やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文

 過去20年間に24の新しい病原性微生物が出現したといわれている.エイズをはじめエボラ出血熱,ラッサ熱など,また肝炎はA型からG型まで報告されている.そのような状況でわれわれ歯科医療担当者は,B型肝炎,HIV,MRSAと出現するたびに大さわぎをし,その都度あわてて感染予防対策を立てるということを繰り返してきた.しかし,おそらく今後も新しい病原性微生物が必ず出現するであろう.そろそろこのイタチゴッコを止めよう,何が出てきてもあわてないですむような最低の防御ラインを作っておこうではないかというのが現在の考え方である.そしてその最終目標は,すべての患者は何らかの感染者であるとの認識のうえに全患者に対して同じ対応をする,いわゆるユニバーサル・プリコーションを行うということである.
 近年,B型肝炎はワクチン,γ-グロブリンの使用や,母子感染防止事業の推進などで急激に減少してきている.しかし,C型肝炎抗体陽性者については,日赤血液センターは全人口の1〜1.2%と報告しているが,実際には歯科臨床を訪れた患者の4〜5%が抗体陽性だという報告もある.しかもそのうち輸血歴のある患者は0.5%にすぎず,その他は原因不明であり,しかも高齢者ほど頻度が高いことから,おそらく幼少時の予防接種のまわし打ちが原因であると考えられている.日本の予防接種の注射器,注射針がディスポーザブルになったのが約20年前である.したがって現在20歳以上の人は多くの危険因子を内在していることになる.このような状況では,ある特定の人だけに感染予防対策としてラテックスグローブ,マスク,防御メガネを使用するのではなく,全患者に使用するのは当然である.
 また老年人口の増加や,癌,肝・腎疾患などで長期にわたり医学的管理を受けている患者の増加は患者側の要因を大きく変えた.彼らは感染に弱く,簡単に感染する.従来ではあまり問題とならなかった微生物に感染し危険な状態となる.したがって,従来の院内感染予防対策では十分に対応できない面もあり,器械・器具の滅菌,消毒ばかりでなく,患者の評価,医学的背景,院内環境の整備,滅菌体制での歯科治療技術の開発,歯科医療従事者の予防ワクチン接種,歯科医師およびスタッフの教育など院内感染予防システムの確立が急がれる.とくに歯科診療所に勤務する全員が同じ考え,知識を持ち,その診療所に合ったシステムを作り,少しずつ向上する努力が重要となる.
 本書は院内感染予防のすべてを述べてはいない.新しい滅菌可能な材料,器具,薬剤あるいは技術など院内感染予防対策は日々進歩している.読者は常にこれらに対し情報を集め,評価し,より理想に近づける工夫が必要となる.今後医学や経済などの環境変化に応じて変えていかなければならないが,そのスタートとして利用していただければ幸いである.
 最後に本書の企画から発刊に至る間,いろいろとご協力いただいた医歯薬出版株式会社に感謝申し上げる次第である.
 1996年5月 編者
序文……iii
用語の定義……前田 憲昭……xiii

1.クリーンデンタル・プラクティス 池田正一……1

2.歯科治療における感染予防 池田正一……3
 1.新しい院内感染予防の考え方……4
     1)易感染患者の増加……5
     2)原因菌の変遷……6
     3)ウイルス感染の増加……6
 2.滅菌・消毒と洗浄……8
     カテゴリーI……8
     カテゴリーII……9
     カテゴリーIII……9
 3.滅菌体制での歯科診療……9

3.治療前後の院内感染予防……17
 1.感染予防の基本……前田憲昭……17
  1.総 論……19
     1)基本的な考え方……19
     2)清掃の意義……19
  2.各 論……20
     1)手指消毒(手洗い)……20
     2)環境・機器の準備段階における清掃……22
     3)診察域の表面清掃の基本……23
     4)保管……23
     5)診療室のデザイン……25
     6)診療服……27
     7)手袋……28
     8)帽子……29
     9)口腔清掃……30
 2.診療を始める前に……溝部潤子……31
     1)受付業務のなかでの感染予防……31
     2)診療補助・介助者……32
     3)歯科技工士……34
 3.診療準備……溝部潤子……35
     バリアーの用意……35
 4.診療後……溝部潤子……40
     1)使用ずみ器具・バリアーの処理……40
     2)後始末の手順……40
     3)後始末と保管……40

4.口腔外科治療に関する器械・器具の滅菌・消毒 前田憲昭……47
 1.滅菌・消毒の実際……49
     1)手洗い……49
     2)外科手洗いの実際……49
     3)手袋の着用……55
     4)術野の消毒……55
     5)マスクの着用……59
     6)メガネの着用……60
     7)術後の手洗い……60
     8)アンプル封入物への対応……60
     9)マスク・メガネの術後処理……61
 2.器具滅菌における配慮……64

5.補綴治療に関する器械・器具の滅菌・消毒 浜田泰三・貞森紳丞……65
 1.印象用トレー・印象材・模型……65
  1.印象用トレー……65
  2.印象材……68
     1)診療室での操作……68
     2)印象物の消毒について……68
  3.模 型……73
 2.補綴物……75
 3.補綴関連の器械・器具・使用材料……76
 4.技工室……76
     1)受付(搬入部:receiving area)……77
     2)技工室に渡されるもの(incoming cases)……78
     3)防護用具の着用(use of protective attire and barrier technique)……78
     4)汚染物の廃棄(disposal of waste material)……79
     5)技工場所(production area)……79
     6)完成技工物の引き渡し(出荷部:outgoing cases)……79
 5.補綴物のホームケア……79
     1)可撤性補綴物……79
     2)固定性補綴物……80
 6.X線写真撮影時の滅菌・消毒 前田憲昭・溝部潤子……83
     1)日常の唾液汚染に対して……83
     2)出血創のある口腔内での撮影……84
     3)器具での保持が困難な場合の撮影……85
 7.感染者への歯科治療……87
  1.エイズと歯科診療……池田正一……87
   1.患者からの感染の可能性……87
   2.歯科医療従事者から患者への感染……90
     1)B型肝炎を感染させた歯科医師……90
     2)ヘルペス歯肉口内炎を感染させた歯科衛生士……90
     3)キンバリー事件(エイズを感染させた歯科医師)……91
     4)6人の症例……92
     5)その後のキンバリー事件……95
     6)結核を感染させた歯科医師(飛沫感染)……95
   3.患者間感染……96
     エアータービンの水流から緑膿菌感染(歯肉膿瘍)……96
  2.HIV・エイズ患者に対する歯科治療……池田正一……97
   1.エイズと歯科治療……97
     1)患者の病期を正しく理解する……98
     2)患者に不用意な感染をさせない……98
   2.歯科診療における感染予防……99
     1)可能なかぎり病歴を取り,十分に診察する……99
     2)HBVワクチンを受ける……99
     3)治療の前に口をゆすがせる,できれば消毒薬でうがいさせる……99
     4)治療の前に十分な手洗いをする……100
     5)白衣は毎日替える,診療室から外に出るときには着替える……100
     6)バキュームテクニック,とくに口腔外バキュームの応用……100
     7)患者の血液や唾液が触れても安全なようにゴム手袋,メガネ,マスク,帽子を使用する……101
     8)ラバーダム防湿の励行……103
     9)治療椅子や安頭台,無影燈,フットペダル,X線装置ヘッドなどにビニールシートカバーをする……103
     10)注射筒,注射針,メス,縫合針,紙コップ,ペーパータオルなどできるだけ使い捨てのものを使い,使用後は一括して廃棄する……103
     11)鋭利な歯科用器具や注射針で絶対に傷をつけないよう細心の注意を払う……103
     12)治療後の手洗いを十分に行う……103
     13)患者に使用した器具類の消毒を怠らない……103
     14)熱処理に耐える器具はすべて熱処理する……104
     15)滅菌できるハンドピースに替える……104
     16)超音波洗浄器を積極的に利用する……104
     17)パッキングシステムを導入する……104
     18)滅菌のモニタリングをする……104
     19)エアーおよびウォーターラインの逆流防止のためにユニットの改造が必要……104
     20)手用器具はグルタールアルデヒドに1時間浸ける.その後オートクレーブで滅菌する……106
     21)治療後の器械・器具,テーブル,カウンターなどの表面は消毒薬や洗剤で拭く……106
     22)印象物など患者の口腔から取り出したものはただちに消毒薬に入れ,チェアーサイドから移動させる……106
     23)滅菌・消毒法の基本を守る……106
     24)医療廃棄物は選別して捨てる……106
  3.エイズの口腔病変……池田正一……108
   1.真菌感染症(fungal infection)……110
     1)偽膜性カンジダ症(pseudomembranous candidiasis)……110
     2)紅斑性カンジダ症(erythematous candidiasis)……111
     3)口角炎(angular cheilitis)……112
     4)他の真菌感染症……112
   2.細菌感染症(bacterial infection)……113
     1)壊死性歯肉炎(necrotizing gingivitis)……113
     2)HIV関連歯肉炎/歯周炎……113
     3)他の細菌感染症……114
   3.ウイルス感染症(viral infection)……115
     1)ヘルペス口内炎……115
     2)口腔毛様白板症(oral hairy leukoplakia)……116
     3)パピローマウイルス(papilloma virus)……117
     4)その他のウイルス感染症……118
   4.新生物(neoplasms)……118
     1)カポジ肉腫……118
     2)非ホジキンリンパ腫……119
   5.神経系の障害……119
   6.原因不明の口腔所見……119
     1)再発性アフタ……119
     2)HIV関連唾液腺障害……120
    まとめ……120
  4.感染者への歯科治療での一般的注意事項……前田憲昭……123
   1.感染の事実の確認……123
     1)提供された情報で感染の事実は明らかとなったが,患者自身には告知されていない場合の対応……123
     2)感染の事実が告知されている場合……124
   2.初診:口腔内診査……125
   3.治療計画の立案……125
   4.治療計画の説明……126
   5.感染者への保存療法……127
    1.感染症を有する患者の保存療法……128
     1)保存治療の選択……128
     2)保存治療における窩洞形成……128
     3)保存治療における材料の選択……128
     4)治療における原則……128
     5)治療の準備……129
     6)患者の治療域への導入……129
     7)術者の準備……131
     8)術後の器具の処理……132
    2.感染症を有する患者の歯内療法……132
     1)歯内療法の選択……132
     2)非感染歯髄が対象となる(抜髄が実施される)場合……132
     3)感染根管が対象となる場合……137
     4)術者の準備と患者の準備……138
     5)術後の器具の処理……138
    3.感染症を有する患者の歯周疾患治療……138
     1)歯周治療の選択……138
     2)免疫不全状態(とくに HIV感染症)で発現する病状の分類……138
     3)診断法と治療法……140
     4)術者の準備と患者の準備……141
     5)術後の器具の処理……142
     6)最後に……142
   6.治療における患者への注意事項……142
   7.治療例……143
    感染症患者の抜歯……143
   8.HIVに関するトピックス……145
    1.HIV感染者の長期生存例の確認……145
     1)長期生存(long time survivors)の定義……145
     2)長期生存者に認められる生物学的特色……146
    2.AZT投与と妊娠……146
    3.HIV感染患者治療中における医療従事者の事故……147
  5.免疫不全と口腔症状……前田憲昭……149
   1.はじめに……149
   2.免疫不全と口腔症状……149
     1)異物排除機構としての免疫……149
     2)角化の方向性について……154
     3)角化の機構……154
 8.偶発事故への対応 前田憲昭……157
   1.日常からの準備……157
     1)各自(各施設)の感染症対応マニュアルの作成……157
     2)抗体の測定とワクチンの接種……158
     3)歯科診療とリスク……159
     4)法的責任……162
     5)偶発事故の防止のために……162
   2.針刺し事故防止への工夫……163
   3.偶発事故が起こったら……164
     1)感染因子による対応……164
     2)事故部位別の対応……168
     3)事故後の対応……170
   4.Infection Controlと女性……171
     1)偶発事故と妊娠……171
     2)女性の化粧……172

資料……173