やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 無歯顎治療は選択の余地なく総義歯で行うというのが歯科界の常識であった.しかしながらインプラント手法が確立されてくるにつれ,総義歯は今や無歯顎治療の一つの選択肢となっているが,正攻法であることに疑う余地はない.
 無歯顎状態は,本来28本の歯が存在してなりたつべき口腔の正常像からは,形態学的にも生理学的にも最も隔たった終末の状態といえる.多くの場合,年齢的にも生理的諸機能が低下し,顎骨と粘膜だけになった条件の悪い口腔内であるゆえに,総義歯を適応するには困難な場面も多くなる.もちろんインプラント手法ではすべてをカバーすることはできず,総義歯による口腔機能の再建はわれわれ歯科医に求められる大きなテーマであることに変わりない.
 無歯顎になるにはそれ相当の理由があったはずであるが,患者の口腔内にはその戦いと苦痛の跡が残されているといっても過言ではないだろう.この場面に対応できるのはわれわれ歯科医だけであり,それだけ期待もされている.無歯顎を,口腔の終末像から正常像にどれだけ近づけられるかが無歯顎治療に求められているのである.
 われわれが日常取り扱う歯科的疾患は,基本的知識,手技でその80%程度は対応可能であるように思う.総義歯臨床も例外ではないはずだ.教育の場で示される基本的知識,手技を臨床で応用すればそれなりの結果は出せるだろう.しかし臨床の現場では,患者さんが満足する義歯がどれだけ作られているだろうか.義歯安定材の売り上げや,患者満足度調査などをみれば結果は明らかであり,義歯作りはそうとう難しいということなのかもしれない.
 たしかに「総義歯は難しい」とこぼす歯科医は少なくない.それは,教科書的なプロセスで総義歯作りに取り組んでも臨床はそう甘くないということなのか,どこかをはしょっているため結果が良くないということなのかは定かではないが,どうあれ,悩める患者さんにとっては切実な問題であり,担当する歯科医が悩んでいたのでは患者の悩みは消えるはずがない.
 そこで歯科医も悩みながら専門書や解説書を読み漁ったり,総義歯講習会に参加し,研修に多くの時間を割いているのだが,卓越した臨床実績を提供するいわゆる総義歯の大家といわれる方々の取り組みは,どこか独特のセオリー,手技が示され,経験の少ない臨床家にとっては,何を自分のものとして取り入れるべきか迷うところである.
 いろいろな考え方や手法の総義歯臨床が紹介されているが,方法論が異なっていても結果の良い臨床実績を示す以上,そこにはクリアーすべき共通のポイントが必ずあるはずである.本書ではそのあたりに目標を定め,独自の総義歯臨床を確立され,臨床の現場で無歯顎治療にあたっておられる臨床家また大学の研究者にご登場いただき,総義歯作りに誰もが取り組める普遍的なルートを探索するということになった.
 そのための試みとして,一つは,総義歯作りのプロセスに即して統一的に15の質問項目を作成し,それにお答えいただく形式でご執筆いただくセクションを設けた.
 また,講演会などで話題を集め,かつご自身が今もっとも興味を抱いているテーマについてご執筆いただくセクションを設けた.
 さらに,大学研究者のご執筆者には,学術と臨床をつなぐお立場から,重要な二,三のテーマについて解説をいただいた.
 このような,バリエーションのある方法の試みによって,日常の総義歯作り,無歯顎臨床をよりわかりやすく,より身近なものとすることを意図した.
 そして,何人かのご執筆者撮影の映像を元に,実際の動きがつぶさに理解できるDVDを制作した.
 本書が読者諸氏の明日からの臨床の確かな糧になることを願ってやまない.
 2009年3月30日
 編集委員
 村岡秀明
 渡辺宣孝
 榎本一彦
 序文
I 《編集委員座談会》1 総義歯作りでの疑問
 村岡秀明,渡辺宣孝,榎本一彦
 総義歯臨床のベスト・ルートを探る
 現在の製作ルートの基本は?
  省力化してシンプルに いろいろな方法を検証,共通した点は取り込む 形のいい義歯
 義歯にはそれなりの形がある
  村岡秀明 渡辺宣孝 榎本一彦
 学ぶべき最低限の基礎とは
  やっていくなかから覚えていく 患者さんの満足 い症例を見る,いいものを診る
 患者さんとどう向き合うか
  一生懸命自分なりにやること 旧義歯には手をつけない
 総義歯は本当に難しいのか
 合格点をもらえる義歯の条件は?
  ベースは床の外形 デンチャー・スペース 治療用義歯について 咬座印象について
 不具合のある総義歯をどこから手をつけるか
  コピーデンチャーでの対応 自分の基準で作ったもので対応 修理か作り直しか
II 私の総義歯臨床 15の質問に答えて 15の質問とキー・ワード
 上濱 正
  1 患者を安心させる「名言」
   1)長期間総義歯使用患者 2)新総義歯患者 3)総義歯バラエティ患者
  2 不具合の義歯はどこから手をつけていますか
   1)総義歯の具備すべき条件 2)無歯顎患者の口腔の状態
  3 困難が予想される顎堤,粘膜などの診査とその対応
   1)容易と予想される顎堤,粘膜は 2)困難が予想される顎堤,粘膜は 3)その対応は
  4 治療用義歯を用いる症例と「一回法」で作製する選択基準
   1)形態を回復 2)機能を回復
  5 印象においてはどこまで,どんな精度を追求して,どんな方法とマテリアルで行うか?
  6 模型は,義歯製作までにどんな目的で,どの時点で作製しているか,その模型の備えるべき要件とは?
   1)目的 2)時期 3)具備すべき条件
  7 義歯外形についてどのように考えるか
   1)外形 2)大きさ(総義歯の体積) 3)位置(上下総義歯の区別)
  8 狂った顎位はどこまで修正可能であるかの判断
  9 咬合高径の決め方とその基準
   1)咬合床の製作 2)仮想咬合平面の決定 3)咬合高径(垂直的顎間関係の記録) 4)咬合採得(水平的顎間関係の記録)
  10 人工歯の選択,人工歯の排列の基準
   1)排列の基準 2)技工士とのコミュニケーション 3)人工歯の選択 4)排列順序
  11 完成義歯の装着
   1)形態の関する検査・調整 2)機能に関する検査・調整
  12 咬合調整のポイント
   1)完成義歯の問題 2)生体の問題
  13 メインテナンス
   1)義歯の構成要素と生体の適合性 2)義歯の使用状況
  14 総義歯における金属床義歯の意味
  15 ラボ・サイド(歯科技工士)とのコミュニケーションの方法
  最後に 総義歯臨床の学び方について
 菅野博康
  初診時の対応 口腔内診査 治療用義歯 印象採得,模型,義歯の外形 総義歯の下顎位,咬合採得 人工歯排列,試適 完成義歯の装着,咬合調整 メインテナンス 金属床総義歯 技工士とのコミュニケーション 最後に 私の推奨する材料と器機
 中村順三
  1 1)コミュニケーション 2)心理的サポート 3)長いかかわり
  2 1)不具合の原因究明・具体的には? 2)時間のかからない応急テクニック 3)旧義歯の改造,治療用義歯の作製
  3 1)楽勝と思ったら悩ませられた 2)苦労すると思ったら楽勝だった
  4 1)口腔内診査,診療の条件(期間,経費など) 2)患者の全身的,または精神的状態
  5 1)治療用義歯でウオッシュ・インプレッション,咬座印象,ティッシュ・コンディショナー印象 2)選択圧印床・無圧印象
  6 1)初診来院時 2)研究用模型の作製 3)模型として備えるべき要件(それがなければ再製作)とは? 4)規格模型の作製
  7 1)デンチャー・スペース,フレンジ・テクニック 2)義歯外形はどんなイメージ,大きい,それとも,小さく,薄く,軽い義歯(床縁,研磨面,舌房) 3)顎堤の保護
  8 1)顆頭位の狂い,咬合位の狂い 2)姿勢がひどく悪い場合,定着した片側噛み,オーラル・ディスキネジア 3)後戻り・甦り現象 4)術者指導で決める?
  9 1)咬合床製作の留意点 2)床の外形線の記入と咬合堤の製作 3)解剖学的顔面計測法,安静位,フリーウエー・スペース法,発音 4)高径は旧義歯から積極的に変える?高径だけ若いまま? 総義歯のどこに影響が出るのか
  10 1)人工歯の排列の基準,順序 2)人工歯の選択 3)人工歯前歯の排列
  11 1)どこをみるのか 2)削合はどの時点で,口腔内自動削合はあり? 3)リマウントの効果は?
  12
  13 1)装着後どんなインタバルで 2)来院時には何を診て何をする?
  14 1)正確なリリーフは困難? 2)異物感,熱伝導,強度
  15 1)印象,模型,人工歯の選択・排列,重合 2)コミュニケーションの方法
  最後に 総義歯臨床の学び方
   「総義歯は経験?」科学,学問と蓄積,勘どころ 2)誰がやっても結果は同じ?どう積み上げれば上達する?勘どころをどう伝えるか
  16 私の推奨する材料,器材
  下顎のガイドラインの記入
 矢崎秀昭
  1
  2 1)下顎義歯の床縁の位置の診査 2)人工歯の排列位置 3)複製義歯の作製 4)複製義歯の調整方法
  3 1)顎堤が優型で容易と見えるが,装着後に苦労が予測される症例 2)下顎前歯部に残存歯があり,上顎前歯部歯槽堤の吸収が進行している症例 3)開口時の下顎前歯部口腔周囲筋の義歯に作用する圧力
  4
  5 1)咬座印象 2)咬座印象の要点 3)咬座印象における印象域 4)下顎難症例にティシュ・コンディショナーを応用した咬座印象
  6 1)診断用模型 2)作業用模型
  7 1)臼歯部舌側 2)上顎義歯の外形
  8
  9 1)咬合高径の基準 2)咬合高径を変化させた影響
  10 1)人工歯の選択 2)人工歯の材質 3)人工歯の排列基準
  11 1)装着時の人工歯の削合 2)リマウントの効果
  12 1)側方運動時における均衡面の付与 2)粘膜面の診査と調整
  13 1)リコール 2)リコール時に行うこと 3)床の裏装
  14 1)上顎における金属床義歯 2)下顎における金属床義歯 3)咬座印象におけるメタル・サポート・デンチャーの応用
  15 1)模型を咬合器に付着した時点での技工士との話し合いの重要性 2)旧義歯の模型の作製,複製義歯装着による旧義歯の預かり 3)患者の新義歯に対する要望についての技工士との連携
  最後に 総義歯臨床の学び方
  私の推奨する材料,器材
III 《編集委員座談会》2 旧義歯の診断から装着後の問題への対処
 村岡秀明,渡辺宣孝,榎本一彦
  旧義歯の診断,進め方の手順 鑑別診断の難しさ どんな基準で攻略法を決定するか 難症例への取り組み でき上がった総義歯をどう扱うか 総義歯装着後の問題への対処 歯科技工をどう考えるか リマウント・テクニックについて 総義歯臨床への思い
IV 私の考える総義歯臨床のポイント
 総義歯患者とどう対応していくか─診査・診断からメインテナンスまで─(榎本一彦)
  高齢者への対応 対応に苦慮した例 診査のあり方 口腔内外の診査 義歯そのものの問題 義歯が口腔機能と調和していない メインテナンス 義歯の汚れと義歯洗浄剤の効果
 使用中の義歯診査,経過症例におけるリマウント
 私の総義歯印象法 田中五郎
  印象法によって義歯形態が決まる 総義歯製作上の印象採得とは
 私の咬合採得法─咬合平面の考え方を中心に─ 渡辺宣孝
  日常みられる有歯顎の現象 咬合採得とは何をすることか? 良い一次印象とは 解剖学的ランドマークを取り入れた作業模型の形態とは 作業模型上で仮床,陟汳轤フ作製 生理学的基本事項 再び解剖学的ランドマークから 模型で咬合高径を診るポイントは? 咬合平面にもいくつかのパターンがある 実際の咬合採得の手順
 《学と臨床》基本の下顎位と咬合採得時の頭位
  祇園白信仁
  1.無歯顎者の下顎位 2.咬合採得時の頭位 3.咬合採得可能な下顎位の確立
 総義歯の形態─人工歯排列,粘膜面,研磨面とのかかわりにおいて─
  水口俊介
  1.義歯の形態に大きく影響を与える2つの要素 2.リップ・サポート 3.上顎前歯の切縁の位置 4.上顎前歯部のフレンジの厚み 5.上顎口蓋側の研磨面形態 6.下顎前歯と床縁の位置関係 7.下顎義歯鬆ー側の研磨面形態 9.下顎義歯舌側の研磨面
 《学と臨床》人工歯排列・人工歯に与える咬合様式と咀嚼
  川良美佐雄
  1.咬合様式 2.咬合様式の構築の実際 3.咬合様式の選択 4.人工歯の鬆ー舌的排列位置Bucco-lingual tooth position 5.鬆ー舌的位置の決定 6.ワックス・デンチャーの試適とリマウント
 「いかに簡単に確実に」究極の義歯作り(村岡秀明)
  1.「簡単な義歯作り」とは 2.「確実」とは 3.総義歯には総義歯の形がある 4.辺縁のあるべき形 5.総義歯はどこで維持・安定されているか 6.義歯が動かないような印象が採れたら,義歯を動かさないような咬合を与える 7.総義歯に与える咬合平面は 8.咬合高径を考える 9.無歯顎における適切な水平的顎位は 10.臼歯部人工歯の排列位置 11.総義歯の咬合調整 12.咬合調整の実際 咬合調整のゴールは 13.旧義歯を参考に新義歯を作る 14.コピーデンチャーを作る 15.コピーデンチャーを咬合堤つき個人トレーとして使う 16.臼歯部の排列位置 17.装着時の調整をどのように行うか 18.総義歯治療のゴールは?
 《臨床対談》上顎フラビー・ガムへの対応
  染谷成一郎・佐藤勝史
  はじめに
   整理されていないフラビーガム
  シングル・デンチャーとフラビー・ガム
   フラビー・ガムとはなにか フラビー・ガムは2つのタイプに分けられる シングル・デンチャーとフラビー・ガム シングル・デンチャーの末路がフラビー・ガムなのか? 歯周病型歯列と力破壊型歯列とでフラビー・ガムになりやすいのはどちら? フラビー・ガム義歯の特徴は上顎前歯のずり落ちによる前歯部の早期接触
  上顎フラビー・ガムの総義歯の臨床
   フラビー・ガムの治癒形態 義歯床内面に隙があるとフラビー・ガムは増殖するのか? 外科的処置の有効性 フラビー・ガムの義歯製作法 義歯床内面のフラビー・ガムを唇側から起こし,口蓋側に隙間を作る 口唇圧の利用 長期経過における悪化の危険性 加齢との関連性 まとめ おわりに