,本書の各項目については,いずれもその方面の第一人者に執筆していただくことを希望した.幸い,すべての先生方から本書の趣旨に対して御賛同をいただき,御協力を得ることができた.ここに改めて謝意を表する次第である.本マニュアルの生みの親ともいえる砂田教授はすでに他界されたが,先生の遺志を受け継ぎ,本書が世に出ることになったわけである.
 有病者あるいは高齢者の歯科治療に関する書籍は決して本書が嚆矢ではないが,その編集にあたっては,とくに一般の臨床歯科医師が使いやすいように次のような点に配慮した.まず,対象とする有病者・高齢者は,自立歩行で歯科医院に来ることのできる患者を中心とした.すなわち,日常の歯科臨床でごく普通に歯科医師が治療を行う患者層に主眼を置いた.ついでマニュアル全体の構成を 編:有病者の歯科治療, 編:高齢者の歯科治療, 編:全身管理,ならびに 編:緊急処置,とした.
 編の「有病者の歯科治療」では,一般の歯科医師が日常臨床で出会う機会の多い全身疾患を系統別に分類し,各疾患毎にわかりやすく要点を解説した.すなわち,各疾患の概要,患者評価の仕方,歯科治療時の注意,治療中の偶発症と処置,大学病院あるいは病院歯科へ依頼すべき患者,等の各項目を置き,治療現場で歯科医師のためのマニュアルとしてすぐに役立つように配慮した.さらに 編には,注意すべき感染症と歯科治療,常用薬と歯科治療,精神障害と歯科治療,悪性腫瘍と歯科治療,の項目を え,歯科医院を訪れる多様な患者に対して幅広く対応できるようにした.このほか有病者ではないが,付)として妊娠・周産期と歯科治療についても記載しているので,是非活用していただきたい.
 編の「高齢者の歯科治療」では,対象をもっぱら高齢者に絞り,保存,補綴,口腔外科という治療内容からそれぞれ要点を解説した.さらに,高齢者を念頭に置いた局所麻酔,投薬,偶発事故,指導・管理,の各項目をも加えた.高齢者の多くは有病者にほかならないが, 編とは視点を変えた構成となっており,マニュアルとして前編とは違った使い方ができるものと えている.
 編の「全身管理」は,今日の歯科医院において実行すべき全身管理の実際を簡潔にまとめた.各歯科医院において,有病者・高齢者の患者層の占める割合が年々増加しつつある今日,患者が治療中に全身状態の異常をきたす可能性はいくらでもある.常日頃からその予防と対策に怠りなきようにしなければならない.
 編の「緊急処置」は,歯科治療中に患者の容態が急変したとき,歯科医師がただちに取るべき対策をフローチャートで示し,これに解説を加えた.緊急処置に関しては,初期対応がきわめて重要とされている.本編を念頭に置き,普段から緊急時に備えた対策を講じておくことにより,歯科医師も患者も安心して治療を行い,また受けることができるであろう.
 なお,本書の末尾には事項索引と薬剤索引を設け,なるべく読者に使いやすいマニュアルとなるように便宜を図ったつもりである.どうか活用していただきたい.
 結びに,本書の編集に多大のご尽力を頂戴した医歯薬出版株式会社の担当者に心より感謝の意を表する.
 1996年1月20日 編集委員 上田 裕 須田英明 長尾正憲 道 健一
 ※本書中の薬剤の薬物群名,一般名,商品名は,原則として『1995年版 医療薬日本医薬品集』(日本医薬情報センター編集,薬業時報社発行)に準拠した.

推薦のことば

 厚生省健康政策局歯科衛生課長 石井拓男

 平成4年国民生活基礎調査によれば,病気やけが等で自覚症状のある者(有訴者)は全国で3,197万4千人もあり,これは国民の約四人に一人の割合となる.さらに年齢階級的にみると高齢者群ほど有訴者が多く,65歳以上では国民のおよそ二人に一人が有訴者であった.
 これだけをみると病人だらけ,といった観を呈しているが,その訴えの多くは「肩こり」,「腰痛」,「手足の関節が痛む」,「体がだるい」といったものであった.しかし,有訴者の60.6%は通院しているという結果も同時に示されているのである.
 また,平成5年の患者調査では主な傷病の総患者数(継続的に医療を受けている患者数)を示しているが,そこでは高血圧性疾患約640万人,心疾患約161万人,糖尿病約157万人,脳血管疾患約142万人,白内障約133万人,胃及び十二指腸潰瘍約110万人,喘息約107万人,悪性新生物約91万人,肝疾患約74万人,精神分裂病約45万人,骨折約37万人,結核約10万人であり,歯及び歯の支持組織の疾患が約510万人であった.
 確かに大変な数の国民が全身的な異常をもって生活していることが見て取れる.このことは歯科医療機関にかかる患者の中で,他臓器に疾患を持つ者がかなりの割合でいることを示唆している.
 このような状況に対し,歯科界でも従来にも増した対応が望まれるところであるが,厚生省としては平成2年に特別研究事業として「有病者の歯科診療に関する総合的研究」を故砂田今男教授を主任研究者として実施して頂いたところである.
 このたびその研究の成果が「マニュアル」として出版される運びとなったことは,これまでの経緯からいって大変喜ばしいことであり,全身的な疾患への影響に絶えず気を配りながら歯科治療を行っている現代の歯科医師には必須の書として大いに活用されることはまちがいないものと思われる.
 一人でも多くの方が本書を手にし,歯科の臨床により安心して専念できることで国民の口腔保健がさらに一層改善されることを期待し,推薦のことばとしたい.
 1996年1月20日
1章 全身疾患と歯科治療……3
 心・血管系疾患……4
    高血圧症/ 上田 裕,小谷順一郎……4
    低血圧症/ 上田 裕,小谷順一郎……8
    虚血性心疾患/ 金子 譲,間宮秀樹……10
    心不全/ 一戸達也,金子 譲……14
    心房細動/ 一戸達也,金子 譲……16
    不整脈/ 間宮秀樹,金子 譲……18
    ペースメーカー装着者/ 間宮秀樹,金子 譲……20
    心臓弁膜症/ 間宮秀樹,金子 譲……22
    先天性心疾患/ 一戸達也,金子 譲……24
 脳血管系疾患……26
    脳梗塞・脳出血・くも膜下出血/ 吉田 廣……26
 神経系疾患……32
    パーキンソン病/ 吉田 廣……32
    痴呆/ 飯塚忠彦,西田光男……35
    てんかん/ 飯塚忠彦,西田光男……38
 内分泌系疾患……41
    甲状腺機能低下症/ 扇内秀樹……41
    甲状腺機能亢進症/ 扇内秀樹……44
    副腎皮質機能低下症/ 伊介昭弘……47
    副腎皮質機能亢進症/ 伊介昭弘……50
 代謝系疾患……52
    糖尿病/ 茂木克俊,加藤文度……52
    痛風/ 浜川裕之,谷岡博昭……56
    肥満症/ 茂木克俊,加藤文度……58
    高脂血症/ 茂木克俊,加藤文度……60
    骨粗鬆症/ 谷岡博昭,浜川裕之……62
 呼吸器系疾患……64
    気管支喘息/ 小谷順一郎……64
    慢性閉塞性肺疾患/ 小谷順一郎……68
 消化器系疾患……70
    消化性潰瘍/ 飯野光喜,手島貞一……70
    肝炎/ 飯野光喜,手島貞一……72
    肝硬変/ 飯野光喜,手島貞一……74
 腎・泌尿器系疾患……78
    慢性糸球体腎炎・ネフローゼ症候群・慢性腎不全・透析/ 赤坂庸子……78
 血液・造血器系疾患……87
    貧血/ 長山 勝……87
    白血病/ 長山 勝……89
    血小板減少性紫斑病など/ 長山 勝……91
 アレルギー……94
    薬剤アレルギー/ 吉屋 誠,南雲正男……94
    歯科材料アレルギー/ 井上昌幸,斉藤 幹……100
 膠原病・自己免疫疾患……107
    ベーチェット病/ 藤林孝司……107
    全身性エリテマトーデス(SLE)/ 藤林孝司……109
    慢性関節リウマチ(RA)/ 藤林孝司……112
    シェーグレン症候群(SS)/ 藤林孝司……114
 皮膚科・耳鼻科疾患……116
    皮膚科疾患/ 橋本賢二……116
    耳鼻科疾患/ 橋本賢二……119
2章 注意すべき感染症と歯科治療……123
 ウイルス感染症……124
    ウイルス性肝炎/ 亀山忠光……124
    成人T細胞白血病/ 亀山忠光……127
    帯状疱疹/ 亀山忠光……128
    AIDS/ 亀山忠光……130
    インフルエンザ/ 亀山忠光……132
 細菌感染症……133
    MRSA/ 服部孝範……133
    結核/ 服部孝範……136
    STD/ 服部孝範……138
3章 常用薬と歯科治療……141
    抗血栓剤/ 浅田 洸一……142
    ステロイド剤/ 浅田 洸一……144
    カルシウム拮抗剤/ 浅田 洸一……146
    降圧剤/ 浅田 洸一……148
    薬物相互作用一覧/ 浅田 洸一……150
4章 精神障害と歯科治療……155
    精神分裂病/ 都 温彦……156
    躁うつ病/ 飯塚忠彦,西田光男……158
    ノイローゼ/ 都 温彦……161
5章 悪性腫瘍と歯科治療……165
    悪性腫瘍/ 小村 健……166
    付)妊娠・周産期と歯科治療/ 藤田浄秀……171
    高齢者の歯科治療……175
6章 高齢者の一般歯科治療……177
    診断および治療上の要点/ 海野雅浩……178
    保存治療/ 砂川光宏,須田英明……183
    補綴治療/ 渡辺 誠,佐々木啓一……188
    口腔外科治療/ 天笠光雄……195
7章 歯科治療リスクの回避と指導・管理……203
    局所麻酔/ 高杉嘉弘,古屋英毅……204
    投薬/ 鷲見正宏,水野 隆……213
    高齢者に起こりやすい偶発事故―予防と対策―/ 大渡凡人……222
    全部床義歯装着者に対する指導・管理/ 長尾正憲……231
 全身管理……237
8章 歯科医院における全身管理……237
    脈拍/ 鈴木長明……239
    呼吸/ 鈴木長明……243
    血圧/ 鈴木長明……245
    意識障害/ 鈴木長明……247
 緊急処置……249
9章 緊急処置の実際……249
    症状による分類/ 伊藤弘通……251
    緊急処置のフローチャート/ 伊藤弘通……252
    常備すべき薬剤と投与方法/ 伊藤弘通……263
    常備すべき器材と使用方法/ 伊藤弘通……268

文献……270
事項索引……273
薬剤索引……280