やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はしがき
 筆者は,医歯薬出版から1993年に『デンタルプラーク細菌の世界』を,ついで2011年に『デンタルバイオフィルム〜恐怖のキラー軍団との戦い』を発行した.今回,2020年に本書『デンタルプラークのすべて』という書籍を新たに発行する運びとなったことには,「私たちに住み着く細菌と私たちは,バトルをするだけでなく共生することも大切である」と理解する大きな潮流が起きているためである.
 最近の10年の間に,培養のできない細菌であってもその遺伝子全体(ゲノム)を捉えることができる次世代シークエンサーの導入によって,マイクロバイオームの全体像が捉えられるようになった.ヒトに棲む常在細菌のうち,とりわけ腸内のものは人体の免疫系,神経系,ホルモン系の細胞と会話してソーシャルネットワークを築き,宿主であるヒトの健康ライフに大きく貢献していることが明かされた.つまり,ヒトとそこに住み着く細菌は敵対するだけでなく,共生することの意義が鮮明になったのである.
 しかしながら,腸内のマイクロバイオームと,歯科医療が立ち向かう口腔内のマイクロバイオームについては,同じように考えてもよいのだろうか.そのことを追求するため,本書『デンタルプラークのすべて』を発行することとなった.「歯科医療の原点はデンタルプラークの制御」や「健康長寿はプラークコントロールに左右される」など,歯科にとって大切な内容を読み取っていただけることを願っている.
 個々の細菌が持つ固有の遺伝子をコピーして数百万倍に増幅できるPCR法が活用されることで,デンタルプラーク細菌が頻繁に血流に入り込んでさまざまな臓器で全身の健康を破綻させる疾患を起こしていることが臨床研究で明かされ,基礎研究で実証された.デンタルプラーク細菌は,免疫防御機構を回避することによって各臓器に入り込んで,肺炎,心疾患,脳卒中,関節リウマチ,アルツハイマー病に関わり,肥満・糖尿病の引き金や増悪因子であることが鮮明になされてきた.さらに,いくつかの種類の癌発症について,口腔細菌が引き金になるという臨床と基礎の研究がなされている.
 IT時代では,新しい医学情報を簡単に得ることができる反面,膨大な量の情報が怒涛のごとく入り込んでくることで,信頼できて実践に組み込めるものを選択することが難しくなってきている.治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づく医療を行うためのEBMの基盤となるのは,数ランクに分けられる臨床研究である.臨床研究のランダム化比較試験(RCT)を中心に臨床研究の系統的レビューによって臨床研究の質,再現性,客観性を総合的に判断できるメタ解析は,最も高い評価がなされている.本書では,デンタルプラーク細菌がもたらす全身疾患については,それらのRCT研究,系統的レビューそしてメタ解析された論文を中心に取り上げ,各章の末尾に掲載した.
 また,1992年英国政府の支援でなされる国際NPOのコクラン共同計画では,30,000人を超えるボランティアが参画してEBMレベルを明らかにする作業が始められ,広く受け入れられている.コクラン共同計画にはオーラルヘルスグループがあり,口腔,歯科,顎顔面の疾患や障害の予防,治療,リハビリテーションに関するメタ解析がなされており,随所で取り上げた.
 2020年8月
 奥田克爾
 はしがき
第1部 感染症の現在
 Chapter 1 バイオフィルム感染症と新興感染症
  1.バイオフィルムが原因の日和見感染症
  2.パンデミックが続く新興感染症
  3.高齢化社会での結核の脅威
  4.地球温暖化がもたらす感染症
第2部 細菌からバイオフィルムへ─その仕組みと生態
 Chapter 2 ヒトの命を育んだ細菌の生き方
  1.病原細菌の狩人
  2.齲蝕病原細菌の発見から100年
  3.細菌の構造物とその機能
  4.細菌が増殖する口腔内環境
 Chapter 3 マイクロバイオームの世界
  1.健康ライフを後押しするマイクロバイオーム研究
  2.腸管に住み着く数百兆個を超える細菌
  3.腸内マイクロバイオームとのコンソーシアム
  4.腸内の善玉菌,日和見菌,悪玉菌
  5.ディスバイオーシスがもたらす健康破綻
  6.プロバイオティクスとプレバイオティクス
 Chapter 4 口腔細菌フローラの成立
  1.口腔コアマイクロバイオーム
  2.口腔各部位での細菌フローラ
  3.口腔細菌の感染経路
 Chapter 5 会話するバイオフィルム集団
  1.バイオフィルム形成ステップ
  2.クオラムセンシング(QS)機構
  3.宿主防御機能抵抗性
  4.抗菌薬への抵抗性
第3部 デンタルプラークのすべて
 Chapter 6 歯肉縁上デンタルプラーク細菌
  1.口腔内レンサ球菌群
  2.放線菌
  3.コリネバクテリウム・マトルコティイ
  4.嫌気性グラム陽性桿菌
 Chapter 7 歯周ポケット内細菌
  1.ポルフィロモナス・ジンジバリス
  2.プレボテーラ・インターメディア
  3.アグリガティバクター・アクチノミセテムコミタンス
  4.フソバクテリウム・ヌクレアタム
  5.タンネレラ・フォーサイシア
  6.キャンピロバクター属
  7.カプノサイトファガ属
  8.スピロヘータ
  9.内毒素をもつ歯周ポケット内細菌
 Chapter 8 デンタルプラーク形成プロセス
  1.足場となるペリクル
  2.粘着性多糖体
  3.菌体表層蛋白質
  4.共凝集
  5.クオラムセンシング機構とデンタルプラークの成熟
  6.デンタルプラークが歯石を形成する
 Chapter 9 デンタルプラークの縄張り争い
  1.歯肉縁上プラークと歯周縁下プラーク
  2.デンタルプラーク細菌の抗菌物質
  3.歯肉縁上プラーク除去と歯周ポケット内細菌
第4部 人体の免疫機能と細菌
 Chapter 10 感染防御免疫を再考する
  1.免疫臓器が作り出す免疫担当細胞
  2.免疫担当細胞の連携
  3.サイトカインの生理活性と免疫細胞間連携
  4.免疫グロブリンの特異性
  5.侵入病原体に挑む補体
 Chapter 11 デンタルプラーク細菌に立ち向かう免疫
  1.口腔領域の豊富なリンパ組織
  2.口腔粘膜の免疫防御システム
  3.唾液の自然免疫物質
  4.唾液の分泌型IgA
  5.歯肉溝滲出液の免疫物質
 Chapter 12 口腔ディスバイオーシスとアレルギー
  1.口腔ディスバイオーシスによる免疫の破綻
  2.アナフィラキシー型アレルギー(I型アレルギー)
  3.口腔慢性感染症とII型およびIII型アレルギー
  4.歯科用金属アレルギーへの対応
 Chapter 13 齲蝕原性バイオフィルム
  1.生活習慣がかかわるバイオフィルム感染症
  2.ミュータンス菌群の齲蝕原性
  3.非齲蝕原性甘味料
  4.ミュータンス菌群の検出
  5.齲蝕予防ワクチン
  6.歯髄感染から根尖病巣
  7.根尖病巣の免疫病理
 Chapter 14 歯周病原性バイオフィルム
  1.歯周病のリスク因子
  2.レッドコンプレックス
  3.歯周ポケット内細菌の病原性因子
  4.免疫病理学的歯周組織破壊
  5.歯周病の細菌検査
  6.インプラント治療における歯周病原細菌コントロールの重要性
  7.歯周病予防ワクチン
第5部 デンタルプラークと疾患の関係─口のなかから全身へ
 Chapter 15 デンタルプラークがもらたす心疾患
  1.ウェストン・プライスの『歯科感染症』
  2.菌血症が引き金となる敗血症と細菌性心内膜炎
  3.血管上皮細胞に侵入する歯周ポケット内細菌
  4.細菌感染が動脈硬化症をもたらす
  5.冠状動脈疾患
 Chapter 16 デンタルプラークが引き金の脳疾患
  1.脳出血を起こすミュータンス菌
  2.歯周病原細菌が引き起こす脳卒中
  3.歯周病原細菌はアルツハイマー病の原因になる
 Chapter 17 デンタルプラークと呼吸器感染症
  1.誤嚥性肺炎のリスク因子
  2.呼吸器ウイルス感染症
  3.口腔ケアがインフルエンザ発症を抑える
  4.人工呼吸器関連肺炎
 Chapter 18 口腔ディスバイオーシスによる糖尿病と癌
  1.糖尿病
  2.癌の発症
 Chapter 19 歯性病巣感染症の増加への対応
  1.関節リウマチ
  2.IgA腎症(慢性糸球体腎炎)
  3.掌蹠膿疱症
  4.妊娠トラブル
  5.骨粗鬆症
  6.ピロリ菌とキャンピロバクター・レクタスの関係
  7.潰瘍性大腸炎
第6部 デンタルプラークに立ち向かう─治療と予防のあり方
 Chapter 20 デンタルプラーク感染症に対する抗菌薬療法
  1.抗菌薬療法の基礎
  2.抗菌薬療法の原則
  3.作用機序による抗菌薬の分類
  4.歯周病の抗菌薬療法
 Chapter 21 化学的プラークコントロール
  1.各種洗口液の特徴
  2.化学的プラークコントロールによる口臭抑制
  3.口腔内プロバイオティクス戦略
 Chapter 22 高齢者を狙うカンジダとヘルペスウイルス
  1.口腔カンジダ症への対応
  2.ヘルペスウイルス感染症への対応
 Chapter 23 スタンダードプリコーション
  1.易感染性宿主
  2.HBV・HCV・HIV感染予防
  3.口腔に潜む院内感染病原体
  4.歯科治療中の菌血症予防
  5.抗菌性洗口液でエアロゾルの病原体を減らす
  6.スタンダードプリコーションの実践
第7部 新型コロナウイルスに立ち向かう
 Chapter 24 新型コロナウイルスに対峙するオーラルヘルス
  1.新型コロナウイルスは口腔粘膜細胞に侵入する
  2.新型コロナウイルス診断と歯科医療機関感染予防
  3.歯科医療・口腔ケアの意義

 あとがき
 和文索引
 欧文索引