やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

推薦のことば

 今から8年前,乗員,乗客524名を乗せた日本航空の旅客機が墜落炎上し,520名の尊い生命が失われるという大惨事が発生したとき,警察は,日本歯科医師会や日本医師会などの協力を得て,生存者の救助,遺体の身元確認,検視などに当たった.本県からは,本書を監修された法医歯科学の権威者である山本勝一先生をはじめ神奈川県歯科医師会の先生方が現地に赴かれ,猛暑のなか,不眠不休の身元確認作業に従事された.
 遺体は,機体の墜落炎上により損傷がひどく,遺体の身元確認のうち半数近くは法医歯科学的手法により行われたもので,捜査に携わるものとして改めて法医歯科学の重要性を認識させられた.
 本書は,鑑定要領を具体的事例でとらえ,鑑定の基本的事項をマニュアル式にまとめられたもので,事例では,神奈川歯科大学法医学教室で実践されているラセミ化法という,歯の象牙質に含まれるアミノ酸の分析によって年齢推定する鑑定方法が紹介されている.この鑑定は,年齢誤差がほとんどなく,県内発生の凶悪事件をはじめ,幾多の身元不明死体の身元確認に多大な貢献をなされている.ほかに硬組織からの血液鑑定,DNA遺伝子分析による性別鑑定,親子鑑定などにも定評がある.
 本書は,現場の実務家の立場にたって編集されたものばかりであり,広く全国の医学関係者,警察歯科医会関係者,捜査官など多くの方がたに愛読されるようここに推薦するものである.
 終わりに,本書を執筆された山本勝一先生をはじめ各先生方の今後のますますのご活躍とご健勝を祈念したい.
 1993年10月 神奈川県警察本部長 杉田和博

推薦の辞

 わたくしは,歯科医学の学問領域における“法医歯科学“,あるいは“法歯学”は,比較的新しい分野として考えておりました.
 歯科大学・歯学部の学科目名称との関連も含めて,この分野の名称も“法医学における歯科学“に始まり,“歯科法医学“および“法歯学“などの形で呼ばれております.このような「名称・仮称」については,いまだに“医学”に対して,“歯学“なのか,“歯科医学”なのかという名称の議論がつづいているようです.
 いずれにいたしましても,学問分野は,おのおのの専門について,実際の日常的,かつ社会的な諸問題に対応した有用性のある“実学”でなければ学問体系としての発展もみられなくなると思います.
 この意味では,歯の硬組織などの分析による人の“個人識別“に対する研究が種々の社会問題の解決に役立つことは,実際の“実学”対応の成果であると考えております.
 しかし,学問分野の体系的研究の成果が“社会的な不慮の事故”の問題解決に対応することのみでの側面でとらえたくはありませんが,結果として一朝有事のお役には立っていると思います.
 とくに神奈川県歯科医師会は,災害対策協力歯科医部会の創設,神奈川県歯科医師日本赤十字奉仕団の認定および警察協力歯科医師の配置など,地域行政とのはば広い連携をとっておられます.
 この神奈川県歯科医師会の事業活動にかかわり,神奈川歯科大学・山本勝一教授のご指導を得ている本書が,会員各位の地域社会活動に役立つことを確信し,会員各位の対外活動の座右の書として活用されるようご推薦を申し上げる次第です.
 1993年10月 日本歯科医師会 会長 中原 爽

発刊に当たって

 法医歯科学の歴史はそれほど古いものではない.世界における法医歯科学の父と呼ばれるキューバ生まれのオスカー・アメード博士が祖国のハバナで歯科医師となり,1889(明治22)年パリで開催された第1回国際歯科会議(FDI)に代表として参加し,その後数かずの出版物を発表したが,そのなかの“法医学における歯科学“と題するものが法医歯科学に関するはじめての学術書である.この本はエム・ジー・ポルト博士によって1900(明治33)年ドイツ語に訳された.同じ年に野口英世博士は,そのなかから“年齢と歯科法医学“,“咬傷の法医学的関係”の2つについて東京歯科医学院(現在の東京歯科大学の前身)で講義されたが,これが日本における法医歯科学の嚆矢である.
 滋賀県歯科医師会副会長で現在は故人になられました佐藤守先生の記載文によれば,歯が個人の識別に使われたのは古く,“日本書記“に以下のように記されているという.第17代天皇履中天皇の皇子が皇位継承をめぐる争いで,近江の国蒲生野において狩猟の最中,雄略天皇により謀殺され,その遺体は馬の飼い葉桶に入れられて土中に埋められた.その後,この皇子の御子が顕宗(23代)・仁賢(24代)天皇に即位され,亡父の遺骸を探し求めて,この蒲生野の辺りで桶に入った遺体が見つかった.そのとき,その判定は,この皇子の特徴は“犬歯突出”ということで,当時まだ健在であった,この皇子の乳母の確認により本人と判明した.そのご遺体はこの地に丁重に葬られ,御陵とされ,それ以来,この皇子を市之辺押普i押磐)の皇子とお呼びすることになったということである.
 歯は人体組織のなかでもっとも硬い器官で,自然体の環境にはきわめて強い抵抗力を示し,またその形態は同名同位の歯でも各人により異なり,歯列・咬合状態はもとより加齢に伴う咬耗,摩耗,そして歯科的処置における喪失歯,歯冠修復,欠損補綴あるいは歯の残根状況などは,個人の指紋と同様に絶対に同じものはないところである.これら歯に関する部門は血液型・年齢・性別・職業および死後の経過時間の推定等々による個人識別,身元確認には必要欠くことのできないものである.
 本県歯科医師会においては,昭和60年8月12日群馬県御巣鷹山の日航機墜落事故で,不幸にも死亡された520人のうち,ほとんどの遺体が衝撃でバラバラの状況のなかで,遺体の歯・口腔状態から40.8%の身元確認効率をあげたことを重視し,かつその際,群馬県歯科医師会では会員のほとんどが出動,鑑別業務に尽力されたことなどから,本県歯科医師会でも防災基本法に基づく立場から災害対策協力歯科医部会を昭和63年5月30日に創設した.これは地震などの大災害時に救急隊を出動し,それが情報把握伝達のため無線班と連携一体化で活動の円滑化をはかり,日本赤十字社神奈川県本部からの指導を受け,会員多数が日赤救護員の資格を取得,同様にアマチュア無線資格をとって訓練に励み,全国歯科医師会において初めて神奈川県歯科医師日本赤十字奉仕団の認定を受け団旗を受領した.別途,県下51カ所の警察署に県警本部長から委嘱を受けて警察協力歯科医を各署ごとに2名を配置し,焼死体,白骨,腐乱死体などの身元確認鑑識業務に協力するため,神奈川歯科大学法医歯科学教室 山本勝一教授のご指導によるワークショップを実施している.さらに1991年から警察協力歯科医による鑑別実践例発表を行っており,新しく警察協力歯科医となられた会員および一朝有事で航空機事故や大災害時における身元確認などで出動するため,全会員に対し“歯の鑑定入門”を編纂出版することになった.
 会員各位におかれては,本書を座右の書として活用され,さらなるご研鑽を積まれることを切望する次第です.
 本書発刊にあたり山本勝一教授のご監修ご指導に対し深甚の感謝と敬意を表し,編纂にあたり関係諸兄のご労苦に心より厚くお礼申し上げる次第であります.
 1993年10月 神奈川県歯科医師会 会長 加藤増夫

監修者序

 “水は方円の器に随う”という諺があるが,全国警察協力歯科医師(医師・薬剤師)会は,43都道府県に設置されているのに,司法,行政を問わず,歯にかかわる事件に遭遇したとき,警察協力歯科医は,いかに対処したらよいのか,指針となるようなガイドブックが少ないのが現状である.
 そこで,神奈川県歯科医師会は,役職の先生方各位のご熱意により,諺のなかの“水“に相当するガイドブックを各都道府県のさまざまな型の“器“に対応する指導書発刊の必要性をご理解いただき,医歯薬出版株式会社のご協力のもと,“歯の鑑定入門”を上梓することになった.
 発刊にあたり神奈川県警察本部長・杉田和博殿,日本歯科医師会会長中原爽先生の貴重な推薦の辞を掲載させていただき,神奈川県歯科医師会会長加藤増夫先生の巻頭言に錦上花を添えることになった.
 本書の編集にあたり,特色として,PartIは読みやすく,また興味溢れるものとするため“事件例あらかると”とした.内容は写真を多く取り入れ,検査の要点が正しく,わかりやすく把握できるよう検屍・検査所見に加えて,検査の見どころ・勘どころ,検査の手びき,ならびに発見状況から事件の顛末・概況までを事件例ごとに書きくだした.このうち,大量災害事例として,日航ジャンボ機の墜落事故(1985年),潜水艦と遊漁船の衝突事故(1988年)をとりあげた.大量災害の場合,通常一度に多数の死者と相対するが,検屍のための解説の冗長を避けるため,口腔に特徴のあるおもな検査例を紹介することとし,その手順を図示した.PartIIは,鑑定入門として警察歯科医会の生い立ちと現況,とりわけ第1回から第5回までのワークショップの経過を具体的に記載した.そして各種災害と歯科医師の役割と必要な法規をとりあげたが,法規については,興味がもてるように実際の症例を若干挿入してみた.さらに,個人識別へのアプローチとして病的な歯,インプラントなどのほか,検屍鑑定を行う先生方への提言を付記した.PartIIIは,鑑定のために知っておきたい基礎知識について,人獣鑑別,年齢,性別の項目のなかに,とくにラセミ化法とDNA分析という分子生物学的手法をトピックスとして解説した.PartIVは,21世紀に向けての警察歯科医会の方向づけを展望してみた.
 監修を終えてみて,もっともむずかしかったのは分担執筆者が1機関と4大学所属の9人となったため,文章の重複を正し,各執筆者の個性の相違点を調整することであった.
 しかし,各執筆者とも長い間のお付き合いで気心の知れた先生方であったので,調整作業もスムーズに運ぶことができた.
 本書が全国の警察協力歯科医会の先生方の事件現場における鑑定のためのよき指導書になるよう祈念するとともに,臨床歯科医師,警察官,鑑識技官,捜査官,ならびに歯科,医科の学生諸君のよき伴侶の参考書ともなれば幸甚である.
 おわりに,出版にあたり献身的な協力をいただいた神奈川歯科大学法医学教室の黒崎千鶴子嬢,ならびに医歯薬出版株式会社各位のご好意に対し心からの謝意を表します.
 1993年10月 神奈川歯科大学法医学教室 教授 山本勝一
I 鑑定例あらかると―……1
   1.箱根仙石原全裸女性殺人事件(1974)……2
   2.死者と顎模型(1982)……4
   3.カルテと倉庫内白骨女性他殺体(1984)……6
   4.日航ジャンボ機の墜落事故(1985)……8
   5.女性画商殺し(1987)……11
   6.潜水艦と遊漁船の衝突事故(1988)……13
   7.崩れた完全犯罪(1988)……16
   8.西丹沢殺人死体遺棄事件(1988)……18
   9.連続幼女誘拐殺人事件(1989)……20
   10.トランク詰め老女殺し(警察庁準広域5号事件)(1990)……22
   11.身元不明変死体確認事件(1990)……25
   12.乗用車内白骨変死体事件(1990)……27
   13.屍蝋化した女性他殺体(1991)……28
   14.2本の歯から身元確認した遺体なき殺人事件(1991)……31
   15.コンクリート詰め女性他殺体(1991)……32
   16.コンビーフのなかに埋入した歯の破折片(1992)……34
   17.水中から発見された身元不明バラバラ死体(1992)……35
   18.歯を用いた親子鑑定(1993)……37
   19.中華航空機墜落事故(1994)……39
II 鑑定入門―……41
   1.警察歯科医の誕生……42
   2.神奈川県における警察歯科医会のあゆみ……43
    1)ワークショップのあゆみ……44
   3.歯科医師の役割……51
    1)各種災害のうつりかわり……51
    2)災害発生における出番と手順……55
    3)個人識別へのアプローチ……57
     (1) 天然歯と人工歯との鑑別……57
     (2) 病的な歯による個人識別……59
     (3) 斑状歯……62
     (4) 歯科インプラントと個人識別……62
    4)検屍鑑定を行う先生方への提言……63
     (1) 現場における鑑定実務……65
     (2) 大学研究室における鑑定実務……65
   4.検屍とは……67
    1)検視と検屍の違い……67
    2)検屍の検査法……67
    3)検屍における留意点……68
    4)検屍とエイズ……69
    5)検屍と法規……70
III 鑑定のために知っておきたい基礎知識―……77
   1.ヒトのものか動物のものか……78
    1)ヒトの骨と身近な動物の骨……78
    2)ヒトの歯と身近な動物の歯……80
   2.年齢について……84
    1)頭蓋骨からわかること……84
     (1) 頭蓋縫合……84
     (2) 骨口蓋縫口……85
     (3) 下顎角の角度……87
     (4) 歯頚線と歯槽骨縁との間の距離……87
    2)歯からわかること……88
     (1) 歯の発生と萌出時期による加齢変化……88
     (2) 咬耗の度合……91
     (3) 歯の組織学的な加齢変化……93
   3.性別について……101
    1)骨からわかること……101
     (1) 頭蓋による性別判定……101
     (2) 骨盤による性別判定……102
     (3) 計測値による性別判定……102
    2)歯からわかること……102
     (1) 形態による性別判定……102
     (2) 生化学的方法による性別判定……102
IV これからの展望―……105
   1.地方ブロック大会から全国大会へ……106
   2.警察歯科医のための検屍センターの設置……107
   3.その他(人種問題の検討)……110

おもな参考文献……113
索引