やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 歯科で頻繁に使われる浸潤麻酔は,針を刺して薬液を注入するという単純かつ,容易な手技であり,多くの場合,事故もなく麻酔の目的は達せられる.しかし,必ずいつもそのようになるわけではない.全身的偶発症が発生するのは,局所麻酔の注射中,あるいはその直後が約55%の頻度であり,治療中に発生する場合(25%)よりもはるかに多い.また,歯の麻酔効果は解剖学的,生化学的,薬理学的,心理学的理由によって左右される.したがって,麻酔不奏効の原因を理解していないと患者に痛い思いをさせるだけでなく,繰り返し注射による過量投与で血流を遮断し,粘膜や歯槽骨の壊死など思いがけない結果を招くことになる.さらには,局所麻酔が局所にとどまらず,致死的な全身的偶発症の原因にからむことは死亡例の裁判からも学ぶところである.
 常に十分な麻酔効果を得るためには,知識と的確な手技が必要であるが,的確な手技に関するEBMは実は少ない.といってガイドができないわけではない.
 局所麻酔の歴史は全身麻酔よりも新しく,得られる効果の大きさに比べれば驚くほどに簡便である.1884年にオーストラリアでコカインによる表面麻酔作用が発見されてから多くの研究を経て,1943年にスウェーデンからリドカインが誕生し,エピネフリンが添加されて歯科用として市販された.以来,リドカインは半世紀以上にわたって歯科用局所麻酔薬としてグローバルスタンダードとなって世界の歯科医師にとってもっとも身近な薬剤となっている.この間,新薬が出なかったわけではなく,わが国ではフェリプレシン添加プリロカインが,また最近では,エピネフリン無添加でも効果の良好なメピバカインが発売され,歯科で選択できる薬剤が増し,臨床にとってより望ましい状況となってきた.しかし,日本の歯科医師は,常に最良の薬品を患者に使用できるわけではない.市販にいたる新薬は,開発販売会社の市場経済原理に基づいているので,厚生労働省の定める治験に要する経費と手間が,市販後の収益に見合うものでなければ治験薬として申請されない.約20年前にドイツで開発されたアーティカインは,リドカインの麻酔効果を凌ぐ作用から,同国内でのシェアはリドカインと逆転しているほど好まれた局所麻酔となっているが,企業の経済原則に従ってわが国での使用は許可されていない.
 安全と苦痛のない歯科治療のためには,局所麻酔を手中に収めることがキーポイントである.局所麻酔は,氷山のようなもので,簡単な手技という海面上の小さな氷の下には危険性と不奏効という重大な問題を含んだ大きな氷塊が潜んでいる.本書は,藤沢薬品の出版部である診療新社より発行されていたが,今回新しく医歯薬出版から刊行されるに伴い,局所麻酔の安全性と効果についてのアップデートな観点からすべての項目を見直し,改訂した.本書はQ&A形式で,臨床医が氷山の全体像を理解しやすいように意図して作成した.読者ご自身の安全な航海の一助になれば幸いである.
 最後に本書は,初版では東京歯科大学歯科麻酔学講座の五十嵐治元講師に,今回は前版に引き続いて間宮秀樹講師と医局員に大変な尽力をいただいた.この場を借りてお礼を申しあげたい.
 2006年9月
 第11回国際歯科麻酔学会議を目前にして
 金子 譲
1 カートリッジ・器具
 Q1-1 カートリッジを再使用してはいけないか.
 Q1-2 カートリッジの保管法でしてはならないことは.
 Q1-3 カートリッジはどうやって消毒するか.
 Q1-4 使用後の針,カートリッジの処理と注射器の消毒はどうするのか.
 Q1-5 エピネフリン添加リドカインカートリッジはどのように希釈するか.
 Q1-6 自動吸引式注射器は役に立つか.また,その使用法は.
 Q1-7 電動注射器の利点と欠点は何か.
 Q1-8 防腐剤添加・無添加の局所麻酔カートリッジの保存方法の違いは何か.
 Q1-9 注射針のリキャップの正しい方法は何か.
2 薬理
 Q2-1 局所麻酔薬は組織,細胞に障害を与えるか.
 Q2-2 局所麻酔薬の基準最高用量とは.
 Q2-3 添付文書にある局所麻酔薬中毒のLD50(mg/kg)はどのように理解すればよいか.
 Q2-4 局所麻酔薬中毒は歯科使用量で起こるのか.
 Q2-5 各局所麻酔薬の強さを比較するのに便利な指標は何か.
3 適応
 Q3-1 禁忌症以外で局所麻酔を行わないほうがよい場合があるか.
 Q3-2 エピネフリン添加リドカイン,フェリプレシン添加プロピトカイン,エピネフリン添加プロピトカインの使い分けはどのようにするか.
 Q3-3 血管収縮薬無添加メピバカイン製剤(スキャンドネストRカートリッジ)の適応は.
 Q3-4 リドカインと他の局所麻酔薬を併用できるか.
 Q3-5 どのようなときにエピネフリン添加リドカインの希釈をするのか.
 Q3-6 歯科で用いられている代表的な局所麻酔薬の特徴は.
4 全身管理
 Q4-1 局所麻酔時のリスクマネージメントとは.
 Q4-2 歯科診療室に常備しておいたほうがよいモニタとその適応は何か.
 Q4-3 局所麻酔を行うときに注意を必要とする疾患はどのようなものか,またその注意点とは何か.
 Q4-4 高血圧症の患者にはどのように対処するか.
 Q4-5 高血圧症患者が内服している薬と局所麻酔薬との関係で注意が必要なものは何か.
 Q4-6 糖尿病疾患を理解するためのポイントは何か.
 Q4-7 肝疾患を理解するためのポイントは何か.
 Q4-8 局所麻酔注射に対して極度の嫌悪感をもち,不安を訴える患者にはどうすればよいか.
 Q4-9 循環器系疾患の患者にはどのように対処するか.
 Q4-10 抗血栓薬内服患者に対して局所麻酔を行うときの注意点は何か.
5 血管収縮薬
 Q5-1 血管収縮薬の添加目的と副作用にはどのようなものがあるか.
 Q5-2 血管収縮薬の薬理作用は.また血管収縮薬が禁忌の患者とその理由は.
 Q5-3 ノルエピネフリンが血管収縮薬として使用されなくなった理由は何か.
 Q5-4 局所麻酔薬添付文書に記載されている禁忌,原則禁忌,慎重投与の意味は何か.
 Q5-5 エピネフリン原則禁忌とは.
 Q5-6 血管収縮薬の濃度と麻酔効果にはどのような関係があるのか.
 Q5-7 フェリプレシンは冠動脈疾患患者に対して安全に使用できるのか.
 Q5-8 血管収縮薬のアレルギーはあるのか.
6 表面麻酔
 Q6-1 局所麻酔を行う際の表面麻酔の必要性は.
 Q6-2 表面麻酔のために用いるリドカインスプレー,リドカインゼリーはどのくらいまで使用できるか.
 Q6-3 表面麻酔の効果が十分発現するにはどのくらい時間が必要か.
 Q6-4 表面麻酔には殺菌作用があるのか.
 Q6-5 表面麻酔薬のスプレーと軟膏などとの使い分けはどのようにするか.
 Q6-6 表面麻酔を行う際のポイントは.
7 浸潤麻酔
 Q7-1 局所麻酔刺入時,痛みを与えない方法は.
 Q7-2 下顎舌側への浸潤麻酔はなぜ危険か.
 Q7-3 浸潤麻酔の手技の基本的原則として何があるか.
 Q7-4 歯のための浸潤麻酔の標準的な方法は.
 Q7-5 細い注射針のほうが痛みは少ないか.
 Q7-6 局所麻酔時に針を折り曲げて使用してもよいか.
 Q7-7 局所麻酔薬の注入速度が遅いと痛みは少ないか.
8 下顎孔伝達麻酔
 Q8-1 有効に下顎孔伝達麻酔を行う方法は(刺入点,方向,薬剤量).
 Q8-2 下顎孔伝達麻酔で血液がカートリッジに吸引されたが,その後はどうすればよいか.
 Q8-3 伝達麻酔で薬液を注入するときには何に注意すればよいか.
 Q8-4 血管内に麻酔薬が入ったようだがどうすればよいか.
 Q8-5 伝達麻酔をエピネフリン添加リドカインで行ったところ,麻酔が醒めるまで4時間もかかった.カートリッジの保管方法が悪いのか.原因は.
 Q8-6 下顎孔伝達麻酔後,開口障害が出たときの原因と処置は.
 Q8-7 伝達麻酔の奏効範囲は.
 Q8-8 下顎孔伝達麻酔後に鼻唇溝消失,眼瞼の閉鎖不全,口笛不能が生じた.伝達麻酔が原因か.
 Q8-9 電動注射器は下顎孔伝達麻酔に使えるか.
 Q8-10 インプラント埋入時に伝達麻酔は必要か.
 Q8-11 Gow-Gates法とはどのような方法か.
9 歯根膜内注射
 Q9-1 歯根膜内注射の局所麻酔薬の種類は.
 Q9-2 歯根膜内注射の適応と効果は.
 Q9-3 歯根膜内注射の合併症とその対処法は.
10 麻酔方法
 Q10-1 抜歯時と抜髄時の麻酔法の相違は.
 Q10-2 スケーリング,盲嚢掻爬時の麻酔手技の注意点は.
 Q10-3 膿瘍切開のための麻酔法は.
 Q10-4 よく効く局所麻酔のポイントは何か.
 Q10-5 浸潤麻酔の刺入点はどこに求めればよいのか.
11 麻酔効果
 Q11-1 浸潤麻酔の麻酔効果が表れない原因は.
 Q11-2 浸潤麻酔が効かない場合の対処法は.
 Q11-3 下顎孔伝達麻酔が奏効しない理由とその対策は.
 Q11-4 エピネフリン添加の有無で局所麻酔の臨床効果に変わりはあるか.
 Q11-5 浸潤麻酔で麻酔が5〜10分経過しても効かなかったが,他のロットの製品を使用したら効いたとのことであり,この原因はどんなことが考えられるか.なお,製品試験を行った結果,製品には問題がなかった.
 Q11-6 患者を水平にして,伝達麻酔をするとよく効くというのは本当か.
 Q11-7 局所麻酔が奏効しにくい患者への対応はどうすればよいか.
 Q11-8 局所麻酔が効かないと思い込んでいる患者への対応は.
 Q11-9 麻酔効果が弱い場合,同一部位にどのくらいの量を注入してもよいのか.
12 妊婦
 Q12-1 歯科用麻酔薬の妊婦および胎児への影響は.
13 小児・高齢者
 Q13-1 小児に対しての局所麻酔実施時の注意事項は.
 Q13-2 小児への伝達麻酔の必要性は.
 Q13-3 局所麻酔時に子どもが眠ってしまうことがあるが,局所麻酔薬が原因か.
 Q13-4 小児の咬傷を防ぐ有効な手段は.
 Q13-5 高齢者に対しての局所麻酔実施時の注意事項は.
 Q13-6 高齢者への下顎孔伝達麻酔法の注意点は.
14 局所的合併症
 Q-14-1 浸潤麻酔で数名の患者に口内炎(潰瘍)が発生した.その原因と治療法には何があるか.
 Q14-2 下顎孔伝達麻酔中に注射針が折れてしまった場合,どうすればよいか.
 Q14-3 下顎孔伝達麻酔後,数日経ても口唇部の知覚鈍麻がとれないのだが,どうすればよいか.
 Q14-4 下顎孔伝達麻酔や抜歯操作によって舌神経の麻痺が起こるか.
15 全身的偶発症
 Q15-1 局所麻酔で発生する全身的偶発症の種類には何があるか.
 Q15-2 塩酸プロピトカインで起こるメトヘモグロビン血症とは.
 Q15-3 局所麻酔薬によって起こる重篤な全身的偶発症には何があるか.またその予防法は何か.
 Q15-4 浸潤麻酔で若干の頭痛が発生したので当日は治療を中止した.後日浸潤麻酔を行ったときには頭痛はなかったとのことであるが,初診時の頭痛の原因はどんなことが考えられるか.
 Q15-5 局所麻酔時の全身的偶発症の初期処置はどのようにすればよいか.
 Q15-6 歯科治療時の全身的偶発症の頻度は.
 Q15-7 歯科治療時の全身的偶発症の原因は.
 Q15-8 下顎孔伝達麻酔後に患者の顔色がみるみる青くなってしまった.どうすればよいか.
 Q15-9 血管迷走神経反射とは何か.
 Q15-10 上顎第一大臼歯頬側に浸潤麻酔をしたところ眼窩下部に貧血部位ができて,1時間くらいで消失した.その後はどのような処置が必要か.
16 アレルギー
 Q16-1 局所麻酔薬アレルギーの基本的な事柄とは.
 Q16-2 薬剤アレルギーの種類と症状とは.
 Q16-3 局所麻酔薬アレルギーの種類と機序とは.
 Q16-4 歯科でアレルギーといわれた患者に対してどう対処するか.
 Q16-5 局所麻酔薬をはじめて使用する患者にはアレルギーは起こらないのか.
 Q16-6 局所麻酔薬の種類でアレルギーの起こりやすさは違うか.
 Q16-7 局所麻酔薬アナフィラキシーと血管迷走神経反射との鑑別は.
 Q16-8 アレルギーテストとその有用性は.
 Q16-9 アレルギー陽性患者に局所麻酔を行う場合の注意事項は.
 Q16-10 アレルギー反応が起きたときの処置は.
 Q16-11 皮内テストはどのように行うか.
 Q16-12 アナフィラキシーショック発症は,通常5〜10数分以内とされているが,5時間以上後でもショックは起こるのか(ショックの遅延型はあるのか).
 Q16-13 局所麻酔薬またはその添加物にアナフィラキシーの疑いのある患者に対する検査法は.
 Q16-14 花粉症や喘息,食物アレルギーのある患者に事前のアレルギーテストは必要か.
17 救急処置
 Q17-1 歯科医師の救急救命処置に関する行政の見解はどのようになっているか.
 Q17-2 一般歯科診療所での救急用具と薬品は,どのようなものを備えればよいか.
 Q17-3 局所麻酔時にバイタルサイン,特に血圧と脈拍が変化したときにはどのような危険のサインと理解するのか.
 Q17-4 救急処置の手順とは.
 Q17-5 心肺蘇生法ガイドライン2005に基づく救急体制とは.
 Q17-6 AEDとは何か.
 Q17-7 B型肝炎(HB)ウイルス感染者に使用した注射針を自分の指に刺したときの対処法は.
・索引