やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はしがき〜矯正臨床に携わる先生へのメッセージ〜
 歯の移動は,歯のみならず周囲組織がもつ生体のダイナミズムと巧妙に制御された分子・細胞の動きに象徴される歯周組織の生物学的特性によって引き起こされる.術式的には,ほぼ完成の域に近づきつつある日常矯正臨床の現場において,ただ単に従来の技術を踏襲するに留まらず,一つひとつの臨床的処置の理論的背景を求めている臨床家が多いと聞いている.
 これまで,矯正学的歯の移動に関する成書は多数出版されてきたが,そのほとんどは臨床的方法論というべきものであり,歯の移動に伴う生物学的現象を詳細に記述した本はあまり多くないようである.
 従来,矯正学的歯の移動に対する生体反応にかかわる記述は,組織改造現象に焦点があてられてきた.一方,近年の生化学,分子生物学の発展により,歯の移動現象について多方面からの研究が可能となり,数多くの新知見がもたらされ,その生物学的基盤の理解がさらに大きく広がってきた.そこで本書は「歯の移動が生物学的連鎖反応として起こる」ことを念頭におき,日常矯正臨床の現場に生物学的,理論的基盤を提供するために企画,編集された.
 本書では,歯の移動メカニズムの分子・細胞生物学的なエビデンスを紹介するとともに,日常矯正臨床の現場でしばしば遭遇する痛み,歯根吸収などの偶発症に関する最近の知見を盛り込んだ.さらに,新しい治療法を目指した材料,治療法の開発についても言及した.
 基礎研究の成書では,数多くの最新の専門用語や略語が特に氾濫するきらいがあるため,本書では,専門用語を平易に解説することに努め,キーワードとなる用語を抽出し,多くの写真や模式図を取り入れ,読者の理解を助けるように配慮した.なお,分子生物学の分野では,英語から日本語への専門用語の確立がなされていないものも多いが,本書ではできるだけ和名を用いるように努めた.読者諸賢の忌憚のないご意見をいただきたい.
 本書が臨床家の疑問に対する解答となり,臨床術式の生物学的・理論的裏付けの一助となれば望外の喜びである.
 本書を刊行するにあたり,ご多忙にもかかわらずご執筆頂いた著者の方々に御礼申し上げる.また,出版の機会を与えて下さり,ともすれば作業の遅れがちな編著者を最後まで叱咤激励し,終始献身的な援助をいただいた,医歯薬出版の水島健二郎氏,大城惟克氏に心から感謝申し上げる.
 2006年3月
 下野正基
 前田健康
 溝口 到
1章 歯周組織の構造―矯正力を受け止める周辺組織
 I.歯根膜(矢嶋俊彦)
  1.概説
  2.歯根膜の発生
  3.歯根膜細胞
   1―線維芽細胞
   2―セメント芽細胞
   3―骨芽細胞
   4―破骨細胞・破歯細胞
   5―マラッセ上皮遺残
   6―未分化間葉細胞
   7―その他の細胞成分
  4.細胞外基質
   1―線維成分
    ・コラーゲン線維
    ・オキシタラン線維
   2―無定形基質
   3―脈管神経隙
  5.歯根膜の石灰化抑制
  6.歯周組織の改造
  7.加齢変化
 II.歯槽骨(笹野泰之)
  はじめに
  1.歯槽骨とは
  2.発生
  3.構造
   1―特徴
   2―細胞と細胞外基質
    (1)細胞成分
     ・骨芽細胞
     ・骨細胞
     ・bone lining cell
     ・破骨細胞
     ・前骨芽細胞
    (2)細胞外基質成分
     ・無機質
     ・有機質
  4.歯槽骨のリモデリング
 III.セメント質(山本恒之)
  1.概説
  2.セメント質の組成
  3.セメント芽細胞とセメント細胞
  4.シャーピー線維と固有線維
  5.セメント質の分類と構造
   1―無細胞セメント質
    ・無細胞無線維性セメント質
    ・無細胞外来線維性セメント質
   2―有細胞セメント質
    ・有細胞固有線維性セメント質
    ・有細胞混合性重層セメント質
    ・修復セメント質
  6.セメント質形成
   1―無細胞外来線維性セメント質
   2―有細胞混合性重層セメント質
2章 歯周組織の機能と代謝―骨と歯根膜―(井上 孝)
 歯周組織の機能と代謝―骨と歯根膜
  1.歯の移動の条件
  2.骨組織(歯槽骨)
  3.骨の活性化
  4.十分な骨形成細胞がない場合
  5.十分な増殖因子がない場合
  6.メカニカルストレスと骨形成
  7.硬組織に付随する膜の重要性
  8.骨の恒常性をつかさどる骨膜
  9.歯の恒常性をつかさどる歯根膜
  10.歯根膜内の上皮組織
3章 歯根膜の恒常性維持機構(下野正基)
 歯根膜の恒常性維持機構
  はじめに
  1.歯周組織の再生
  2.細胞増殖と増殖因子
   1―血小板由来増殖因子
   2―インスリン様増殖因子
   3―形質転換増殖因子-β
   4―塩基性線維芽細胞増殖因子
   5―骨誘導タンパク
   6―細胞外基質
    ・エナメル基質誘導体(エムドゲイン)
    ・シンデカン
  3.歯の移植・再植からみた歯根膜の恒常性
   1―抜去歯に付着する歯根膜
   2―歯根膜内の細胞の特徴
   3―再生歯根膜を構成する細胞
   4―歯根膜におけるマラッセ上皮遺残の機能
   5―アンキローシスを起こす実験条件
  4.咬合圧と歯根膜の恒常性
  5.歯根膜の恒常性維持機構(仮説)
4章 骨のリモデリング―骨形成と骨吸収のメカニズム
 I.構造の視点から(網塚憲生,李 敏啓,前田健康)
  はじめに
  1.骨芽細胞の細胞構造
  2.骨基質の石灰化と骨基質タンパク
   1―石灰化球と石灰化ミネラル
   2―コラーゲン性石灰化
  3.海綿骨と皮質骨におけるコラーゲン線維の走行と密度
  4.骨細胞の構造
  5.骨芽細胞とカルシウム調節因子
  6.骨芽細胞と骨細胞によるカルシウムの流出・流入の調節機構
  7.破骨細胞の微細構造と骨吸収
  8.破骨細胞の分化
  9.骨改造現象とカップリング
  10.モデルマウスにみるカップリングの異常と骨質
  おわりに
 II.分子生物学の視点から(中村美どり,中村浩志,宮沢裕夫,宇田川信之)
  はじめに
  1.リモデリングを制御するホルモンとサイトカイン
   1―ランクル(破骨細胞分化誘導因子)
   2―オステオプロテゲリン
   3―活性型ビタミン D3(1α,25(OH)2D3)
   4―副甲状腺ホルモン
   5―副甲状腺ホルモン関係タンパク質
   6―マクロファージ・コロニー刺激因子
   7―インターロイキン
   8―腫瘍壊死因子
   9―プロスタグランジン E2
   10―カルシトニン
   11―骨誘導タンパク
   12―形質転換増殖因子-β
   13―エストロゲン・アンドロゲン
   14―レプチン
   15―線維芽細胞増殖因子 23
  2.破骨細胞の分化誘導機構
  3.骨芽細胞の分化誘導機構
  4.オステオプロテゲリン(OPG)遺伝子欠損マウスに認められる骨吸収と骨形成の亢進
  5.オステオプロテゲリン(OPG)遺伝子欠損マウスに対するビスホスフォネートの投与実験
  6.骨誘導タンパクペレット埋入実験
  7.力学負荷減少による骨量減少メカニズムについて
  8.破骨細胞の骨形態形成における役割
  おわりに
5章 歯の移動に伴う組織学的変化(松坂賢一)
 歯の移動に伴う組織学的変化
  はじめに
  1.圧迫側での変化
  2.牽引側での変化
  3.歯根膜内の細胞増殖と細胞死
6章 歯の移動に伴う歯根膜神経の変化(前田健康)
 歯の移動に伴う歯根膜神経の変化
  はじめに
  1.歯根膜神経の分布と神経終末形態
  2.末梢神経再生のメカニズム
  3.歯の移動による歯根膜神経の分布の変化
   1―神経分布の変化
   2―自由神経終末の変化
   3―機械受容性ルフィニ神経終末の変化
  まとめ
7章 歯の移動と痛み
 I.歯の移動に伴う痛み(山城 隆)
  はじめに
  1.歯の移動による痛みとは
  2.歯の移動により,情動的な側面をもつ痛みが生じる
   1―実験的歯牙移動モデルと痛み
   2―歯の移動による侵害刺激と三叉神経脊髄路核
   3―歯の移動による侵害刺激と大脳辺縁系
  3.痛みは内因性に制御される
   1―モノアミンによる抑制
   2―オピオイドペプチドによる抑制
  4.歯の移動による痛みを制御できるのか
 II.歯の移動に伴う歯根膜の痛み(脇坂 聡)
  1.歯根膜感覚とは
  2.歯根膜の痛み
  3.実験的歯牙移動でのニューロンの活性化
  4.歯の移動での疼痛メカニズムの仮説
8章 歯の移動に伴う歯根膜脈管の変化―血管のダイナミズム―(松尾雅斗,高橋和人)
 I.in vivoの視点から
  はじめに
  1.歯根膜の微小循環
  2.歯の水平移動時の微小循環
  3.歯の移動メカニズムと微小循環
  4.水平移動時の歯根膜微小循環
  5.挺出の微小循環
  まとめ
 II.矯正力に対する歯根膜微小血管の反応(飯田順一郎)
  はじめに
  1.咬合力に対する歯根膜微小血管の形態変化とその要因
  2.機械的刺激による血管透過性亢進反応
  3.機械的刺激による白血球の動態変化
  4.加齢による微小血管の機械的刺激に対する反応性の変化
9章 メカニカルストレスと細胞応答―メカニカルストレスに細胞はどのように反応するのか―(川島博行)
 メカニカルストレスと細胞応答―メカニカルストレスに細胞はどのように反応するのか
  はじめに
  1.メカニカルストレスの種類と細胞の応答
   1―細胞が内包する歪み力
   2―細胞がメカニカルストレスを受容するメカニズム
   3―メカニカルストレスの細胞内シグナルへの変換(メカノトランスダクション)
   4―メカノトランスダクションの実際
   5―メカニカルストレスに対する歯周組織の応答
  2.メカニカルストレスの受容とシグナル伝達
  3.メカニカルストレスに対する歯根膜細胞と骨芽細胞の応答の違い
  4.歯根膜細胞の性質
  5.メカニカルストレスに対する歯根膜細胞の応答
  まとめ
10章 歯根吸収
 I.臨床:歯根吸収の危険因子(溝口 到)
  はじめに
  1.治療期間と根尖の移動量
  2.歯の移動様相
  3.矯正力の種類(力の大きさ)
  4.矯正力の種類(力の作用様式)
  5.治療のメカニクス
  6.遺伝性素因
  7.年齢
  8.性別
  9.歯種による差
  10.歯根形態の異常
  11.歯髄処置の有無
  12.その他の危険因子
  13.歯根吸収の予後
  14.歯根吸収への対応
 II.基礎:歯根吸収のメカニズム(栗原三郎)
  はじめに
  1.生理的および人為的な歯根吸収
  2.側面性歯根吸収と根尖性歯根吸収
  3.根尖性歯根吸収の原因
   1―内因性の歯根吸収が,根尖性の歯根吸収に重要である
   2―硬い硬組織は,吸収を受けにくい
   3―セメント質の露出が,歯根吸収の第一段階である
   4―単核の破歯(骨)細胞の存在
  4.臨床的考察
  おわりに
11章 顎関節と歯の移動
 I.顎関節の構造(野澤-井上佳世子,前田健康)
  はじめに
  1.下顎頭および下顎頭軟骨
  2.下顎窩,関節結節および関節隆起
  3.関節円板
  4.円板後部結合組織
  5.外側翼突筋
  6.関節包
   1―線維性関節包
   2―滑膜
  7.血管
  8.神経
  9.副靱帯
 II.顎関節の機能(山田一尋)
  はじめに
  1.顎位
  2.歯の誘導
  3.顎運動における顎関節の機能
  4.顎機能異常と咬合
  5.顎顔面形態と変形性関節症の関連
  6.矯正治療に伴う顎関節症の変化
  まとめ
 III.顎関節に配慮すべき臨床的ポイント(山田一尋)
  1.顎関節症症状の確認
  2.インフォームド コンセント
  3.下顎位の決定
  4.治療方針の決定
   1―顎関節病態への配慮
   2―抜歯部位の決定
  5.矯正装置の顎関節への影響
  6.矯正治療中の顎関節症状に対する対処
  7.矯正治療のゴール
  8.矯正治療後の顎関節症状に対する対処
12章 加齢と歯の移動(齋藤 功)
 加齢と歯の移動
  はじめに
  1.成人矯正治療の特徴と問題点
   1―成人矯正治療の特徴
   2―成人矯正治療と歯周組織
  2.歯槽骨の加齢変化と歯の移動
  3.内分泌機能の変化と歯の移動
   1―エストロゲンと歯の移動
   2―副甲状腺ホルモンと歯の移動
  4.糖尿病と矯正治療
13章 最適な矯正力に関する生物学的,生体力学的考察(丹根一夫)
 最適な矯正力に関する生物学的,生体力学的考察
  はじめに
  1.矯正力と歯の初期変位との関係
  2.矯正力と経日的な歯の移動との関係
  3.矯正力と歯周組織の応力との関係
   1―M/F値による応力分布の変化
   2―歯周組織の形態変異に伴う応力分布の変化
  4.歯周組織の応力と生物学的な改造変化との関係
  5.加齢と歯周組織の改造変化との関係
  まとめ
14章 新たな歯の移動のコントロール方法
 I.歯の移動の周期的変動(五十嵐 薫)
  1.生物リズムと矯正歯科治療
   1―生物リズム
   2―矯正歯科治療への応用
  2.骨吸収と骨形成の日内変動
  3.歯の移動の日内変動
   1―実験モデル
   2―歯の移動と歯周組織の反応
   3―日内変動のメカニズム
   4―間歇的な力 vs. 持続的な力
  4.歯の移動の性周期変動
  5.臨床的考察
 II.歯根膜細胞への遺伝子導入によるアプローチ(千葉美麗)
  はじめに
  1.分子生物学的理解と歯周組織への遺伝子導入
  2.破骨細胞機能分子の遺伝子導入による矯正歯科学的歯の移動制御
   1―メカニカルストレスと骨吸収
   2―局所的オステオプロテゲリン遺伝子導入による歯の移動の抑制
   3―局所的 RANKL遺伝子導入による実験的歯の移動の促進
   4―RANK-RANKLシグナル伝達系と遺伝子導入
  3.遺伝子治療の問題点と可能性
  おわりに
 III.インプラントを用いたアプローチ―スケレタル・アンカレッジ・システム(SAS)を用いた臼歯部圧下―(台丸谷隆慶・菅原準二)
  はじめに
  1.スケレタル・アンカレッジ・システム(SAS)とは
  2.臼歯部圧下に伴う歯槽頂部リモデリング
  3.下顎臼歯部の著しい圧下が下歯槽神経に及ぼす影響
  4.上下顎大臼歯の著しい圧下に伴う周囲組織の反応
  おわりに
 IV.移植歯の矯正治療(押見 一)
  はじめに
  1.なぜ「歯根膜移動」なのか
  2.「根回しジグリング」
  3.臨床例
   1―歯の移動
   2―歯の移植
   3―歯の移動と歯の移植
   4―移植歯の矯正的移動
  おわりに
15章 歯の萌出と歯周組織(村松 敬,下野正基)
 歯の萌出と歯周組織
  1.歯の萌出
   1―萌出前期
   2―機能前萌出期(萌出期)
    ・歯冠上部組織の変化
    ・歯の側方組織の変化
    ・歯の下部組織の変化
   3―機能的萌出期(萌出後期)
  2.歯の萌出を引き起こすと思われる要因
  まとめ
16章 矯正治療におけるインプラントの応用―歯根膜とインプラント―(井上 孝)
 矯正治療におけるインプラントの応用―歯根膜とインプラント
  1.天然歯とインプラント
   1―生活反応期の中のインプラント
   2―組織浄化期の中のインプラント
   3―組織修復期の中のインプラント
   4―組織再構築期の中のインプラント
  2.インプラント周囲の創傷治癒に影響を及ぼす因子
   1―理想的な創傷の治癒
   2―創傷治癒を遅延させる因子
  3.インプラントと骨界面
  4.インプラント周囲骨の代謝
  5.歯周組織とインプラント周囲組織―アンキローシスを起こした歯と移植した歯の違い
   1―天然歯付着上皮と口腔粘膜上皮およびインプラント周囲上皮
  6.歯肉結合組織,歯根膜そしてインプラント周囲結合組織
  7.移植歯のアンキローシスとオッセオインテグレーション
  8.インプラントも動く
  おわりに

 索引