やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 曽我部正博
 名古屋大学大学院医学系研究科メカノバイオロジー・ラボ
 文部科学省は2015年5月に,平成27年度の革新的先端研究開発支援事業の研究開発目標として,“革新的医療機器および医療技術の創出につながるメカノバイオロジー機構の解明”を公表した.これを受けて日本医療研究開発機構は“AMED-CREST,PRIME(メカノバイオ)”の公募を開始し,“メカノバイオロジー”という異分野融合領域がにわかに注目を集めている.
 われわれの体内では,筋紡錘や圧受容器などのさまざまな機械受容器が骨格筋の長さや張力,あるいは血圧や内臓圧を感知して中枢に報せている.これを“身体力覚”とよぶ.最近になって細胞にも,細胞内外に生じる力や,接触する環境の硬さや形態を感知する力覚の存在が明らかとなり,“細胞力覚”と名づけられた.細胞力覚は細胞の周期,増殖,分化,形態,運動や分泌活動の調節を通して,組織や臓器の発生や再生をはじめ,がんの発生や転移にも深く関与している.
 細胞の間や,細胞と結合織・体液の間に生じる力が組織の状態に応じてつねに変化していることを考えると,“力と細胞力覚”は生物学や医学を根底から見直すインパクトを内包している.しかし,見ることも手に取ることもできない力の測定や操作は生命科学者にとって苦手な課題であり,その科学的体系化は遅れていた.ところが,この10年で細胞のメカノセンサー分子がつぎつぎと明らかにされ,細胞力覚が最先端の分子生物学や生物物理学の手法で研究できるようになった.“メカノバイオロジー”という新しい学問領域の誕生である.
 これと並行して高齢化社会を脅かす心疾患,動脈硬化,がん,骨粗鬆症,運動障害などに細胞力覚が関与する証拠が着実に積みあげられてきた.現時点では仕組みの解明に基づく治療法は皆無であるが,力覚という新しい視点からのメカノメディシンがはじまっており,それを支え,牽引するバイオマテリアルをはじめとしたメカノバイオ医工学が爆発的に展開している.
 近い将来,これらの疾患がメカノバイオロジーに基づく画期的治療法で克服できる日が到来することを願って,本特集号の表題を“メカノバイオロジーからメカノメディシンへ”とした.最後に,難しいテーマにもかかわらず力作を執筆いただいた先生方に心より御礼申し上げたい.
 はじめに(曽我部正博)
メカニカルストレスと疾患
 1.メカニカルストレスと動脈硬化―抗炎症ナノ粒子による治療戦略(古賀純一郎・江頭健輔)
  ・ずり応力(シェアストレス)と動脈硬化 ・血管傷害と動脈硬化
  ・メカニカルストレスとプラーク破綻 ・静脈グラフト肥厚
  ・メカニカルストレスとプラークびらん
 2.メカニカルストレスと心不全(赤澤 宏・小室一成)
  ・メカニカルストレスと心肥大 ・メカニカルストレスによるAT1受容体の活性化
  ・心肥大形成におけるメカノセンサー ・AT1受容体の活性化による構造変化
 3.メカニカルストレスと骨格筋肥大・筋萎縮(伊藤尚基・武田伸一)
  ・筋肥大と筋萎縮にかかわるシグナルおよび分子
  ・筋肥大,および骨格筋の恒常性維持と骨格筋幹細胞の関係
 4.骨粗鬆症―骨の恒常性と破綻(中島友紀)
  ・骨リモデリング
  ・骨を破壊する細胞,破骨細胞
  ・骨を形成する細胞,骨芽細胞
  ・骨のなかに埋め込まれた細胞,骨細胞
  ・骨細胞による破骨細胞を介した骨恒常性の応答システム
  ・骨細胞による骨形成制御系を介した骨恒常性の応答システム
  ・骨における力学的な環境変化の感知システム
 5.上皮の恒常性維持と細胞競合における機械的な力の役割(山本真寿・井垣達吏)
  ・アポトーシス細胞の排除における機械的な力の役割
  ・細胞過密が引き起こす細胞排除における機械的な力の役割
  ・がん原性細胞と正常細胞の細胞競合における機械的な力の役割
メカノセンシング/シグナリング機構
 6.伸展・圧縮センシング(平田宏聡・曽我部正博)
  ・細胞内構造と応力集中 ・接着斑における力の感知
  ・ストレス線維における力の感知 ・接着結合における力の感知
 7.ずり応力センシング(山本希美子・安藤譲二)
  ・流れずり応力のCa2+シグナリングを介したセンシング機構
  ・流れずり応力のセンシング機構が循環機能調節に果たす役割
  ・流れずり応力の内皮細胞形質膜を介するセンシング機構
 8.TRPシグナルを利用した機械受容―心臓の可塑性や生理機能を支えるTRPチャネルを中心に(片野坂友紀)
  ・多機能メカノセンサーとしてのTRPチャネル
  ・機械刺激によるTRPチャネル活性化のしくみ
  ・心臓の可塑性を支えるTRPチャネル
  ・心臓生理機能を支える多機能メカノセンサーTRPV2
 9.ATPシグナリングと疾患(古家喜四夫)
  ・ATPシグナリング系の概略 ・免疫応答・炎症・腫瘍における働き
  ・ATP放出機序とその働き
 10.p130Casを介する細胞のメカノ機能と恒常性の制御(澤田泰宏)
  ・Casの伸展の力源はアクチン-ミオシン系の収縮ではなく,おそらくアクチンの重合
  ・ゆらぎを利用した“しなやかな”メカノセンシング
  ・細胞のメカノ機能の制御におけるリン酸化Casの役割
  ・メカノセンシング再考
  ・おわりに:悪戦苦闘したCasのメカノセンシング機能の解析を通じて気づいたこと―メカノを介する恒常性の維持
 11.Hippo-YAP/TAZシグナル伝達経路とメカノトランスダクション(石原えりか・仁科博史)
  ・Hippo-YAP/TAZシグナル伝達経路
  ・細胞外基質硬度とYAP/TAZ活性制御
  ・YAPによるメカノホメオスタシス
  ・メカニカルストレスによるYAP/TAZ活性化と疾患
メカノメディシン
 12.虚血性心疾患に対する超音波血管新生療法の開発―メカノトランスダクション機構の医療応用(進藤智彦・下川宏明)
  ・動物モデルを用いた低出力パルス波超音波(LIPUS)の有効性の検討
  ・メカノトランスダクション機構
 13.エクササイズピル,エクササイズミメティクスの可能性―運動療法のあらたな展開へ(宮坂恒太・他)
  ・細胞の力覚 ・cytoskeletozyme(骨格に局在する酵素)
  ・ドラッグターゲットしての力覚分子 ・Exercise pil(l運動模倣薬)
 14.メカノ生殖補助医療(成瀬恵治)
  ・少子化と不妊症
  ・メカノ生殖生理学
  ・現状の生殖補助医療手技と課題
  ・生殖補助医療メカノメディスン
 15.皮膚・軟部組織のメカノバイオロジーとメカノメディシン―形成外科・美容医療・創傷治療におけるメカノセラピー(小川 令・他)
  ・皮膚と物理的刺激
  ・皮膚付属器と物理的刺激
  ・皮下組織と物理的刺激
  ・形成外科・皮膚外科・再建外科手術におけるメカノセラピー
  ・美容医療・抗加齢医療におけるメカノセラピー
  ・創傷治療・瘢痕治療におけるメカノセラピー
  ・皮膚疾患のメカノバイオロジーとメカノセラピー
 16.流れに関係する呼吸生理学と癌転移(大橋俊夫・河合佳子)
  ・流れ(ずり応力)刺激が肺でのCO2ガス交換を制御する
  ・ヒトの肺細動脈内皮細胞はずり応力刺激によって肺動脈内皮細胞以上のATPとH+を共分泌する
  ・ヒト肺細動脈内皮細胞へのずり応力刺激によって培養瓶内のCO2濃度が上昇する
  ・肺動脈血流速度に依存した呼気中CO2ガス分圧の変化を証明したウサギを用いたin situ実験の結果
  ・肺細動脈を介したCO2ガス排出という新概念の提唱
  ・流れ刺激で癌細胞から分泌されるH+が癌原発巣の酸性微小環境を形成する
  ・高転移株のヒト乳癌細胞(MDA-MB-231)は流れ刺激に反応してH+を分泌する
 17.メカノバイオロジーに基づく筋力トレーニング―筋肥大と抗筋萎縮のメカニズムを探る(河上敬介・宮津真寿美)
  ・機械刺激が引き起こす筋の肥大,萎縮抑制,および萎縮からの回復促進
  ・筋肥大時に起こる筋線維の肥大と増殖
  ・機械刺激による筋線維肥大のメカニズム
  ・筋線維における機械刺激の入口は?
メカノメディカルエンジニアリング
 18.メカノ医工学の展望(佐藤正明)
  ・メカノ医工学の研究例
  ・展望と課題
 19.再生医療におけるメカノメディカルエンジニアリング(牛田多加志)
  ・メカノバイオロジーの観点からの軟骨再生
  ・基質のトポロジーの観点からの幹細胞分化コントロール
  ・トポロジカルな表面による幹細胞分化コントロール
  ・トポロジカルな表面に接着した細胞の細胞内テンション
 20.動脈壁の力学応答と革新的動脈硬化診断への展開(松本健郎・宮城英毅)
  ・動脈硬化診断法のいろいろと問題点
  ・血管外圧操作による多角的血管機能検査法
  ・PMCと従来の血管運動能指標(NMD)との比較
  ・今後の展望
 21.インテリジェント循環器医療(神谷厚範)
  ・循環系モデル
  ・自動治療システムの創出
  ・自動化による医療の姿
 22.骨再生用スキャフォールド構造設計の計算医工学支援(安達泰治)
  ・イメージベースモデルを用いた骨再生シミュレーション
  ・スキャフォールドの構造設計
 23.メカノバイオマテリアル(木戸秋 悟)
  ・マテリアルによる細胞メカノバイオロジー操作の本質
  ・メカノバイオマテリアルの具体例
  ・おわりに―メカノバイオマテリアルの展望と課題

 サイドメモ
  PLGAナノ粒子
  nNOS
  GsMtx4
  ATP受容体
  アデノシン受容体
  細胞外ATP分解酵素
  Rigidity sensing
  パルス波超音波
  テンセグリティ(Tensegrity)
  PPARδ
  微小流体力学
  生理学(Physiology)とは
  筋痛症候群に対する機械刺激による治療
  静水圧(hydrostatic pressure)