やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
嚥下障害と誤嚥性肺炎,近そうで遠い関係を紐解く
 近年,高齢者肺炎における誤嚥の重要性が国内外で認知されてきた.杏林大学医学部附属病院高齢医学科の年間400例の入院患者で肺炎は約17%にみられ,さらにそのうち誤嚥が原因となっているものが約42%であった.誤嚥性肺炎は,症状が非定型的で,発熱,気道症状がないことがある一方,予後が不良である.したがって,誤嚥性肺炎を生じやすい嚥下障害を早期に検出し,摂食・嚥下リハビリテーションや誤嚥対策を行うことが,高齢者肺炎の予防・治療の点から重要と考えられる.誤嚥の正確な評価については,嚥下造影が現状のゴールデンスタンダードであり,その後の治療方針の決定のために有用である.しかし,高齢者では,多数例が誤嚥リスクを有すると考えられ,これら全員に嚥下造影を行うことは,時間,労働力,医療費の諸点で無駄が大きい.現段階で,多数例の高齢者に実施可能な有用な嚥下スクリーニング方法は確立されていない.
 リハビリテーションの立場から重視されるベッドサイドでの嚥下,声の観察評価は,嚥下造影で検出できる異常を見逃す確率が高いことが知られ,また,評価する検査技師の能力によって異常の評価が異なる点も問題となる.オキシメータによる嚥下障害の評価は,SaO2の低下という客観的指標を用いるが,これ自体は嚥下障害そのものを反映するわけではなく,誤嚥や息止め,呼吸器疾患,心不全などの要素によって影響を受けるため,嚥下障害の評価法としては,極めて間接的である.咽頭反射は最も簡便な評価法であるが,嚥下機能を直接反映するわけではないため,誤嚥評価には適さないことが報告されている.これらの方法に比べ,近年提唱された反復唾液嚥下検査(RSST),水飲みテスト(WST),改訂水飲みテスト(MWST),嚥下誘発検査(SSPT),などの方法は,新たな嚥下機能障害評価法として注目されている.平成18年の介護保険の改正に伴う特定高齢者の嚥下栄養機能低下のスクリーニングとしてRSSTが導入された.本検査は誤嚥性肺炎を見いだす感度は極めて高いが,疑陽性もまた高い.また,認知機能や口腔乾燥によって不可能な場合がある.水飲み試験は感度がやや落ちる.これらを補う嚥下誘発テストは,0.4mLと2mLの水を小児用チューブで,咽頭に注入して嚥下反射を観察する方法で,2段階で行えば感度特異度とも高いが,集団に対して健診で行えない弱点がある.現実的にはRSSTでスクリーニングを行い,陽性例にSSPTを行うことが妥当であろう.
 嚥下障害の頻度は誤嚥性肺炎の数倍以上あり,誤嚥がすべて肺炎につながるわけではない.夜間の不顕性誤嚥が最も診断しにくい肺炎の原因で,口腔清拭,食後のベッド挙上が,胃食道逆流現象の予防,雑菌の減少による肺炎の30〜50%の減少が知られている.不顕性誤嚥に対する防御機構には,ドーパミン,サブスタンスPを介した咳反射があり,これらを賦活する,ACE阻害剤,アマンタジンに誤嚥性肺炎減少効果がある.気道異物に対してはそのほか気道線毛の働きも重要で,脱水にならないよう水分補給を図る必要がある.
 嚥下障害の原因は主として中枢神経にあり,なかでも大脳基底核の虚血病変は頻度が高い.この虚血病変は嚥下障害だけでなく,つまずき,頻尿,物忘れ,意欲の低下が起きやすいこともわかってきた.これらの症状がある場合に積極的に脳MRI検査をうけるとともに,嚥下障害のスクリーニング検査を行って,誤嚥性肺炎の早期発見予防につなげることが望まれる.
 本書が,嚥下障害のチーム医療には熱心だが,一旦肺炎を起こすと内科,呼吸器科,老年科などに任せきりにしている嚥下訓練関係者や,嚥下障害は医師の関わることではないと誤解している多くの臓器別医師への啓蒙の一書になれば幸いである.
 平成23年9月
 編者 識
I編 急性期の対応
 1.誤嚥性肺炎とは(寺本信嗣)
  (1)誤嚥性肺炎とは誤嚥によって起こる肺炎である
  (2)誤嚥性肺炎はどうして起こるのか?
  (3)どうして誤嚥性肺炎の予防と治療が大切なのか?
 2.誤嚥性肺炎の診断基準とは(寺本信嗣)
  (1)誤嚥性肺炎の定義と分類
  (2)誤嚥性肺炎はどうしたら診断できるか?
  (3)誤嚥性肺炎の診断に必要な検査はあるか?
 3.誤嚥性肺炎のリスク因子(藤井昌彦,佐々木英忠)
  (1)はじめに
  (2)嚥下と咳反射の低下
  (3)脳血管障害
  (4)経管栄養と誤嚥
  (5)塩と脳梗塞
  (6)向精神薬と肺炎
  (7)誤嚥性肺炎の一元病因説
 4.抗菌薬の選択(寺本信嗣)
  (1)誤嚥性肺炎の治療に抗菌薬は必要か?
  (2)誤嚥性肺炎の急性期には,どんな抗菌薬を選ぶべきか?
  (3)誤嚥性肺炎の治療にクリンダマイシンは必須か?
  (4)誤嚥性肺炎の予防にワクチンを接種する意義はあるか?
 5.誤嚥性肺炎の急性期治療 重症肺炎,呼吸不全,心不全の場合(長谷川 浩)
  (1)誤嚥性肺炎の重症度分類
  (2)治療
 6.誤嚥性肺炎の急性期治療 効果的な排痰のために(藤本雅史)
  (1)はじめに
  (2)一般事項
  (3)排痰法
 7.誤嚥性肺炎の急性期治療 安静度と廃用予防(藤谷順子)
  (1)安静(不動)の悪影響は大きい―1週間で15%最大筋力は低下する
  (2)「安静」の必要性と害
  (3)「ベッド上座位」よりは「車椅子」指示を
  (4)「車椅子座位可」では廃用予防はできない
  (5)酸素やモニタを減らす前に安静度アップを
  (6)自宅でのADL・移動能力を知っておいてその水準をめざすゴールにする
 8.誤嚥性肺炎の急性期治療「輸液」(鳥羽研二)
  (1)はじめに
  (2)急性期輸液管理の原則
 9.リハビリテーション依頼のポイント(藤谷順子)
  (1)嚥下だけでなく,「呼吸・排痰」リハビリテーション,「全身体力・ADL」リハビリテーションも処方する
  (2)理学療法士に呼吸リハビリテーションを依頼する場合のリスクの記載必要事項
  (3)リハビリテーションを依頼する場合には,安静度を見直す
  (4)摂食・嚥下リハビリテーションを依頼する場合,経口摂取の判断は誰がするか?
  (5)言語聴覚士がいないと摂食・嚥下リハビリテーションができない?
  (6)リハビリテーションを処方したあとのフォローアップ
  (7)リハビリテーションスタッフとのコミュニケーションはこまめに
  (8)本人・家族とも定期的な面接をする
 10.急性期(ベッド上臥位で)の呼吸リハビリテーション(藤本雅史)
  (1)急性期(ベッド上臥位で)の呼吸リハビリテーションの考え方
  (2)急性期(ベッド上臥位で)の呼吸リハビリテーションの方法
 11.急性期の口腔ケア(舘村 卓)
  (1)はじめに
  (2)誤嚥性肺炎が生じる医学的介入やケア
  (3)誤嚥性肺炎急性期での標準的な口腔ケアの要件
  (4)誤嚥性肺炎に至る背景分類による対応
 12.嚥下機能の改善に向けた急性期における医師の指示(藤谷順子)
  (1)口腔ケアの指示と確認
  (2)口腔内乾燥予防の指示と確認
  (3)歯科治療・義歯の確認と調整
  (4)動く方向への指示を明確に出す
  (5)栄養を十分に投与する
  (6)咽頭・喉頭感覚の改善のためにできること
  (7)耳鼻咽喉科との連携をはかる
  (8)歯科との連携をはかる
II編 慢性期前後以降の対応
 13.嚥下機能の評価(ベッドサイド)(泉谷聡子)
  (1)外観からの評価 全体像の把握
  (2)問診と食事場面の観察
  (3)臨床的な嚥下機能評価 スクリーニング
  (4)ベッドサイド評価のまとめ
 14.嚥下造影と嚥下内視鏡検査 嚥下は外からみえない.検査をもっと活用しよう(小口和代)
  (1)嚥下機能を「目でみる」方法とは
  (2)VFとVEの違いは何か
  (3)検査はどちらを選択するか
  (4)検査のタイミングはいつがよいのか
  (5)検査の結果をどう生かすのか
  (6)VEによる目標設定の具体例
 15.嚥下反射・咳反射改善のために(藤井昌彦,佐々木英忠)
  (1)はじめに
  (2)サブスタンスPの改善
  (3)ドーパミンの改善
  (4)大脳機能と誤嚥性肺炎
  (5)胃液の誤嚥改善
  (6)細胞性免疫
 16.摂食・嚥下リハビリテーション(藤谷順子)
  (1)摂食・嚥下リハビリテーションのファーストステップは医師が口腔を診ることである
  (2)経口摂取の前に,リスク管理をしっかりしておく
  (3)経口摂取可能かどうかの判断は,嚥下機能とリスクの比較から
  (4)嚥下評価のピットフォール
  (5)嚥下時に安全なものは,とろみ水またはゼリーであり,ただの水(サラサラの液体)は誤嚥しやすい
  (6)嚥下訓練は誰に頼むか
  (7)理学療法士への処方を
  (8)施設に段階的な嚥下調整食があるか確認する
  (9)摂食・嚥下リハビリ処方後のフォローアップ
 17.亜急性期の呼吸リハ(座位)(藤本雅史)
  (1)はじめに
  (2)一般事項
  (3)亜急性期の呼吸リハ(座位)
 18.認知症進行予防(鳥羽研二)
  (1)はじめに
  (2)認知症の進行予防の戦略
  (3)おわりに
 19.安全な経鼻経管栄養の方法(大熊るり)
  (1)はじめに
  (2)経鼻経管栄養のメリット・デメリット
  (3)チューブの選択
  (4)挿入時の注意
  (5)経腸栄養剤について
  (6)経管栄養開始時の留意点と注入速度
  (7)注入時・注入後の姿勢
  (8)間歇的経管栄養法(Intermittent Tube Feeding,ITF)
 20.経管栄養の合併症(大熊るり)
  (1)経管栄養全般にみられる合併症
  (2)経鼻経管栄養に伴う合併症
  (3)胃瘻に伴う合併症
 21.胃瘻の判断と本人,家族への説明と同意(須藤紀子)
  (1)はじめに
  (2)胃瘻導入の判断
  (3)PEGの適応
  (4)本人・家族への説明と同意
 22.経口摂取の再開(塚原大輔,長谷川浩)
  (1)はじめに
  (2)経口摂取再開のポイント
 23.経口での内服(服薬) 誤嚥性肺炎で禁食にする.でも,薬はどうする?(藤谷順子)
  (1)嚥下障害のある症例にとっては,「液体と個体の混合物を飲む」行為は難易度が高い
  (2)服薬時の基本的な注意点
 24.適切な食物形態(食事再開直後)食事のオーダー,どのように始める?(二階堂和子)
  (1)どのような食物形態があるのか確認する
  (2)食事オーダーのルール
  (3)食事再開日についての注意点は?
  (4)再開の食物形態は?
 25.食事の姿勢の注意点(泉谷聡子)
  (1)姿勢調整のポイント―目的別に考えて組み合わせる
  (2)座位の選択―車椅子かリクライニングか?
  (3)食事介助時の注意点―介助者の位置・テーブルの高さ・食器
  (4)姿勢調整のまとめ
 26.水分補給.水分はどうやって補給する?(二階堂和子)
  (1)患者・家族の「水くらいだったら大丈夫…」が一番危険
  (2)「わかりやすい説明」と「病棟の環境」が誤嚥リスクを減らす
  (3)嚥下評価場面では「機能良好」,でも日常すべての摂食場面で「良好」とは限らない
  (4)まず「必要水分量」と「摂取水分量」から「不足水分量」を知る
  (5)経口以外の水分補給,いつ離脱する?
  (6)食事からの摂取水分量を把握しているか?
  (7)水分摂取のコツと技
 27.また熱を出したらどうするか?(杉山陽一)
  (1)はじめに
  (2)熱の原因を探る―誤嚥か否か
  (3)「誤嚥」の診断
  (4)鑑別すべき疾患―まず考えるべき疾患・見落としがちな疾患
  (5)まとめ
 28.どうしても肺炎を反復する症例(清水昌彦,長谷川 浩)
  (1)はじめに
  (2)経口摂取をあきらめる前に行うこと
  (3)経口摂取を断念した場合の栄養投与方法
  (4)胃内容物の逆流による誤嚥への対応
  (5)嚥下機能を改善させる薬物
  (6)おわりに
 29.熱がなくても痰が増えたりCRPがあがったらどうするか?(竹下実希,長谷川 浩)
  (1)はじめに
  (2)検査
  (3)熱がなくても痰が増えたりCRPが上昇した際は,状況によって対処の方法が異なる
 30.スムーズな退院のために急性期からやっておくこと(藤谷順子)
  (1)はじめに
  (2)指導にあたってのポイント
  (3)独居者への対応
 31.日常生活動作のリハビリテーション(榊原浩子)
  (1)筋力を維持して,転倒しないために
  (2)病院で廃用症候群にならないために
  (3)自宅で廃用症候群にならないために
 32.適切な食事形態(亜急性期から退院前)と栄養マネジメント(藤谷順子)
  (1)食事形態は三つの軸で考える
  (2)嚥下調整食の段階
  (3)嚥下調整食と嚥下は横軸と縦軸の関係
  (4)高齢の誤嚥性肺炎症例では,形態よりも量をまず確保
  (5)認知症の症例では形態の冒険もときには必要
 33.退院直前準備・指導(藤谷順子)
  (1)退院が心配な理由は何か
  (2)介護環境の整備
  (3)かかりつけ医をつくる
 34.退院後の食事と家族指導(藤谷順子)
  (1)食事指導は管理栄養士・看護師・医師で
  (2)テクスチャー(食形態)についての基本を理解してもらう
  (3)食事を用意するのは妻だけではない
  (4)入院中の市販品の購入も検討する
  (5)いつまでも食事「制限」は続かない
  (6)退院後の摂取量低下に注意
  (7)入院前の生活に戻れたか
  (8)退院後の食事の相談相手を確保する
 35.在宅で利用可能な嚥下困難者用食品(藤谷順子)
  (1)はじめに
  (2)市販品の選び方
  (3)「えんげ困難者用食品」とユニバーサルデザインフード
 36.転院や施設入所 医師でも知っておきたい転院の基本(藤谷順子)
  (1)リハビリテーション病院への転院は可能か
  (2)回復期リハビリテーション病院の制約
  (3)「回復期」以外のリハビリテーション病棟
  (4)療養型病院への転院
  (5)自宅に帰らない場合の選択肢
  (6)自宅か施設か迷ったら
 37.外出・旅行を実現させてQOLの高い生活を(藤谷順子)
  (1)外出や旅行を敬遠しがちな実態に目を向ける
  (2)まずは喫茶店から
  (3)食事の店の選び方
  (4)結婚式・同窓会・法事などの会食
  (5)旅行の準備
  (6)医療者側からの働きかけが大事
 38.退院後の胃瘻管理(須藤紀子)
  (1)カテーテルの管理
  (2)合併症の管理
  (3)栄養管理
III編 Topics
 ・人工呼吸器関連肺炎(寺本信嗣)
 ・術後性肺炎(田山二朗)
 ・誤嚥性肺炎と介護保険・身体障害者手帳(藤谷順子)
 ・在宅酸素療養法の導入と指導のポイント(藤本雅史)
 ・COPDの呼吸リハビリテーション(藤本雅史)
 ・誤嚥性肺炎の合併病態(井上慎一郎,長谷川浩)
 ・PPIおよびH2受容体拮抗薬と誤嚥性肺炎(平本 淳)

 索引