やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
医療の盲点
 われわれの身の回りに生息する無数の微生物は,子孫を残すために増殖する.この微生物が食物の中で増殖すれば,食中毒や腐敗の原因に,ヒトや動物の中で増殖すれば疾病を引き起こし感染症となる.感染は微生物の病原性(毒力と菌量)が人体の抵抗力よりも強くなった場合に成立する.また,微生物の数が増えて病原性そのものが強くなった場合や,もともと微生物の病原性が非常に強い場合は,誰でも感染する可能性がある.逆に,人体の抵抗力が非常に弱い場合には平素無害菌に感染し病気になる(日和見感染).しかし,感染しても病状が現れないことがあり(不顕性感染),保菌者(キャリア)となり菌を撒(ま)く感染源になることがしばしばある.
 われわれ医療従事者は,さまざまな危険に曝(さら)されているが,日本ではあまり気にしないのが現実である.アメリカでは患者の唾液を赤色に着色し,治療をするときにどのくらい唾液が飛散するかを見た研究報告がある.治療終了後に,ドクターの手,ゴーグル,顔の皮膚は赤く染まり,タービンを始めとするあらゆる器具が赤く染まっているというショッキングなものである.
 さて,歯科における消毒と滅菌はどのように考えるべきなのであろうか.歯科治療時の感染予防対策として,歯科診療器具の消毒・滅菌は常識的に行われているが,個々の器具に対して消毒なのか滅菌なのか選択基準が標準化されているとはいいがたいのが現状である.本来,消毒レベルでよいものを滅菌しているケースも少なくない.
 たとえば,リーマー・ファイル,バー・ポイント,スケーラー,ピンセット,探針,エキスカベーター,抜歯鉗子,ヘーベルなど,上皮を通過し体内に直接接触するものは滅菌が必要であり,印象用のトレー,エックス線(レントゲン)フィルムホルダー,シリンジ,デンタルミラー,ラバーダムパンチ,印象用スパチュラ,歯科ユニットなど,直接口腔内に接しない器具類は清拭で十分だし,院内の床などは,たとえMRSAや緑膿菌などが付着していても,患者に直接触れないために消毒ではなく清掃が基本となる.
 スタンダードプリコーションの意味は知っていても,正確な知識がなければ,そして,実際には見えない微生物を心眼でとらえるような気持ちがなければ,その実行は難しい.
 本書の内容は,歯科衛生士として働くうえで,医療面接を含め院内感染予防に最低限必要な知識にとどめ,詳細はあふれる専門書に譲った.また,微生物を見る心眼を養うために,歯科衛生士の一日を追いながら院内感染を考えるものとした.その結果,本書が少しでも院内の安全と医療の質の向上につながれば幸いである.
 2006年10月
 井上 孝
はじめに(井上 孝)
これだけは知っておこう!歯科医療現場における感染予防(片倉 朗・井上 孝)
 歯科医療現場における標準予防対策の基本
 I 歯科特有の標準予防
 II 歯科特有の消毒・滅菌
 III 手指の消毒等
歯科衛生士の一日(井上 孝)
 Questionに×でチェックしてみよう!
  9:00 診療の準備
  9:30 抜髄
  10:30 抜歯
  11:30 インレー形成,印象(C型肝炎患者)
  12:30 クラウン形成,テック作製
  13:00 昼休み
  13:50 午後の診療の準備
  14:00 プロービング,スケーリング,TBI
  15:00 インプラント手術
  16:00 局部床義歯装着
  17:00 診療終了
 いつでもチェック!
 Appendix―歯科衛生士の感染予防 本音と現実(多田美穂子・藤平弘子)
More Study
 I 歯科のスタンダードプリコーション(井上 孝)
  内因性感染と外因性感染
  院内感染
  主要感染部位の分類(NNIS)
  スタンダードプリコーション
  感染経路予防
  血液感染予防対策の実際
  血液汚染事故発生時の対応
 II 口腔感染症(石原和幸)
  病原体とは?
  危険なものは?
  感染するのはどんな病気?
  口腔内からプラークが遊離した菌が全身疾患に与える影響
 III 口腔内の術野の消毒と口腔外の術野の消毒(柴原孝彦)
  口腔の特殊性
  口腔内の術野の消毒
  口腔外の術野の消毒
 IV 歯科器具・器械の滅菌と消毒(片倉 朗)
  滅菌・消毒・洗浄・除菌の違いは?
  診療室における器具・器械の一般的な消毒・滅菌の流れ
  感染症を持つ患者さんに使用した器材は?
  消毒剤の選択と使用法
  器材消毒法指針
 V 消毒法指針(井上 孝)
  消毒剤の使い方
  消毒剤の調製法
 VI 滅菌法の分類(柴原孝彦)
  主な滅菌法の種類
  高圧蒸気滅菌
  乾熱滅菌
  酸化エチレンガス滅菌
  ろ過滅菌および超ろ過法
  プラズマ滅菌
  火炎滅菌
 VII 歯科医療廃棄物の分別(一戸達也)
  感染性廃棄物の種類
  医療廃棄物の梱包に用いる容器とその材質
 VIII 手洗いとグローブの概念(畑田憲一)
  院内感染経路
  手洗い
  衛生学的手洗い
  グローブの装着
Attention!
 I 血液感染症(須賀健一郎)
  血液感染症とは?
  歯科医療従事者が注意すべき血液感染症
  歯科治療で注意を要する主な血液感染症
  肝炎の種類と感染経路
  B型肝炎検査の意義
  HIV感染症でみられる口腔症状
 II 感染症とあらかじめ分かっている患者への対応(一戸達也)
  基本的な考え方
  感染症検査の流れと感染症の簡易検査
  具体的対応
  感染症対策のための必要経費
 III 針刺し事故等とその対応(井上 孝)
  院内において,針刺し事故等,肝炎ウイルスおよびHIV感染の可能性のある事故が発生した場合の対応
  眼(粘膜)の消毒
  口の消毒
  針刺し事故防止対策
  安全なリキャップ(どうしても必要なとき)
おわりに(井上 孝)
索引
COLUMU―コラム―
 スタンダードプリコーションって分かる?(多田美穂子・藤平弘子)
 なぜユニフォーム(白衣)に着替えるの?(多田美穂子・藤平弘子)
 足もと対策は?(多田美穂子・藤平弘子)
 寒さ対策のカーディガンは汚い?(多田美穂子・藤平弘子)
 髪の毛ってどうするの?(多田美穂子・藤平弘子)
 アメリカの院内感染予防対策(片倉 朗)
 細菌はいつも生体内に入る門戸を探している・(井上 孝)
 エプロンの替えどきは?(多田美穂子・藤平弘子)
 局所麻酔薬カートリッジを再使用すると罰せられる・(一戸達也)
 処置前の口腔内の消毒は?(多田美穂子・藤平弘子)
 カートリッジ用注射器の再使用(一戸達也)
 エタノール(ウェルパスRなど)の消毒剤はグローブを劣化させる?(井上 孝)
 紫外線消毒の意味(井上 孝)
 日常手洗いと衛生学的手洗い(多田美穂子・藤平弘子)
 手荒れ防止は美の追究?(多田美穂子・藤平弘子)
 アレルギー対策は?(多田美穂子・藤平弘子)
 B型肝炎ウイルスに感染した…(須賀健一郎)
 キンバリー事件(須賀健一郎)
 予防接種は受けている?(多田美穂子・藤平弘子)
 プライバシーの尊重(多田美穂子・藤平弘子)
 感染症患者と専用チェアー(一戸達也)
 口対口人工呼吸は危険?(一戸達也)
 感染症患者の血液・唾液が皮膚についた・目に入った!(一戸達也)
 感染症患者が使用していた義歯をドクターが調整しているときに粉塵を吸い込んだ!(一戸達也)
POINT―ポイント―
 注射針の扱い(一戸達也)
 患者さんと話すときの注意点は?(感染予防面から)(柴原孝彦)
 局所麻酔薬カートリッジの消毒(一戸達也)
 材質によって器具の消毒法を変えている?(柴原孝彦)
 モニター機器の消毒(一戸達也)
 スピットンの掃除は?(柴原孝彦)
 手指消毒剤(多田美穂子・藤平弘子)
 手洗い後の乾燥法は?(多田美穂子・藤平弘子)
 グローブのつけ方(柴原孝彦)
 マスク・ゴーグル・フェイスガードは?(多田美穂子・藤平弘子)
 トイレへ行った後は?(柴原孝彦)
 照明を合わせるときの手の消毒は?(柴原孝彦)
 ペンを持つときは?(柴原孝彦)
 患者さんの洋服と鞄を持つ手は?(柴原孝彦)