やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文

 口腔顎顔面領域に何らかの異常が生じた場合,機能障害は程度の差はあるが生じるものである.口腔癌では術後に生じる形態異常あるいは機能障害,とくに咀嚼,嚥下,そして言語機能の障害は患者側はもちろんのこと,歯科医学領域,とくに口腔外科学としても,執刀者側の立場においても,たいへん重大な問題として認識されている.また,口蓋裂では主要問題の1つである鼻咽腔閉鎖機能について,最近では良好な結果が得られているとはいえ,もう1つの問題点として上顎劣成長,あるいは唇・鼻の醜形の改善には,今日,未だ工夫の余地があるものと考えられている.
 このように口腔顎顔面領域では,先天性,後天性を含めその他にも,さまざまな要因による問題発生が多い.しかし,これらに起因した機能障害,とくに言語障害の治療を中心とした研究の成果は,この30有余年の間に関連学会において,多大な成果が蓄積されてきた.
 今回上梓発刊される本書は,とりわけ執筆者全員が30年前後のキャリアを有するベテランの先生方であり,わが国における言語治療領域のパイオニアと目される方がたにより著述されている.
 とくに,本書の編者で,主な著者である本学伊東節子教授は,わが国の言語治療の専門家のなかにあって,もっとも早くから口腔顎顔面領域の異常による言語障害・治療に着手された,いわばこの領域のパイオニアである.伊東節子先生が言語治療を行ったなかでも口蓋裂の患者は他に例をみない膨大な数であり,これらについては「口蓋裂患者の言語障害と治療」と題して1983年にすでに刊行された著書があることでもよく知られている.
 今回発行の本書は,編著者の伊東先生自身が20余年以上前から本書執筆の必要性に着眼着手され,雑誌に“口腔領域の異常に基づく言語障害”というタイトルですでに掲載を始めておられたものである.これらが「舌の項」半ばを書き終えた時点で,著者が東京医科歯科大学から長崎大学へ転勤されたため掲載を一時中断された.その後に全項目を書き終わった際,「口蓋裂の項」が多数の枚数を占めたことから,これを先に発行されている.その後,引き続き全項目を取りそろえ発行の予定のところ,大学の学事,学会活動他の多忙さに,こころなくも推敲の段階で中断の形となった模様である.しかし今や,口腔顎顔面領域の異常と言語障害が口腔医療面で世間の注目を集めており,世の要請に応えるためにも,このたび本書執筆刊行の重要性を再び窺い知るにいたり,新たに3名の執筆者とともに今回の運びとなった次第である.
 本書「口腔顎顔面領域の異常と言語障害」は,題名のごとく口腔顎顔面領域に発生するさまざまな要因により生じる言語障害さらに治療について,それらを唇,歯・咬合,舌,口蓋,下顎など口腔内の諸部位別にその異常症状の特徴,治療方法についても解説され,明快でわかりやすい書物となっている.長年にわたり言語治療を実践され,患者の成長を考慮した一連の永続観察と治療経過から生み出され,経験に基づいた貴重な記述内容は他に類例を見ない名著である.
 したがって,本書が多数の専門家,あるいは言語治療に感心の深い方がたの臨床・研究面に大いに役だてられること多大であると考えている.
 2001年7月20日
 日本学術会議会員・明倫短期大学学長
 教 授 内田安信

読者へのメッセージ

 最近では口腔癌における医療技術の発展・治療薬の開発などにより,術後患者の延命効果とともに社会復帰への可能性が高まっている.その一方,術後に発現する機能障害,とくに言語障害の問題の解決が切実である.また,先天性形成不全として口唇口蓋裂,日常よく相談を受けることの多い舌小帯異常,口腔顎顔面領域に発生する種々の症候群,そして鼻咽喉閉鎖不全症などの存在は相変わらず大きい.このように器質性構音障害の範疇に属する口腔顎顔面領域の異常に起因する言語障害は多様にみられ,口腔内のあらゆる部位に,そして先天性,後天性に発現する.
 本書はこのような言語障害および治療について,構音器官としての口腔顎顔面領域,すなわち唇,歯,舌,下顎,口蓋,鼻咽腔の各部位別,また症候群について記述した.しかし,口腔顎顔面領域に起因する言語障害は必ずしも1つの部位にその要因を限定できない場合があり,そのような場合にはおもな要因と考えられるほうに含めた.
 以下に本書の構成および内容についてふれる.まず1章に「言語治療室」について記した.これに関しては種々意見があると思われるが,言語治療に長年携わった経験から言語治療室に必要な条件など,知りえた事柄について記述した.
 2章は「検査・診断・治療」とし,これは治療に至る流れを把握するのに有用であるとの考えのもとに1つの章にまとめた.すなわち,言語障害の臨床でもっとも重要な事柄は適切な治療方法の選択・実施にあり,確かな診断のもとにそれは可能となる.しかし,それが容易でないことは,言語治療に関する相談を日常しばしば受けることからも現状を知ることができる.そのような意味から,治療に至る流れが理解しやすいよう検査・診断・治療の概要を項目Iにまとめた.それにつづいて各検査法を項目IIに,治療方法を項目IIIに記した.
 構音器官の検査法では口蓋,舌,歯など各部位別に検査上の留意点についてふれた.また,鼻咽腔閉鎖機能の検査法では客観性,種々の解析法があり,しかも操作が容易であるという編者のアイディアにより開発されたフローネーザリティグラフについても従来の方法に加えて紹介した.
 3章(口蓋)の口蓋裂では口蓋裂言語治療システムとして口蓋裂長期系統的治療計画下に言語管理,マザーカウンセリング他4つの項目を立て,その重要性について言及した.本口蓋裂言語治療システムにおける対象は幼児患者であり,この場合の言語治療の目的は成人例とは異なり,言語障害の発生予防に重点がおかれ,ケアがなされる.この場合のケア方法はおもに母親指導に重点がおかれることは自著(1983)においてすでに述べている.
 このように,母親指導の概念には相談要素も少なくないが,指導,説明の要素が大きい.そこで,本書では重要なカウンセリングについて項目をおこして記述した.またこのことは,言語病理学では先進国と考えられるアメリカにおいて,口蓋裂治療スタッフにカウンセラーがいることでもその重要性が理解できる.
 編者は,36年余にわたって5,000例を優に超える膨大な口蓋裂患者数の,しかもそれらの患者個々に術前術後を通して乳幼児期から成人期に至る長期間にわたる治療の経験から,またその個々の患者・家族に行った実際の相談経験から,患者それぞれの治療内容ならびに経過状況を把握でき,患者側が気軽に相談できる立場にある者として,言語習得上重要なケアの1つである母親へのカウンセリングの任に当たるのは,言語治療担当者が適切であると考えている.
 口蓋裂言語治療の実際の項では,患者の発達段階別に述べることが適切であるとの編者の従来からの考えから,今回も同様に幼児期,学童期,青年期および成人期に分け,それぞれにみられる言語治療上の特徴,問題点などについて言及した.
 3章「口蓋の異常と言語障害」とともに5章「舌の異常と言語障害」,8章「下顎の異常と言語障害」では,口腔癌術後患者の言語治療について,とくに3章および5章では言語機能再獲得の方法の1つとして,患者個々に対して工夫された装置などを含めて記した.これらは言語治療担当者にとって治療法を考案するうえでのヒントになるものと考える.
 また,従来あまり取り上げられることのなかった感のある舌突き出し(5章VII)や,歯・咬合の異常(7章)に起因した言語障害についても取り上げた.
 これは最近十数年間に受診する患児・者のなかに,“噛まない,噛めない“子どもが多いこと,また地域歯科医療側から17歳,19歳ほどの患者で,“噛めない,しゃべれないと”訴える患者が多いことを聞く.このようによく噛んで食べない・食べられない傾向は,子どもの生活様式,食生活,食形態の影響が大きいことが推察される.このような噛む機能の低下は言語機能のみでなく,心理面,あるいは肥満にまで影響を及ぼすことが最近の研究により明らかにされてきている.したがって,最近開始された介護保険,摂食・嚥下障害に関する専門学会が結成されたなどが,本機能の重要性を改めて再認識される機会となることを期待するものである.
 さて,本書執筆の動機は,口腔顎顔面領域の異常に起因する言語障害を有する患者および家族への治療,指導,相談に対応してきたなかで,口腔癌などで後天的に言語障害を発現した成人患者における言語機能再獲得へのなみなみならない熱望,そしてそれに対応する言語機能の改善の工夫,あるいはまた成長を無視しては適切な治療を行いえない幼児患者における治療に要する母子に対する精神衛生面のケアの重要性,そしてこれらを通して言語障害・治療の意義の大きさ,深さを思い知ったためである.そのため,1970年当初から,これらの考えの重要性を認識し,「舌の異常と言語障害」の一部についてはすでに他社月刊誌(1981)に連載し,また口蓋裂に関しては自著(1983)として出版している.その他の項も当時すでに書き上げていたが,推敲の段階で,日々の仕事におわれるうちに,いつしか原稿は机の脇に押しやられていた.しかし,本書発行の意義を再認識するに至り,今回改めて雑誌などにも掲載した資料をひもとき,整理し,新しい知見も加えながら,このたび4名で執筆することにし,出版の運びに至った次第である.
 本書は各執筆者の治療経験および業績を主軸にして記述した.各執筆者は全員30年前後の言語治療経験を有する専門家である.したがって,各項には充実した内容が記載されていると考えている.しかし,それには,本書を執筆するに当たり,各所属の長であられる主任教授のご許可ならびにご指導がいただけたことによるものであり,ここに衷心より感謝を申し上げる.
 さて,「口腔顎顔面領域の異常と言語障害」とひと口にいっても広範囲であり,そのため目次内容,構成その他に不十分な面もあろうかと考える.それらはみな編者の責任であり,ご批判をいただきながら次に記す機会を得た際,十分考慮して改めていく所存である.また,各執筆者の原稿には全体の統一上,編者が加筆,削除を行った.
 本書の巻頭に,明倫短期大学学長 内田安信教授にご玉稿を賜ることができた.言語病理学分野が今後ますますの発展を目指しているまさにそのとき,保健言語聴覚学専攻科の設置をされ,本分野にご理解の深い学長にご玉稿を得ることができたことは,今後本分野のますますの発展および視野を広げることができる最高のチャンスであろうと考える.
 本書が言語病理学を志す者への資格制度が制定されたこの時期に完成したことは時宜を得たものでる.そして,言語治療に関心を抱く,あるいは同専門家諸家に本書が役立つことを願い,メッセージの文を結ぶ.
 2001年6月15日
 日本海を眺望する大学研究室にてこれを記す
 編著者 伊東節子

読者へのメッセージ

1章 言語治療室
 I 言語治療室の設置条件
  1 遮音性
  2 独立性
  3 広さ,明るさ
  4 備品類および衛生
 II 録音室
 III 観察室

2章 検査・診断・治療
 I 治療の実際に至るには何が必要か
  1 問診
  2 観察
  3 検査
  4 診断および治療
  5 予後推察
 II 検査法
  1 構音器官検査法
   1)唇
   2)歯,歯列,咬合
   3)下顎
   4)舌
   5)口蓋
   6)鼻口腔閉鎖機能
   7)ディアドコキネス
   8)口腔習癖
  2 言語機能検査法
   1)概論
   2)言語機能検査
 III 言語治療方法
  1 構音治療
  2 母親指導
  3 機能訓練
  4 歯科医療の応用
   1)構音器官形態補正用装置
   2)鼻咽腔閉鎖機能改善装置
   3)歯科治療-矯正歯科治療・う歯治療
  5 外科的治療

3章 口蓋の異常と言語障害
 I 口蓋裂
  1 概要
   1)顔面・口腔の形成
   2)口蓋裂の発生機序
   3)口蓋裂の発生要因
   4)発生率
   5)裂型の分類
   6)口蓋裂に伴う障害
  2 言語障害
   1)声の異常
   2)構音の異常
   3)言語発達遅滞
   4)原因
   5)予後
  3 口蓋裂言語治療システム
   1)口蓋裂長期系統的治療計画
    言語管理/ マザーカウンセリング/ 手術/ チーム医療/
   2)言語習得に要する条件
   3)口蓋裂言語治療システムと言語成績
    開鼻声の消長/ 言語成績/
  4 言語治療の実際-発達段階別-
   1)幼児期の言語治療
    [症例]両側唇顎口蓋裂
   2)学童期の言語治療
    [症例]右側唇顎口蓋裂
   3)青年期の言語治療
   4)成人期の言語治療
    [症例]左側唇顎口蓋裂
 II 粘膜下口蓋裂
  1 概要
   1)臨床的特徴
   2)検査,診断
   3)治療/
  2 症例
    [症例1]手術実施例
    [症例2]軟口蓋挙上装置適用例
    [症例3]スピーチエイド装着により正常言語習得後手術実施例
 III 口蓋腫瘍
  1 硬口蓋(上顎)の腫瘍
    [症例1]良性腫瘍―手術実施例
    [症例2]口蓋亜全摘・顎義歯適用例
    [症例3]半側切除・顎義歯適用例
  2 軟口蓋の腫瘍
    [症例1]半側切除・オブチュレーター適用例
    [症例2]即時再建・スピーチエイド適用例
 IV 口蓋外傷
  1 概要
  2 症例
    [症例1]1歳時受傷・言語良好例
    [症例2]13歳時受傷・言語障害残存例

4章 鼻咽腔閉鎖不全症
 I 先天性鼻咽腔閉鎖不全
  1 概要
  2 症例
 II 後天性鼻咽腔閉鎖不全
  1 概要
 2 症例
    [症例1]開口,舌突き出し習慣が認められた症例
    [症例2]神経原性筋萎縮による症例

5章 舌の異常と言語障害
 I 舌小帯異常症
  1 概要
   1)舌小帯
   2)舌小帯異常
   3)発現率
   4)舌小帯異常の分類
   5)舌小帯異常に伴う障害
 2 構音障害
   1)構音障害範囲型
   2)構音障害範囲型別構音障害の発現
   3)年齢層別構音障害の発現
   4)構音障害のタイプ
 3 治療
   1)治療方法と実施時期
    手術/ 構音治療/ 舌機能訓練/ 舌運動遊び/
 4 言語習得状況
   1)初診時年齢と言語習得時期
   2)種々の治療例の経過
    [症例1]機能訓練後経過観察例
    [症例2]機能訓練後構音治療例
    [症例3]機能訓練後,手術・再機能訓練および構音治療実施例
    [症例4]再手術が必要といわれたが構音治療で言語良好例
    [症例5]母子関係に問題を有した例
    [症例6]手術拒否例,家族内同種疾患例
    [症例7]手術実施例
 II 無舌症・小舌症
  1 概要
  2 症例
    [症例1]無舌症
    [症例2]小舌症
 III 巨(大)舌症
  1 概要
  2 症例
    [症例1]先天性筋性巨舌症
    [症例2]腫瘍性巨舌症
 IV 舌腫瘍
  1 概要
  2 悪性腫瘍
   1)舌切除の分類
   2)舌切除症例の構音障害
    舌全切除の構音障害/ 舌部分切除の構音障害/
  3 良性腫瘍
 V 舌外傷
  1 概要
 2 症例
    [症例1]薬物嚥下
    [症例2]鋏による自傷
    [症例3]電気自傷
    [症例4]舌咬傷(精神分裂病・成人例)
    [症例5]舌咬傷(転倒・幼児例)
 VI 舌運動機能障害
  1 概要
  2 症例
    [症例1]舌萎縮例
    [症例2]舌右側萎縮例
    [症例3]舌運動機能低下例
 VII 舌突き出し(舌癖・口腔習癖)と言語障害   1 概要
  2 舌突き出しの要因
  3 舌突き出しに伴う言語障害
  4 治療
  5 予防
  6 症例
    [症例1]軽度アデノイド,扁桃肥大を認めた例
    [症例2]母指吸引癖および軽度言語発達遅滞例
    [症例3]サ,タ行音がいいにくいのは矯正歯科治療が不十分だからと考えていた成人症例
    [症例4]開鼻声を呈した症例

6章 唇・口裂の異常と言語障害
 I 概要
 II 症例
    [症例1]先天性両側顔面神経麻痺
    [症例2]血管腫
    [症例3]外傷
    [症例4]火傷による瘢痕性小口症
    [症例5]Freeman-Sheldon症候群にみられる小口症

7章 歯・咬合の異常と言語障害
 I 概要
 II 症例
    [症例1]乳前歯早期欠如症例
    [症例2]前歯の一部欠如症例
    [症例3]過蓋咬合症例
    [症例4]開咬症例

8章 下顎の異常と言語障害
 I 概要
 II 下顎前突に伴う言語障害
    [症例1]心理問題を伴った症例
    [症例2]矯正歯科治療実施例
    [症例3]代償機能でほぼ良好な言語機能を有した例
    [症例4]周囲から言語能力が半減しているといわれた例
    [症例5]咀嚼機能および構音両者に障害を訴えた例
 III 下顎切除に伴う言語障害
  1 下顎切除の分類
  2 下顎切除の分類と構音部位別構音障害
 3 下顎切除症例の主訴

9章 頬部・顔面の異常と言語障害
 I 顔裂
 II 症例
    [症例1]言語障害が認められた例
    [症例2]言語障害が認められなかった例

10章 症候群と言語障害
 I Pierr Robin症候群(Robin anomalad,Robin sequence)
  1 概要
  2 障害,問題点
 II Moebius症候群
  1 概要
  2 Moebius症候群の言語障害と治療
 III Treacher Colins症候群
  1 概要
  2 症例
 IV Klippel-Feil症候群
  1 概要
  2 症例
 V Freeman-Sheldon症候群
  1 概要
  2 症例
 VI 歌舞伎メイキャップ(make-up)症候群
  1 概要
  2 症例
 VII 円錐動脈幹異常顔貌症候群(22 q 11.2欠失症候群)
  1 概要
  2 症例
    [症例1]低カルシウム血症,精神発達遅滞,開鼻声,22 q 11.2欠失
    [症例2]ファロー四徴症,精神発達遅滞,開鼻声,22 q 11.2欠失
 VIII Apert症候群(acrocephalosyndactly)
  1 概要

文献
索引