やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 “咬合”は,長い時間にわたって歯科臨床の中心的テーマとして取りあげられてきた.初期の咬合の概念が形成されたのは無歯顎患者の義歯作製にあたり,どのような顎位や咬合様式を与えるべきかといった必要性から始まった.その後,顎関節の運動を精密に測定し,それを咬合器上で再現することによって理想的な咬合関係を作り上げようとするナソロジー学派,それに対して咬合の基準を今少し緩やかにとらえた機能主義派とが二つの流れをつくり,それぞれ犬歯誘導とグループファンクションという考え方を支持したが,後に1960年代になって両者の考え方が統合する形でミューチュアルプロテクションという概念が生まれ,これが現代の咬合についての基準となっている.
 下顎運動の研究は,これら咬合についての考え方の発展過程で常に中心的テーマであり,咀嚼時の下顎運動についての知識は,無歯顎,有歯顎を問わず補綴治療上大きな影響を与えてきた.具体的には下顎運動の研究で得られた知識は,補綴物の構造,咬合面のワックスアップ法,人工歯配列,さらには咬合器の設計や調節,咬合の診断治療等に利用されてきた.
 下顎運動は歯牙,顎関節,靱帯,筋,神経筋機構によって決定される.下顎運動は大変複雑な運動であり,これを再現するためには六つの自由度が必要である.これまで下顎運動測定のために多くの方法が用いられてきたが,著者の一人であるCharles Gibbsの開発したGnathic Replicator(ナシックレプリケーター;以下レプリケーター)は下顎全体の動きを0.125mmの精度で記録再現可能という他の装置にはないユニークな特徴を有している.私は幸いにもインディアナ大学クラウンブリッジ科大学院を修了した年である1975年に,フロリダ大学,咬合とクラウンブリッジ科に教職を得ることができた.それは,折しもHarry Lundeen,Parker Mahan,Charles Gibbsらがこのレプリケーターを使って症例研究を開始した頃である.当時は世界中から著名な咬合研究者が集まり,まさに咬合研究のメッカとしての様相を呈していた.彼らの研究は,NIDR(National Institute of Dental Research)からの資金援助を受け,装置の開発から記録採得まで25年間に及ぶ膨大なデータが蓄積された.
 これらのデータは,1982年,Advances in OcclusionにLundeenとGibbsによってまとめられており,なかでも作業側顆頭,非作業側顆頭の機能中の詳細な分析データは1970年代以降の咬合器そのものや,その調節機構の発達に多大な影響を及ぼした.特に1973年のLundeen,Carl Wirthによるイミディエートサイドシフトについての分析報告は,その後の咬合器の構造を一変させたといってよい.
 そして,彼らの下顎運動研究データの集積のなかから,特に補綴臨床と直接関連づけて解説を試みるとともに,具体的な臨床法や症例をも呈示し,下顎運動を通じて現在の咬合論をわかりやすく解説したものが本書の原著である.その内容は,まさに現代咬合論の原点ともいえる.
 翻訳を終え,科学的根拠に基づく下顎運動装置を用いてのヒトの下顎運動の生理的研究結果と補綴臨床との関連づけ,という意図がどの程度伝えられたかという点は,いささか心もとない.しかし,咬合を学ぼうとする人々にとって,多少なりとも役に立つことができれば幸いである.最後に,多忙をきわめる日常臨床ならびに会務等のかたわらご協力いただいた山本健一,岡野昌治,菅野英也,千ヶ崎乙文,藤本浩平の各先生に心より感謝する次第である.
 平成19年5月
 藤本順平
 序文
Introduction(山本健一訳)
Chapter1 研究デザイン(山本健一訳)
 1.ナシックレプリケーターシステムの開発
 2.記録装置の取り付け器具
 3.リニアトランスデューサー測定器
 4.記録とデータの保存
 5.データ説明のための多重ディスプレイ
 6.タイミングと顎の位置の重要性
Chapter2 下顎運動パターン(岡野昌治訳)
 1.典型的咀嚼サイクル
  1.開口運動時の顆頭点の動き 2.閉口運動時の顆頭点の動き 3.最終閉口運動,前頭面
 2.作業側の特徴
 3.非作業側の特徴
 4.切歯点における所見
 5.古典的な“後方歯牙接触位(RC)−中心咬合位(CO)”間の滑走
  1.オクルーゾレイター法
 6.閉口時,下顎が中心に戻るために犬歯の果たす役割
 7.小児と成人における咀嚼パターンの比較
 8.発声
 9.摩耗していない歯牙と摩耗した歯牙の咀嚼運動
Chapter3 顆頭の動き(山本健一訳)
 1.関節結節
 2.咬合器に再現された関節結節の形態
 3.Stuart咬合器の歴史
 4.天然歯の修復に対する平衡咬合
 5.StuartとLeeの装置の比較
 6.Leeの研究法の貢献
Chapter4 側方位の顆頭の安定性(菅野英也訳)
 1.顆頭の運動能力
 2.誘導された顆頭側方移動の限界路
 3.水平面におけるベネット運動の影響
 4.咀嚼時のベネット運動
 5.咀嚼のスーパー8mm映画フィルム
 6.大臼歯の咬合面形態の研究
 7.大臼歯の限界運動のプロット
 8.関節結節と犬歯およびベネット運動の大臼歯への影響
 9.ベネット運動と大臼歯の修復治療
 10.大臼歯の修復治療とアンテリアガイダンス
 11.簡略化された顆頭の運動記録装置
Chapter5 咀嚼および嚥下時に生じる力(山本健一訳)
 1.咬合力とEMGの結果
 2.正常咬合および不正咬合の被験者における顆頭の垂直的移動
 3.不正咬合に対する筋肉の反応
 4.III級の不正咬合
Chapter6 天然歯の形態(千ヶ崎乙文訳)
 1.歯牙解剖学の教育
 2.計測器システムの発達
 治療例

 Appendix(付録)(千ヶ崎乙文訳)
 索引
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