やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

まえがき

 近年の歯科臨床においては,印象材,模型材,埋没材,金属,陶材,高分子材料などの各種材料のめざましい進歩にともない,精度の高い修復物の製作が可能となっている.このため,たとえ全顎にわたるような大きな修復物であっても,厳密に手順を追うならば,さしたる困難なく製作できるまでになっている.
 しかし一方で,顎機能異常を訴える患者が急増し,この疾患と咬合との関連が指摘されるに及んで,修復物に付与する咬合の重要性があらためて浮き彫りになっている.
 ところで,咬合について考える際には,つねに次の二つの側面から検討する必要があるように思う.
 一つは患者の加齢に伴う変化である.すなわち,乳歯列から永久歯列への移行,永久歯列の完成,それと前後して始まる歯列の部分的な崩壊,これに対して繰り返し実施される人工的な修復という縦の糸である.
 他の一つは,各年齢層における個体差という横の糸である.すなわち,万人に共通な咬合の型があるのではなく,個体間での差はもちろん,同一個体においても変化しうるということである.
 したがって,われわれの日々の臨床では,この二つの視点に立って一人一人の患者の位置を見きわめる作業がことさらに重要である.
 このように考えてくるとき,たとえ1個のクラウンを装着するとしても,すでに存在する環境とどのように調和させるか,共生させるかについて,これまで以上に注意すべきであるとの結論に達する.すなわち,全身および口腔の状態を精査すること,修復物を製作し,装着する確かな知識と技量を有することが重要である.
 本書はこのような考えから執筆したものであり,内容は診査,診断に必要な知識と,日常よく遭遇する小規模な補綴修復を行う際の処置方法に照準を合わせてある.
 1章では,補綴物を製作し,装着するうえで必要な咬合に関する解剖学的および生理学的事項を要約的に記し,2章では,咬合にみられる病的徴候あるいは変化を診断に必要な知識として整理してある.また3章では,これら咬合の知識を実際の臨床にどのように生かすべきかを補綴物の製作順序に従って示し,4章では,こうして製作した補綴物を口腔内に装着する際の調整術式について解説してある.なお,1章と3章の全部床義歯の項は平井が,2章と4章は古屋が,全部床義歯の項を除く3章は福島がそれぞれ担当したが,各章の問題点については,三者で十分に協議のうえ,記述した.
 ただし,顎機能異常症例に対する具体的な治療術式については,その内容が広範なため,本書ではふれなかった.
 本書が歯科臨床に真摯に取り組む多くの歯科医ならびにコデンタルの方々の関心をひき,すこしでも役立つことを願ってやまない.
 最後に,浅学なわれわれに本書を執筆する機会を与えてくださり,終始ご懇篤なご指導を賜った鶴見大学教授 花村典之先生ならびに昭和大学教授 川和忠治先生に心から深謝いたします.また,1章の下顎の基本運動の項で貴重なご助言をいただいた東日本学園大学医科歯科クリニック教授 田中 收先生に感謝いたします.さらに,われわれの非才から原稿が遅れに遅れたにもかかわらず,つねに声援してくださった医歯薬出版社 若林由紀子氏に心から御礼申し上げます.
 平成4年3月 福島俊士 平井敏博 古屋良一
1章 咬合の正常像
1.構成要素
 I.歯および歯周組織
 II.顎関節
 III.筋肉
 IV.中枢神経系
2.下顎の運動範囲と下顎位
 I.下顎の運動範囲
 II.咬頭嵌合位
 III.中心位
 IV.下顎安静位
 V.その他の下顎位
3.下顎の基本運動
 I.下顎の基本運動と基準平面
 II.前方運動
 III.後方運動
 IV.側方運動
 V.開閉運動
4.機能運動
 I.咀嚼
 II.嚥下
 III.発音

2章 咬合の病態
1.歯および歯列にみられる変化
 I.齲蝕,咬耗による歯質の欠損
 II.歯周疾患
 III.歯の喪失
 IV.歯列の乱れ
 V.歯牙接触の異常
2.顎関節にみられる変化
 I.顎関節の変化
 II.顎関節部にみられる変化の原因
3.筋肉にみられる変化
 I.咬合に関係する筋群
 II.筋スパスムの発生メカニズム
4.下顎位にみられる変化
 I.咬頭嵌合位の異常
 II.咬頭嵌合位の不正
 III.咬頭嵌合位の不安定
5.下顎の基本運動にみられる変化
 I.前方運動の距離と方向
 II.側方運動の距離と方向
 III.習慣性開閉運動路の安定性
6.咀嚼運動にみられる変化
 I.咀嚼運動経路(パターン)の変化
 II.咀嚼運動経路の安定性の変化
 III.咀嚼運動リズムの変化

3章 咬合の再構成
1.咬合の診査,診断,治療計画の立案
 I.咬合の診査,診断
 II.治療計画の立案
2.補綴前処置
 I.外科処置
 II.歯周治療
 III.歯内療法
 IV.矯正治療
 V.咬合調整
 VI.顎機能異常に対する処置
3.中心咬合位の記録
 I.総論
 II.術前の咬頭嵌合位をそのまま保持する場合(1)
 III.術前の咬頭嵌合位をそのまま保持する場合(2)
 IV.術前の咬頭嵌合位を変更する場合
 V.術前に咬頭嵌合位がない場合
 VI.咬合採得材料
4.偏心咬合位の記録
 I.総論
 II.調節性咬合器を用いる方法
 III.FGP法(機能的運動路法)
5.咬合接触の付与
 I.蝋型形成(ワックスアップ)
 II.人工歯の配列
6.全部床義歯による咬合の回復
 I.仮想咬合平面の決定
 II.垂直的(上下的)下顎位の決定
 III.水平的(前後的・左右的)下顎位の決定
 IV.人工歯の配列
7.矯正および外科矯正による咬合の回復
 I.矯正治療による回復
 II.外科矯正治療による回復

4章 補綴物の点検と調整
1.咬合接触状態の診査
 I.クラウン・ブリッジの場合
 II.部分床義歯の場合
 III.全部床義歯およびオーラルリハビリテーションの場合
2.リマウント
 I.全部床義歯の場合
 II.オーラルリハビリテーションの場合
 III.仮着
3.咀嚼運動による点検

 参考文献
 さくいん