やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


若き歯科医師に/Dental Start Book発刊にあたって
 日本では毎年約2,500名ほどのNew dentistsが誕生している.6年間に及ぶ学業の最終段階で挑んだ国家試験の合格通知を受け取り,よく頑張りぬいたものだと感慨深く思う卒直後生は多いだろう.晴れて歯科医師となり,いよいよ歯科臨床の実務者となったはずである.
 その初めは,義務となっている研修医としての任務に就いたはずだが,さてその場で大学の授業はどの程度役立っただろうか?大学自体が教育としての臨床を十分に教えるカリキュラムをもたなくなって久しいが,それを補うために研修医制度が発足したはずである.マッチング制によって受け入れられた研修施設で臨床実地に励んだ皆さんは,この程度の研修期間では十分ではないことを痛感したのではないだろうか?
 その第一歩を大学生活の延長と考えて過ごしたはずはないと思うが,すでに与えられる知識だけで満足する時期は終わったと感じた人は多いだろう.これからは進むべき道を自ら切り拓いていかなければならないのだが,長く臨床の場に身を置いてきた先輩としては,老婆心ながら少々気になることばかりである.
 臨床の実態は,「医療」のあらゆる部分の奥深くにまで根を張って,縦横に必要な知識や手技を要求してくるものである.たとえば,基礎として学んだ解剖学は,総義歯の臨床でも麻酔や外科の臨床でも,あらゆる分野に少しずつ顔をだす.解剖に限らず,他の基礎学科も同様である.いろいろなことが,単独ではなく,互いに連携した知識となっていなければ生きてこないのである.
 一見重要でないと思われる些細なことがわかっていないと,その次のものも見えてこないのが臨床なのだ.このようなことは,教えられて初めて気づくことが多いものなのである.
 それゆえ,こんなことを進んで教えてくれる学びの書があれば,十分な理解のもとにもっと楽しく臨床へ進めるのではないか?そんな基礎と臨床の橋渡しを,臨床実地に即してわかりやすく伝えたいという思いから企画したのが,本シリーズである.全10冊が企画されており,すべての臨床をカバーする予定である.
 この10年の間,社会構造が大きな変化を遂げた.世の中が動けば歯科界もまた同様に大きな影響を受ける.New dentistsの皆さんも,希望と不安が入り混じった複雑な心境にあるだろう.しかし,歯科医療は決して消滅するものではない.皆さんは未来へ向けて積極的に前進しなければならない.
 積極性は希望を実現する証しとなるものである.それには,どんなときにも足元をしっかりと見つめて進むべきである.最近は最先端歯科医療といわれる再生療法や新技術による再建歯科医療も台頭する兆しを見せている.しかしその前に,すべての患者さんに対応できる歯科医療を理論と実践をつなげて学び,まずは日常の臨床を不自由なく行えるようになることが重要な課題である.そのために,いま皆さんに願うべきは,100%「臨床の基本的なスキルをマスターする」ことである.そうすることが,やがて最先端技術獲得への近道となるはずである.
 情報は過多なほどにあふれているが,実のとれる即戦力として役立つものを手にするべきだろう.ぜひ本シリーズを座右の書として活用していただきたい.
 2011年10月 鈴木 尚

患者さんに使ってもらえる総義歯にチャレンジしよう
 私が開業した30年前には,田舎で開業するなら「患者さんに使ってもらえる総義歯」が作れなければ成功は難しいともいわれていました.しかしこの30年の間に,歯科治療は補綴中心から予防歯科中心へ,オーラルリハビリテーションと称しての大型の補綴物からMI(ミニマムインターベンション)主流の時代へ,そして欠損補綴へのインプラントの導入など,大きく変化してきました.そのなかで,口腔内に1本の歯もないという特殊な状態のためか,総義歯作りは,煩雑さ,難しさだけが強調され続けているように思います.
 総義歯の最大の難点は,完全な粘膜負担であり,維持・安定を得るのが難しいことにあります.これを解消するために,無歯顎症例にインプラントを植立して維持を求めることも可能な時代ですが,高齢の患者さんの多くは,外科処置をしたがらず,さらに全身疾患を有していたり,インプラントを植立できないほど顎堤の吸収が進んでいる症例もあり,インプラントも万能ではありません.
 8020運動などの成果もあって,高齢者の残存歯率も増えていますが,無歯顎者の数が減っているわけではありません.これからの臨床医は義歯のエキスパートであることが求められると考えています.
 総義歯作りは,歯内療法や修復処置などの基礎治療や,局部床義歯の作製などと比べると,数多く経験できないことも現実です.この不慣れも,総義歯作製を困難と思う原因の一つであることは確かでしょう.
 総義歯作製の「要」は,印象と咬合です.
 「印象以外のすべての問題が,その解決を印象の成功に依存している」といわれるほど印象は大切です.しかし,辺縁封鎖を目的とした総義歯の印象は,総義歯独特なものであり,「印象を採る」のではなく,「印象を作る」と表現されるほどです.なかでも術者の能力に大きく左右される下顎の印象では,多くの筋肉が辺縁の長さや形態に影響を与えるので,口腔解剖の知識のレベルが印象採得のテクニックに直接影響します.
 次に「咬合」はどうでしょうか?
 総義歯作りのチャレンジによって,より深く口腔の機能が理解できるようになるはずです.
 総義歯も,30年前と比べると,小さな床に目いっぱい人工歯を排列した「ビキニデンチャー」は見かけなくなり,患者さんの不満の多くは,咬合に問題のあるものが多いようです.
 無歯顎者には歯根膜がないため,インレーやクラウンの場合の咬合付与とは異なりますが,顎関節を含む顎口腔系という下顔面を意識した「咬合」の知識が必要です.もし咬合への苦手意識があるなら,総義歯へのチャレンジにより,咬合高径や水平的下顎位,リマウント操作など,咬合に関しての実践的理解がすすむことでしょう.
 当院の話に戻りますが,「古くなったので新しく作り変えてほしい」というリピーターの患者さんもいますが,いま使っている総義歯に不満をもっての新患への対応が主体です.
 不満の多い順に列記すると,「噛むと痛い」,「下の入れ歯が浮く」,「入れ歯の下に食べかすが入る」,「上の入れ歯が落ちる」,「見た目が悪い」というものです.
 こうした患者さんの「不満」に対し,私たち歯科医師は,「なぜ痛いのだろう」「なぜ浮いてしまうのだろう」と悩むわけですが,患者さんが抱いている「不満」の一つでも解決する「問題解決型総義歯作り」は「患者さんに使ってもらえる総義歯」につながります.
 ところで,上顎総義歯と下顎総義歯,患者さんの不満はどちらに多いのでしょうか?
 前述した不満のうち,上位3つは下顎総義歯に対するものです.上顎総義歯に比べ,下顎総義歯への不満が圧倒的に多いのです.すなわち,「患者さんに使ってもらえる総義歯作り」のもう一つのキーワードは,「下顎を中心に考えた総義歯作り」で,不満が起きないような下顎総義歯を作製し,下顎に合わせて上顎総義歯を作製する「ニュートラルゾーンの理論」をベースにした総義歯作りです.
 歯科医療で最も大切な患者さんの主訴の解決を目標とした「問題解決型総義歯作り」と,「下顎を中心に考えた総義歯作り」は,それぞれ異なった総義歯作りのことをいっているようですが,そうではありません.なぜなら,患者さんの「不満」の多くは,下顎の総義歯が動いてしまうことによるものなのですから…….下顎の総義歯の動きを抑えることが問題解決につながります.
 「ニュートラルゾーンの理論」は,粘膜負担義歯の宿命である「動き」をできるかぎり少なくしようとする理論です.ですから「患者さんに使ってもらえる総義歯」は,動きを抑えて義歯の維持・安定の向上に視点をおいた総義歯作りなのです.「維持・安定」のよい総義歯は,患者さんの不満の大部分を解消することでしょう.
 総義歯の臨床での「維持」とは,床が粘膜から離れないことを意味します.具体的には上顎の総義歯が落ちないこと,下顎の総義歯が浮かないことです.そして「安定」とは,痛みの原因となる水平的な動きが少ないことを意味します.
 まず,協力度の高い患者さんで本書の手順に従って総義歯作りにチャレンジしてみてください(なお,本書での顔貌写真の掲載については,患者さんの承諾をいただいています).
 印象・咬合へのチャレンジにより,「臨床力」の向上と広がりを実感できることと思います.
 2012年8月 横倉正典
第1編 総義歯を難しく考えないために
 1章 義歯の構造と維持の仕組み
  ・義歯の構造/総義歯を構成している4つの面
  ・デンチャースペースとニュートラルゾーン
  ・総義歯が影響を受ける2種類の力/維持力と移動力
  ・唾液(分子)の力/唾液膜の唾液と唾液層の唾液
  ・唾液の力を味方につけるには
  ・筋肉の力を味方につけるには
  ・筋肉の固定作用
  ・維持力を保持するためには唾液嚥下による「リセット」が必要
  ・総義歯を維持・安定させるために/まとめ
  COLUMN 1 床下粘膜の種類
 2章 手順を理解しよう
  ・初診から装着までの8つのステップ
  ・「患者さんに使ってもらえる総義歯作り」の流れ
第2編 印象採得
 1章 印象は基本/上下顎の違いを知る
  ・印象は作るもの
  ・印象と咬合は密接に関係する
  ・開口印象と閉口印象
  ・上下顎の3つの違い
  ・床外形はイメージしやすいが,難症例もある上顎総義歯
  ・軟組織に騙されやすい下顎総義歯
  ・上顎総義歯と下顎総義歯に対する筋肉の作用の違い
  ・床縁に影響を及ぼす筋肉の上下顎の違い
  ・水平的拡大が大切な上顎のimpression making
  ・impression makingからtakingへ/下顎の印象
  COLUMN 2 上顎総義歯の維持・安定のために大切なこと
 2章 個人トレーの作製
  ・ステップ1で行うこと
  ・予備印象に用いる既成トレーの種類とその選択
  ・予備印象
  ・個人トレーの作製
  ・ステップ2・ステップ3で行うこと
 3章 辺縁形成
  ・辺縁形成の意味するもの
  ・上顎の辺縁形成/ここが大切
  ・上顎個人トレーの調整
  ・上顎の辺縁形成から印象採得・咬合床の作製まで
  ・下顎の辺縁形成/ここが大切
  ・下顎個人トレーの調整
  ・下顎の辺縁形成から印象採得・咬合床の作製まで
  ・辺縁形成時の注意事項/まとめ
  COLUMN 3 総義歯作りのための解剖学
第3編 咬合採得
 1章 フェイスボウトランスファー
  ・ステップ4で行うこと
  ・咬合器上での3つの再現
  ・フェイスボウトランスファー/上顎模型の咬合器への付着
 2章 咬合床の大切さ
  ・上下顎咬合床の形態
  ・咬合床の調整
 3章 リップサポートの調整
  ・上顎リップサポートの調整
  ・下顎リップサポートの調整と咬合平面の設定
 4章 垂直的・水平的顎間関係の設定
  ・垂直的な位置を決める
  ・注意が必要な症例
  COLUMN 4 適合性のよい基礎床を作製するために加圧釜を利用する
  COLUMN 5 安静空隙の曖昧さ
 5章 機能評価と下顎位の決定/水平的顎間関係の決定
  ・ステップ5で行うこと
  ・下顎の機能評価
  ・下顎位の決定には,Ta-PとApの違いを知ることが必要不可欠
  ・描記の実際
  ・Ta-PとApの観察(評価)点
  ・基本下顎位はAp
第4編 人工歯排列・試適・閉口印象
 1章 人工歯の排列
  ・前歯部人工歯の選択
  ・前歯部人工歯の排列
  ・前歯部は咬頭嵌合位で接触する必要はない
  ・臼歯部人工歯排列の特徴
  ・臼歯部人工歯の選択
  ・臼歯部人工歯の排列
 2章 蝋義歯の試適
  ・ステップ6で行うこと
  ・試適/患者さんの満足・術者の満足
  ・問題があった場合の対処法
  COLUMN 6 クリステンセン現象
  COLUMN 7 モノプレーンオクルージョン
 3章 閉口印象
  ・閉口印象はなぜ必要か
  ・閉口印象の実際
第5編 重合・リマウント操作・完成義歯の装着
 1章 重合
  ・重合システムを確認してみよう
  ・下顎総義歯の補強装置の目的は補強+α
 2章 リマウント操作の必要性
  ・リマウント操作とは?/総義歯作製過程での最後の調整
  ・「患者さんに使ってもらえる総義歯作り」には不可欠な操作
  ・リマウント操作時の咬合器の使い方
  COLUMN 8 プロアーチIII咬合器を推奨する理由
  COLUMN 9 Ta-Pに基づいて作製し,Ta-Pでリマウント操作をしてしまった症例
 3章 リマウント操作の実際
  ・ステップ7で行うこと
  ・最初は垂直的な力への対応/床内面の調整
  ・水平的顎間関係の狂いへの対応は,上下顎総義歯の咬合器への再付着から始める
  ・顆路角を測定するなら,口内法のGo-A装置を使用しての再付着を選択する
  ・テンチのコアを使った付着方法
  ・口内法のGo-A装置を利用した顆路角の求め方
  ・最も大切な水平的顎間関係の狂いへの対応/開閉運動の再現
  ・両側性平衡咬合の付与/偏心運動の再現
  COLUMN 10 中心位(CR)と早期接触部位(PC)
 4章 完成義歯の装着
  ・ステップ/完成義歯装着時のアポイント

 参考文献