やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 斎藤博久(国立成育医療センター研究所免疫アレルギー研究部)
 アレルギー疾患罹患率,およびその背景となるアレルギー体質をもつ人が増えている.これらの増加はとくに若い世代において顕著であり,わが国の20歳代の男子ではどの調査においても,8割以上がダニあるいはスギ抗原の,すくなくとも一方により感作されている(アレルギー体質の保有).また,投薬を必要とするアレルギー疾患群の割合はアレルギー体質保有者のうち,半数以上である.したがって,アレルギー疾患患者の日常診療はたいへんな仕事量であり,アレルギー専門医でさえも研究に費やす時間はおろか,海外の文献を含む最先端の研究成果を理解する時間もとれない状況になっている.
 一方,アレルギー学,免疫学に関する基礎研究においてはゲノム配列解読の影響を受け,対数的に情報量が増加している.また,わが国の基礎免疫学は世界をリードするほどの勢いであり,国内学会でも多くの新しい発見に関する発表を聴くことができるようになっている.
 わが国の研究領域で,欧米と比較して大きく遅れをとっているのは,いわゆるトランスレーショナル研究,臨床研究である.しかし,現在のアレルギー学に関する状況においては,先端的基礎免疫学研究と臨床アレルギー診療の解離がいっそう強くなりつつあるように感じられる.基礎研究成果を臨床に応用していくためには,良質な臨床情報をもった臨床サンプルを用いた臨床研究が不可欠である.良質な臨床情報を得るためには,医療関係者が先端的な免疫学やゲノム科学を理解したうえで診療を行う必要がある.臨床サンプルの数が揃えば,統計学的有意差を出すことができ,科学的に証明されたことになり,一流雑誌に論文を掲載してもらうことが可能になる.臨床サンプルの数を集めるだけであれば,医療関係者にはさほど先端的な基礎医学を理解する必要は生じない.しかし,科学的に証明され,超一流雑誌に掲載された論文発表成果が実際の臨床症例には当てはまらないことも多い.いま必要なのは,数は少なくとも,良質な臨床サンプルではなかろうか.
 そこで,多忙なアレルギー診療に携わる医療関係者に対して,わが国の最先端の基礎免疫学,アレルギー学を研究者から紹介していただくことを目的として本書を組んでみた.
 さて,対話をはじめる前に,アレルギー学にかかわる用語の統一が必要であると思われる.実際,“アトピー“という用語を例にとってみると,本来の“花粉症や喘息などの疾患を家族内に多発する体質”という意味以外に,アトピー性喘息のように,“IgE依存性アレルギー“のこととして使用される場合も多い.世界アレルギー機構(WAO)ではこのような混乱を避けるため,アレルギー疾患に関する用語改訂を提案している1).詳細はオリジナル文献1)を参照いただきたいが,ポイントとなる“過敏症”,“アレルギー“,“アトピー”に関して定義を記載する.
 過敏症:正常被験者には耐えられる一定量の刺激への曝露により,客観的に再現可能な徴候を引き起こす疾患のこと.
 アレルギー:免疫学的機序によって開始される過敏性反応.
 アトピー:低用量のアレルゲンに反応してIgE抗体を産生し,喘息,鼻結膜炎,湿疹などの典型的な症状を発症しやすい個人的または家族性の体質.
 したがって,アトピー喘息ではなく,“(IgE依存性)アレルギー性喘息”と統一し,アトピーという用語は,皮膚炎を除き,家族性の体質を指す場合以外は使用しない.過敏症とアレルギーを厳密に区別する点も重要である.そうすることにより,化学物質過敏症は免疫反応が介在しないこと,アレルギーではないことが明確になる.
 食物アレルギーにおいて使用されてきた仮性アレルギーという用語は,“非アレルギー性食物過敏症”に統一される.すなわち,食物アレルギーを例にとると図1のように,階層的かつ論理的に診断が行われる.なお,実際にIgE非依存性の機序とIgE依存性の機序が同時に証明されるケースも多く予想されるが,合併ということにする.
 すべての原稿を,WAOによる用語改訂案に合わせることは無理であるが,読者の多数を占める臨床に携わる医療関係者におかれては,ぜひ,アレルギー学に関する用語の意味を振り返りながら,ご一読いただければ幸いである.
 本書が,アレルギー診療に携わる医療関係者と先端的免疫学研究者との幸福な出会いに結びつき,共同研究へと進展することを願うとともに,そのことをいしずえとして,わが国の臨床アレルギー学が対数的に発展することを祈念したい.
文献
1)Johansson,S.G.et al.:Revised nomenclature for allergy for global use:Report of the Nomenclature Review Committee of the World Allergy Organization,October 2003.J.Allergy Clin.Immunol.,113:832-836,2004.
はじめに(斎藤博久)
■第1章 アレルギー疾患発症予防のストラテジー
 1.Hygiene hypothesis(松本健治)
  ●新生児の免疫学的偏向
  ●古典的なhygiene hypothesis
  ●感染症とアトピー素因,アレルギー疾患
  ●感染症以外の環境要因
  ●自然免疫とアレルギーの発症
  ●腸内細菌叢とアレルギー疾患の発症
  ●Th/Th2とregulatory T cell
 2.自然免疫とアレルギー疾患発症(星野克明・改正恒康)
  ●アレルギー疾患
  ●TLRの特徴
  ●TLRとPAMPs
  ●TLRのシグナル伝達機構
  ●MyD88非依存的シグナル伝達経路と意義
 3.調節性T細胞とTh/Th2パラダイム―アレルギー疾患における調節性T細胞の重要性(下条直樹)
  ●アレルギー疾患患者におけるTh/Th2バランス
  ●Th1細胞誘導の機序
  ●Hygiene hypothesisとその矛盾
  ●アレルギー疾患に関連する調節性T細胞
 4.ケモカインとTh/Th2細胞(平井浩一)
  ●CCR4
  ●CCR3
  ●CCR8
  ●CCR5,CXCR3
 5.感染,抗生物質投与とアレルギー疾患の発症(榎本雅夫・程雷)
  ●感染機会の減少とアレルギーの増加
  ●ツベルクリン反応とアレルギー発症
  ●抗生物質投与とアレルギー発症
 6.下気道ウイルス感染と喘息発症(吉原重美・他)
  ●疫学からみた喘息の発症における気道ウイルス感染の関与
  ●胎外因子としての喘息発症における気道ウイルス感染の関与
  ●胎内因子からみた喘息発症における気道ウイルス感染の関与
  ●RSV気道ウイルス感染予防による喘息発症の阻止
■第2章 アレルギー疾患発症を調節する遺伝子・分子
 7.IgE産生調節分子としてのId2(横田義史)
  ●免疫グロブリンにおけるクラススイッチ
  ●Id2欠損マウスのB細胞
  ●ωGLTの発現制御
  ●TGF-β1の下流遺伝子としてのId2の機能
 8.IgE受容体発現調節因子(西山千春)
  ●IgE受容体α鎖遺伝子構造と発現調節機構
  ●IgE受容体β鎖遺伝子構造と発現調節機構
  ●遺伝子多型とIgE受容体発現
  ●今後の展望
 9.SOCS-3とアレルギー疾患発症(久保允人)
  ●SOCS-3の発見とその働き
  ●Th1・Th2分化を制御するサイトカインシグナルとSOCS分子の発現
  ●Th/Th2細胞とSOCS分子の発現
  ●SOCS-3の発現とアレルギー性炎症
 10.連鎖解析によるアレルギー疾患発症関連遺伝子探索(野口恵美子)
  ●気管支喘息
  ●アトピー性皮膚炎の全ゲノム解析
  ●カモガヤ花粉症の全ゲノム解析
 11.SNPsを用いた全ゲノム領域における気管支喘息関連遺伝子の解明(玉利真由美)
  ●日本人集団における全ゲノム領域のSNPデータベースの構築
  ●高速大量SNPタイピング(multiplex PCR-invader法)
  ●SNPタイピング結果の情報解析
  ●どのSNPに注目して解析を進めるか
 12.機能的アミノ酸変異とアレルギー疾患発症(加藤善一郎・近藤直実)
  ●IL-12システム
  ●IL-18システム
■第3章 アレルギー疾患増悪に関与する分子・細胞
 13.マスト細胞研究最前線(岡山吉道)
  ●寄生虫感染とマスト細胞
  ●細菌感染とマスト細胞
  ●自己免疫疾患とマスト細胞
  ●気道リモデリングとマスト細胞
 14.好酸球研究の最前線(藤澤隆夫)
  ●抗IL-5抗体の無効報告が投げかけた波紋
  ●Leckieの報告に対する反論
  ●肥満細胞もMBPを産生・遊離する
  ●気道リモデリングと好酸球
  ●自然免疫と好酸球
  ●ヒスタミンと好酸球
 15.ウイルス感染による喘息増悪のメカニズム(松倉 聡)
  ●感染と喘息増悪
  ●感染による喘息増悪の機序
 16.網羅的遺伝子発現解析による炎症細胞の比較解析(中島敏治)
  ●マイクロアレイ(GeneChip)による遺伝子発現解析
  ●マスト細胞特異的発現遺伝子
  ●好塩基球,好酸球などに特定的な発現遺伝子
  ●IgEレセプターを刺激したマスト細胞の発現遺伝子
  ●活性化したCD4+T細胞の発現遺伝子
■第4章 アレルギー疾患治療法の近未来
 17.抗IgE抗体療法―臨床効果と今後の動向(大田 健)
  ●ヒト化抗ヒトIgE抗体とは
  ●抗IgEによるアレルギーの治療効果
  ●将来の展望
 18.サイトカインを標的とした治療法(出原賢治)
  ●Th2型サイトカイン作用の抑制薬
  ●Th2分化阻害薬
  ●Tr細胞の関与
 19.脂質メディエーターを標的とした治療の可能性(田中宏幸・永井博弌)
  ●ロイコトリエン産生経路とLTD4の意義
  ●病態形成因子としてのプロスタグランジンD2(PGD 2)
  ●アレルギー性炎症とCOX
  ●制御性プロスタノイドとしてのPGI2
 20.CpGモチーフによるアレルギー疾患治療法(佐野公仁夫)
  ●背景
  ●喘息モデルにおけるCpGモチーフの治療効果
  ●未知との遭遇とアレルギー
  ●おわりに―臨床への発展性
 21.BCGによるI型アレルギー疾患治療の可能性(山下政克・中山俊憲)
  ●Th/Th2細胞の機能とその分化
  ●I型アレルギー発症機序
  ●BCGおよび結核菌由来ペプチドによるTh1細胞の分化誘導
 22.抗原特異的免疫療法(松下 祥)
  ●T細胞エピトープをそのまま用いる場合
  ●一残基置換ペプチドを用いる場合
  ●多残基置換ペプチドを用いる場合
  ●ペプチドの長さを変えて用いる場合
  ●抗原提示分子を選択して用いる場合
  ●アジュバントとともに用いる場合
 23.アレルギー疾患のオーダーメイド医療―ゲノム情報に基づく臨床医学研究の現状(斎藤博久)
  ●喘息などアレルギー疾患の原因となるSNP発見のための戦略
  ●アレルギー疾患薬剤応答性遺伝子SNP
  ●トランスクリプトーム解析によるアレルギー疾患・治療薬関連遺伝子の検出

■サイドメモ目次
 調節性T細胞とそのサブタイプ
 CRTH2
 Regulatory T cell
 連鎖不均衡
 構造生物学
 MBPとPro MBP
 TLR3のシグナル伝達
 マイクロアレイ(microarray)
 二相性喘息反応
 気道リモデリング
 ゲノムワイドなオーダーメイド検査