やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 女性の長いライフステージからみると,周産期はほんの短い期間である.しかし,人のライフステージにおいて非常に重要な意味をもつ.それは,妊娠・出産・育児は母から子へという世代間のライフサイクルをつなぐ大切な時期だからである.
 女性にとって,妊娠,出産,育児という母親になる過程における生活の変化は喜びでもあり,また同時に大きなストレスともなりうる.妊娠,出産,育児は,自分自身が大切にしていた仕事や趣味などをあきらめざるを得なかったり,今までの人間関係や価値観の変更を余儀なくされることもある.しかし,女性にとっての妊娠,出産は“おめでとう”という言葉によって周囲の人々から祝福される出来事であり,その過程で起こりうるストレスには,家族や周囲の人,専門家にも気づいてもらえないことも多い.特にわが国では「産後の肥立ちが悪い」という言葉があって心の不調であるという認識に至っておらず,本人でさえも気づかない場合もありうる.このように,出産は対人関係の変化や,喪失体験,役割葛藤などに直面する契機ともなる.女性にとって妊娠,出産は心理的・身体的にさまざまな影響を受けることになり,女性のメンタルヘルスが低下すれば,胎児や子どもの発達,配偶者にも悪影響をおよぼすことになる.
 しかし,その一方で妊産褥婦を支援する家族,近隣,地域の力量が低下しているため,専門家による妊産褥婦のメンタルヘルスケアが重要である.妊娠,出産,産褥期の女性は多様なメンタルヘルス問題に直面するリスクがあり,求められる対応も,症状に応じて精神科から地域での育児支援まで幅広い.特に産科医,助産師,看護師,保健師など母子保健にかかわるさまざまな職種の専門スタッフがメンタルヘルスの視点をもってなるべく早期に支援を開始しなければならない.症状に応じて社会的サポートの調整や対人関係の問題への対処,心理療法的かかわり,薬物療法などを適切な専門機関を通じて提供することが望まれる.
 本書は,マタニティサイクルにおけるメンタルヘルスの重要性,産後うつ病の発生要因,臨床診断と治療法,早期発見と看護診断,ケアの実際,児童虐待,心理教育的介入などを中心にマタニティサイクルとメンタルヘルスとしてまとめたものである.
 看護大学,看護大学院教育や臨床で,多くの医療者の方々にも広く活用していただきたいと考えている.
 最後に,分担執筆を快くお引き受けいただきました諸先生方,またモナシュ大学公衆衛生学部女性の健康研究部門のJane RW Fisher教授,医歯薬出版の編集担当者には大変お世話になり,ここに感謝申し上げます.
 2012年2月
 久米美代子
 堀口 文
第1章 ライフステージからみたマタニティサイクルとメンタルヘルス(堀口 文)
  1 現代社会における子育て女性を取り巻く状況
   (1)メンタルヘルスとは
   (2)ライフステージとは
   (3)マタニティサイクルとは
  2 ライフステージからみたマタニティサイクルの特徴
  3 産後の精神疾患への社会の関心および医学界の反応
  4 産後の三大精神疾患の特徴と鑑別の重要性
  5 妊産褥婦のメンタルヘルスに影響を与える疾患と要因
   (1)不安障害(anxiety disorder)とホルモンの関係
   (2)月経前症候群(PMS)と産後うつ病との関係
   (3)甲状腺疾患と妊娠・出産による影響
  6 ライフサイクルからみた妊娠関連のメンタルヘルス
   (1)幼少期から青春期
    暴力を受けた女性の妊娠・出産によるメンタルヘルスへの影響 摂食障害と妊娠・出産によるメンタルヘルスへの影響 不安障害のメンタルヘルスへの影響
   (2)成熟期および妊娠期
    不安障害と妊娠・出産によるメンタルヘルスへの影響 うつ病と妊娠・出産によるメンタルヘルスへの影響 統合失調症と妊娠・出産によるメンタルヘルスへの影響
  7 周産期のメンタルヘルスのサポート上の課題と方策
   (1)産後うつ病の母親への援助に必要な視点
   (2)うつ病の母親の養育を受ける子どもへの援助に必要な視点
   (3)産後うつ病へのサポートに必要な視点
第2章 産後うつと心理社会的発症要因(久米美代子)
  1 女性とうつ
  2 うつと性差
   (1)性差をもたらす要因
    生理学的要因 心理社会的要因
  3 産後のストレス
   (1)発生要因
   (2)発生メカニズム
   (3)ストレス適応機構
  4 産後うつ病の概要
   (1)発症要因
    生物学的要因 心理社会的要因 産後の抑うつに関するリスク要因
   (2)発症メカニズム
   (3)産後抑うつ状態が及ぼす影響
  5 産後抑うつ状態の関連要因
   (1)抑うつに関する内的要因と環境要因
    内的要因 環境要因 その他の規定要因
  6 内的要因と環境要因との関連性
   (1)愛着スタイルと環境要因との関連
   (2)マスタリーと環境要因との関連
第3章 周産期の気分障害における臨床診断と治療法(岡野禎治)
  1 はじめに
  2 周産期の精神障害の診断
   (1)気分障害の精神科診断の大分類
   (2)大うつ病性障害
    大うつ病性障害(DSM-IV-TR)/ 妊娠期のうつ病(antenatal depression,prepartum depression) 産褥期のうつ病(postnatal depression,postpartum depression)
   (3)双極性障害
    躁病エピソード 産褥期と双極性障害の深い関係
  3 その他の産褥期の精神疾患
   (1)マタニティブルーズ(maternity blues,baby blues)
   (2)産褥精神病
   (3)神経症性障害
    全般性不安障害 パニック障害 強迫性障害 心的外傷後ストレス障害(PTSD:posttraumatic stress disorder) 一般の身体的疾患に伴う気分障害
  4 周産期のうつ病のスクリーニング
   (1)エディンバラ産後うつ病自己質問票(EPDS:Edinburgh Postnatal depression Scale)
   (2)包括的2項目質問票(two questions method)
  5 周産期における気分障害の治療
   (1)電気痙攣療法(ECT:electroconvulsive therapy)
   (2)周産期における薬理学的治療
    薬理学的治療に対する意思決定のプロセス 未治療の場合のリスクの評価
   (3)妊娠期における薬理学的治療
    抗うつ薬 気分安定薬(mood stabilizer)
   (4)産褥期における薬理学的治療
    抗うつ薬 / 気分安定薬
   (5)薬理学的治療のまとめ
   (6)代替治療
   (7)心理学的治療
   (8)母子ユニット(mother and baby unit: MBU)
   (9)デイ・ホスピタル・ユニット
   (10)精神科医療機関への入院
  6 予防に向けて
   (1)薬理学的予防的介入
   (2)社会心理的方法による産前からの予防的介入
第4章 産後うつ病の早期発見と看護診断(野口真貴子)
  1 産後うつ病の早期発見
   (1)産後うつ病のリスク因子
   (2)マタニティブルーズと産後うつ病
   (3)産後うつ病のスクリーニング時のかかわり
   (4)産後うつ病の症状
  2 産後うつ病の看護診断
   (1)産後うつ病における看護問題
   (2)NANDA-I(North American Nursing Diagnosis Association International)の看護診断
   (3)Gordonの看護診断
   (4)産褥期のマタニティ診断
   (5)新生児期のマタニティ診断
第5章 産後うつ病のケア
 1 正常分娩・帝王切開・不妊に対する心のケアと家族のケア(原田通予)
  1 産後うつ病予防のための介入と早期発見のためのケア
   (1)妊娠期のケア
    リスク因子とケアのポイント 不妊治療後の妊娠期の援助
   (2)分娩期のケア
    分娩様式とケアのポイント 帝王切開術の場合の援助
   (3)産褥期のケア
    マタニティブルーズに対するケアのポイント 帝王切開術後の心理的ケアのポイント 不妊治療後の妊娠に対するケア
   (4)育児期のケア
    褥婦を支える家族に対する支援
   (5)産後うつ病を発生した場合のケアのポイント
  2 産後に不安を訴える初産婦へのケアの実際
  3 妊娠期から産後までの母子と家族のケア
 2 産後うつ病の母親への母乳育児支援(田中奈美)
  1 産後うつ病と母乳育児の関連
  2 授乳中の母親の産後うつ病に対する治療的アプローチ
   (1)ジョイング,エモーショナルサポート,ソーシャルサポート
   (2)産後うつ病の母親のためのセルフケア
   (3)心理療法
   (4)薬物療法
    薬物療法の選択 授乳中の服薬について 母親が抗うつ薬を内服中の乳児へのフォロー
   (5)薬物療法の母乳への影響
    選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI) 三環系抗うつ薬,四環系抗うつ薬 セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI) ノルアドレナリン・セロトニン作動性抗うつ薬(NaSSA)
  3 「断乳」の適応
  4 精神科医に紹介するタイミング
  5 小児科医との連携
  6 母親に対する支援の具体的な会話例
   コラム 事例:コミュニケーション・スキルを使った会話例
 3 新生児の観察と母親のメンタルヘルス(村山より子)
  1 はじめに
  2 新生児のメンタルヘルスと母子相互作用の重要性
  3 新生児の感覚機能の発達
  4 うつの母親が最も気にする新生児の態度・行動
  5 母児への継続的なメンタルヘルスケア
 4 産後の家庭での過ごし方と地域での継続支援(刀根洋子)
  1 母親になることへの理解−ジェンダーセンシティヴな視点−
  2 産後うつ病の家庭での過ごし方
   (1)心理教育の必要性
   (2)日常の過ごし方
    一日の目標を立てて生活のリズムを作る 心理的休息 コミュニケーション 気分コントロールとリラクセーション 十分な睡眠 適度な運動 栄養 アサーティブトレーニング/アサーションスキル アルコール,タバコ,睡眠薬への依存
   (3)育児のサポート
   (4)受診の時期と治療,カウンセリング
   (5)家族への影響とサポート
    家族への心理教育(サイコエデュケーション) コミュニケーションの取り方 症状の観察と服薬の支援 産後うつ病を発症しやすい背景と環境
  3 地域におけるメンタルヘルスケア
 5 若年女性のメンタルヘルス上の問題とケア(小川久貴子)
  1 月経前症候群(PMS)
  2 過食症・神経性食欲不振症
  3 10代女性の人工妊娠中絶
   (1)人工妊娠中絶の減少
   (2)人工妊娠中絶後の抑うつとの関連
   (3)人工妊娠中絶後のケア
  4 若年女性の妊娠・出産
   (1)10代女性が出産に至る割合
   (2)若年妊婦のストレスフルなライフイベント
   (3)若年妊婦の対処方略および0歳児虐待の潜在性
   (4)若年妊婦のヘルスケア
第6章 家庭内暴力としての子どもの虐待(加茂登志子)
  1 はじめに
  2 わが国における子ども虐待の実態
  3 子ども虐待による死亡事例の概観
  4 女性の健康・安全から子ども虐待の防止について考える
   (1)望まない妊娠・出産へのアプローチ
   (2)性暴力被害者へのアプローチ
   (3)DV被害者へのアプローチ
   (4)切れ目のない支援を行う
  5 加害親の肖像
  6 親子の相互関係への介入
第7章 産後精神疾患を予防するための心理教育的介入プログラムの開発:多角的アプローチ(Jane RW Fisher,Heather J Rowe著/黒岩 美幸,堀口 文訳)
  1 産後メンタルヘルス問題の背景にあるものと新しい予防手段
   (1)産後メンタルヘルス問題の本質と蔓延
   (2)産後うつ病予防のための一般的な介入
   (3)産後の精神疾患の新しい予防手段
    親密なパートナーとの関係 ぐずる児(unsettled baby)の行動 労働疲労感 うつ病の社会理論
  2 心理教育的介入プログラムの概要
   (1)研究方法
   (2)調査地域と期間
   (3)対象者
   (4)介入プログラム
    介入の仮説原理 心理教育的アプローチ 具体的内容
   (5)標準的なケア
   (6)データソース
   (7)サンプルサイズ
  3 心理教育的プログラムの実施結果
   (1)対象者
   (2)メンタルヘルスの結果
   (3)6カ月の時点でのメンタルヘルスに関連する因子
   (4)感受性分析
  4 結論
第8章 産後うつ病を予防するためのメンタルヘルスケアの今後の課題(久米美代子)
  1 産前教育の改善・充実
  2 産後うつ病の母親への援助.母子ユニットの開設
   (1)メルボルン大学,オースチン病院の精神科病棟に併設のペアレント・インファントユニット
   (2)私立マサダ病院にある母子ユニット
  3 家族の支援と役割分担への援助
  4 社会的援助システムの構築
   (1)啓蒙活動
   (2)保健医療的支援
   (3)サポートグループ
   (4)情報の支援
  5 母親本人の対処行動の強化

 索引