やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

人生をみつめる 4 地図と人生

 原 朗 東京大学名誉教授・東京国際大学教授

 この夏,小さな旅をした.新幹線で白河の関も一瞬のうちに過ぎ,郡山に降りたって猪苗代に向かう.湖畔の野口英世記念館を訪ね,生家を見る.「志を得ざれば再び此地を踏まず」の決意を刻んだ柱が残り,50年近く前,中学生の頃に修学旅行で来たときにも見たはずの,英世博士の愛用品や慈母の書簡などをあらためて感慨深く眺めた.隣にできた会津民俗館で大きな庄屋の家や古く土間だけ広い中流農家の家,小さな製蝋小屋を見る.会津乗合自動車バスで30分ほど磐梯山の東麓を回り,靄のかすむ裏磐梯桧原湖畔のホテルに宿をとる.
 翌朝,五色沼をめぐる少々の距離を歩いて自然に親しみ,宿に戻って昼食をとる.猪苗代湖畔から見る表磐梯と,ここから沼の向こうに見る裏磐梯とはまったく別の山である.「二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は 険しく八月の頭上の空に目をみはり」とうたった高村光太郎の,「わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し,闃《げき》として二人をつつむこの天地と一つになった」という絶唱『山麓の二人』を思い出す.ゆっくりと時間を過ごし,暮れなずむ空と湖を眺め,湯煙の上がる梢の先に星影を望む.
 つぎの日は小野川湖と秋元湖を東に縫って福島吾妻磐梯線に入り,バスの正面には安達太良山の雄大な山容があらわれる.やはり光太郎の『樹下の二人』のリフレイン,「あれが阿多多羅山,あの光るのが阿武隈川」が耳に響き,意外に複雑な山容の上,智恵子の「ほんとの空」には白い雲が走っていた.横向温泉から北に転じ,土湯峠を越えて東吾妻山に向かう.遠くから見る磐梯山は,湖畔近くから見たときよりもずっと高く感じる.浄土平の吾妻小富士の頂きから見おろす噴火口も壮観だが,その反対側,いっそう高い一切経山の裏にはさらに美しい五色沼があるという.土湯峠に戻って,福島に出ればあとは新幹線に乗るだけで,旅は事実上終わったようなものだが,この間いつも手許にあって旅を導いてくれたのは何枚かの地図であった.
 
 地図は有難いもので,自分の今いる位置を教えてくれる.このつぎに何が見えるかも教えてくれる.それだけでなく,目に入る限りの近くに何があるか,さらに目にも入らない遠くに何があるかも知らせてくれる.川や沢の名前,山の名前一つ一つがわれわれに語りかける.一切経山,その名前は仏教の数限りないお経をすべて収めた一切経によるのだろう.法然が,そして日蓮が何度も何度も読み返し,その中から浄土三部経や法華経をそれぞれ選びとったというその一切経を,この山に名付けた人はどんな想いをもっていたのであろうか.空海が一切経を一字一石に刻んでこの山中に埋めたからだ,との伝説があるという.浄土平という地名も,昔だったら難行の末に辿りついて花咲く平地が極楽浄土のように見えたからであろうけれども,今ではわれわれのようなものが簡単に往き来できるひとつの通過点の名にすぎなくなって,地図のスカイライン道路上に記されている.
 
 気づいてみると,中学の頃に習った旅のしかたがまだ残っていた.地図を買うこと,きちんと折り畳むこと,順番に並べてあらかじめコースに沿って眺めておくこと,出かけた先では必ず大縮尺と小縮尺の二枚を持って合わせ見ること,バスに乗ったら5万分の1,歩くときには2万5千分の1,場所に応じて使い分けること.
 ここで思い出すのが寺田寅彦の『地図を眺めて』という小文である.「自分は汽車旅行をするときはいつでも二十万分一と五万分一との沿線地図を用意して行く.遠方の山などは二十万分一で悉く名前が分り,付近の地形は五万分一と車窓を流れる透視図とを見較べて可なりに正確で詳細な心像が得られる.併しもし地形図なしで,これだけの概念を得ようとしたら,恐らく一生を放浪のうちに消耗しなければなるまい」という,あのくだりである.寅彦は,まず世に安いものを列挙するとしたらその筆頭は五万分の一地形図であろうと書き出し,わずかにコーヒー一杯の代価で買える地図一枚から学び得る有用な知識はとうてい金銭に換算することのできないほど貴重なものである,その一枚の地図を作るまでには人跡未踏の山頂に登山して三角点を設定し,隣接三角点を見通すまで悪天候の回復を何日も待ち続けるという測量部員たちの途方もない苦労が一枚一枚の地図の背後に存在することを力説する.航空測量と二万五千分の一図が中心になった今日でも,このことのもつ重い意味には変わりはない.社会の激しい変化を地図に反映させるための作業の苦労に変わりはないし,コーヒー一杯の値段で買えることにも変わりはない.
 貧乏人にとって,世界旅行のいちばんの道具も地図である.極端なことをいうと,地図さえあれば,外国まで出かける必要はない.地図と時刻表とガイドブック,三つをそろえれば空想世界旅行は意のままであろう.何時にどの駅を出てライン河畔のどのあたりで夕日を眺め,何時に街についてどの宿を取るか,すべて自在に空想できる.音楽を聴きたくともプレーヤーもレコードも高すぎて手が出せず,いちばん安かった楽譜のスコアだけを買ってラジオの第二放送を聞きながら覚えていったのと同じことで,地図・時刻表・案内書の三点セットで豪華な旅行に行った気分になり,地図を読むだけで空想の世界へ足を踏み入れることができる.しかし空想はまあ空想で,たしかに,水のせせらぎ,森をわたる風のそよぎを地図にあらわすことは不可能だし,人とあって話を交わすこともできないから,実際に旅に出なければ本当の経験はできないわけだが,地図を持たず地図も読まない旅行に比べれば,旅行抜きの地図遊び三昧も捨てたものではない.
 
 あらためて一枚の地図を眺めてみよう.一口で言えば,地図はある面の中に曲線と字を書き込んだものである.一番多い曲線は等高線で,急峻に盛りあがったそれは山となり,曲線の窪みは沢から谷へ,川となって丸い円の湖に注ぎ,さらに流れて海に入る.山の林は広葉樹か針葉樹か,あるいは荒地かはい松か,記号で分けて記される.自然の姿を正確に模写しようとしたもの,それが地図の第一の顔である.その自然に人間は名前をつける.山や川の名前が文字で書き込まれる.さらに地図は人間の活動を写す.等高線を横切って鉄道と道路の線が走り,市町村の境界線も大事な線だ.集落の家々が四角い小さな点で書き込まれ,都市ではそれが密集して中高層建築街の記号になる.学校や官庁,工場や寺社,名所や温泉などなどがそれぞれ記号で位置を示される.平地や山麓の水田や畑,果樹園,これらも人間の大事な活動を示している.そして忘れてはならないのが山頂にある三角点だ.
 
 完成された一枚の地図は動くものではないが,その地図の上では人間が活発に動いている.地図の上に記された記号の一つ一つがそれを物語る.毎日の生活で,自宅から勤務先に移動し,自宅に戻る.出張で別の町に行き,休暇で山川に遊ぶ.地図の上のある一点から別の一点への移動,それが旅行あるいは旅とよばれる.野口英世少年は,小学校から高等小学校に進めたことに感動して往復12キロの道を歩いて通いつづけ,大火傷した左手の手術成功で医術に志し,19歳で決意を柱に刻んで東京に出た.医師となってからの足どりは,清国の牛荘,渡米してフィラデルフィア,デンマーク,ニューヨーク,エクアドル,メキシコ,ペルー,そして最後の研究テーマ黄熱病に倒れた西アフリカのアクラへと,世界地図の全域にその足跡を記し,人類と疾病との闘いの激しさを感動的に示してくれる.
 先年亡くなった佐多稲子さんに,『私の東京地図』という作品がある.「私の東京地図は,三十年の長きに亘って歩いてきた道の順に,心の紙に写されていったものだ」と書き始められ,「歳月とともに街の姿そのものが変わってゆき,私の心の地図は,名所案内のように古めかしい景色」となり,「私の中に染みついてしまった地図は,私自身の姿だ」,さらに「曲り角,曲り角,そこをまがって突き当たって,若い人生を終ろうとした道,そうした道も,私の東京地図の中にある」という.ここでは,思い出が時間の中から空間の中に移って,かえって鮮やかによみがえっている.処女作『キャラメル工場から』は,家庭の事情から小学5年で学校を中退した作者の分身少女ひろ子が,せめて小学校だけは卒業しておくように,との恩師の手紙を便所で泣きながら読む,という印象深いくだりで終わっている.それから上野の座敷女中としてきりりと働き,日本橋丸善の模範店員となり,三田慶応の資産家の息子に嫁いだ.しかしそれも破れて自殺を図り,本郷動坂のカフェーで夫となる作家窪川鶴次郎と知り合い,中野重治に小説家としての才能を見出されるまで,彼女の東京地図は波乱万丈であった.野口英世の世界地図,佐多稲子の東京地図,ともに人の心を深く静かに感動させることにおいてそれほどの径庭はない.
 
 地図と旅とが切り離せないように,人生と旅とも切り離せない.徳川家康が言ったという「人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し急ぐべからず」という言葉は,辛い人生を送っている人々が縋りつくように心の支えにしてきたのであろう,今でも少なからぬ家々の床の間にこの掛軸がある.日常の小さな旅にくらべれば,人生は大きな旅である.実際の人生航路に地図や海図があるわけではない.海図があっても,すでにわかっている暗礁しか記入されていない.未知の暗礁に突然ぶつかったとき,人は誰でも途方に暮れる.人生の旅の終わり近く,人が病むことはまず避けられない.病みながら旅をし,旅の果てに至る.旅が終わっても旅の余韻が残るように,真 に生きた人の一生は,病とのつき合いかた自身が人々に深い印象を残す.
 
 旅が日常からの脱出であるとすれば,旅の終わりは日常への復帰である.人生の終わりは日常への復帰ではないけれど,自然の中での生きものの命の終わりはやはり自然への復帰なのであろう.生きているあいだ,非日常の旅の終わりは日常の旅の始まりである.気を取り直し,旅の間に貯えられたエネルギーを再び発揮して,日々の仕事に立ち向かう.その繰り返しこそが人生というものなのかもしれない.(2000年8月28日)

介護の現場における「契約」とは

 (社)日本介護福祉士会常任理事 岡田 史 Okada Fumi

 「契約」とは,雇用や物の売買についての約束とされている.そして,その契約は書面によって証明されるものである.たとえば売買契約を行う場合,高額なものはよく吟味し確かめてから購入する.個人の契約では家屋の購入時に契約書を交わすようなとき,契約をしているという実感をもつ.物を購入するとき,後日購入すると取りおきを依頼することがある.これは,契約書を交わしたわけではないが,売買についての約束で,契約である.どのような場合であっても,その必要性によって購入を自らが決める「自己決定」が基本原則であり,当事者の力に差があったとしても,契約という行為においては「対等」である.
 さて,この契約を介護という分野で考えてみよう.今まで措置という公の責任で提供されてきた「介護福祉」は「介護サービス」という商品となって,利用希望者がその内容を理解し,選択することができるようになっているだろうか? そして,それを自らの責任で選択し,利用できる人は果たしてどれくらいいるだろうか.市場原理は,競争を生み,その質を上げ,コストを適正化してゆく.その反面,競争での勝者の独占を許しその質を低下させるという危険性をもっている.しかし,介護の世界はたとえ市場原理が導入されたとしても,その危険はあらゆる手段を尽くして回避しなくてはならない.なぜなら,ほとんどの人が,そのサービスについて自ら選んだり苦情をいったりすることが現実ではできないからである.
 たとえば現在,国のほうでは身体拘束ゼロ作戦推進会議が開催され,具体的に身体拘束をなくする取り組みを開始している.しかし,皮膚掻痒のため,血が出るほど掻く状態の利用者を,気の毒で見ていられなくて上下つなぎの介護服を着せることや,点滴や経管栄養のチューブを外してしまうからと,手に指のないグローブを付けること,夜間不眠で大声を出し周囲の人に迷惑をかけるばかりか本人にとっても夜間不眠は苦痛であるという判断から,睡眠薬が処方されること,このような消極的な介護を受けている人々からの声なき声は,社会の表面には出にくい.また,地域のなかで,自力での生活の維持が困難になったため,性格が変貌し孤立した生活を奇異の目で見られながら日々暮らしている人々は,介護サービスについてどのように自分の考えを述べることができるだろうか.どのような状況にあっても人は人としてその尊厳は守られるべきであるならば,この声なき声の利用者の心に,心の耳を傾けることができなければその危険を回避することはできないのではないだろうか.
 現在,ケアマネジャーとして活躍を始められた皆さんの責務として,モニタリングがいわれている.その際,単に自分の立てたプランの消化状況をみるだけではなく,理屈ではない感性をも動員して,利用者の生活の状況,困っていないか,苦痛はないか,悲観していないか,心の耳で聞き取って欲しい.
 契約を交わすということは,その内容だけでなく品質をも保証するものである.介護支援専門員が質に対する価値感を高くもっていなければ,その声はきこえてこないだろう.自分自身が,介護支援専門員実務研修受講試験を受けた目的を思い出してもらいたい.利用者本位や自己決定の意味を様々なテキストで学んだことを,現実化し,これまで行ってきた自らの専門職域を向上させることができるチャンスとなる時代を迎えているのである.
人生をみつめる(4) 地図と人生 原 朗
TO CAREMANAGERS 介護現場における「契約」とは 岡田 史

Special lssun-1 「介護保険と契約」
フォーラムへのメッセージ 渡海紀三朗
シンポジウム 「契約」時代に入った介護保険
渡部律子 安保則夫 西井秀爾郎 渋谷哲 前川智佳子 岸本有子 青木圭史 いるかの会
公的介護保険制度の導入が老人福祉施設職員およびその利用者・家庭に与える影響に関する調査報告書
関西学院大学大学院総合政策研究科リサーチ・プロジェクト「地域福祉・医療とライフデザイン」チーム
社会福祉法によって何が変わるのか 池田恵利子
生前契約・没後決裁とは何か?―「ライフシンクタンク」がめざすもの 高橋卓志

Special lssun-2 「演習:ケアマネジメントを展開する(6)」
家族の信頼を失い昼夜逆転行動のある要介護2の高齢者 桑原昭子
ケアプラン:桑原昭子 吉谷 敬・他 松浦みゆき

編集委員のサイドメモ 竹内孝仁監修指導『介護か世話か』を読んで思うこと 大田仁史
論攷 介護保険審査会からみたケアマネジャーの現状と課題 今高國夫
介護保険審査会委員からみた要介護認定に係る審理 川島圭司
今からでも遅くない!介護支援専門員協会の設立のしかた 周藤重夫 藤原伸二
現場からの 総論III 臨死編
高齢者支援展開論 緩和ケア医療の諸問題―在宅ターミナルケアを中心に 石川清司
現代メディア・文化にみる高齢社会の情況 (3)おいしい老いは,セックス 江森盛夫
「民間非営利組織」探訪英国リポート―1 介護者に休養を与えるためのサービス提供「クロイドン・クロスローズ」 矢部久美子
海外ではたらくロンドンの老人施設24時 和田 円
デンマークの高齢者在宅ケア 吉澤 徹
CM研究 訪問調査における家族の日記表の活用の試み鷹野和美 飯山明美 森下美幸 羽根田満美
資料 厚生省「訪問通所サービスと短期入所サービスの支給限度額の一本化について」
別冊総合ケア CARE LOOK 介護支援専門員No.7予告