やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき 困難な症例にたくさんの重要な情報が隠れている
 NST症例の栄養ケアで,なにかと困難を感じることは少なくない.その困難さ,実はなにも特殊なことではなくて,裏返せば栄養療法にかかわるすべての医療従事者が同時に共有すべき大切な情報の宝の山である.
 今回は症例集第2弾として,NSTでしばしば経験するであろう症例を提示していただいた.そのテーマを大別すると,食欲不振,嚥下障害から胃瘻までの上部消化管を扱った報告が19本の論文のうち10本と,半数以上を占めた.この結果ははからずも,現代日本の栄養療法のひとつの傾向を示している.すなわち(1)経腸栄養法における上部消化管,とくに胃から上部の消化管とその統合性の障害(難治性の食欲不振症,嚥下障害など)の臨床的重要性,(2)その周辺の問題としての特殊病態下での栄養療法の重要性,である.
 そもそも栄養療法で困難を感じる原因はなにか.大きく分けて2つのカテゴリーが考えられる.すなわち栄養療法を提供される側と,する側の2つである.
 まず栄養療法を受ける側,すなわち患者さん側の困難さ.第一として病態の複雑さがある.2つ3つ以上の複数の病態が同じ患者さんの体のなかで同時進行している場合を想定してみる.たとえばインスリン抵抗性に慢性腎臓病(CKD),さらにNASH由来の肝硬変に筋肉減少症Sarcopeniaが進行する場合.かたやインスリン抵抗性に対しては糖の過剰は避けたいが,CKDに対しては総エネルギーは稼ぎたい.肝硬変にはLESによるカーボンロードはインスリン抵抗性の増悪因子にならないか.筋肉減少症には良質のたんぱく質を多く補給したいが,そのことがCKDの増悪因子ともなる.単純に考えても,合併する病態数の増加は,栄養療法のむずかしさを,22=4,23=8,24=16とべき乗指数的に増幅させる.
 さらに患者側のむずかしさとして本人の問題認識のレベルがある.「栄養外来」などで選別され,自分が栄養に対する強い危機感をもち,外来に足を運ばれる方々は良好なアウトカムが保証される.患者自身の,栄養についての問題意識の高低がアウトカムの決定因子として大きい.手術をしても,最後に大切なのは栄養療法に裏づけられた免疫能,自己回復能力と同じ論理.さらに栄養療法の指標の改善速度の遅速.すなわち,栄養の問題は目に見えにくく,治療効果は決して速くない.高齢者の血清アルブミン値の改善の困難さが好例であろう.
 一方,栄養療法を提供する側の問題として,医療従事者の栄養療法の重要性についての認識レベルがある.これはわが国だけでなく,わずかの例外を除いていまだに世界レベルの問題といえなくもない.さらに栄養療法の主体と施設内の軋轢.栄養がすべての病態の共通基盤であるという普遍性のゆえに,病態と栄養の関連性が強く,したがって栄養療法専門病棟や栄養専門外来などがない限り,ほとんどは主治医がその患者の病態の行方の最終決定者であり,病態の重症度の最大の決定因子が低栄養であるという共通認識を共有しないかぎり,必ずしも容易でない.
 この特集号のテーマ一覧を見ていると,「ないもの」の姿をも映し出す.それは静脈栄養法の症例の少なさ.もちろん経腸栄養法の重要性を強調して,しすぎることはないであろう.しかし水分・電解質をはじめ,静脈栄養法の基礎と応用の知識と実践という,究極の栄養管理の重要性が軽んじられてはならない.
 栄養療法における経腸栄養法と静脈栄養法の2本の刀.より多彩な栄養療法の選択肢を手中に携えて望むことこそが,臨床栄養がこれから向かう姿である気がする.今後,静脈栄養法と経腸栄養法の併用時,あるいは静脈栄養法でしか救命手段のない究極の「困難」症例でなんとか急場をしのぎ,その後にやってくる回復途上での経腸栄養法との併用期(transitional period)に起こってくる重篤な合併症,たとえば血糖コントロールの困難さや,嘔吐,下痢などの消化器症状に対する考え方や適切な対処法などにも,焦点があてられる時期がやってくる気がする.あるいは実は,きっと私が知らないだけで,すでに多くの場所で論じられているに違いない.
 さて,わが国の栄養療法のレベルは10年前と比較できないほどに高くなっている.その理由の多くは本特集号でも取り上げられたテーマなどを中心に,精力的な栄養療法活動を繰り広げてこられた多くの先達の先生方のおかげであることを決して疑わない.
 これから先の10年間,わが国の栄養療法がどのような進化,進歩を遂げているか.もちろん未来は誰にもわからない.しかし小さな一歩の積み重ねが日本人,いやすべての人間の10年後,100年後の幸福の礎になることに疑いはなく,その礎の基本形こそが,栄養と栄養療法であることを,この別冊でひしひしと感じることができた.
 目の回るほど多忙な臨床現場からの,生の栄養療法実況の緊迫感を十分に感じられたことに感謝するとともに,その実況を惜しげなく見事な原稿にまとめてくださったすべてのご執筆された先生方に深く感謝いたします.

 2009年夏 武庫川にて 雨海照祥
 まえがき:困難な症例にたくさんの重要な情報が隠れている(雨海照祥)
栄養指標・アセスメント
 体重が増え続けて栄養量の設定が困難であった遷延性脳死状態の小児の栄養管理(池田陽子・他)
 多発外傷・多臓器不全(星野伸夫・他)
 CONUTとその有用性(亀井 尚・他)
静脈栄養
 TPNによる栄養療法をきっかけに30年にわたる栄養障害から離脱できた膵頭十二指腸切除術後症例(井上善文・他)
経腸栄養
 半固形栄養法,PEJなどによっても誤嚥性肺炎を防止できなかった症例(吉田貞夫)
 経鼻経管栄養が著効した特発性食道破裂後に膿胸を併発した1症例(郡 隆之・他)
 長期経空腸栄養中に発症した微量元素欠乏症とその補充療法(西脇伸二・他)
 下咽頭・胃癌の重癌患者に対し多職種のかかわる栄養ケアにより経口摂取が可能となった症例(徳永佐枝子)
 難治性食思不振患者の栄養ケア(高橋聖子・他)
胃瘻・腸瘻
 胃瘻(経腸)栄養患者が発熱した際に点滴(静脈)栄養に変更すべきか(今里 真)
 PED(内視鏡的十二指腸瘻造設術)→PEDJ(経胃瘻的空腸瘻造設術)に変更し経腸栄養管理が可能となった1例(田中育太)
 PEG施行困難例に対し開腹胃瘻造設後,在宅経腸栄養療法が有用であった1例(小川哲史)
 液状栄養剤→半固形化→経胃瘻的空腸瘻へと移行した嚥下障害患者(丸山道生)
 原発不明癌の頸部リンパ節転移に対する放射線化学療法時に発生した経口摂取困難を対象とした非経口栄養法の導入に難渋した1例(鷲澤尚宏)
 胃瘻管理中に栄養剤逆流とアレルギー性腸炎を合併した1症例(山下智省・他)
血液透析
 狭心症+血液透析(HD)の症例(神谷春衣・他)
電解質管理
 糖尿病放置から敗血症,糖尿病性ケトアシドーシス,ARDSに至った症例の管理治療-複雑な病態における急性期からの栄養介入(海塚安郎)
周術期栄養ケア
 中心静脈栄養→経腸栄養→経口摂取へと移行した生体片肺移植の1症例(黒田美代子・他)
 高度栄養不良患者の胃癌手術における周術期栄養管理(犬飼道雄・合田文則)