やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 歯科医師として口腔疾患の診療に携わるようになってから,早二十数年が経過した.この間,再発性口内炎や扁平苔癬などの粘膜疾患・口腔乾燥症・舌痛症などの未だ治療法が確立されていない口腔疾患に遭遇する機会が増えるにつれて,難治性口腔疾患に対する現代医学的治療の問題点を感じるようになった.「口腔も体の一部である.口腔疾患といえども,局所のみならず全身を含めた診断と治療が必要なのではないか?」「細分化された現代医学は,全身を包括的に診るには不都合である.現代医学の不足を補える診断法や治療体系をもつ医学はないか?」.この問いに答えてくれたのが東洋医学(日本独自の漢方医学と中国で実践されている中医学を指す)である.
 十年程前になるが,幸運にも筆者は,斉藤輝夫先生(斉藤医院院長),三浦於莵先生(当時日本医科大学東洋医学科助教授)と巡り合い,漢方および中医学の手ほどきを受けることができた.その後,著者の一人である中医師王旭先生と知り合い,彼の紹介で北京中医薬大学東直門病院口腔科の黄頤玉先生(元主任医師)の診療を見学する機会を得た.先生は粘膜疾患治療の専門家であり,シェーグレン症候群をはじめとするさまざまな難治性疾患の治療で優れた成果をあげている.黄先生のお蔭で,中医学が口腔疾患治療に有効であることを確信するとともに,日本で中医学を実践するためには口腔専門の教科書が必要であることを痛感した.
 本書は,筆者が北京で捜し求めた医学書の中で,特に臨床上で役立てている中国の高等中医薬院校教材「中医口腔科学」,「実用中医耳鼻咽喉口歯科学」,「口腔疾病中西医診療手冊」,「実用中医口腔臨床」を参考にして編集・執筆したものであり,中医口腔科の医師や医学生が必用とする内容を概ね網羅している.
 総論では,東洋医学的な診療を実践していくうえで最低限必要な口腔と臓腑・経絡の関係,さらに診断方法(四診と弁証論治)と口腔疾患の病因・病機・治療法・予防法について解説している.
 また各論では,臨床で診療する頻度が高い口腔疾患について,疾患の概要・病因・病機・弁証論治・治療法(漢方・鍼灸・その他)を紹介した.
 中国では口腔治療に煎じ薬を使用するのが一般的である.しかし漢方を専門としない日本の医療機関では,使用頻度の問題などから数多くの生薬を保管することが困難なため,目的とする方薬を処方できないことが多い.そこで本書では,日本で入手可能なエキス方剤を合方,あるいは単味の生薬末を加味した類似処方例を書き加えてある.
 また鍼灸治療は,多くの口腔疾患に対して有効性が認められており積極的な臨床応用が望まれる.しかし,ひと口に針灸治療といっても日本と中国では理論・配穴・手法に異なる点が多く,初学者は戸惑うことが多い.このため本書では,中医学に準じた針灸治療法に限定して解説している.
 初学者が中医学を実践する際に問題となるのは[弁証]である.各論第十三章「弁証の要点」では,実際の臨床でどのように弁証を進めていけばよいのかをできるだけわかりやすく解説したつもりである.また第十四章「症例集」では,エキス剤で対応した治験を集め,筆者なりの「治療のポイント」を書き加えた.尚,中医学を理解するうえで必要不可欠な基礎理論(生理・病理)・診断学・病証理論・中薬学・方剤学については成書を参照して頂きたい.
 今回,口腔疾患治療に携わる先生方が東洋医学を活用するための入門書また実践書として,本書を医歯薬出版から出版する運びとなった.何分にも経験不足のため,中国語の翻訳や難解な中医学用語の意訳に多くの不備がありお恥ずかしい限りであるが,少しでも読者のお役に立つことができれば望外の幸いである.
 おわりに,ご多忙にもかかわらず監修を引き受けて下さった東邦大学医療センター大森病院東洋医学科教授の三浦於莵先生,北京中医薬大学東直門病院の黄頤玉先生,ならびに本書の企画から完成にいたるまで少なからずご苦労をおかけした医歯薬出版編集部の大城惟克氏にこの場を借りて感謝の念を表したい.
 2007年5月31日 著者
 福島 厚

推薦の言葉『東洋医学による口腔疾患診療』の発刊に寄せて
 歯科口腔領域に東洋医学(伝統医学)を応用する場合に考慮すべきものとして,近代歯科医学の考え方(西洋的パラダイムParadigm)と伝統的口腔観(東洋的パラダイムParadigm)の違い,「統一整体観」における口腔(局所・部分)と全身(全身・全体)との関係性,そして口腔構造(粒子性・物質)と口腔機能(波動性・精神)の観察バリューValueの差という三つの対比ポイントをあげることができる.そこからは,断片化あるいは孤立した“歯科”“歯学”という捉え方を超えた,口腔が全身(全体)と有機的に相互関連する“ある動的領域”だとする「口腔コスモロジーOral Cosmology」観が醸成される.
 口腔に対する新たな視座を形成するためには,専門化・細分化していく先端技術と相俟って総合的視点を持つ東洋医学の歴史的価値を見直す必要がある.口腔生理機能の全身における特殊性と一般性をつなぐ重要な分野としての「歯科(口腔)東洋医学」の学問的・社会的(制度的)意義はもっと評価されなければならないと思う.
 この度,福島厚先生が『東洋医学による口腔疾患診療』という本を発刊する運びとなったと聞き,大変時期を得た快挙として本書の推薦をさせていただきたいと思う.歯科・口腔領域における中医学の考え方及び臨床の取り組み方法(治療法)が,懇切丁寧に紹介されている.
 福島先生とは,「日本歯科東洋医学会」(1983年設立)の学術講演会で何度かお会いしたが,東洋医学とりわけ中医学に対する熱心さには並々ならぬものを感じていた.一昨年の春に温州医科大学口腔医学院・付属口腔病院と日本歯科東洋医学会との学術交流合作協定,及び中日口腔中西医結合研究所設立のため訪中する機会があったので,その参加メンバーとして同行いただいたが,その際にも中医学に対する先生の思いをしっかり追認することができた.
 中医学のなかで口腔に特化したものとして小生が最初に出会った書物は,今から20年以上も前になるが,上海第二医科大学発刊の「中医口腔科学」(1988.01)である.拙書『歯科漢方(システム口腔漢方医学)』(1991.11)では,日本漢方と中医学の比較の中で口腔領域の臨床導入スタイルを紹介させていただいたが,日本漢方の“随証療治“,中医学の“弁証論治”,そして現代医学の“弁病治療”の整合性に対する工夫は現在もなお臨床において大変苦慮するところである.
 本書『東洋医学による口腔疾患診療』は徹底して中医学をベースに歯科・口腔疾患と向き合っている.そのためすっきりまとまっており,ある種の爽快感すらある.本書が口腔疾患に対する東洋医学診療の治療指針として大いに役立つよう期待したいと思う.
 2007年5月吉日
 日本歯科東洋医学会前会長
 温州医科大学客員教授
 オカムラ歯科医院院長
 岡村興一
 口絵 カラーで見る口腔疾患
 はじめに
 推薦のことば
総論
第一章 中国医学および口腔科の歴史
 1 商・周・春秋戦国時代(紀元前17世紀〜紀元前2世紀)
 2 秦・漢時代(紀元前2世紀〜3世紀)
  1) 弁証論治の基礎を確立
  2)診療記録(カルテ)の作成
  3)臨床医学の進展
  4)初歩の薬物体系の確立
 3 普・隋・唐時代(3世紀〜10世紀)
 4 宋・元・明・清から近代(10世紀〜19世紀)
 5 現代の中国(20世紀〜)
第二章 口腔と臓腑・経絡の関係
 第一節 口腔と臓腑との関係
  1 口腔と心
   1)「心」の生理
    (1) 心は血脈を主る(心主血脈)
    (2) 心は神志を主る(心主神明)
   2)口腔と心の関係
    (1) 心の血脈を主る機能失調
    (2) 舌の神を主る機能の失調
    (3) 心を舌に開竅する
  2 口腔と脾
   1)脾の生理
    (1) 脾は運化を主る
    (2) 脾は昇清を主る
    (3) 脾は統血を主る
   2)口腔と脾の関係
    (1) 脾の運化機能の失調
    (2) 脾の統血機能の失調
    (3) 脾の液は涎
    (4) 脾は口に開竅
  3 口腔と肝
   1)肝の生理
    (1) 肝は疏泄を主る
     (1)肝は気機を調整する
     (2)肝は情動を調整する
     (3)肝は脾胃の消化機能を調整する
    (2) 肝は蔵血を主る
   2)口腔と肝の関係
    (1) 肝の疏泄機能の失調
    (2) 肝の蔵血機能の失調
    (3) 肝は目に開竅する
    (4) 肝と胆は表裏の関係
  4 口腔と腎
   1)腎の生理
    (1) 腎は精を蔵する
    (2) 腎は水を主る
    (3) 腎は納気を主る
   2)口腔と腎の関係
    (1) 腎精の不足
    (2) 腎の水を主る気化作用の失調
    (3) 腎の液は唾
  5 口腔と胃
   1)胃の生理
    (1) 胃は受納を主る
    (2) 胃は腐熟を主る
   2)口腔と胃の関係
    (1) 胃陰の不足
    (2) 胃気熾盛
 第二節 口腔と経絡との関係
  1 経絡とは
  2 経絡の種類と走行
  3 経穴(つぼ)の働き
  4 口腔と経絡
   1)手の陽明大腸経
   2)足の陽明胃経
   3)足の太陰脾経
   4)足の厥陰肝経
   5)足の少陰腎経
   6)手の少陰心経
   7)手の太陽小腸経
   8)手の少陽三焦経
   9)足の少陽胆経
   10)督脈
   11)任脈
第三章 口腔疾患の中医学的診察(四診)
 第一節 望診
  1 顔面
   1)顔面部の腫脹
   2)頬部の腫脹
   3)片側性顔面神経麻痺(口眼歪斜)
   4)腺病(症)
  2 口唇
   1)口唇の色
   2)口唇の形態
   3)口唇の糜爛と腫脹
  3 舌
   1)舌質の変化
   2)舌苔の変化
  4 歯と歯肉
   1)歯
   2)歯肉
  5 涎(よだれ)
  6 頬
  7 口蓋
  8 口腔底
 第二節 聞診
  1 におい
  2 音声
 第三節 問診
  1 発病の経過を問う
  2 発病の緩急を問う
  3 疼痛を問う
  4 潰瘍・糜爛を問う
  5 口味を問う
 第四節 切診
  1 口腔疾患でよく見られる脈診
   (1) 浮(数)脈
   (2) 洪(数)脈
   (3) 滑(数)脈
   (4) 細(数)脈
   (5) 数脈
   (6) 弦脈
   (7) 沈(細)脈
   (8) 沈(弱)脈
  2 按診(触診)
第四章 口腔疾患の弁証
 第一節 病因弁証
  1 六淫
   1)風邪
   2)寒邪
   3)湿邪
   4)暑邪・火邪
   5)燥 邪
  2 内傷七情
  3 飲食不節
  4 痰飲・オ血
  5 外傷
 第二節 八綱・気血津液・臓腑弁証
  1 口腔疾患と八綱弁証
   1)表裏の弁証
   2)寒熱の弁証
   3)虚実の弁証
   4)陰陽の弁証
  2 口腔疾患と気血津液弁証
   1)気病の弁証
    (1) 気虚証
    (2) 気滞証
   2)血病の弁証
    (1) 血虚証
    (2) 血オ証
    (3) 血熱証
   3)津液病の弁証
    (1) 津液不足証
    (2) 水液停滞証
  3 口腔疾患と臓腑弁証
   1)口腔と脾胃病の弁証
    (1) 胃火上炎証
    (2) 脾胃湿熱証
    (3) 脾胃虚弱証
   2)口腔と心病の弁証
    (1) 心火上炎証
    (2) 心血(陰)虚証
   3)口腔と腎病の弁証
    (1) 腎陰虧損証
    (2) 腎陽不足証
   4)口腔と肝病の弁証
    (1) 肝火上炎証
    (2) 肝気鬱結証
    (3) 肝陽上亢証
 第三節 口腔疾患の症状による弁証
  1 発赤腫脹の弁証
  2 口臭の弁証
  3 口味(味覚)の異常の弁証
  4 口の渇き(乾き)の弁証
  5 発音異常の弁証
  6 潰瘍の弁証
  7 疼痛の弁証
   1)疼痛時間
   2)疼痛の性質
   3)疼痛の程度
   4)疼痛の原因に準ずる
  8 局部病変の弁証
   1)斑
   2)丘疹
   3)水疱
   4)落屑
   5)結節
   6)糜爛
   7)亀裂
   8)角化
   9)潰瘍
   10)苔癬
   11)萎縮
   12)偽膜
   13)色素沈着
  9 麻痺と痒みの弁証
  10 排膿と出血の弁証
第五章 口腔疾患の治療法
 第一節 口腔疾患の治則
  1 中医治療の基本
   1)局所と全身の関係
   2)弁証論治
  2 治則
   1)治病救本
   2)標本の治則
   3)三因制宜
    (1) 時(季節性)
    (2) 地(地域性)
    (3) 人(個人差)
 第二節 口腔疾患の常用治療法
  1 内治法
   1)解表キョ邪法
   2)清心降火法
   3)清熱利湿法
   4)利膈通便法
   5)軟堅散結法
   6)健脾益気法
   7)滋腎培本法
  2 外治法
   1)含嗽療法
   2)キン化療法
   3)吹薬療法
   4)塗薬療法
   5)敷貼療法
   6)刺血療法
   7)焼灼療法
   8)抜歯法
  3 その他の療法
   1)鍼灸療法
    (1) 体 針
    (2) 耳 針
    (3) 水 針
    (4) 灸 法
   2)穴位指圧法
第六章 口腔疾患の予防と保健
 第一節 口腔疾患の予防
  1)鍛錬による体質強化
  2)情緒の変動に注意
  3)合理的な飲食を重視
  4)口腔の清潔を保持
  5)不良習慣の是正
  6)有害薬物を避ける
  7)房事を適度に制限する
  8)口腔伝染病の予防
 第二節 口腔衛生と保健
  1)含嗽
  2)歯磨き
  3)歯内按摩
  4)叩歯
  5)導引
  6)定期的な口腔検査
各論
第一章 歯および歯周組織の疾患
 第一節 歯肉炎
 第二節 辺縁性歯周炎(牙宣)
 第三節 根尖性歯周炎
 第四節 知覚過敏症
第二章 顎顔面部の化膿性疾患
 第一節 智歯周囲炎(牙咬癰)
 第二節 顎骨骨髄炎(牙槽風)
第三章 口腔粘膜疾患
 第一節 アフタ性口内炎(口瘡)
 第二節 口腔カンジダ症(口糜)
 第三節 扁平苔癬
 第四節 球菌感染性口内炎
 第五節 白板症(口腔白斑)
 第六節 疱疹(ヘルペス)性口内炎
第四章 口唇の疾患
 第一節 慢性唇炎(唇風)
 第二節 唇癰(唇疔)
 第三節 口角炎(口吻瘡)
第五章 舌の疾患
 第一節 地図状舌
 第二節 裂紋舌
 第三節 光滑萎縮性舌炎
 第四節 正中菱形舌炎
 第五節 舌痛症
第六章 唾液腺疾患
 第一節 化膿性耳下腺炎
 第二節 唾石症(涎石)
 第三節 粘液嚢胞(粘液腺嚢腫)
 第四節 舌下腺嚢胞・ガマ腫(痰包)
第七章 顎関節疾患
 第一節 顎関節症
 第二節 顎関節脱臼(落架風)
 第三節 顎関節強直
第八章 神経疾患
 第一節 三叉神経痛
 第二節 顔面神経麻痺(面タン)
第九章 その他の疾患
 第一節 歯ぎしり(カイ歯)
 第二節 口臭
 第三節 口腔乾燥症(口乾・口渇)
第十章 全身と関連する疾患
 第一節 ベーチェット病(白塞病・狐惑病)
 第二節 シェーグレン症候群(乾燥総合症)
第十一章 全身疾患と口腔内症状
 第一節 急性伝染性疾患と口腔症状
  1.麻疹
  2.猩紅熱
  3.流行性耳下腺炎
  4.手足口病
 第二節 歯痛
 第三節 歯肉出血
第十二章 鍼および指圧麻酔
 1.鍼麻酔
  (1) 取穴原則
  (2) 進針
  (3) 刺激量の維持
  (4) 穴位配方
 2.指圧麻酔
  (1) 取穴
  (2) 手法
  (3) 指圧麻酔の長所
  (4) 指圧麻酔の短所
第十三章 弁証の要点
 1.口腔疾患の弁証方法
  1)弁証の手順
   (1) 八綱(表裏・寒熱・虚実)・気血津液弁証
   (2) 臓腑弁証
  2)口腔疾患の弁証のポイント
 2.症例による弁証の実際
第十四章 症例集
 第一節 歯周組織の疾患
  歯肉炎
  辺縁性歯周炎
 第二節 智歯周囲炎
 第三節 口腔粘膜疾患
  再発性アフタ
  疱疹性口内炎
  扁平苔癬
  白板症
 第四節 口角炎
 第五節 舌の疾患
  地図状舌
  舌痛症
 第六節 唾液腺疾患
  舌下腺嚢胞(ガマ腫)
  粘液嚢胞
 第七節 顎関節症
 第八節 三叉神経痛
 第九節 その他の疾患
  歯ぎしり
  口臭
  口腔乾燥症(ドライマウス)

  本書に出る経穴一覧
  参考文献
  索引