やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

第2版の序

 第2版で大きく変わったところは,第6章に「歯の人類学」の章を設けたことである.本書の第1章総論の歯の定義から始まる記述のなかでは,いつもサメや魚類の歯が例に出され,それについての説明がなされている.われわれが常々思っていたことは,このままでは,サメの歯からヒトの歯へ記述が飛躍し過ぎ,歯学生の皆さんに理解してもらえないのではないかということであった.そこで,金澤英作先生に新たに執筆者に加わっていただき,現在人類がもつ歯の特徴がいかにしてつくられ,人類の進化によって,その形がどのように変化してきたのかについて述べていただいた.ある歯の形の変化(変異)が特定の人種に高頻度に現れるという事実をもとに,日本人の歯の特徴について人類学をベースにした記述をお願いしたわけである.
 日本人が現代の食生活によっていろいろな不都合が生じている事実を踏まえて,患者さんのQOL(Quality of life)をいかに守るかが歯科医師としての責務であるならば,本章の内容は,歯学生が必ず身につけておかなければならない知識と考える.
 1998年5月1日 高橋和人 野坂洋一郎 若月英三 金澤英作

第1版の序

 われわれ,歯科医学を学ぶ者にとって歯とはなにか,という問に諸君の先輩はなんと答えるであろうか.ある者は歯科医学の原点であるといい,ある者は登龍門にある岩山だといい,また,ある者は自然の営みのなかで人間を動物の一種類であると認識させてくれるものと答える.それぞれ,歯科医学を学ぶ者の立場によってその答えが著しく変わってくるのがおもしろい.
 一方,昔から,歯にまつわるいろいろなことわざが数多くあることは,諸君もご存知であろう.まず“歯がたたない““歯に衣を着せぬ……”“奥歯にものがはさまったいい方““切歯扼腕(やくわん)”“明眸皓歯(めいぼうこうし)”などがすぐに浮かんでくる.それほど歯というものが,本来の機能を離れて人間の心のなかでひとり歩きをしていることが理解できる.
 “形態学”という用語は,諸君には耳新しい言葉である.生物の構造・体制について研究する生物学の分野であると辞書には書いてある.また一般に,生理学と対置される.解剖学,記載的発生学などを含むとある.平たくいうと,形態学は解剖学のことで,対置される生理学は生物の機能に関する学問である.要するに,形態と機能は表裏一体となっていることが理解できたと思う.
 さて,解剖学とは,生物体という大きな国の地図である.諸君は地図を頼りにどこでも旅することができる.解剖学はまずはじめに,人体の地図の見方の規則を教える.規則とある程度の地名を暗記,気憶しなければならない.日常生活において諸君の住所,電話番号,学校の所在地など,非常に多くの情報を記憶していなければ行動できない.また,友人に自宅の所在を地図を書いて教えるとき,記憶のもとに,たとえば“××駅下車,南口から出て100m直進して〇〇薬局のところを右に曲がって3軒目です”と正確に相手に理解させることができる.ここで大切なことは,方角と距離を正しく伝えることが最小限必要な規則である.
 解剖学で教える人体の地図はもう少し複雑であるが,最小限度の規則を暗記していなければならないことは確かである.この時期がいちばんつまらない期間で,これを早く通り抜けて早くひとり歩きをしてもらいたいというのが,私ども,教える側の切なる願いである.
 本題に入ろう.歯の解剖学というのは,解剖学の一分野であることはいうまでもない.解剖学のなかで口腔(こうくう)を中心とした解剖学を口腔解剖といい,口腔のなかで重要な役目を果たす器官が歯である.そこで,歯の形態を究明するものを“歯の解剖学“または“歯牙解剖学”という.歯の形態を特別に扱うのは,歯という特殊な器官を修復したり,歯の抜けたあとを補充しなければならないために,歯の形態を十分に理解し,実際に歯そのものを再生復元する精密な技術を修得する必要があるからである.この点が一般の解剖学と異なるものである.本書はまず,歯の解剖学に関する知識を十分に理解吸収したあとに,歯の形態のスケッチをすることによって歯の外形を把握し,それから歯の形態を立体的に把握するために石膏による彫刻実習を行うように配置してある.
 “第1章 総論““第2章 永久歯”“第3章 乳歯“は無味乾燥に陥りやすく,読者にとっては暗黒の章かもしれないので,文章はできるだけ平易に,また,図はカラフルにして諸君の目を楽しませるように努力した.この章をみると,おわかりになるように,固有名詞が併記してあるものがかなりある.たとえば,中央溝(中心溝),三角隆線(中心隆線)など,読者にとってはたいへん迷惑な章であるが,歯に関する解剖学用語が統一されておらず,大学によってまちまちなためである.一つの箇所に,二つも三つも違った名前がついているのは,なんとも不都合であるし,読者を混乱させるばかりである.一日も早く歯の用語の統一に向かってわれわれが努力することを約束する.諸君には不便をおかけするが,しばらくの間お許し願いたい.この三つの章を読み進むと,最初に先輩方に向けて問うた“歯とはあなたにとってなんですか”という設問に答えられると信ずる.
 “第7章 歯の解剖学実習“のスケッチの項では“習うよりは慣れろ”ということわざどおり,何回も何回も歯の外形を描いて,それを自分なりに咀嚼して自分のものにしてもらいたい.諸君が子どものころ,いろはの“い“の字が初めて書けたときのあの感動をいま一度呼び戻していただきたい.また“い”の字は書く人によって全部形が違っている.しかし,これはだれでも“い“と読めるように一定の規則の枠のなかで自分なりに“い”を書いている.歯についても同じことがいえる.歯の外形を描いた場合,それがどんな歯でどこの部分を描いているのか,すぐにわかるようになる.そうなると,歯の外形の絵は単なる絵ではなく,相手に情報を伝える文字へと変身する.したがって,歯科医学を学ぶ者にとっては,この文字をどうしても描けるようにならなければならない.これが描けないことには文盲と非難されても仕方がないことになる.
 彫刻法の項では,歯の基本形は切歯にあり,犬歯,小臼歯,大臼歯へと変化していく流れを理解してほしい.歯の立体像を線の集まりであるとするならば,決して直線や正円は存在せず,美しい曲線の集合であることに気づく.諸君の彫刻したものも美しくなければならない.
 なお,執筆は第1章は野坂,第2章は高橋,第3章は古田,第4章と第5章は若月,第7章は若月と高橋というように分担した.また,第3章における図は,すべて日本歯科大学講師・白勢 皎氏が描いたものである.最後に本書の執筆,出版にあたり,いろいろとご援助をいただいた教室員ならびに医歯薬出版株式会社の方々に感謝する.
 1986年3月3日 高橋和人 野坂洋一郎 古田美子 若月英三
はじめに III

第1章 総論……(野坂洋一郎)……1
 I.歯とは……1
   1.歯の定義……1
   2.歯の起源……3
   3.歯の機能……4
   4.歯の交換……6
   5.歯の支持……7
     1)線維性結合〈7〉 2)蝶番性結合〈7〉 3)骨性癒合〈8〉 4)釘植〈8〉
 II.歯の種類……9
   1.切歯……9
   2.犬歯……9
   3.小臼歯……11
   4.大臼歯……11
   5.ヒトの臼歯の発生……12
     1)癒合説と分化説〈12〉 2)人類の歯〈14〉
 III.歯の記号と歯式……15
   1.歯の記号……15
   2.歯式……16
 IV.歯の用語……18
   1.方向用語……18
   2.歯の形の用語……19
     1)面〈19〉 2)辺縁(縁)〈19〉 3)隅角〈19〉 4)尖頭〈20〉 5)咬頭〈20〉 6)歯帯〈20〉 7)辺縁隆線〈20〉 8)隆線〈21〉 9)溝〈21〉 10)窩〈21〉 11)頂窩〈21〉 12)周波状〈21〉 13)接触点〈21〉 14)根尖〈22〉 15)根尖孔〈22〉 16)根幹〈22〉 17)歯頸線〈22〉
 V.歯の形態……22
   1.歯の外景……22
     1)外形の区分〈22〉 2)歯面の区分〈23〉 3)Mu¨hlreiterの三徴〈24〉
   2.歯の内景……25
     1)髄室〈25〉 2)根管〈26〉
 VI.歯列の比較解剖……27
   1.食虫目……27
   2.魚肉食動物……29
   3.肉食動物……29
   4.草食動物……29
   5.齧歯類……30
   6.霊長類……33
第2章 永久歯……(高橋和人)……37
 I.切歯……37
   1.切歯に共通した性質……37
     1)位置と数と種類〈37〉 2)大きさ〈37〉 3)咬合関係〈39〉 4)歯冠の特徴〈39〉 5)歯根の特徴〈41〉 6)歯髄腔の特徴〈42〉 7)左右側の鑑別〈42〉
   2.上顎中切歯(上顎第一切歯)……43
     1)歯冠〈43〉 2)歯根〈45〉 3)歯髄腔〈46〉
   3.上顎側切歯(上顎第二切歯)……46
     1)歯冠〈47〉 2)歯根〈48〉 3)歯髄腔〈48〉
   4.下顎中切歯(下顎第一切歯)……48
     1)歯冠〈48〉 2)歯根〈49〉 3)歯髄腔〈50〉
   5.下顎側切歯(下顎第二切歯)……50
     1)歯冠〈50〉 2)歯根〈51〉 3)歯髄腔〈51〉
 II.犬歯……51
   1.犬歯に共通した性質……51
     1)位置と数〈51〉 2)歯冠の形態〈52〉
   2.上顎犬歯……53
     1)歯冠〈53〉 2)歯根〈54〉 3)歯髄腔〈54〉
   3.下顎犬歯……54
     1)歯冠〈55〉 2)歯根〈56〉 3)根管〈56〉
 III.小臼歯……56
   1.小臼歯に共通した性質……56
     1)位置と数〈56〉 2)種類と大きさ〈56〉 3)小臼歯の基本形〈56〉
   2.上顎第一小臼歯……58
     1)歯冠〈58〉 2)歯根〈60〉 3)歯髄腔〈60〉
   3.上顎第二小臼歯……60
     1)歯冠〈61〉 2)歯根〈61〉 3)歯髄腔〈61〉
   4.下顎第一小臼歯……62
     1)歯冠〈62〉 2)歯根〈64〉 3)歯髄腔〈64〉
   5.下顎第二小臼歯……64
     1)歯冠〈64〉 2)歯根〈66〉 3)歯髄腔〈66〉
 IV.大臼歯……66
   1.大臼歯に共通した性質……66
     1)位置と数〈67〉 2)種類と大きさ〈67〉 3)大臼歯の基本形〈67〉
   2.上顎第一大臼歯……69
     1)歯冠〈69〉 2)歯根〈73〉 3)歯髄腔〈73〉
   3.上顎第二大臼歯……74
     1)歯冠〈74〉 2)歯根〈75〉 3)歯髄腔〈75〉
   4.下顎第一大臼歯……76
     1)歯冠〈76〉 2)歯根〈80〉 3)歯髄腔〈80〉
   5.下顎第二大臼歯……81
     1)歯冠〈81〉 2)歯根〈82〉 3)歯髄腔〈82〉
   6.上・下顎第三大臼歯……82
第3章 乳歯……(古田美子)……85
 I.乳歯に共通した性質……85
   1.乳歯の機能……85
   2.乳歯の形態的性状……86
     1)乳歯の大きさ〈86〉 2)乳歯の数と名称〈86〉 3)乳歯の歯式〈88〉 4)乳歯の歯冠色〈88〉 5)乳歯のエナメル質および象牙質の厚さ〈88〉 6)乳歯の歯根の吸収〈88〉 7)乳歯の形態の特徴〈90〉
   3.乳歯列と乳歯の咬合……92
     1)乳歯列〈92〉 2)乳歯の咬合〈92〉
 II.乳切歯……93
   1.乳切歯に共通した性質……93
     1)位置と種類〈93〉 2)大きさの順位〈93〉 3)形態的特徴〈93〉
   2.上顎乳中切歯……94
     1)歯冠〈94〉 2)歯根〈95〉 3)歯髄腔〈95〉
   3.上顎乳側切歯……95
     1)歯冠〈95〉 2)歯根〈96〉 3)歯髄腔〈96〉
   4.下顎乳中切歯……97
     1)歯冠〈97〉 2)歯根〈98〉 3)歯髄腔〈98〉
   5.下顎乳側切歯……98
     1)歯冠〈98〉 2)歯根〈99〉 3)歯髄腔〈99〉
 III.乳犬歯……100
   1.乳犬歯に共通した性質……100
     1)位置と数〈100〉 2)大きさ〈100〉 3)形態的特徴〈101〉
   2.上顎乳犬歯……101
     1)歯冠〈101〉 2)歯根〈102〉 3)歯髄腔〈102〉
   3.下顎乳犬歯……102
     1)歯冠〈102〉 2)歯根〈103〉 3)歯髄腔〈103〉
 IV.乳臼歯……104
   1.乳臼歯に共通した性質……104
     1)位置と種類〈104〉 2)大きさの順位〈105〉 3)形態的特徴〈105〉
   2.上顎第一乳臼歯……105
     1)歯冠〈106〉 2)歯根〈108〉 3)歯髄腔〈109〉
   3.上顎第二乳臼歯……109
     1)歯冠〈109〉 2)歯根〈112〉 3)歯髄腔〈112〉
   4.下顎第一乳臼歯……114
     1)歯冠〈114〉 2)歯根〈117〉 3)歯髄腔〈117〉
   5.下顎第二乳臼歯……117
     1)歯冠〈117〉 2)歯根〈121〉 3)歯髄腔〈121〉
 V.乳歯の大きさ……122
第4章 永久歯の配列と咬合……(若月英三)……125
 I.歯の配列……125
   1.歯列と歯列弓……125
     1)歯列弓の形態(咬合面)〈125〉 2)咬合線(前後的,頬舌的)〈127〉 3)顎骨と歯列弓との関係〈128〉
 II.歯の植立……130
   1.近遠心的傾斜角度……130
   2.唇(頬)舌的傾斜角度……130
 III.咬合……130
   1.咬合様式……130
     1)両側性咬合平衡〈131〉 2)片側性咬合平衡〈131〉 3)mutually protected occlusion〈131〉
   2.咬合位……131
   3.咬合平面……132
     1)解剖学的咬合平面〈132〉 2)補綴学的咬合平面〈132〉
   4.上下顎の歯の接触関係……132
     1)側方からみた場合〈132〉 2)咬合面からみた場合〈133〉 3) 咬合型〈134〉
 IV.隣在歯との位置的関係……136
   1.接触点……136
     1)接触点の意義〈137〉 2)接触点の位置,形,大きさ〈137〉
   2.歯間隙と歯間鼓形空隙……139
     1)歯間隙〈139〉 2)歯間鼓形空隙〈140〉
   3.歯隙……140
第5章 歯の異常……(若月英三)……143
 I.歯数の異常……143
   1.歯数過剰……143
   2.歯数の不足(欠如歯)……144
   3.乳歯の残存……145
 II.歯の大きさおよび形の異常……148
   1.大きさの異常……148
   2.歯冠の異常……148
     1)切歯結節および犬歯結節〈148〉 2)中央結節(中心結節)〈148〉 3)カラベリー結節〈148〉 4)プロトスタイリッド〈149〉 5)臼旁結節〈149〉 6)臼後結節〈150〉 7)エナメル滴(エナメル真珠)〈151〉 8)根間突起(エナメル突起)〈152〉 9)第6咬頭〈152〉 10)第7咬頭〈152〉 11)trigonid furrow〈154〉 12)protoconule〈154〉 13)meta-conule〈154〉 14)近心結節〈154〉
   3.歯根の異常(異常根)……154
     1)長さの異常〈155〉 2)形の異常〈156〉 3)数の異常〈157〉
   4.癒着歯,癒合歯,双生歯……160
     1)癒着歯〈160〉 2)癒合歯〈160〉 3)双生歯〈161〉
 III.位置の異常……161
     1)転位歯〈161〉 2)傾斜歯〈161〉 3)捻転歯〈161〉 4)位置交換歯〈161〉 5)高位歯および低位歯〈162〉 6)埋伏歯〈162〉
 IV.歯列弓,咬合の異常……162
   1.歯列弓の形態異常……162
     1)狭窄歯列弓〈163〉 2)V字形歯列弓〈163〉 3)鞍状歯列弓〈163〉 4)空隙歯列弓〈163〉
   2.咬合の異常……163
     1)近遠心的方向の異常〈163〉 2)垂直方向の異常〈163〉 3)水平方向の異常〈163〉
 V.萌出の異常……164
   1.乳歯の萌出の異常……164
     1)乳歯の早期萌出〈164〉 2)乳歯の晩期萌出〈164〉
   2.永久歯の萌出の異常……164
     1)永久歯の早期萌出〈164〉 2)永久歯の萌出遅延〈167〉
第6章 歯の人類学……(金澤英作)……169
 I.歯科人類学……169
 II.人類の進化と歯の形態……171
   1.人類以前の化石と大型類人猿……171
   2.ヒト化への過程と頭蓋形態の変化……173
   3.ヒトの歯の一般的特徴……176
 III.人種と歯……178
   1.人種と多様性……178
     1)オーストラロイド〈178〉 2)コーカソイド大人種〈178〉 3)ネグロイド大人種〈178〉 4)モンゴロイド大人種〈179〉
   2.人種の特徴としての歯……179
     1)歯のサイズ(定量的研究)〈179〉 2)歯の非計測的形質(定性的研究)とその応用研究〈182〉
   3.人類学への応用……183
     1)モンゴロイド集団の2つの流れ〈183〉 2)日本人の形成と歯の形質〈185〉
第7章 歯の解剖学実習……(若月英三,高橋和人)……187
 I.実習に用意するもの……187
 II.歯の計測法……189
   1.歯軸……189
     1)前歯〈189〉 2)臼歯〈189〉
   2.歯の計測点……190
     1)切歯〈191〉 2)犬歯〈192〉 3)臼歯〈192〉
   3.計測値の計測表への記入……194
 III.スケッチ……194
   1.スケッチの方法……196
   2.名称の記入法……199
   3.モアレ縞写真……199
 IV.彫刻法……200
   1.石膏ブロックの作製……200
   2.切歯の彫刻法……201
   3.犬歯の彫刻法……207
   4.小臼歯の彫刻法……207
   5.大臼歯の彫刻法……212

参考文献〈219〉 歯の用語〈221〉 索引〈227〉 スケッチ用紙〈233〉