やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 無歯顎の患者に対して,総義歯を用いて対処することを「総義歯治療」と呼ぶ.
 現代の歯科治療においてはインプラント治療が確立しつつあるため,無歯顎患者に対する補綴対応には若干の幅ができたが,それであっても,臨床的な対応としては総義歯を用いる手法が最も一般的である.しかしながら,多くの若い歯科医師や歯科技工士にとって,総義歯治療は最も難しい補綴対応としてと捉えられている.その理由は,次に挙げる要素にある.
 1.補綴装置にかかるさまざまな力を,硬組織ではなく,脆弱な軟組織で受け止めなければならない.
 2.総義歯は通常の補綴装置のなかでは最大の大きさであるにも関わらず,それを作るための情報が最も少ない(例:顎位や咬合はどうすればいい?人工歯の位置や咬合平面はどう決定する?床縁形態(外形態)はどうやって決めればいい?どのような順序で作ればいい?).
 3.患者の多くが高齢者であり,どのようにコミュニケーションをとればよいかわからない.
 4.治療の結果が,患者にとって瞬時にわかりやすい(例:痛い,外れる,噛めない,顔が変わった).
 5.使用する材料が多岐にわたり,また,それらの材料選択が補綴装置の完成度(適合など)に直接的に関わるものの,何を使用してよいかわからない.
 こうした要素から,「総義歯は取っ付きにくい」「難しい」「何から勉強してよいかわからない」ということになる.だが,歯科医師にせよ歯科技工士にせよ,国家資格を取得し臨床の現場に入った途端に,否応なしにそれらの症例に対応することが求められる.そのため,できる・できないはともかくとして,少しずつでも理解し,前進できるように心がけなくてはならない.
 では,総義歯治療の初心者である若い歯科医師や歯科技工士は,いったいどのようにして学んでいけばよいのであろうか.それを知るためにはまず,「総義歯治療の本質とは何か」ということを明確にしておく必要がある.総義歯治療を大きく二段階に分けると,その答えが見つけやすい.第一段階は,診査・診断を行い,口腔内環境を整え,その患者にとって最良と思われる総義歯を装着すること.第二段階は,患者の身体的変化に伴う口腔内環境の変化に合わせ,装着した総義歯を調整することである.そして,患者の人生においては後者の二段階のほうが時空間的に長いため,より重要であることはいうまでもない.我々の作り上げる総義歯は,基本的に咬合面に代表される機能面の一部を除いて,短期間で大きく変化することはない.しかしながら,ヒトの,特に高齢者が多い無歯顎患者の身体,そして口腔内は常に変化し続けるため,その時々で変化することのない総義歯のほうを,変化する口腔内に適合するように調整し続けなければならない.それが,「総義歯治療はリハビリテーションである」と言われる所以である.そしてこの調整は,歯科医師にとっての大きな責務となる.
 その一方で,第一段階で高度に適合した総義歯であれば,それほど大きな変更は必要なく,ほんのわずかな調整量で済むことが通常である.ここで重要なのは,第一段階において「いかに生体に適合する総義歯を作り出すことができたか」ということである.もし第一段階で十分に適合していない総義歯が装着されたならば,変化する生体に合わせるどころか,“もともと合っていないものを合わせる調整”に終始しなければならなくなる.ここで,第一段階における「診査・診断」から「完成総義歯の装着」までの工程で,我々歯科医療従事者は何をしているのかを今一度明確にしたい.
 総義歯における「診査・診断」とは何か─診断とは治療方針を決定することであり,その診断を下すための情報を収集することが診査であるが,総義歯治療においては,何をもってして治療とし,何を診査・診断するのか…….総義歯治療において「診断」するべきなのは,「このような形態の総義歯を作ることにより,患者の失われた形態と機能を回復することができる」という一点に尽きる.つまり「このような形の総義歯を作ればよい」ということがわかった時こそが,総義歯治療の診断を下した瞬間なのである.言いかえれば,治療の第一段階の目標は「生体に高度に適合する総義歯を作ること」であり,作ること,すなわち「ものづくり」の世界であるということになる.以上の考え方をまとめると,下記のようになる.
 総義歯治療:最終的な総義歯を口腔内に装着し,無歯顎患者の失われた「形態・機能・色彩」の回復を行うこと
 総義歯治療の診査:診断,つまりどのような形の総義歯を製作するのかを決定するための情報収集を行うこと
 総義歯治療の診断:最終的な総義歯の「形」を決定すること
 本書では「総義歯治療の基本はものづくりである」という観点から,総義歯の製作方法を綴りたい.

 中込敏夫
 序
 序章 診断用義歯を用いた総義歯治療
 「総義歯のかたち」作り込みの進め方
第1章 総義歯製作のための「基準」
 総義歯の数値を計測してみる
 総義歯の形を知る
 基準を知ることの大切さ
 総義歯を作ってみる訓練
 技工操作の基準は咬合器から
 咬合器選択の考え方
  1.咬合器の種類
  2.フランクフルト平面か,カンペル平面か?
  3.顆路調節機構
  4.トランスファーシステム
  5.その他
第2章 印象採得
 総義歯の印象って何を採ってるの?
 最終印象採得
 採得した上下顎の印象を観察してみる
第3章 作業用模型の製作
 ボクシングの方法
 石膏の選択
  1.硬化膨張
  2.耐熱性
  3.強度
  4.色彩
  5.具体的な推奨石膏
 キレイで作業しやすい作業用模型の大切さ
 咬合器vs模型
 咬合床もキレイに作ろう
  1.模型製作の仕上げ
  2.基礎床の製作
  3.トレーレジンの性質
第4章 人工歯排列
 表現者としての歯科医師と歯科技工士
 強く・明るく・ダイナミックな排列
 上顎前歯の排列
 下顎前歯の排列
 臼歯部の排列は歯列弓の形を意識する!
 排列の考え方のおさらい
第5章 歯肉形成
 研磨面=唇・頬・舌の“ソファー”
 歯肉形成
 歯肉形成の考え方(1)上顎の歯肉形成の実際
 歯肉形成の考え方(2)下顎の歯肉形成の実際
第6章 重合操作
 アクリルレジンの重合
  1.レジン重合の要点
  2.適合精度の高い重合
  3.物性の高さ
 レジン重合って,何?
 フィットデンチャーシステムの詳細
  1.レジンの変形
  2.物性の向上
  3.フィットデンチャーシステム
第7章 デンチャーカラーリング
 デンチャーカラーリングの術式
 デンチャーカラーリング技法の具体的手順
  1.デンチャーカラーリングセット
  2.カラーリングエリアの設計
  3.カラーリングに用いる筆
  4.カラーリングの実際
  5.床用レジンの填入
第8章 咬合調整
 オクルージョンって,ナンダ?
 静的な咬合,動的な咬合
 総義歯の咬合調整の極意
 総義歯の咬合に「理想咬合」は存在しない
 咬合器上での咬合調整の実際
第9章 仕上げ〜口腔内装着
 割り出しは絶対に失敗しない方法で!
 総義歯の研磨はどこまで行うべきか?
  1.理想的な床内面
  2.デンチャープラーク
 エアロラップ法による鏡面研磨
  1.研磨の前準備
  2.エアロラップ法による鏡面研磨工程
 実際に研磨をしてみよう
第10章 立ち会いの実際とメインテナンス
 患者を知ることの大切さ
 立ち会いに臨む
  1.身だしなみ
  2.高齢者と関わる際の心構え
  3.メモの功罪
 歯科技工士として聞くこと・伝えたいこと
  1.患者からの情報の取得
  2.歯科技工士からの情報発信
 患者を誘う会話のススメ
 術後のメインテナンス

 Column
  石膏レジン分離材
  デンチャーコピー
  総義歯印象材の消毒
 Question&Answer

 巻末付録 臨床例にみる総義歯のかたち
 あとがき
 参考文献