やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

原著出版社からの注意:
 医学的知識はつねに変化している.新しい知見が得られるにしたがって,治療,手技,機器および医薬品の使い方も必然的に変化してくる.本書の編集者,執筆者および出版社は可能な限り,本書の記載内容について正確を期すとともに最新のものにしたつもりである.しかしながら,とくに薬剤の使用については,最新の添付文書を確認するよう強く読者に勧めるものである.
日本語版についての注意:
 本書に収載されている食品,医薬品については,わが国で発売されていないもの,あるいは認可されていないものが含まれているが,原著通りに記載した.


日本語版序文
 今日の日本は,国民の栄養素欠乏症は1950年代の後半(昭和30年代の前半)には解消したにもかかわらず,そのときの栄養素欠乏症を解消するための栄養学ならびに栄養政策が,現在でもそのまま続けられている.欧米の先進国は,すでに人体側面への影響を検証する人間栄養学human nutritionに移行している.
 そもそも人間の基本的な営みは,生存するために“食べ物diet“を“食事meal”として,“食べることeating“である.現在では,口から摂り入れるものの人体影響は,“栄養nutrition”の問題として,栄養効果の評価が取り上げられている.栄養成分nutrient,食品food,食べ物diet,食事mealなどの人体影響は,栄養の質nutritional quality,NQの評価の問題として取り扱われている.
 私がこの本(第6版,1975年)に出会ったのは,Oxfordで開催された栄養教育の国際会議(1977年9月)に出席したときである.第10版(2000年)を入手したときには,以前にも増して大きな感動と慶びに打ちのめされた.記載されている内容の斬新さだけでなく,栄養問題の取り組み方,方向性が明示されていたからである.
 そこで,私の部屋に来る人来る人にこの本を紹介し,内容を説明した.たしか2001年(平成13年)の初夏だったか,佐藤英二氏(国際アミノ酸科学協会専務理事)が来訪されて,本書の日本語訳を話し合ったのが始まりでないかと思われる.秋口に入って,医歯薬出版が日本語版作成を引き受けてくれることになり,原著者ならびに出版社の了解を得て,翻訳の作業を開始することになった.2002年(平成14年)1月22日に第1回目の編集会議を開催し,総監修者5名,専門監修者6名,翻訳担当者は各領域のエキスパート61名の協力のもとに,この日本語訳が完成した.
 現在,人間栄養学として私達が学習すべき課題は,第一には,人体の栄養状態nutritional statusの把握である.第二には,在来のように栄養素,栄養的化合物などの分子レベルの生化学的作用であり,また,第三には,これらの栄養的観点からの生理作用である.栄養素,栄養的化合物を単独に,あるいは混ぜ合わせたりして複合的に与えた場合,それらが食品に含まれている場合,食品と混ぜ合わされた場合などの栄養効果の評価の問題である.もっとも重要なことは,第四として,これらが人体の栄養状態,健康状態に対する有効性,すなわち“栄養の質“の評価の課題であるといえる.さらに,第五として,経口摂取したものが,私達の健康の保持・増進,疾病の予防・治療にどのように寄与して,“生活の質”の向上に貢献しているかどうかである.
 原著は2000年(平成12年)に出版されたとはいえ,2004年(平成16年)の現在でも,その内容は日本にとって非常に斬新なものである.栄養問題の考え方,取り組み方,方向性が,また社会との係り合いなどについても述べられている.それゆえ,私達は本書から多くのことを学びとることができる.日本における人間栄養学の研究は,このレベル以上で行われることが必要になる.また,栄養に関連する人達の養成においても,各養成施設は少なくとも一冊は常備し,本書に記載されている新しい考え方,内容を取り入れて,栄養の教育を行うことが必要になる.
 保健,医療の領域において,栄養に関連する研究・教育・実際活動に関与する専門の人達,また人間の営みに関連して,栄養問題を教育・研究する人達,さらには,人間栄養やそれらと関係する栄養・食事に携わる企業の方々にとっても,本書は手許に置いて参考にすべき書籍でもある.
 それゆえ,本書によって,日本の人間栄養学ならびにそれに関連する栄養領域が国際レベルに向上していくことを期待している.
 なお,近年,わが国において「人間栄養学」という言葉がかなり浸透してきてはいるが,本書では人間栄養学全体を指し示す書として,「ヒューマン・ニュートリション」という書名にした.
 最後に,本書の出版にご協力いただいた関係者に感謝する.なかでも,編集に絶大の精力を投入した門脇基二氏(新潟大学農学部教授),西谷 誠氏(医歯薬出版),また,いろいろとご配慮いただいた味の素株式会社ならびに佐藤英二氏に深く感謝する次第である.
 2004年6月
 監修・翻訳者を代表して
 細谷憲政


原著序文
 本書「ヒューマン・ニュートリション;Human Nutrition and Dietetics」の始まりは,Davidson,S.教授とAnderson,I.博士によって執筆された「栄養学」である.この教科書は,Lord Boyd Orr*が序文を書いて,1940年に出版されている.「ヒューマン・ニュートリション」という書名は,Passmore,R.博士の編集による1959年の出版からである.本書は“Davidson and Passmore”の本と呼ばれて,約30年間,栄養の領域で,英国の教科書として広く愛用されてきた.このことは,Passmore博士の卓越した識見と編集能力だけでなく,エジンバラ医科大学の同僚達の協力の結果と評価している.
 1993年に出版した第9版は,在来の編集方針を打ち破って,栄養の領域に新しい局面の展開をもたらすことにした.編集者のGarrow,J.教授とJames,P.博士は,従来の編集者と同じように,第三世界においては,飢餓の救済や栄養素欠乏症の予防といった古典的な栄養学の応用課題に取り組んでいることを認識してはいたが,ここでは新しい編集方針を打ち立てることにした.栄養学者が直面する課題やその解決のための企画や方途には,いろいろな変化がみられているからである.そこで,歴史的経過と展望について,第1章で取り上げることにした.急速に展開する栄養に関連する幅広い状況を,編集者がすべてを十分に理解したり,判断したり,対応の処置を講じたりすることは,もはや不可能である.
 そこで,第9版では専門家50人に執筆を依頼して51章とし,これを4つのセクションに区分けして出版した.この第10版では,60人以上の専門家を著者として52章が執筆され,前版と同じように4セクションに区分けして出版した.いずれの章も改訂はしたが,章によっては全面的に書き改めたものもある.新しく取り上げた章は,第15章の遺伝,第17章の食事調査(前版では付録として取り扱っていたもの),第25章の植物性の非消化性化合物,第32章の貧困・飢饉の救済などである.

臨床疫学

 この第10版で大きく取り上げた重要課題は,『栄養疫学』である.現在,一般的にみられる疾患は,非デンプン性多糖体,特殊な種類の脂肪,果物,アルコール飲料の摂取などと関連していることはよく知られている.これらは,栄養所要量を基盤にする食事の摂り方や,いわゆる“バランスのとれた食事“の提供で解決できる問題ではない.現在,多くの疾患は,ある意味で食べ物と関連していることは事実ではある.しかし,栄養所要量を基盤にする食事の提供や“バランスのとれた食事”の提供は,注意深く取り扱うと同時に,疫学の専門家による効果の評価による根拠の提示が必要とされている.本書の最近の2つの版,第9版,第10版においては,食べ物と特定疾患群との関連について,その根拠の強さ,弱さ(不確かさ)の説明について,疫学の専門家による評価の方法と問題点が示されている.

臨床の実際活動における変化

 1959年には,それまで実施できなかった人達への栄養補給nutritional supportができるようになった.腹部を広範囲に切除した患者に対する完全静脈栄養法TPNや,疾患や薬物の副作用で免疫能の低下した患者への栄養補給,さらには極端に早産の早生児への栄養補給などができるようになった.このような場合には,正常人に対する栄養所要量と同じレベルの栄養補給では不十分であることも明らかにされている.また,先天性の代謝異常(たとえばフェニルケトン尿症など)の場合には,現在では子供それ自身はもちろんのこと,新しい課題として,妊婦に対しても妊娠期間中のフェニルケトン尿症の栄養管理nutritional managementの問題も起こってきている.信頼できる情報の入手には,第一に臨床的課題を処理できる専門知識をもった臨床医の手助けを求めることは必要である.また,それと同時に,患者の栄養状態を具体的に,栄養ケアとマネジメントnutritional care and management,NCMできる栄養の専門家の手助けが必要とされている.

過剰摂取に伴う弊害の認識

 日常,基本的に,植物や動物の組織からなる材料を用いて作られ,また調理によっておいしく作られた食べ物を摂取している場合には,ある単一の栄養素について過剰摂取に陥るという危険頻度は比較的少ないといえる.しかし,現在では第1章,第23章で述べているように,見栄え(見ためのよさ),おいしい味の良いもの,保存性の良いもの,調理をしやすくした食品,食べ物が,数多く多量に生産されている.このような場合,加工の過程で,食品が本来保有している天然の成分が失われたり,その反面,食品添加物(栄養成分の場合も多いが)が添加されることがしばしば引き起こされている.また,従来の食品には含有されていない栄養成分を添加したり,あるいは,それらの栄養成分を複合的に添加したりした製品を提供している健康食品業者や機能性食品企業もある.エネルギーの過剰摂取は肥満をもたらし,このことが多くの疾患の誘因になっていることは,現在,明らかである(第34章).単一のミネラルの過剰摂取は,たとえば亜鉛は他のミネラル代謝を障害したりするし,またビタミンについては,脂溶性のあるものは,その過剰摂取は有害である.新しい栄養所要量,参考栄養素摂取量(英国版)については,その要約を付録として巻末に掲載しておいた.また,摂取の安全上限upper safe limits,ULについても示しておいた.しかし,現在では,栄養(有効性)nutritionと有害性toxicologyの境界は,必ずしも明らかではなくなってきている.
 第4セクションの臨床栄養については,専門の臨床の医師にその執筆を依頼したことには大きな理由がある.いずれの章においても,最新の文献リストを提示してもらうことにした.それは,最新の話題,トピックスをより詳しく知りたいという学徒のためである.
 第1部は栄養の科学nutritional science,第2部は食品である.第1部,第2部は前版と同じ体裁,章割りではあるが,しかし全面的に改訂されている.栄養について満足のできる内容にするには,栄養素の生理学的,生化学的役割を確実に把握することが,本質的に重要になる.そして,これらの栄養素をもたらす食べ物の供給源を知ることである.このことは,いろいろな理由から重要なことである.栄養の問題,あるいはいわゆるダイエット,節食の課題は,現在,一般大衆紙などで広く論じられている.そして,いわゆるダイエット本は,しばしばベストセラーのリストにあげられている.しかし,ときにこれらの本に提示されている理論は,栄養学の常識からみると,理解できないものばかりである.私達,栄養の専門家と真に主張できる人達は,このような理論は根拠のない,あやふやなものであると科学的に論破していかなければならない.そのためには,この本の第1部,第2部に記載されている内容を,十分に読み込んでいることが必要になる.
 さらに,栄養科学は社会の経済的生活や文化的生活と切り離して考えることはできない.今,かりに一般大衆が特殊な食品を消費する生活に変化していくことを善しとして信頼していくような場合には,それは非常に多くの人達の繁栄や雇用に,ひどい仕打ちをもたらすことになるかもしれない.政府は企業の活性化の維持・発展に努力すると同時に,国民の健康問題にも責任を持たなければならない.しかし,この両者の両立は,しばしば論争の的になっている.食品工業,農産物加工業などは,大衆の好みの変化によって,ときには大きな被害を蒙ることもある.ある食品を特定して苛酷な非難が浴びせかけるような場合には,その実質上の販売は,1週間以内に停止させられることも起こってくる.他の企業では,このような即時に販売停止というようなことはほとんどみられないようである.食品関連の企業は巧妙な防御の手段で,商売上不利益をもたらすような大衆,消費者の意見に対して用心深く論争したり,あるいは論点をそらすようにしたりして,大衆,消費者との関係をよりよい状態に維持している.
 大衆,消費者に対する栄養教育は,反駁することのできない事実に基づいて行われるというよりは,確率的に判断する,不偏不倚の中正の道を得るようなバランス感覚で行われていることは事実である.それゆえ,ジャーナリストが大多数の世論として支持されている意見ではない,ある偏った論拠だけを取り上げて論議していくことは,よくみかけることである.このため,ときには専門家の意見すら否定されることも引き起こされている.このようにして,大衆消費者は,矛盾している間違った意見などにあおられて,また専門家自身も混乱したり,無能化されたりするような結論を下していくことも少なくない.これらに対する解決方法は,栄養に基盤を置いた科学的原理に基づいたわかりやすい要約を提供することである.そして,大衆,消費者に提供すべき科学的に健全な,科学的に裏打ちされた,栄養に関連する見解をゆがめるような経済的,文化的な圧力に対しては注意を喚起して,正しいあり方を目覚めさせるように誘導していくことである.私達は,このようにして成功してきたので,本書を熟読して,消費者,大衆に真実を提供できる真の栄養の専門家になることを期待している.
 このような書籍の編集には大きな責任をもって,企画して,取り組むべきものである.この趣旨を理解し,協力していただいた多くの執筆者に,ここで感謝する次第である.事実,それぞれの分担執筆者は,その専門性を十分に発揮し,寛容の精神をもって取り組んでくれたことを,評価している.また,Elrick,M.さん,ならびにBruce,J.さんに対して,編集にあたり著者から提出されてきた原稿の手直しや整書にいろいろとお骨折りいただいたことなどを,ここに併せて感謝する次第である.
 JSG,WPTJ,AR,1999

 Lord(John) Boyd Orr
 英国(スコットランド).1880〜1971.医師.人間栄養ならびに栄養政策(貧困と給食,公衆栄養),福祉の世界的第一人者.国際連合の食糧・農業機構FAOの総長,国際平和協会の会長などを務める.1949年にノーベル平和賞を受賞.
ヒューマン・ニュートリション―基礎・食事・臨床― 目次

日本語版序文
原著序文
日本語版監修・翻訳
原著執筆者
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セクション1 栄養の科学
 1.歴史的展望
  小林修平
 2.体組成
  金本龍平
 3.エネルギーの摂取と消費
  渡邊令子
 4.組織における燃料
  伏木 享
 5.炭水化物
  森田達也・杉山公男
 6.タンパク質
  門脇基二
 7.脂肪
  窄野昌信・池田郁男
 8.アルコール:代謝と障害
  須田都三男
 9.エネルギー収支のバランスと体重の制御
  河田照雄
 10.水分と1価イオン
  森本武利
 11.骨ミネラル
  江澤郁子
 12.鉄,亜鉛,その他の微量元素
  吉田宗弘
 13.脂溶性ビタミン
  末木一夫
 14.水溶性ビタミン
  柴田克己
 15.栄養と遺伝子科学
  加藤久典

セクション2 食品
 16.食品成分表と栄養データベース
  真部真里子
 17.食事評価の方法と妥当性
  斎藤行生
 18.穀物および穀物製品
  田辺創一
 19.野菜類,果物類,キノコ類とそれらの加工品
  中山 勉
 20.肉,魚,卵および新奇なタンパク質
  西村敏英
 21.乳および乳製品,脂肪と油
  東徳洋
 22.飲料,ハーブ,スパイス
  村田容常
 23.食品加工
  谷本浩之
 24.食品中の病原性因子
  奈良井朝子
 25.植物性防御物質
  橋本 啓
 26.消費者保護
  福冨文武

セクション3 各種生理状態と栄養
 27.妊娠と授乳
  藤本次良
 28.乳幼児,学童,思春期
  武田英二
 29.栄養と老化
  藤田美明
 30.運動競技
  下村吉治

セクション4 臨床栄養
 31.敗血症,外傷および他の臨床状態における栄養サポート
  加藤昌彦
 32.飢饉救済
  佐藤英二
 33.重度栄養不良
  酒井 徹・山本 茂
 34.肥満
  山本眞由美
 35.消化管疾患の栄養管理
  田近正洋
 36.栄養,肝臓と胆石
  加藤章 信
 37.糖尿病の栄養食事指導
  山本眞由美
 38.ヨウ素欠乏症
  中西由季子
 39.臨床栄養と骨の疾患
  広田孝子・広田憲二
 40.歯科疾患における食事的要因
  尾崎雅征・山本 隆
 41.腎・尿路系疾患
  今井圓裕
 42.心臓循環器系の疾患:疫学と治療における食事因子の関与
  西川泰弘
 43.神経系に影響を及ぼす食事
  畝山寿之・田中達朗・鳥居邦夫
 44.皮膚,毛髪と爪
  藤原睦憲
 45.栄養と免疫機構
  坂本元子・藤澤由美子
 46.食事とがん予防
  林裕造
 47.早産児栄養
  玉井 浩
 48.先天性代謝異常症の食事療法
  遠藤文夫
 49.アルコール関連疾患の栄養管理
  林裕造
 50.摂食障害
  中尾睦宏・久保木富房
 51.薬物と食事の相互作用
  佐藤英二・田辺宗平・山邊志都子
 52.政策と賢明な食生活
  吉池信男

セクション5 付録
 用語
  池上幸江
 食事基準値
  吉池信男
 索引