やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 岩崎憲治
 筑波大学生存ダイナミクス研究センター
 生物学をやっている者でさえ,「生体分子の構造を解いて薬剤の設計ができるのか」という疑問を投げかけてくることがある.それほどまでに医学・薬学への出口をうたいながら,その方面の勉強不足が基礎研究者に否めないのは自戒の念をもって言いたい.
 このようなネガティブフレーズから文章をはじめたのは,逆にいえば構造情報が役に立つからである.古くは,ザナミビル,オセルタミビルの開発物語がある.当時は,X線結晶構造解析法が武器であった.2012年のノーベル賞になったGタンパク質共役受容体(G protein-coupled recepter:GPCR)の構造の解明には20年を費やしたという.しかし,おかげで1964年に臨床的に成功をおさめたβ遮断薬の分子機構に,ついに原子レベルでサイエンスのメスを入れることができた.
 今はタンパク質の発現・精製技術の発達,構造解析のためのハードウェア・ソフトウェアの発達によって,構造情報の蓄積スピードが猛加速し,それを利用したライフサイエンス研究は枚挙に暇がない.新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が猛威を振るいはじめたその矢先に,2020年2月にはスパイクタンパク質の原子モデルが報告された.興味のある人は,ぜひデータベースを覗いてほしい.N501Yの501番目のアミノ酸残基が実はモデリングできていないことに気づくであろう.つまり,この部分は非常にフレキシブルな構造をしていることがわかる.しかも,最も外に露出した位置にある.専門家ならずとも多少の知識があればこの“絵”をみただけでなるほどという感覚がわく.このとき構造解明に使われたのがクライオ電子顕微鏡であった.わが国は,欧米・中国にこの装置の導入で大幅な遅れをとったものの,今は日本医療研究開発機構(AMED)の主導により旧七帝大,高エネルギー加速器研究機構,そして筑波大学に整備された.
 面白いことに,こうした構造解析情報の急速な増加,そこから先の計算機シミュレーションによる解析の進展にともなって,生化学がじわじわと重要になってきた.プルダウンや免疫沈降法では,目的の分子間の結合の有無を判定することはできるが,どれほど強いのかわからない.そこで定量性を厳密に扱う化学である.生物活性は,細胞生物学的な実験をもとに検証できるであろう.しかし,物理的・化学的な性質である“物質性”については,構造や計算機シミュレーションに加えて定量性を扱う生化学,その基礎となる物理化学,有機化学が必要である.ビッグデータを使った戦略を立てつつも,検索エンジンではでてこない基礎的だが必須のデータの獲得に地道に挑み前進することは重要だと思う.疎にして漏らさずの意氣である.
 はじめに(岩崎憲治)
構造解析から創薬へ
 1.タンパク質立体構造に基づいた抗ウイルス薬の創製戦略(安楽佑樹・他)
  KeyWord Structure-based drug design(SBDD),ヒト免疫不全ウイルス(HIV),SARSコロナウイルス-2(SARS-CoV-2),X線結晶構造解析,クライオ電子顕微鏡解析
 2.グルコース-6-リン酸脱水素酵素異常症の構造基盤(堀越直樹)
  KeyWord G6PD異常症,NADPH,溶血性貧血,構造解析
 3.構造から捉えた,エンドセリンB型受容体標的薬の動作原理(志甫谷 渉・濡木 理)
  KeyWord エンドセリン受容体,Gタンパク質共役型受容体(GPCR),X線結晶構造解析,肺動脈性肺高血圧(PAH)
 4.Toll様受容体をターゲットとする創薬(清水敏之)
  KeyWord Toll様受容体(TLR),自然免疫,リソソーム
 5.フラグメント創薬(FBDD)のためのNMR相互作用解析法(古板恭子・児嶋長次郎)
  KeyWord 溶液核磁気共鳴(NMR),タンパク質,リガンド,フラグメント創薬(FBDD),相互作用解析
 6.複合体構造に基づく薬物設計による新規抗菌薬リード開発への取り組み(山本一貴・市川 聡)
  KeyWord 薬剤耐性菌,MraY,GPT,構造活性相関研究
 7.GPCRの構造解析研究(島村達郎)
  KeyWord Gタンパク質共役型受容体(GPCR),構造解析,アミン受容体
タンパク質工学から創薬へ
 8.タンパク質工学から創薬へ─スマートドラッグの実現に向けて(松長 遼・津本浩平)
  KeyWord タンパク質工学,スマートドラッグ,ドラッグデリバリーシステム(DDS),刺激応答性DDS
 9.指向性進化法による高親和性ACE2創出とCOVID-19創薬展開(星野 温・有森貴夫)
  KeyWord 指向性進化法,新型コロナウイルス感染症(COVID-19),変異株,エスケープ変異,ACE2
 10.タンパク質の化学修飾─基礎研究と抗体医薬品開発への展開(植田 正)
  KeyWord アミノ酸残基のpKa,抗体薬物複合体(ADCs),化学修飾
 11.機能性サイトカインの医薬への展開とDDSへの応用(芳賀優弥・他)
  KeyWord ファージ表面提示法,腫瘍壊死因子(TNF)-α,高分子バイオコンジュゲーション,プロテオーム創薬
 12.立体構造から眺めるSARS-CoV-2中和抗体(黒田大祐・津本浩平)
  KeyWord 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2),中和抗体,立体構造,バイオインフォマティクス,タンパク質工学
 13.二重特異性がん治療抗体の機能的な構造の理解に向けたあゆみ(浅野竜太郎・他)
  KeyWord 低分子二重特異性抗体,配向性,がん細胞傷害活性,原子間力顕微鏡,電子顕微鏡単粒子解析
 14.高機能化抗体医薬品の開発に向けたIgG抗体部位特異的修飾法(伊東祐二・ラフィーク アブドゥール)
  KeyWord 抗体薬物複合体(ADC),アフィニティペプチド,クロスリンカー,PET
計算機から創薬へ
 15.計算機から創薬へ(白井宏樹)
  KeyWord In silico創薬,構造多様性,分子認識,機械学習,富岳
 16.ライフインテリジェンスコンソーシアム(LINC)(奥野恭史)
  KeyWord 人工知能(AI),ライフインテリジェンスコンソーシアム(LINC),深層学習
 17.TargetMineによる生物学的知識の発見(陳 怡安・他)
  KeyWord 統合データ,データウェアハウス,創薬,オミックスデータ解析
 18.分子シミュレーションと創薬(池口満徳・浴本 亨)
  KeyWord 分子動力学,スーパーコンピュータ,インシリコ創薬,構造生物学,富岳
 19.天然変性タンパク質と創薬(廣明秀一)
  KeyWord 液-液相分離(LLPS),構造アンサンブル,毒性オリゴマー,フォールディングと共役した結合(coupled folding and binding)
 20.協調的2アミノ酸残基同時変異体の相互作用解析による新規抗体のStructure-Based Design(千葉峻太朗・大田雅照)
  KeyWord Structure-based antibody design,抗原・抗体相互作用,抗体変異体モデル,協調的変異,in silico affinity maturation

 サイドメモ
  X線結晶構造解析
  クライオ電子顕微鏡解析
  Gタンパク質共役受容体(GPCR)
  肺動脈性肺高血圧(肺高血圧)
  パターン認識受容体(PPR)
  フッ素NMR
  構造活性相関研究
  キュービックフェーズ法
  タンパク質工学の手法
  循環置換タンパク質
  露出表面積(ASA)
  カルボキシル基の修飾法
  ファージ表面提示法
  分子シミュレーション
  Induced fitとconformational selection