やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

第2版の序
 本書「抗凝固薬の適正な使い方」は,2000年(平成13年)3月10日に発行されてから,8年が経過した.その間,医学生,研修医,医師,検査技師などの医療従事者のハンドブックとして重宝され,常に机上に置かれ愛用されてきた.その8年の経過と共に学術研究は進歩し,臨床治療における創薬および治療法の開発が著しく進捗した.ここで諸氏からの要望に応えて,本書の内容充実を図り改訂することになった.
 私(櫻川信男)は,昭和37年(1962年)より,故松岡松三先生(元新潟大学教授)および故安部 英先生(元帝京大学副学長)から血液凝固学を学び,さらに米国ウェーン大学故Seegers教授(1969〜1971年)のご指導を受け,以来,ウロキナーゼによる血栓溶解療法,アンチトロンビンIII異常症(富山)の発見,および漢方薬の凝固線溶など一貫して血液凝固・線溶の研究に取り組んできた.ここで抗凝固薬についての全般的な解説書の編集に携わることができることは幸いである.
 改訂にあたっては,櫻川信男,上塚芳郎,和田英夫が協同で編集を行い,初版の編集をされた青ア正彦先生には引き続きご助力を賜った.
 今改訂版も第1版に引き続き,医学生,研修医,医師をはじめとする医療従事者各位の便利なハンドブックとなることを祈念する.
 出版にあたり医歯薬出版の担当者諸氏に深甚なる感謝の念を表する.
 2008年9月
 富山大学名誉教授・豊浦病院長
 櫻川信男

第1版の序
 昭和37年(1962年)4月,新潟大学第一内科へ入局し,血液学専攻の臨床医として多忙な毎日を送っていたある日,当時の主任教授の故西川光夫教授が『心筋梗塞の患者の治療に新しく抗凝固療法があるが,今後この方面が進歩発展すると考える.君がこれをやりたまえ』と指導された.ところで私は医学部の最終学年次に父をクモ膜下出血で失ったので,将来,脳卒中を専攻しようと決意していた.
 経口抗凝固療法はジクマロール(ワルファリン)を服用するが,その過剰用量では出血をきたして生命を脅かすものであると知り,早速の第一例の使用経験は勉強して不安のうちに無事well controlのトロンボテスト値を得たことが昨日のごとく想起される.そこで私は全国のどの研究施設でこの経口抗凝固療法がなされているかを探索し,基礎的研修から勉強を開始することを決意し,昭和38年(1963年)5月に東京大学第一内科血液凝固研究班を訪れた.
 上記のごとくワルファリン服用の経口抗凝固療法は,トロンボテスト測定でモニターされ,従来のプロトロンビン時間測定は肝機能検査法の一つと理解されていた.このプロトロンビン時間測定には市販『組織トロンボプラスチン・ガイギー』を使用していたが,東京大学での研修終了後は家兎脳より試作した私製組織トロンボプラスチンを用い,入院血友病患者(第VIII因子欠乏症)の診断は私一人による血液凝固研究班であったことより約2週間の時間を要した.一方,この組織トロンボプラスチンを用いる凝固時間測定値はその製品の質に依り『バラツキ」が大きく臨床的意義の決定に困惑した.ところで今日では入手したトロンボテストはキット化されており,容易に治療安全域を提供するので臨床医には安心して受け入れられて広く使用されている.
 さて,本格的高齢化社会を迎え,各種血栓症での抗凝固療法経験例を重ねるうちに,併用薬剤によりワルファリンの血中濃度が変動し,薬動力学的見地からアルブミンと強力な親和性を有するブコロームを併用することからトロンボテスト値が安定することを知り,新潟大学在職当時から臨床的に出血のリスクをなくした投与法を行ってきている.
 時代は進み,ワルファリン投与法のモニタリングも用手法測定から多項目自動分析器による測定と変化した.同時にプロトロンビン時間やトロンボテストは使用するトロンボプラスチンの種類や機器により測定値が変動することが判明した.これによりワルファリン投与量の相異がもたらされて出血あるいは血栓のリスクが惹起されることになった.一方,今日のごとく交通機関の発達により世界が狭くなり,各個人が利用する診療機関も世界的に拡大されるに至ったことから,経口抗凝固療法のモニタリングの標準化が必要になった.
 英国の畏友Poller氏は早くからかかる事実に注目してISI/INRシステムを唱導してきた.私ども,本書の編者はわが国においてもこのISI/INRシステム導入により経口抗凝固療法の適正化を企画し,国際会議(国際血栓止血学会,国際臨床化学会,国際血液学会など)や国内開催各種関連学会に研究報告し続けてきた.
 本書がここに完成されることにより経口抗凝固療法の安全化がもたらされることを臨床医として喜びたい.なお,本書には臨床使用可能な各種血栓症治療薬を網羅し,臨床医の手元に置く便利なハンドブックとなることを期待している.
 本書の出版に当たり,ISI/INRシステム研究にご協力を賜った医療関係業界の皆様および医歯薬出版の担当者諸氏に深甚なる感謝の念を表する.
 2000年1月
 富山医科薬科大学臨床検査医学教室
 櫻川信男

刊行によせて
 日本人の著者らによる新しい抗凝固療法に関する本の出現は,一つのランドマークであり,抗凝固薬への期待が世界的に高まっている現在,時宜を得た出版であります.
 この本はワルファリン治療に関するものだけではなくヘパリン,アンチトロンビンIIIやプロテアーゼ阻害薬などの新しい抗凝固薬に関しても書かれています.
 多くの国の病院や診療所では,抗凝固療法のモニタリングや管理の必要性を痛感しています.この本を読めば,臨床医,臨床検査技師の方々など日常抗凝固療法に関わっている人々が疑問に感じている点に関して答えてくれることでしょう.抗凝固療法の必要性の高まりにつれて,国によっては今まで病院で行われていた抗凝固療法がかかりつけ医,看護婦,臨床検査技師,薬剤師の手に委ねられようとしています.この本はそういうスタッフの要求にも応じてくれます.
 抗凝固薬の歴史は1916年にさかのぼります.McLeanという医学生が組織トロンボプラスチンの性状を研究しているときに,この物質が驚くことに強力な抗凝固物質を含んでいることを発見しました.ヘパリンの名の由来はこの物質が肝臓に豊富に含まれていることからきています.初期の粗製されたヘパリンは経静脈投与時に強い副作用をもっており,ようやく1930年代になってはじめて純粋なヘパリンが精製され,血栓症へ臨床応用されました.ヘパリンの限界は,経静脈的に投与しなければならないことと,半減期の短いことでした.しかし,この物質はその後50年間使われ続け,やっと10年ほど前に改良型で半減期が長く,凝固第IIa因子や第Xa因子に特異的に作用する低分子ヘパリンに置き換わり始めたばかりです.
 1930年代アメリカにおいてウシのスイートクローバー病の原因がクマリン化合物によることが発見されてから,経口抗凝固療法が世に出たのは1940年代のことでした.ワルファリンはウィスコンシン大学同窓会研究財団(Wisconsin Alumni Research Foundation)の頭文字を取ったものですが,抗凝固療法の代名詞として使われるようになりました.しかし,この薬剤は,臨床検査所における厳密な凝固学的検査と投与の臨床的な技量がないと潜在的に大きな危険をはらんでいます.投与量が多すぎれば出血の合併症が生じますし,少なければ血栓症を防げません.
 クマリンの最初の臨床試験は1950年代になって熱狂的な期待の下に心筋梗塞を対象に行われました.しかし,十分な抗凝固療法のコントロールが行われておらず,1960年代に入って批判されてしまいました.また,ちょうどこの頃北米大陸はじめ色々な国で臨床検査の方法が大きく変わったことも手伝って益々混乱に拍車をかけました.トライアルのはじめのうちはプロトロンビン時間測定に用いられたトロンボプラスチン試薬は白家製の人間の脳組織由来のものでしたが,後に便利さのためほとんどが市販の家兎の脳組織由来のものに取って替わられました.これらの試薬は例外なくその製造過程で血清中の活性化された凝固因子を含んでいました.したがってこの試薬はワルファリンに反応する4つの凝固因子のうち第VII因子や第X因子には敏感ではありませんでした.ワルファリンを処方する医師のかかわらないところで,真の目標とするプロトロンビン時間比や活性値を大幅に行き過ぎてしまい,出血の合併症が多数生じてしまいました.
 1960年代になってイギリスでは,基準化された人間の脳由来の試薬(マンチェスター試薬)が国家の定めた試薬としてすべての病院において用いられるようになりました.オランダにおいてはウシの脳由来の試薬を用いたトロンボテストが広く使われるようになりました.したがって,これらの2つの国においては抗凝固療法の強さはそれほどではありませんでした.1978年になってカナダのHirshが歴史的な臨床研究を行いました.イギリスと北米でおのおのその典型的な治療域で抗凝固療法を行い比較する無作為化研究です.その結果,北米での抗凝固薬の過剰投与が明らかとなりました.このことが,現在ほとんどの疾患に推奨されているINRの治療域が2.0〜3.0に設定されていることの遠因となっています.
 1980年代になっても,世界の異なった地域においてワルファリンの投与量に倍もの差があるという事実は,主にプロトロンビン時間の測定に用いられるトロンボプラスチン試薬間に多大な差が存在することからきていました.プロトロンビン時間測定の標準化がイギリスにおいて1968年にスタートしました.British Ratioと呼ばれる国定試薬とレポートシステムによるものです.この経験と国際血液学標準化委員会(ICSH)の協力により,1983年WHOがプロトロンビン時間のゴールドスタンダードとして国際標準比(INR)を提唱するに至ったのです.現在INRシステムはほとんどの国で採用されています.この原理は用手法により60検体のワルファリン治療患者血漿と20検体の健常者血漿の測定によりその検査室で用いられている試薬とWHOの国際標準試薬(IRP)の比較を行い,IRPに対するその試薬の鋭敏度を回帰分析により求めることで,この鋭敏度を国際鋭敏度(ISI)と呼びます.このISIがわかるとINRはプロトロンビン比をISI乗することにより求められます.INRシステムの登場とISIの小さい家兎由来のトロンボプラスチン試薬の登場により,より安全な抗凝固療法が可能になりました.
 このことが,より安全な低用量のワルファリン療法を普及させることになり,最近の世界的な抗凝固療法の普及にはずみをつけています.
 しかしながら,問題点としては,抗凝固薬の投与量を決める人たちが割合に無頓着であることです.すなわち,専門のセンターでも全測定中の半数近くが正しいINRの治療域に入っていないようなことがよくあります.INRが2.0未満では血栓症の頻度が劇的に高くなりますし,3.5を超えますと出血の合併症が増加します.したがって,INRを治療域内にもって行くことが非常に大切です.今後は臨床試験の最中に患者がどれくらいINRの至適範囲に入っていたかを記載する方法をとるべきです.
 ひとつのよい動きは,最近ヨーロッパで行われているEuropean Concerted Action on Anticoagulation(ECAA)のコンピュータを用いたワルファリンの投与量決定法です.これは,経験豊富な医師の投与量決定の判断をより確かなものにします.
 今後さらなる評価が必要ですが,増大する経口抗凝固療法の需要に合致し,かつ精度を損なわないための別の面からのアプローチとしては,患者が家庭でプロトロンビン時間をモニターできる在宅療法の導入があります.技術の発達により全血を用いて測定できるようになります.患者も簡単に測定法を学ぶことができます.次なるステップは自己測定に加えてワルファリン服用量の自己決定です.これらの信頼性に関しては現在検討中です.
 これらの発展は,やはりWHOのISI/INRシステムの普及にあります.
 今回,櫻川信男氏と上塚芳郎氏,青崎正彦氏,和田英夫氏が,日本の第一級の著者を集めて,この大切な本の出版に努力されましたことは特筆すべきことです.
 1999年11月,マンチェスターにて
 Leon Poller(上塚芳郎訳)
 序章(上塚芳郎)
Chapter1 ワルファリン
 Paragraph1 ワルファリン療法の基礎知識
  1. ワルファリンの薬理(森田隆司)
  2. ワルファリン療法関連遺伝子多型,ワルファリン抵抗性(高橋晴美)
  3. ワルファリンの投与方法,モニタリングと治療域(青ア正彦)
  4. ワルファリンとISI/INRシステム-有用性と問題点(上塚芳郎)
  5. ISI/INRシステムにおける血液凝固検査試薬と凝固分析装置(奥田昌宏)
  6. 凝固亢進状態・血栓症の診断,凝固系分子マーカーの変動(森 美貴,和田英夫)
  7. ヘパリン併用療法,抗血小板薬併用療法(森 美貴,和田英夫)
  8. ワルファリン療法における合併症とその予防・治療(森 美貴,和田英夫)
  9. 副作用と薬物相互作用(青ア正彦)
  10. ワルファリン療法と生活管理(青ア正彦)
  11. ワルファリン療法中の妊娠・出産・授乳(上塚芳郎)
  12. 歯科・口腔外科治療と抗凝固療法(矢郷 香)
  13. 消化器内視鏡治療と抗凝固療法(小越和栄)
  14. 小児のワルファリン療法と投与基準(白幡 聡)
  15. 高齢者のワルファリン療法(上塚芳郎)
  16. 骨代謝に及ぼすビタミンKの効果とワルファリンの影響(朝倉英策,門平靖子,前川実生)
 Paragraph2 ワルファリンによる血栓症・塞栓症の予防と治療
  1. 静脈血栓症(深部静脈血栓症,肺血栓塞栓症)(中村真潮)
  2. 閉塞性動脈硬化症(ASO)(山田典一)
  3. 心房細動(岩出和徳)
  4. 脳卒中,TIA(一過性脳虚血発作)(内山真一郎)
  5. 心臓弁膜症,人工弁置換術(上塚芳郎)
  6. 心筋梗塞の二次予防・一次予防(岩出和徳)
  7. 心筋症,心筋梗塞後の心腔内血栓症と血栓塞栓症(上塚芳郎)
  8. 抗リン脂質抗体症候群(家子正裕)
  9. 血栓性素因(プロテインC,S,アンチトロンビン欠乏症)(杉本充彦,吉岡 章)
  10. 妊婦の抗血栓療法(小林隆夫)
  11. 術前術後予防-整形外科(菊池 啓)
Chapter2 その他の抗凝固薬
 Paragraph1 ヘパリン,低分子量ヘパリン
  1. ヘパリンカルシウム,ヘパリンナトリウム(小嶋哲人)
  2. ダルテパリンナトリウム(小嶋哲人)
  3. ヘパラン硫酸-ダナパロイドナトリウム(小嶋哲人)
 Paragraph2 アンチトロンビン
  アンチトロンビン-乾燥濃縮人アンチトロンビン(射場敏明)
 Paragraph3 合成蛋白分解酵素阻害薬
  1. 合成蛋白分解酵素阻害薬概説(和田英夫)
  2. ガベキサートメシル酸塩(メシル酸ガベキサート)(和田英夫)
  3. メシル酸ナファモスタット(和田英夫)
Chapter3 新しい抗凝固薬
 Paragraph1 抗Xa薬
  1. フォンダパリヌクスナトリウム(和田英夫)
  2. その他の抗Xa製剤(和田英夫)
 Paragraph2 抗トロンビン薬
  1. アルガトロバン(宮田 茂)
  2. その他の抗トロンビン薬(宮田 茂)
 Paragraph3 新しい低分子量ヘパリン
  エノキサパリンナトリウム(藤田 悟)
 Paragraph4 活性化プロテインC
  乾燥濃縮人活性化プロテインC(岡嶋研二)
 Paragraph5 トロンボモデュリン
  トロンボモデュリン(丸山征郎)
 Paragraph6 組織因子経路インヒビター
  組織因子経路インヒビター(鈴木宏治)
Chapter4 抗血小板薬
 1. アスピリン(後藤信哉)
 2. チクロピジン,クロピドグレル,プラスグレル(後藤信哉)
Chapter5 線溶療法
 1. 組織型プラスミノゲンアクチベータ-アルテプラーゼ静注療法(田中耕太郎)
 2. モンテプラーゼ-冠動脈内血栓溶解療法(井上晃男)
 3. t-PA登場による脳梗塞急性期外科治療の変化(遠藤俊郎)
Chapter6 漢方薬
 1. 血栓止血現象と和漢薬(漢方薬)(櫻川信男)
 2. 抗凝固療法の対象となる病態と漢方医学(佐藤 弘)

 あとがきにかえて-血栓溶解療法のさきがけ
 索引