やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 佐藤信紘
 順天堂大学特任・名誉教授,日本神経消化器病学会理事長
 『医学のあゆみ』誌が“脳と腸の相関―神経消化器病学のめざすところ”というタイトルの第一土曜特集を組んでからすでに9年がたった.その折まとめ役を仰せつかった著者は,その巻頭言に「日本人は古来腹に心があると思い,お腹が心を表す言葉は枚挙にいとまがない,武士に許された切腹は,自らの心をこの世から断ち切る作法ではないか」と書いた.古来より認められてきた日本人の胃弱という特質は,ピロリ菌感染によるものが多いとは思われるが,お腹の神経・免疫系が敏感なために胃痛を訴える者も多いのではないかと思われる.細菌感染が免疫系を発達させて神経免疫内分泌ネットワークを充実させるのは,容易に考えうる.日本人の感性が欧米人と相当異なるのは,お腹の感受性と関連するのではないか?
 Neuroscienceあるいはbrain scienceは,欧米ではもっとも大きな学問領域のひとつであり,医理工連携のもとに大きく発展しつつある.わが国でも産官学連携のもとで飛躍が期待される分野である.しかし,腸管神経系(enteric nervous system:ENS)が自律神経系と連携しあって中枢神経系(central nervous system:CNS)とやり取りしながら,摂食にはじまり消化吸収,代謝,貯蔵,排出という基本的な生の営みを円滑に進めることはわかっていても,これらがメタボリックシンドロームや肥満や糖尿病・骨粗鬆症などの代謝性疾患の鍵を握る営みであることはあまり研究されてこなかった.また,パーキンソン病のように腸管神経系に初期病変が出現する脳疾患があり,腸が脳の窓になりうることが明らかである.腸のneuroscienceはこれからなのである.
 しかし時を経て,消化器病学の領域ではもっともimpact factorが高い『Gastroenterology』誌には,毎月数報の神経消化器病学関連の論文が掲載され,今後一気に脳-腸相関の理解が進む機運が感じられる.この領域はなによりも患者が多い.内科医を訪れる10〜20%は腹部の不定愁訴を訴えるが原因が不明であり,機能性胃腸疾患(functional gastrointestinal disorder:FGID)に分類される.すでに欧米日の有識者がローマに参集してFGIDの定義・分類・診断・治療への提言を行い,いわゆるRome-IIIがだされた.国際的関心も高いのである.しかし,診断・治療法や病因・病態生理はなおbreakthroughを必要とし,研究の宝庫であって,これからのneuro-gastroenterologistは基礎・臨床研究の草分け的存在になりうると思われる.グラント獲得にも有利な分野であろう.
 FGIDの患者は治療に難渋することが多い一方,通常は重篤な精神疾患を有せず,anxietyとの関連性が高いのが特徴的で,一般的に医師への信頼度が高い.FGIDを専門とする医師は優しく患者に寄り添い,アートとしての技量を存分に発揮し,多岐にわたるお腹の心の疾患の深奥にせまることができる.治療にてこずる患者から信頼を受ける医師は仲間からも信頼を受け,人間性がますます磨かれる.医師としてたいへんやり甲斐がある分野だと思われる.
 本特集号では,消化管神経系の基礎的な領域から知覚過敏・消化管運動機能異常,ストレスとお腹の疾患,および多岐にわたるFGIDの代表的疾患について,最新の情報が第一人者により紹介されている.さらに,昨今進展の著しい粘膜免疫系の神経制御と,摂食や栄養代謝制御にかかわる内分泌ペプチドのネットワーク機構の詳細が,わが国が誇る研究者により紹介されている.また,症状の評価と発生機序解明にはあらたな技術modalityが必要とされるが,脳画像などの導入は脳-腸相関の新分野を拓くであろう.
 日本神経消化器病学会も設立後10年余を経過し,徐々に充実してきた.本特集によりFGIDとその背景にある脳-腸相関への理解が深まって,多くの医師・研究者が全人的医療への道を学び,あらたな診断治療へのイノベーションがわが国から生まれることを期待したい.
 はじめに(佐藤信紘)
消化管神経系の構造と機能
 1.消化管侵害知覚の伝達経路と伝達メカニズム(尾ア紀之)
  ・消化管の痛みの特徴
  ・消化管の知覚神経支配
  ・消化管の痛みの受容伝達にかかわる一次知覚神経の形態的特徴
  ・消化管の一次知覚神経の生理学的特徴
  ・知覚神経による消化管の二重支配とその機能的差異
  ・消化管の痛みの伝導路
  ・消化管の侵害受容器の分子機構および感作機構
 2.中枢からの消化管生理機能制御―自律神経と消化管機能(富永和作・荒川哲男)
  ・自律神経系と消化管
  ・自律神経系と消化管運動機能
  ・自律神経系と分泌&消化吸収機能
  ・自律神経系と消化管機能障害
 3.腸管神経叢に発現している消化管運動制御受容体と,それらをターゲットにした消化管機能改善薬(上園保仁・須藤結香)
  ・セロトニン(5-HT)受容体に作用する薬物
  ・オピオイド受容体に作用する薬物
  ・ドパミン受容体に作用する薬物
  ・GABAB受容体作動薬の薬物としての可能性
 4.水チャネル蛋白(アクアポリン)を発現する消化管ニューロン(長浜眞人)
  ・アクアポリンの発見
  ・アクアポリンと神経
  ・消化管壁内神経叢でのAQP発現
  ・水様性下痢を発症する糖尿病モデルラットでのAQP1発現の変化
  ・なぜ消化管ニューロンにアクアポリンが発現するのか
消化管知覚と病態への関与
 5.過敏性腸症候群の発症メカニズム(大橋雅津代・榑林陽一)
  ・消化管神経叢
  ・内臓知覚の神経制御
  ・内臓知覚の発現とその定量
  ・内臓痛覚過敏症のメカニズム
消化管運動機能制御と機能異常
 6.カハールの介在細胞,平滑筋の発生と異常―消化管平滑筋層の発生に光をあてて(鳥橋茂子)
  ・平滑筋層の発生
  ・ICCの発生
  ・ICCと筋層平滑筋の分化
  ・平滑筋とICC,神経節細胞の起源
  ・ICCおよび平滑筋の異常
 7.基本的消化管運動とその制御機構(大野哲郎・桑野博行)
  ・消化管運動の神経性制御
  ・消化管運動の液性制御
  ・空腹期消化管運動と食後期消化管運動
  ・空腹期収縮とモチリン
  ・食後期収縮
  ・大腸運動
 8.上部消化管運動とその評価法―上部消化管運動・胃排出・適応性弛緩・内臓知覚過敏の評価法(下山康之・草野元康)
  ・上部消化管運動機能
  ・胃排出の直接的評価方法
  ・胃排出の間接的評価方法
  ・その他の消化管運動機能検査
 9.腸内細菌叢・消化管炎症・消化管運動の相互作用―腸内フローラと消化管運動の好循環と悪循環(堀 正敏)
  ・腸内細菌叢と消化管運動
  ・腸内細菌叢と消化管炎症
  ・消化管炎症と消化管運動
消化管粘膜免疫系と神経制御
 10.Helicobacter pylori感染と炎症惹起のメカニズム(内山良介・筒井ひろ子)
  ・H.pylori感染と胃酸分泌異常
  ・胃炎誘導におけるTh1型免疫応答の重要性
  ・免疫誘導におけるPeyer板の重要性
 11.消化管における神経系と免疫系のクロストーク―“腸管イントラネット”という統合制御システム(李 在敏・門脇 真)
  ・腸管粘膜免疫系
  ・腸管神経系
  ・神経系と免疫系のクロストーク
ストレスと神経消化器病
 12.ストレスと骨髄由来ミクログリア―脳-骨髄相関(安宅弘司・藤宮峯子)
  ・レジデントミクログリア
  ・骨髄由来ミクログリア
  ・慢性電気刺激ストレスで誘発される骨髄由来ミクログリア
  ・慢性心理ストレスで誘発される骨髄由来ミクログリア
  ・脳-骨髄相関のダイナミズム
  ・骨髄由来ミクログリアに関する疑問点
 13.オキシトシンの抗ストレス作用と消化管運動に及ぼす影響(高橋 徳)
  ・オキシトシンの古典的作用(子宮筋収縮作用,乳汁分泌促進作用)
  ・オキシトシンと母子の絆
  ・オキシトシンと信頼関係,社交性
  ・オキシトシンと抗ストレス作用
  ・触れ合い,絆,オキシトシン
 14. CRFファミリーペプチドによる消化管機能の制御(蔭山和則・須田俊宏)
  ・CRFファミリーペプチドの同定
  ・CRF受容体サブタイプの特性
  ・消化器での作用および作用機序
  ・Ucn今後の展開
内分泌ペプチドと消化器の生理
 15.食欲・摂食行動と内分泌ペプチド(網谷真理恵・他)
  ・中枢性・末梢性の食欲調節機構
  ・中枢性摂食調節機構
  ・末梢性調節機構
  ・認知・情動性調節機構と摂食行動
  ・食欲調節ペプチドの一塩基多型と食行動
 16.レプチンによる摂食・代謝制御機構とその破綻(諸岡留美・竹井謙之)
  ・レプチンとその受容体
  ・レプチンの細胞内シグナル伝達経路JAK/STAT系
  ・レプチンの作用機序
  ・レプチン抵抗性
  ・レプチン抵抗性と病態
  ・レプチンの臨床への応用
 17.グレリンと消化管機能(鈴木秀和・岩崎栄典)
  ・グレリンの生理的作用
  ・消化管疾患におけるグレリンの関与,臨床応用
 18.神経内分泌ペプチドを介した悪心・嘔吐の制御機構(武田宏司・他)
  ・嘔吐反射と5-HT3受容体
  ・嘔吐反射と延髄NK1受容体
  ・悪心・嘔吐に伴う内分泌学的な変化
  ・悪心・嘔吐とグレリン
 19.インクレチン(GLP-1)と胃排泄(中川 淳)
  ・GLP-1による胃排泄抑制作用
  ・GLP-1による胃排泄抑制の作用機序
  ・インクレチン関連糖尿病治療薬における消化器系作用
消化器症状の評価と発生メカニズムの解明
 20.Brain imaging(脳機能画像)の進歩とその応用―機能性消化管障害へのPET,fMRIの応用(北條麻理子・渡辺純夫)
  ・fMRIとは
  ・痛み情報伝達経路
  ・内臓知覚や機能性消化管障害の病態解明へのbrain imagingの応用
  ・治療効果に対するbrain imagingの応用
機能性消化管疾患の病態と治療
 21.NERD(非びらん性胃食道逆流症)の病態と治療―食道にびらんがないのに胸やけ症状が出現するのは?(木下芳一・古田賢司)
  ・NERDの有病率
  ・NERDの分類
  ・NERDの病因・病態
  ・NERDの治療
 22.機能性ディスペプシア(FD)の病態と治療(三輪洋人)
  ・機能性ディスペプシアの臨床的意義とその歴史
  ・腹部症状発現へのアプローチ
  ・機能性ディスペプシアの病態としての胃運動機能異常,内臓知覚過敏
  ・機能性ディスペプシアと関連するその他の因子
  ・機能性ディスペプシアと幼児期・成長期環境
  ・機能性ディスペプシアの薬物治療

 ●サイドメモ目次
  ・アクアポリン
  ・消化管神経叢
  ・幽門輪の運動
  ・Breath ID System
  ・消化管粘膜防御系(GALT)
  ・TLR4受容体
  ・Hirschsprung病
  ・Th1,Th2,Th17
  ・ミクログリアの多能性
  ・オキシトシンと社交性
  ・視床下部でのストレス応答とCRFの統御機構
  ・摂食障害と摂食調節機構
  ・グレリンの生体内システムを用いた治療へのアプローチ
  ・ileal brake
  ・帯状皮質の各部の名称
  ・インピーダンスモニタリング